第37話 五つの観測点
北東山地での調査も、今日で四日目になる。
昨日の測定によって、魔脈が一本の太い流れではなく、複数の支流が分岐と合流を繰り返しながら北東へ向かっている可能性が高くなった。
ただ、三地点だけの同時観測では途中にある細い支流を拾いきれない。
実際、昨日見つけた東向きの流れは、リーナの観測地点で偶然大きな変動が起きなければ見逃していた。
そこで今日は、調査隊が持ってきた予備の測定器も使い、観測地点を五つまで増やすことになった。
「…本当は七点くらい欲しいんだけど」
地図を広げながら言うと、グレアムがこちらも見ずに答えた。
「人員が足りん」
「じゃあ六点」
「増えているぞ」
「一個だけです」
「却下だ」
……交渉は失敗した。
リーナが隣で笑っている。
「五点でも昨日よりかなり多いんだから、まずそれでやってみようよ」
「まあ、それはそうだけど」
今回は観測点十二を中心として、北西、南、東、それから合流後の北東側へ測定班を配置する。
離れすぎれば連絡が難しくなるため、各地点は徒歩数分から十数分程度の範囲に収め、騎士を必ず同行させることになった。
昨日の山牙狼の件もあるので、研究員だけで山中へ置いていくつもりはないらしい。
私は北東側の観測地点を希望した。
昨日、グレアムに先回りされて観測点十二へ残されたので、今日は自分から言った。
「私、北東側がいいです」
グレアムがこちらを見る。
「理由は?」
「一番先の流れを見たいからです…」
「正直でよろしい」
意外にも許可された。
ただし。
「ダンネルも連れていけ」
やはり監視役は付くらしい。
「…護衛だからな」
少し離れたところから訂正された。
五班はそれぞれの観測地点へ向かった。
私の班は、私、ダンネル、騎士二人、それに測定器を運ぶ研究員一人の五人。
リーナは観測点十二に残り、グレアムと全体の記録をまとめる。
北東へ進むほど木々が少なくなり、岩肌が目立つようになってきた。
昨日見つけた黒っぽい岩層もところどころで地表へ露出しているが、魔脈との相関があること以上はまだ分かっていない。
私たちが追っているのは、あくまで地下の魔素流だ。
指定された地点へ着くと、測定器を設置した。
「ここでいいのか?」
ダンネルが聞く。
「多分。観測点十二から来る太い流れが、この下を通ってる」
「……見えん」
「私には分かる」
「便利だな…」
「でも深くなると分かりにくいよ」
だからこそ測定器が必要になる。
私は地面へ手を置くわけでもなく、その場に立ったまま意識を地下へ向けた。
確かに流れはある。
観測点十二側から来た魔素が、ここでは北東へかなり安定して進んでいる。
ただ、昨日まで見てきた場所と比べて幅が広く、浅い支流が何本か合流しているようにも感じられた。
決められた時刻になり、五地点同時観測が始まった。
最初の変動は南側からだった。
連絡用の発光魔具に合図が入り、それから少し遅れて観測点十二、さらに北東側にいる私たちの測定器にも小さな変化が出る。
時刻を記録する。
次は北西。
観測点十二。
北東。
さらにしばらくして、東側の観測地点にも別の波が出た。
一時間ほど観測を続けると、完全ではないものの、魔素の変動がどの地点からどの地点へ伝わっているかが見え始めた。
「…やっぱり全部が同じ速さじゃない」
私は記録を見ながら呟いた。
細い支流は変動が早く、広い流れでは遅れることがある。
合流地点では複数の波が重なり、単純な周期ではなくなる。
そして北東側。
私たちの場所まで来る頃には、細かな変化の多くが混ざり合い、大きな一つの波のようになっていた。
川というより。
血管。
いや、それも少し違う。
もっと複雑だ。
無数の小さな流れが繋がり、全体として一方向へ偏っている。
私は地図へ矢印を書き込んだ。
それでも、大きな方向は変わらない。
北東。
ノエルが方位式探査で追った方向とも一致する。
「アル」
ダンネルが呼んだ。
「何?」
「顔を上げろ」
言われて初めて、私は地図から視線を上げた。
鳥の声が消えている。
さっきまで聞こえていた虫の音もない。
騎士二人がすでに周囲を警戒していた。
「……何かいる?」
「多分な」
ダンネルが剣へ手を掛ける。
私は測定器から離れ、周囲を見る。
右側には岩壁、左は少し開けた斜面。
正面には大きな岩がいくつも転がっている。
その一つが、動いた。
「……岩じゃない」
灰色の塊がゆっくり持ち上がる。
四本の太い脚。
平たい胴。
背中全体を覆う岩のような甲殻。
頭部も硬い殻に包まれ、前脚の先には岩へ食い込むほど太い爪が付いていた。
体長は三メートルほど。
昨日の山牙狼より明らかに大きい。
騎士の一人が息を呑む。
「岩甲獣だ」
ダンネルの表情が変わった。
「…硬い?」
私が聞く。
「名前の通りだ。正面から剣を入れてもほとんど通らん」
岩甲獣はこちらを見ている。
逃げる様子はない。
むしろ、こちらへ近づいてくる。
「縄張りに入ったか」
ダンネルが言った。
騎士たちが前へ出る。
その瞬間、岩甲獣が地面を蹴った。
見た目より速い。
私はすぐに重力場を置いた。
前方、脚。
体全体へ下向きの力を追加する。
