第43話 戦いの後
厄災級魔獣バルディオスの討伐が確認されてからも、北門の外がすぐに静かになることはなかった。
むしろ戦闘が終わった瞬間から、別の種類の戦いが始まったと言った方が近い。
倒れた騎士の搬送、負傷者の確認、街道周辺の安全確保、残留魔素の測定、バルディオスの死骸への接近規制。
王国騎士団と魔導士団が次々と役割を切り替え、つい先ほどまで激戦が繰り広げられていた場所が、今度は巨大な災害現場のように変わっていく。
その中心へ、北門から新しい一団が入ってきた。
白を基調とした外套には王国紋章と、杖を二枚の葉が囲む意匠が刺繍されている。
「…王国医療師団か」
グレアムが言った。
「医療師団……」
「ああ、騎士団と魔導士団に並ぶ王国直属組織の一つだ。戦場や大規模災害で負傷者の選別、応急処置、治癒魔法、搬送、その後の治療までを担当する」
私は彼らの動きを目で追った。
どうやら、治癒魔法が使える人間を集めただけの部隊ではないらしい。
到着すると同時に負傷者を一か所へ集めるのではなく、歩ける者、その場で処置すれば待てる者、すぐに治療しなければ危険な者へ分けている。
派手な傷だけを見るのではなく、意識や呼吸、出血の程度まで確認しながら搬送順を決めていることにも気付いた。
前世で何度も見た考え方に近い。
「ちゃんとしてる…」
「何がだ?」
グレアムが聞く。
「一番血が出てる人から治療してるわけじゃない。危険度で順番を決めてる」
「それは当然ではないのか?」
「その当然が大事なんです」
私はそれ以上説明しなかった。
今の私は十二歳の学院生だ。
前世で医師だったなどと、ここで説明するわけにはいかない。
医療師団の先頭にいたのは、一人の女性だった。
年齢は四十代後半ほどだろうか。
銀色を帯びた淡い金髪を後ろでまとめ、白い外套の襟には他の医療師団員より一段大きな王国の紋章が入っている。
華奢に見えるが、声には迷いがない。
「団長、重傷者三名を第一治療区画へ移します!」
「まずは、状態を順番に」
「一名は右大腿部の開放創、出血多量。二人目は左肩から胸部を強打し、呼吸状態が不安定。三人目は腹部を強打しており、外傷は軽度ですが意識が低下しています」
女性の表情が変わった。
「三人目を最優先! 二人目も同じ区画へ! 外傷が軽いからと後へ回さないで」
「はい!」
その判断を聞いただけで、この人がただ治癒魔法に優れているだけではないと分かった。
グレアムが私の視線に気付く。
「王国医療師団団長、エレノア・クロイツ。王国内でも最高位の治療師の一人だ」
エレノアはすでに次の患者へ向かっている。
「出血を止めた者はすぐ次へ! 完全治癒に時間を使わないで、今は命を繋ぐことを優先して!」
……明確だ。
一人を完璧に治すより、助けられる人数を増やす。
戦場医療として正しい。
そんな医療師団の中に、一人だけ学院の制服を着た少女がいることに気付いた。
私より明らかに年上で、淡い金髪を肩の辺りでまとめている。
医療師団員の横に膝をつき、負傷した騎士へ治癒魔法を掛けていた。
「あれは学院の生徒ですか?」
グレアムが頷く。
「上級生のミレイユ・クラウゼだ。治癒魔法では学院でもかなり優秀でな。今回は学院側の救護要員として参加している」
初めて見る顔だった。
ミレイユは治療に集中していて、こちらには気付いていない。
「止血できました!」
「よし、次へ回って! 深追いしなくていい!」
医療師団員の指示を受け、ミレイユはすぐ次の負傷者へ向かう。
動きに迷いがない。
まだ学生とはいえ、この場へ出されるだけの実力はあるらしい。
そのとき、第一治療区画から慌ただしい声が上がった。
「団長!」
エレノアが振り返る。
「どうしたの!」
「胸部負傷者の状態が悪化しています! 治癒を続けても粗い呼吸が戻りません!」
先ほど報告されていた二人目だ。
私は反射的にそちらを見た。
鎧を外された騎士が横たわり、治療師が胸部へ治癒魔法を掛けている。
左肩には大きな打撲痕があり、肋骨も何本か折れているらしい。
傷は治っている。
骨も戻りつつある。
それなのに呼吸は浅く、顔色が悪い。
「治癒を止めないで! 胸部をもう一度確認する!」
エレノア自身が騎士の横へ膝をつき、治癒魔法を流した。
それでも、呼吸は改善しない。
