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魔法を否定した天才物理学者、異世界で魔法の神になる  作者: 月城宮 雅仁
第五章 北東山地の異変

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第40話 厄災級魔獣《バルディオス》

厄災級の可能性。


その言葉が北門に落ちてから、王国の動きは早かった。


北東方面へ向かう街道は即座に封鎖され、住民には王都南側への避難準備が通達された。


街道周辺に残っていた商人や農民も騎士団の誘導で次々と退避し、北門の前に残ったのは武装した兵士と魔導士、それに限られた学院関係者だけになっている。


私もそこにいた。


本来なら十二歳の学生が立っていい場所ではない。


それでもグレアムは私を学院へ戻さなかった。


理由を聞く必要はなかった。


北東から押し寄せてくる魔素の変動を、ここにいる誰より正確に感じ取れているのが私だからだ。


「近づいてます」


私は北東を見たまま言った。


「距離は分かるか?」


グレアムが尋ねる。


「正確にはわかりません。でも、さっきより明らかに強いです。移動してます」


地面の下では、北東から王都方向へ向かう魔素流が激しく乱れていた。


魔脈そのものが移動しているわけではない。


何かが通過するたび、周囲の流れが吸い寄せられ、その後ろで再び戻ろうとしている。


まるで巨大な物体が川の中を進んでいるようだった。


「団長到着!」


門の内側から声が上がる。


騎士たちが一斉に道を開けた。


現れたのは、五十歳前後に見える大柄な男だった。


銀灰色の鎧には王国騎士団の紋章が刻まれ、背には普通の騎士剣より明らかに長い大剣を背負っている。


歩いているだけなのに、周囲の騎士たちとは空気が違う。


「王国騎士団団長、ガルド・ヴァンデルだ」


近くの騎士が小声で教えてくれた。


なるほど。


……強いな。


魔法を使っているわけでもないのに、体内の魔素量と循環が周囲の騎士とは桁違いだった。


ガルドは防衛線まで来ると、現場指揮官から短く報告を受け、そのまま北東へ視線を向ける。


「学院長」


「久しいな、ガルド」


グレアムが答える。


知り合いらしい。


「まさか、お前まで前へ出てくるとはな」


「厄災級かもしれんと言われて、学院で茶を飲んでいられるほど老いてはいない」


「がははっ! 七十を越えた人間が言う台詞ではないな」


「ははは! 君よりは魔法で戦える」


「言ったな?」


……何だろう。


思っていたより仲がいい。


その直後、今度は魔導士たちが左右へ道を開いた。


紺色の外套を纏った女性が歩いてくる。


年齢は四十前後だろうか。


長い黒髪を後ろで束ね、右手には杖すら持っていない。


彼女が近づいた瞬間、周囲の魔素がわずかに揺れた。


「……すごい」


思わず声が漏れる。


私が普段見ている一般的な魔導士とは違う。


体内の魔素量が多いだけではない。


制御が極端に滑らかだ。


無駄がない。


「王国魔導士団団長、セレナ・アルヴェインだ」


また騎士が教えてくれた。


王国騎士団団長。


王国魔導士団団長。


そしてグレアム学院長。


王都でも滅多に同じ場所へ集まらないであろう三人が、北門の前へ並んでいる。


厄災級。


その可能性だけで、王国はこれだけの戦力を動かした。


やがて、地面が揺れた。


最初は小さい。


だが一定の間隔で一度、二度、三度。


揺れが強くなる。


鳥の群れが北東の森から飛び立った。


続いて小型の魔獣まで木々の間から飛び出し、人間のいる防衛線など気にも留めず横を抜けていく。


誰も攻撃しなかった。


理由は分かっている。


あれらは、戦いに来たのではない。


逃げている。


「来るぞー!」


ガルドの声が響いた。


森の向こうで木が倒れた。


一本ではない。


何十本もの木が、進行方向に沿って次々と消えていく。


そして、それが姿を現した。


大きい。


第一印象は、それだけだった。


全長は二十メートルを超えている。


四足。


身体は低いが、肩まででも建物の二階近い高さがあり、背中には幾重にも重なった黒褐色の甲殻が並んでいた。


