第42話 最強の一撃
「……次で終わらせる」
口にした瞬間、自分でも妙に静かな気持ちだった。
目の前には倒れた厄災級魔獣バルディオスがいる。
甲殻は至るところで砕け、首元にはガルドの大剣とセレナの《灼穿》、グレアムの風槍によって開かれた深い傷が残っている。
それでも胸は上下しており、地面の下では細くなった魔素流がまだこいつへ向かおうとしていた。
……死んでいない。
それどころか、放っておけば再び立ち上がる可能性がある。
私は右手を上げたまま、バルディオスの内部へ意識を向けた。
「アル」
グレアムが低い声で呼ぶ。
「無理はするなよ」
「…はい」
その横でガルドが大剣を肩へ担ぎ直した。
「坊主、何かやるならさっさとやれ! こいつ、また魔素を集め始めてるぞ!」
「分かってます!」
「俺たちは何をすればいい?」
少し意外だった。
王国騎士団団長が、十二歳の私へ次の指示を求めている。
だが遠慮している場合ではない。
「少しだけ時間をください! それと、バルディオスの首から胸にかけて誰も近づかないでください!」
「どのくらい危ない?」
セレナが聞く。
私は少し考えた。
「……かなり」
「具体的には?」
「まだ撃ったことがないので分かりません」
セレナが額を押さえた。
「ちょっとグレアム。この子、いつもこんな感じなの?」
「……残念ながらな」
失礼だと思う。
とはいえ、今回ばかりは本当に分からない。
これからやろうとしているのは、今まで一度も試したことがない。
ただし、原理はすべて分かっている。
それぞれ単独なら何度も使った。
なら、組み合わせればいい。
まず、バルディオスへ流れ込む外部魔素をさらに逸らす。
完全には止めない。
止めようとすればするほど、こちらの負担が大きくなる。
北東側から来る二つの流れが合流する前に少しずつ方向をずらし、バルディオスへ届く量を減らす。
戦場の地下で、見えない川が二方向へ分かれていく。
再生速度がさらに落ちた。
次に首元の傷。
そこが一番深い。
ガルドの斬撃で甲殻が割れ、セレナの熱とグレアムの風槍によって内部まで傷が届いている。
……ここを使う。
「何をするつもりだ?」
ガルドが聞く。
「外から壊すのはもう面倒なので、中を狙います」
「言い方が怖いな…」
「でも、その方が早いです」
バルディオスほど巨大な相手を、外から完全に破壊するには莫大なエネルギーが必要になる。
なら内部へ直接通す。
岩甲獣のときにやった。
甲殻を割り、柔らかい部分を露出させ、そこから電気を通す。
今回はそれをもっと大きくする。
ただし、電撃だけでは足りない。
バルディオスは大きすぎる。
一部を硬直させてもそれだけでは死なない。
なら、一つではなく複数の現象を、同じ場所へ。同時に重ねる。
私は術式を分割した。
一つ目、重力。
狙うのはバルディオスの全身ではなく、首から胸へ続く内部組織。圧力を一方向へ集中させる。
二つ目、冷却。
傷口の周囲から急速に熱を奪い、再生しようとする組織の動きを鈍らせる。
三つ目、圧縮空気。
ただし外からぶつけるのではない。
傷口へ細く入り込み、内部で解放する。
四つ目、電気。
露出した組織から内部へ通し、筋肉と神経に相当する部分を一度に攪乱する。
それだけでも十分強い。
だが、まだ足りない。
「……アル?」
グレアムが私を見る。
「何だその魔素の使い方は!?」
自分でも分かる。
体内魔素が急速に減っている。
そこで私は、ずっと使ってきたもう一つの能力を使った。
周囲の魔素を取り込む。
子供の頃から何度も使ってきた方法。
外部魔素制御とは違う。
今度は自分のために吸収する。
戦場に漂っていた魔素が、私へ向かって流れ始めた。
セレナが息を呑んだ。
「待って。それ……周囲の魔素を自分へ?」
「はい」
「そんなことができるの!?」
「昔からできます」
「昔から?」
グレアムが横から言う。
「その話はあとだ。今は止めても無駄だろう」
「私、止めるつもりだったんだけど?」
「こうなってしまっては、下手に止める方が危険だ!」
……何だか二人の間で、私の扱いがおかしくなっていってる。
私は周囲の魔素を取り込みながら、同時にバルディオスへ向かう外部魔素は別方向へ流す。
自分へ引き寄せる流れと、敵から逸らす流れ。
二つを同時に。
……頭が痛い。
さすがに、処理量が多いな。
でも、できる。
「まだ増やすのか?」