ミレイユも近くへ来ていた。
「傷は塞がってるのに……」
私は騎士の胸を見る。
……左右で動きが違う。
左側の膨らみが明らかに小さい。
胸を強打、呼吸困難、顔色不良、意識低下。
前世の知識なら、いくつか候補が浮かぶ。
肺そのものの損傷、胸腔内出血、気胸。
緊張性気胸なら、傷を治している場合ではない。
むしろ、閉じることで悪化することすらある。
「胸の中に問題があるかもしれません!」
気付けば口にしていた。
エレノアがこちらを見る。
鋭い視線だった。
「あなたは?」
「アル・レイヴァンです」
ミレイユが目を見開く。
「……アル・レイヴァン?」
どうやら向こうは私を知っているらしい。
エレノアも名前には聞き覚えがあるようだったが、すぐ患者へ視線を戻した。
「…胸の中とは?」
「治癒魔法で傷や骨折は治っています。でも、肺の周囲に空気か血が溜まって肺そのものを押しているなら、傷を塞いでも呼吸は戻りません」
「肺を……押す?」
「はい。肺は自分だけで膨らんでいるわけじゃない。胸の中の圧力が崩れれば、正常に広がれなくなる可能性があります」
エレノアの目つきが変わった。
知らない概念だから否定するのではなく、すぐに患者へ当てはめて考えている。
「それ確認できる?」
「治癒魔法で内部の状態は分かりますか?」
「……損傷位置ならある程度は」
「じゃあ肺そのものじゃなく、その外側を見てください。左右で違いがないか」
エレノアはすぐに目を閉じた。
薄い光が胸全体へ広がる。
約十数秒。
「……左肺が小さい」
やはり。
「肺の外側は?」
エレノアがさらに魔素を広げる。
「何かある。液体ではない……空間?」
「多分、空気です」
ミレイユがこちらを見る。
「空気があるだけで呼吸できなくなるの?」
「場所による。胸の中で逃げ場のない空気が増えて肺を押し潰せば、治癒魔法で肺そのものを治しても膨らめない」
ミレイユの表情が変わった。
理解しようとしている。
……対応が早いな。
「なら、その空気を外へ出せばいい?」
エレノアが聞く。
「はい。ただし傷を広げる必要はありません。治癒魔法で体液を移動させるような術式はありますか?」
「あるわ。浮腫や血腫の処置に使う」
「同じ考え方で、空気だけを外へ誘導できませんか?」
エレノアは少し考えた。
「普通はそんな使い方をしない。でも……できるかもしれない」
私は頷いた。
「私が位置を見ます。団長は術式をお願いします」
「あなたが位置を?」
「細かい魔素の変化を見るのは得意なので」
エレノアは一瞬だけ私を見る。
「分かった。やるわ!」
決断が速い。
私は患者の胸部へ意識を集中した。
治癒魔法に反応する組織の境界。
肺、胸壁、その間。
左側だけ明らかに状態が違う。
「ここです。肺を押している部分を直接押し戻さず、外側へ流してください。肺にはできるだけ力を掛けないで」
「ここ?」
「もう少し上……そこです」
エレノアの術式が変わる。
傷を修復するための治癒魔法ではない。
体内にある異常な状態を取り除くための魔法。
ミレイユが目を見開いた。
「治癒術式を途中で組み替えた……」
私は頷く。
「一つの術式で全部やろうとしない方がいい。まず状態を確認して、原因を除いて、そのあと損傷を治す」
戦闘で使った術式分割。
今度は、壊すためではない。
治すために使う。
しばらくして、騎士の身体が大きく震えた。
「……っ!」
大きく息を吸った。
胸が膨らむ。
左側も動いている。
「呼吸が戻った!」
治療師の声が上がる。
エレノアは喜ばない。
すぐ次へ進む。
「まだ終わってない! 肺と胸壁の損傷を治す! 骨折も確認して!」
「はい!」
治療師たちが動き出す。
ミレイユも補助へ入る。
数分後、呼吸は安定した。
顔色も少し戻っている。
そこで初めて、エレノアが息を吐いた。
「……助かった」
その一言で、私もようやく肩の力を抜いた。
「ねえ」
横から声がした。
ミレイユだった。
近くで見ると、私より二、三歳は年上に見える。
「今のって、本当に治癒魔法なの?」
「魔法を使ったのはエレノア団長だけどね」
「そういう意味じゃなくて!」
初対面なのに少し怒られた。
「普通は、傷ついた場所を見つけて治すでしょう? でもアルは、傷が治っているのに呼吸が戻らない理由を考えて、その原因を別に探した」