頭部から前方へ伸びる二本の巨大な角。


口は異様に大きく、牙の隙間から黒い霧のようなものが漏れている。


だが一番おかしいのは周囲の魔素だった。


吸っている。


呼吸するように、歩くたび周辺の魔素があの魔獣へ流れ込んでいる。


地下からも、魔脈から魔素が引き上げられている。


セレナの表情が変わった。


「……まさか」


ガルドが横を見る。


「知っているのか?」


「古い討伐記録で一度だけ読んだことがあります。特徴が一致するなら……あれは《バルディオス》」


ざわめきが広がる。


誰かが呟いた。


「バルディオス……?」


セレナは魔獣から目を離さなかった。


「魔素喰らい《バルディオス》。厄災級指定記録のある魔獣です」


厄災級。


今度は可能性ではなかった。


ガルドが大剣を抜いた。


「王国騎士団、前列展開! 魔導士団は第二線、学院関係者は第三線より前へ出るな!」


命令が一瞬で伝わる。


騎士団が盾と槍を並べる。


その後ろで魔導士団が術式を展開し、幾重もの魔法陣が空中へ浮かび上がった。


私がこれまで見た戦闘とは規模が違う。


「第一斉射、放て!」


炎。


氷。


風。


雷。


土槍。


数十の魔法が同時に飛ぶ。


轟音。


バルディオスの周囲が爆発に包まれた。


火柱が上がり、氷が甲殻へ突き刺さり、雷撃が巨体の表面を走る。


これだけ撃ち込めば、普通の大型魔獣なら形すら残らない。


だが、煙の中から前脚が出た。


続いて頭。


傷がない。


いや、完全に無傷ではない。


甲殻の一部が焼け。


氷槍の跡も残っている。


しかし浅い。


それ以上におかしい。


「周囲の魔素を吸ってる……」


私は呟いた。


攻撃を受ける直前、バルディオスの周囲へ魔素が集中した。


術式の一部が、着弾直前に乱されている。


魔法を消したわけではない。


だが炎は広がり、氷槍は僅かに軌道を逸らされ。


雷は甲殻の表面へ逃げた。


そして受けた傷が、ゆっくり戻っている。


「再生まで?」


グレアムの声が低くなる。


ガルドが走った。


速い。


重い鎧と大剣を装備しているとは思えない速度で、一気にバルディオスの側面へ回り込む。


巨体が前脚を振る。


ガルドは踏み込み、剣を振った。


轟音と共に、巨大な前脚が僅かに横へ逸れた。


「人間なのか?」


思わず声が出た。


腕力だけではない。


ガルドは自分の内部魔素を身体強化へ集中させ、異常な出力を作っている。


さらに大剣。


刃の周囲へ薄い魔素の層が形成されている。


魔法というより、魔素による武装強化。


ガルドが二撃目を叩き込む。


甲殻が割れた。


「入ったー!」


騎士たちが叫ぶ。


だが浅い。


バルディオスが身体を捻った。


太い尾が迫ってくる。


速い。


ガルドが大剣を盾にして受ける。


次の瞬間、その身体が数十メートル吹き飛んだ。


「団長!」


騎士が駆ける。


ガルドは転がりながらも立ち上がった。


鎧が凹んでいる。


それでも。


剣は離していない。


「化け物め……」


今度は、セレナが前へ出た。


「魔導士団散開! 私の術式へ重ねてください!」


彼女の周囲に一つ、二つ、三つ。


魔法陣が現れる。


そしてさらに増える。


十。


二十。


個別の術式ではない。


巨大な一つの術式を、複数の魔法陣へ分割している。


私は目を見開いた。


「術式分割……?」


私が普段やっている方法と考え方が近い。


もちろん構造はまったく違う。


だが一つの術式へすべてを詰め込まず、機能ごとに分けている。


セレナが右手を上げた。


空気が震える。


風が集まり、炎が生まれる。


それをさらに圧縮する。


炎が、白く見えるほどの高温。


「《灼穿》」


細い光線のような炎が、バルディオスの肩へ突き刺さった。


今度は入った。


厚い甲殻が赤熱し、一部が溶ける。


バルディオスが初めて大きく吠えた。


空気が震える。


「す、すごい……」


これが。


王国魔導士団団長。


だがバルディオスの周囲へ、さらに大量の魔素が集まった。


周囲から、地下の魔脈から、魔素が一気に傷口へ集まる。


赤熱した甲殻が少しずつ戻っていく。


「嘘でしょ!?」