ガルドが少し引いた声で言った。
「これで最後なので」
「そういう問題か?」
「……多分」
「なんだよ多分って!」
バルディオスが動いた。
前脚が地面を掻く。
やはり、まだ立とうとしている。
騎士たちが反応したが、私は首を振った。
「皆さん! 近づかないで!」
ガルドも止める。
「聞いたな! 全員下がれ!」
騎士団が距離を取る。
魔導士団も後退する。
セレナだけがその場に残り、私の周囲へ薄い防御障壁を展開した。
「集中して! 周りは私たちが守る!」
「ありがとうございます!」
「…あとで全部説明してもらうから」
「……何を?」
「多すぎて今は分からないわ」
……それは私も困るのだが。
私はバルディオスを見る。
立ち上がりかけている。
首元の傷が、動いたことで開いた。
そこへ術式を重ねる。
重力、冷却、圧縮、電撃。
四つではない。
私はもう一つ追加した。
火。
ただし、燃やさない。
熱膨張だけを狙う。
先に、傷口内部の一部を急激に加熱。
その直後、別の部分を冷却。
温度差を極端に作る。
甲殻を割ったときと同じ。
熱して、冷やす。
膨張と収縮。
ただし、今回は内部で。
「アル!」
グレアムの声が。
少し遠く聞こえる。
「それ以上は――」
「大丈夫です!」
「信用できんわい!!」
「今回は、本当に大丈夫ですから!」
私は息を吸った。
術式分割。
五系統。
さらにそれぞれを、一つの中心へ収束する。
セレナの《灼穿》を見て分かった。
威力を出すなら、大きくする必要はない。
狭く、細く。
逃げ場をなくす。
……一点へ。
私は右手をバルディオスの首元へ向けた。
「いきます!」
空中に魔法陣は出ない。
少なくとも、私にはまだ。
あんな綺麗に、空中に魔法陣は描けない。
でも頭の中では、五つの術式が完全に重なった。
そして、発動した。
最初にバルディオスの傷口が白く凍った。
その直後。
内部だけが赤熱する。
凍結と膨張。
組織が耐えられない。
亀裂が内部へ走る。
そこへ圧縮空気。
傷の奥で解放。
低い爆発音が響く。
バルディオスの巨体が、地面から僅かに浮いた。
次は、重力。
外へ逃げようとした衝撃を、逆に内部へ押し戻す。
最後は、電撃。
青白い光が傷口から全身へ走った。
バルディオスが大きく仰け反り、吠えようとした。
だが、声が出ていない。
私はさらに一点へ収束させる。
ここまで何度も研究してきた。
熱、圧力、電位差、重力、魔素。
全部の物理現象。
制御できるなら一つへまとめればいい。
「《収束崩壊》」
名前は、今ふと浮かんだ。
次の瞬間、音が消えたように感じた。
バルディオスの首元。
そこだけが内側へ沈み込んだ。
少し遅れて、衝撃がこちらへ来る。
轟音とともに、地面が揺れる。
空気が吹き抜ける。
セレナの障壁が激しく歪んだ。
それを見たグレアムが、さらに防壁を重ねる。
ガルドが大剣を地面へ突き刺して踏ん張っている。
そして。
バルディオスは、もう動かなかった。
首から胸へ続く内部が、完全に破壊されている。
巨大な頭がゆっくり地面へ落ちた。
今度は胸も動いていない。
魔素も集まらない、魔脈から魔素も吸わない。
私はしばらくそのまま見ていた。
誰も動かなかった。
一秒、二秒、三秒。
ガルドがゆっくり近づく。
大剣を構えたまま、バルディオスの目を見る。
次に、バルディオスの全体を確認する。
……ガルドは大剣を下ろした。
「……死んだ」
その一言で空気が変わった。
騎士団から最初に声が上がった。
それが一つ、二つ。
やがて、大きな歓声へ変わる。
魔導士団には座り込む者、笑う者、泣く者。
色々いた。
グレアムが長く息を吐く。
セレナもようやく術式を消した。
私はその場に座り込んだ。
「疲れたぁ……」
それしか言えなかった。
ガルドがこちらへ歩いてくる。
「おい、坊主」
「…はい?」
「今の何だ」
「……今作りました」
「そうじゃねえ!」
セレナが横から入る。
「五種類……いや、外部魔素の制御まで含めたらもっとね。あれをどうやって同時に維持したの?」
「…術式を分けました」
「それは分かるわ。でも普通は分けた分だけ制御対象が増えるのよ?」
「ええ、増えました」
「……平然と言わないでくれない?」
……怒られた。
ただ、私が一番気になっていたのはそこではない。
「セレナ団長」
「何?」
私は戦闘中何度も見たものを思い出す。
空中に浮かんだ魔法陣。