「そうだね」
「しかも治癒術式を、診断、原因の除去、修復に分けた」
診断、という言葉はこの世界にも近い意味で存在するらしい。
「一度に全部やるより、その方が分かりやすいと思っただけ」
「だけって……」
ミレイユは患者を見る。
「私、今まで治癒魔法が上手くなれば、もっと多くの人を治せると思ってた」
少し間を置いて続ける。
「でも違うんだね。治す前に、何が起きてるのか分からなきゃいけない」
私は頷いた。
「魔法が強くても、原因を間違えたら意味がないからね」
ミレイユがこちらを見る。
「あなた、本当に十二歳?」
「……よく聞かれます」
「……でしょうね」
そこへエレノアが来た。
「アル・レイヴァン」
「はい」
「今の知識、どこで覚えたの?」
……来た。
一番困る質問だ。
「本で読んだことと、自分で考えたことを組み合わせました」
……かなり苦しい。
エレノアは私をじっと見る。
「どの本?」
さらに来た。
「色々ですね」
「……便利な答えね」
なんだか見抜かれている気がする。
ただ、それ以上は追及されなかった。
エレノアは患者へ目を向けたまま言う。
「医療師団でも人体構造は学ぶわ、でも治癒魔法が発達したせいで、私たちはどうしても傷そのものを探す方向へ偏りやすい。さっきの考え方は逆ね」
「逆?」
「まず症状から体内で何が起きているかを推定して、その原因に合わせて魔法の使い方を変える。治癒魔法を固定された治療法としてではなく、道具として扱っている」
その表現はかなり近い。
「魔法は方法であって、目的じゃないので」
エレノアの視線がこちらへ戻る。
数秒の沈黙。
その後に少し笑った。
「……面白い子ね」
……こういうの、今日だけで何度目だろう。
「団長」
ミレイユが声を掛ける。
「私、今のやり方を勉強したいです」
「一例見ただけよ」
「だから勉強したいんです!」
エレノアがミレイユを見る。
その表情が少し柔らかくなった。
「ふふ、あなたらしいわね」
どうやら、二人は以前から面識があるらしい。
学院で治癒魔法に優れた学生なら、医療師団との交流があっても不思議ではない。
ミレイユは今度は私を見る。
「アル」
初めて名前で呼ばれた。
「何です?」
「もっと教えて」
「……医学を?」
「いがく?」
……しまった。
「人の身体のことです」
言い直す。
「それと、さっきみたいな治癒魔法の考え方。私も教えるから」
「何を?」
「治癒魔法。アル、詳しくないんでしょう?」
「……詳しくない」
「じゃあ交換で!」
……まぁ、悪くない。
「いいよ」
「約束ね!」
初対面なのに、もう次の話をしている。
でも嫌ではなかった。
エレノアが小さく笑う。
「ミレイユ、あなたはまず今日の仕事を終えなさい!」
「あ……はい!」
「アルもよ。今、治療師の真似事を始めないで!」
「でも、私は患者じゃないです」
「さっき厄災級と戦っていた十二歳が何を言ってるの!」
……言い返せなかった。
その後も医療師団の処置は続いた。
私は邪魔にならない範囲で何人かの負傷者を見たが、さすがに全員へ口を出すことはしなかった。
ただ、腹部を強打していた騎士についてだけは、外傷が軽いからと安心しない方がいいとエレノアへ伝えた。
内臓損傷、内部出血。
前世では当たり前に警戒する。
この世界では治癒魔法があるからこそ、見えない損傷をどう探すかという考え方が、まだ発展の余地を残しているのかもしれない。
エレノアは私の話を否定せず、腹部全体を広く確認するよう部下へ指示した。
その横でミレイユが真剣に見ている。
……どうやら、本当に覚えるつもりらしい。
しばらくして、グレアムが私を呼んだ。
「アル、少しいいか」
「何ですか?」
「北東山地についてだ」
私はすぐそちらを見る。
バルディオスの死骸はすでに騎士団によって封鎖され、研究院の人間が周囲の残留魔素を調べ始めている。
「当面、山地への調査は中止する」
「中止!?」
「残念だが、最後まで聞け。調べるなとは言っていない」
グレアムは北東を見た。
「厄災級が魔脈から魔素を吸収し、その流れに沿うように山地から王都近郊まで出てきた。原因が偶然かどうかも含め、今後は騎士団、魔導士団、研究院、学院を交えた正式な調査になる」
「じゃあ私も?」
「外す方が難しいだろうな…」
やった!