セレナの表情が強張った。


さらにバルディオスが口を開く。


魔素が今度は口元へ集まる。


まずい。


私は直感した。


「防御!」


セレナも同時に叫んだ。


黒い塊。


魔素そのものが高密度で吐き出された。


魔導士団が多重障壁を展開する。


一枚、二枚目。


割れる。


三枚、四枚。


まだ止まらない。


そこでグレアムが前へ出た。


両手を前へ出す。


魔素が一気に集まる。


普段、学院で見ている老人とは別人だった。


「学院長……?」


巨大な魔法陣が一枚。


その後ろにもう一枚。


さらに三枚目。


三枚が重なる。


「《多層偏向壁》」


黒い魔素塊が、正面から障壁へぶつかる。


止めない。


一枚目で僅かに上へ。


二枚目でさらに上へ。


三枚目で、軌道が逸れた。


黒い塊が王都の上を通過し、遠くの空で破裂する。


すさまじい衝撃。


雲が円形に消えるほどに。


誰も声を出さなかった。


グレアムが息を吐く。


「……昔ほど楽ではないな」


ガルドが遠くから怒鳴る。


「それで老いたつもりかよ!」


「君よりは若々しいつもりだ」


「その減らず口なら平気だな!」


この状況でまだ言うか。


だが私は、笑えなかった。


今の攻撃。


防ぐだけで、グレアムの魔素がかなり減っている。


バルディオスはほとんど減っていない。


なぜなら、自分だけの魔素で戦っていない。


周囲から吸っている。


魔脈から、大気から、戦場全体から。


「これ……長期戦になったらまずい」


私の声に、グレアムが振り返る。


「何が分かった?」


「バルディオスは周囲の魔素を使っています。多分、再生も防御も全部そこから補ってる」


セレナも聞いていた。


「魔素を喰らう、という名の通りね」


「完全に吸い上げてるわけじゃないです。でも、周囲から流れ込む量が大きすぎる。このままならこっちが先に尽きます」


ガルドが戻ってくる。


左肩の鎧が壊れている。


「ならどうする?」


「供給を止めるしかないわね」


セレナが答えた。


「できるのか?」


「私には無理です。地下まで広がる魔素流そのものを切る術式なんて――」


そこで、全員の視線が私へ向いた。


「……何ですか」


グレアムが嫌そうな顔をした。


「まさか」


私は、北東山地で見た流れを思い出す。


分岐、合流、流向、術式へ引かれる魔素。


そして昨日、外にある魔素を数センチだけ、外にあるまま動かした。


「アル」


グレアムの声が低くなる。


「昨日のあれを使うつもりか?」


「使います」


「数センチ動かしただけだぞ」


「今はもう、流れがあります」


私はバルディオスを見る。


周囲から大量の魔素が、あいつへ向かっている。


自分でゼロから動かす必要はない。


流れているなら、少しだけ方向を変える。


「止めるんじゃありません」


私は答えた。


「流れをずらします」


グレアムが黙る。


「どの程度だ」


「…分かりません」


「またそれか」


「でも、やらないと全員先に尽きます」


セレナが私を見る。


「君が噂のアル・レイヴァンね」


「噂?」


「今はどうでもいいわ。何が必要?」


考える時間、集中する時間。


魔法を撃ち込まれると、周囲の魔素が乱れる。


「十秒ください。その間、大きい魔法は使わないでください」


ガルドが笑った。


「いいだろう! 十秒くらい、俺たちで稼いでやる!」


騎士団が前へ出る。


魔導士団は攻撃を止める。


拘束、防御。


補助へ切り替える。


グレアムが私の横へ立った。


「無理だと思ったらやめろ」


「はい」


「本当にやめろよ」


「はいはい」


「二回返事をする時のお前は信用できん」


……ひどい。


余計なことを考えている暇はない。


私は目を閉じ、魔素を感じる。


自分の中ではない。


外、右、左、地面、空気、地下。


巨大な流れがバルディオスへ集中している。


昨日は、静止している魔素に通り道を作った。


だが、今日は違う。


すでに流れている。


だから押さない、引かない。


ただ、流れやすい方向をほんの少し横へ作る。


最初は何も起きない。


範囲が広すぎる。


数十メートル。


……無理か?