一枚ではなく、何枚も。
位置を変え、角度を変え、別々の処理をさせながら一つの術式へまとめる。
「さっき使ってた空中の魔法陣、あれってどうやるんですか?」
セレナが止まった。
「……それ今聞くの?」
「どうしても気になって…」
「厄災級を倒した直後よ?」
「だから忘れる前に!」
グレアムが額を押さえた。
「……やはりお前はお前だな」
ガルドが大笑いする。
「ガハハハハ! いいじゃねえか! 俺らさっきまで死にかけてたのに、こいつはもう次の魔法の話してやがる!」
「そんなに変ですかね?」
「変だ!!」
みんなから即答された……
セレナは少し呆れたあと、静かに笑った。
「空中魔法陣は、普通の魔法陣とは少し違うの」
「……やっぱり」
私は立ち上がった。
……疲れているが、でもこれだけは聞きたい。
「通常の魔法陣は、紙や地面、術式板みたいな物理的な媒体へ線を固定するでしょう? 空中魔法陣は、その固定を術者自身が魔素で代行するの」
「……魔素で座標を固定する?」
セレナの目が少し変わった。
「そう。正確には、空間上に複数の基準点を置いて、その間を魔素の線で繋いで魔法陣を形成する。だから術式が要らない代わりに、形状維持、位置補正、魔素供給は、全部術者が同時にやらなければならない」
……なるほど。
紙へ描いた魔法陣なら、線は勝手にそこにある。
でも、空中では線そのものを維持し続ける必要があるというわけか。
「さっきは一枚だけじゃなかったですよね?」
「ええ。私が《灼穿》で使ったのは二十一枚。生成、加熱、圧縮、収束、軌道補正、安定化を分担させているわ」
……二十一。
思ったより多い。
「全部同時制御?」
「当然」
「……面白い」
「はぁ、こんな時にその顔はやめなさい」
……また言われた。
グレアムが横から口を挟む。
「空中魔法陣は高等技術だ。普通は一枚を安定させるだけでも相当な訓練が要る。まして複数同時展開は、魔導士団でも使える者は限られる」
「学院長も使ってましたよね?」
「三枚程度だがな」
「三枚程度……」
セレナがグレアムを見る。
「…あなたの三枚は一枚一枚が複雑すぎるのよ」
「君の二十一枚が多すぎるだけだと思うが?」
……また始まった。
でも聞きたいことはまだある。
「これって、術式分割と相性いいですよね?」
セレナが頷く。
「むしろ術式分割を実戦で最大限活かすための技術の一つと言っていいわ。地面に魔法陣を並べる必要がないから、位置も角度も自由に変えられるし、途中で組み替えることもできる」
途中で組み替える!?
その言葉で、頭の中が一気に動いた。
固定された術式ではなく、戦況に合わせて空中で再構成。
生成、圧縮、冷却、電撃、重力、さらに外部魔素制御。
全部を必要な場所へ、必要な角度で並べられる。
「……学院長」
「何じゃ?」
「……これ、覚えたいんですが?」
グレアムが少しだけ遠い目をした。
「お前なら止めても覚えるだろう…」
「…多分」
「なら、ちゃんと管理下で覚えろ」
「やった!」
セレナが驚いたようにグレアムを見る。
「許可するの?」
「今日の戦いを見ただろう。もうこいつは学生だから、で全部止める段階ではない…」
その言葉に私は少しだけ黙った。
……認められた。
そういうことなのだと思う。
戦闘力だけではない。
研究者として、魔導士として。
少なくとも、今までより一段上へ進むことを許された。
その向こうでは、騎士団がバルディオスの周囲を封鎖している。
魔導士団は残留魔素を測っている。
王都北門の向こうでは、避難していた人たちへ討伐成功が伝えられ始めている。
私は倒れた厄災級を見る。
……本当に大きい。
こんなものが北東山地の奥から出てきた。
そして、その地下にはまだ魔脈が続いている。
さっきまでは、戦闘に集中して考えないようにしていた。
でも、忘れてはいない。
バルディオスが来た方向。
北東。
ノエルが魔脈を追った方向と一致する。
そのさらに先には、古代エルグラッド。
偶然とはまだ言い切れない。
ただ、調べる理由はまた一つ増えた。
私は最後にバルディオスへ目を向けた。
……厄災級。
それに王国騎士団団長、王国魔導士団団長、グレアム学院長。
その全員が戦った。
そして、最後に私が仕留めた。
私は少しだけ笑う。
「……悪くない」
「何がだ?」
グレアムが聞く。
「何でもないです」
本当はかなり嬉しかった。