と言いかけて止めた。
さすがに厄災級が出た直後に喜ぶところではない。
「それと、研究許可についても見直す」
「より怒られます?」
「逆だ」
グレアムの答えに、私は少し驚いた。
「今回、お前がバルディオスの外部魔素供給を妨害し、魔脈の流れまで利用して討伐へ繋げたことは、騎士団長も魔導士団長も確認している。危険だからという理由だけで研究を止める段階ではなくなった」
「つまり?」
「制限を緩める。ただし、好き勝手していいという意味ではない」
「分かってます」
「本当に?」
「……多分」
グレアムが額を押さえた。
「まったく…そういうとこだぞ」
実戦性の高い術式や大規模実験については、これまでより上位の設備と監督者を使えるようにするらしい。
さらに。
「空中魔法陣についても、セレナが指導すると言っている」
私は即座に彼女を見る。
ちょうど医療師団の治療を受け終えたところだった。
「明日からできますか?」
少し離れているのに聞こえたらしい。
「休みなさい!」
即答された。
「明後日?」
「まず休みなさい!」
……やはり駄目だった。
そこへ。
「アル!」
聞き慣れた声が飛んできた。
ダンネルだった。
騎士団本部側から来たらしく、鎧姿のままこちらへ走ってくる。
その顔を見た瞬間、嫌な予感がした。
「怪我は?」
「…ないよ」
「本当に?」
「…今日それ何回目だろう」
「答えろ!」
「ありません」
両肩を掴まれ、上から下まで確認される。
「……生きてるな」
「生きてるよ!」
ダンネルが長く息を吐いた。
それからバルディオス、ガルド、セレナ、グレアムを順番に見たあと、最後に私へ戻ってくる。
「お前何した?」
「え? 色々かな」
「はぁ、色々で厄災級は死なない」
そこへガルドが来た。
壊れた鎧の一部を外し、左肩には医療師団の固定具が巻かれている。
「お前がこいつの親父か」
ダンネルが姿勢を正す。
「ガルド団長」
「今日はそんなに硬くなるな。それより、この坊主面白えな」
ダンネルの顔が引きつった。
「……何をしたんですか」
「最後にバルディオスを仕留めたのはこいつだ」
「……アル」
「いやいや、みんなで削った後だよ」
「そこを聞いてるんじゃない!」
……また怒られた。
さらに少しして、ユリーカも北門まで来た。
当然、一般人は戦場区域へ入れないので、騎士団の許可を得て境界付近までだったが、私を見つけるなり走ってくる。
「アルっ!」
「ユリーカ!」
そのまま勢いよく抱きつかれた。
……苦しい。
「馬鹿! 本当に馬鹿!」
「何で?」
「厄災級が出て、しかもアルが前線にいるって聞いて、普通に待っていられるわけないでしょう!」
「でも倒したよ」
「そういう問題じゃない!」
ダンネルまで横で頷いている。
……味方がいない。
夕方になる頃には、北門周辺の緊張もようやく薄れ始めた。
医療師団は重傷者から順に王都内の治療施設へ搬送し、ミレイユも最後までその補助についている。
帰る前、彼女が私のところへ来た。
「アル」
「何?」
「今日のこと、忘れないでね」
「交換の話?」
「それも。でも、もっと全部」
ミレイユは医療師団を見る。
その先ではエレノアが最後の搬送確認をしていた。
「エレノア団長みたいに、どんな状況でも誰を先に助けるべきか判断できるようになりたい。それに、アルがやったみたいに、今まで治せなかった人を違う方法で助けられるようにもなりたい」
私は少し考えてから答えた。
「じゃあ、両方覚えればいい」
「……簡単に言うね」
「できないとは思ってないから」
ミレイユは一瞬黙り、それから笑った。
「じゃあ私も、アルが治癒魔法を覚えられないとは思わないことにする」
「……それは困る」
「何で?」
「研究が増える」
「今さらでしょ!」
……否定できなかった。
エレノアが遠くから呼ぶ。
「ミレイユ! 出るわよ!」
「はい!」
走り出しかけたミレイユが一度振り返る。
「また学院で!」
「うん」
初対面だった。
なのに妙に、次に会うのが楽しみだった。
私はその背中を見送ってから、北東の山々へ目を向けた。
バルディオスが来た方向。
地下を流れる魔脈。
ノエルが追った先。
そして、古代エルグラッド。
今すぐ追う必要はない。
ようやく私は、少しくらいなら待つことを覚えた。
研究は逃げないし、謎もそこにある限り残っている。
……それより、今は休めと言われている。
そして休んだあとには。
空中魔法陣。
それから、治癒魔法と現代医学を組み合わせる。
また研究したいことが増えた。
「……休めるかな」
隣にいたグレアムが聞き逃さなかった。
「休ませる」
「……強制?」
「強制だ」
しばらくは、強制休養らしい。