そう思った、その瞬間。


北東山地、魔脈。


あの巨大な流れを思い出した。


私は全部を動かそうとしていた。


違う、一本ずつではない。


流れの場、全体へ同じ方向性を与える。


「……こっち」


小さく呟く。


周囲の魔素が揺れた。


セレナが振り返る。


「何……?」


バルディオスへ流れていた魔素の一部が、脇を通り過ぎた。


最初は僅か。


次はもっとだ。


私は、方向だけを変える。


吸い込みそのものは止めないし、止められない。


だが百あった流れを九十、八十、七十へ減らす。


バルディオスの傷口の再生が遅くなった。


「効いてる!」


セレナが叫ぶ。


だがバルディオスも気付いた。


頭がこちらを向く。


……まずい。


あいつ、私を見ている。


「アル、続けろ!」


ガルドが前へ出た。


バルディオスが私へ向かって走り出す。


地面が揺れる。


騎士団が横から斬り掛かる。


ガルドの大剣が前脚へ入る。


さっきより深い。


「通るぞ!」


防御に回っていた魔素も減っている。


セレナが気付く。


「攻撃できる!」


「まだ!」


私は叫んだ。


「もう少し待って!」


さらに流れを外へ。


バルディオスの周囲にあった濃い魔素の層が薄くなる。


だが完全に消えたわけではない。


まだ強い。


それでも最初とは明らかに違う。


「今です!」


私が叫ぶ。


セレナの術式が一瞬で展開された。


さっきの《灼穿》


ただし、今度は一発ではない。


三方向から同時。


白熱した三本の光が、バルディオスの肩、胸、前脚へ突き刺さる。


甲殻が砕けた。


初めて血が大量に飛んだ。


そして厄災級が吠えた、悲鳴に近い声で。


王国騎士団団長が笑った。


「おぉ! 効くじゃねえか!」


ガルドが飛び込む。


砕けた胸部へ、大剣一閃。


さらにグレアムが、風を圧縮。


私が普段使うものとは規模が違う。


巨大な風槍が、ガルドの斬撃で開いた傷へ真正面から突き刺さった。


バルディオスの巨体が、初めて後ろへと下がった。


一歩。


二歩。


三歩。


地面へ前脚をつく。


騎士団から歓声が上がる。


だが私は喜べなかった。


「……違う」


倒れていない、むしろ魔素の流れが変わっている。


バルディオスが地下へ意識を向けている。


私が逸らした周囲の魔素ではなく。


もっと下。


太い魔脈そのものへ。


「学院長!」


グレアムが振り返る。


「下です!」


地面が大きく脈打った。


バルディオスの足元から、今までとは比較にならない量の魔素が吹き上がる。


私が逸らした流れより遥かに多い。


セレナの顔色が変わる。


「これが……魔素喰らい」


バルディオスが、ゆっくり立ち上がる。


砕けた甲殻の隙間から、黒い魔素が溢れている。


傷はまだ塞がっていない。


さっきより確実に弱っている。


でも、戦いは終わっていない。


ガルドが大剣を構え直す。


セレナが再び術式を展開する。


グレアムが私の前へ出た。


「アル」


「なんです?」


「今ので分かっただろう」


何が、とは聞かなかった。


外部魔素操作。


これは数センチ動かすだけの研究ではない。


戦場の魔素の流れそのものへ触れられる。


そしてバルディオスも同じものを使っている。


私はもう一度周囲の魔素を感じる。


さっきよりずっと、広く。


今度は数センチではない、数十メートル、戦場全体。


さっき、厄災級《バルディオス》が私を見た。


偶然ではない。


今度は、はっきり私だけを見ている。


どうやらあいつも分かったらしい。


自分の餌を奪っているのが、誰なのかを。

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