これなら止まる。
そう思った。
だが、止まらない。
「え?」
岩甲獣の爪が岩盤へ深く食い込んだ。
姿勢が低い。
四肢が外側へ広がり、身体のほとんどが地面に張り付いている。
重くすれば速度は落ちる。
しかし、止まらない。
むしろ爪を岩へ食い込ませながら、一歩ずつこちらへ進んでくる。
「効いてないのか!?」
ダンネルが叫ぶ。
「効いてはいる!」
ただ、相性が悪い。
今まで重力場は、相手の姿勢を崩したり、踏み込みを潰したりするのに使ってきた。
しかしこいつは、もともと重心が低いうえに四本の爪で地面へ身体を固定している。
下へ押しても、さらに岩へ食い付くだけだ。
横方向へ引く。
岩甲獣の身体が僅かにずれる。
それでも爪が岩盤を削り、踏みとどまった。
「これは駄目だな…」
私は重力場を解いた。
「アル?」
「別のやつ使う」
久しぶりに、素直にそう思った。
岩甲獣が突っ込んでくる。
騎士二人が左右へ分かれ、正面を避ける。
ダンネルは残った。
「父さん!」
「アル! 頭を上げさせろ!」
なるほど。
私は右手を向けた。
圧縮。
空気を一点へ集め、岩甲獣の顔の下で解放する。
バンッ、と破裂音が響いた。
衝撃波が顎の下から入り、岩甲獣の頭部がわずかに持ち上がる。
ダンネルがその隙を逃さない。
剣が首元へ入った。
しかし浅い。
「硬っ!」
ダンネルがすぐ離れる。
岩甲獣が前脚を振った。
爪が岩を削り、破片が飛ぶ。
私は圧縮空気をもう一発、今度は真正面から撃った。
岩甲獣が数歩後退する。
止められる。
だが、倒せない。
甲殻に空気の衝撃を当てても、表面を揺らすだけだ。
「なら……」
火。
いや。
外殻を熱しても時間が掛かる。
雷。
表面が岩質なら、電気がどこまで通るか分からない。
冷却。
私は岩甲獣の脚を見る。
甲殻、関節、爪。
硬いのは外側だ。
動くためには、必ず柔らかい場所がある。
「父さん、少し離れて!」
ダンネルがすぐ後退する。
私は岩甲獣の前脚へ意識を集中した。
狙うのは甲殻ではない。
関節。
そこから、熱を奪う。
空気中の水分が白く曇り、前脚の関節周辺へ霜が広がる。
岩甲獣が動いた。
一歩。
二歩。
まだ来る。
冷却を強める。
表面温度を下げるだけでは足りない。
関節部の熱を連続して奪う。
動くたびに。
体内から熱が供給される。
それも奪う。
白い霜が厚くなり、関節の動きが目に見えて鈍った。
岩甲獣が前脚を持ち上げた瞬間。
凍り付いた部分が、割れた。
完全に砕けたわけではない。
しかし動きが止まる。
「今!」
ダンネルと騎士二人が左右から入る。
一人が後脚、一人が側面。
ダンネルが、首に斬り込む。
それでも甲殻に阻まれ、深く入らない。
岩甲獣が暴れた。
残った三本脚だけで身体を捻り、ダンネルを振り払う。
「…まだ駄目か」
私は少し考えた。
外側から壊すのではなく、内側へ通す。
電気。
前世でも、生体は水分と電解質を含む。
この世界の魔獣が同じ構造とは限らないが、筋肉を動かしている以上、少なくとも内部は岩そのものではない。
問題は、どう入れるか。
私は凍らせた関節を見る。
甲殻が割れ。
内部が少し露出している。
……そこなら。
私は右手を向けた。
大きな雷撃はいらない。
必要なのは電位差。
一点から、別の一点へ。
短く、強く。
青白い光が走った。
空気が弾ける。
雷は甲殻表面を滑らず、割れた関節部から内部へ入った。
岩甲獣の身体が大きく跳ねる。
四肢が一瞬硬直した。
「もう一回!」
今度は反対側の前脚。
もう一度電撃を飛ばし、内部を通す。
岩甲獣が地面へ崩れた。
それでもまだ動いている。
生命力が高い。
ダンネルが一気に距離を詰める。
動かなくなった首を踏み越え。
甲殻の隙間へ。
剣を深く突き込んだ。
しばらく、岩甲獣の脚が痙攣した。
やがて、止まった。
私は息を吐いた。
「……硬かったな」
ダンネルが剣を抜きながらこちらを見る。
「お前、重力以外も使えたんだな」
「使えるよ!」
「最近ずっとあれだったからな」
……自覚はある。
リーナがここにいたら笑われていたかもしれない。
騎士の一人が岩甲獣の甲殻を剣で叩く。
金属を打ったような音がした。
「これを凍らせて割ったのか?」
「甲殻じゃなくて関節です。動く部分なら同じ硬さじゃないと思って」
「最後の光は?」
「電気です」
「雷魔法か?」
「似たようなものです」
正確には、雷を呼んだわけではない。
電位差を作った。
……うん、説明すると長いのでやめておこう。
戦闘が終わると、私は岩甲獣そのものより周囲を確認した。
昨日の山牙狼のときと同じだ。
戦闘中は複数の魔法を使った。
圧縮空気、冷却、電気、重力。
地下の魔脈に変化が出ているかもしれない。
測定器を見る。
数値は変わっている。
ただし、昨日とは違う。
一時的に上がったあと、すぐに元へ戻っている。
「種類によって違う?」
私は記録紙を取った。
どれを使った時点で変化したかまでは分からない。
測定器は連続記録できるほど精密ではないからだ。
ただ、戦闘開始前と終了後。
そして途中で一度確認した値。
三点だけでも、何かは変わった。
「また研究か?」
ダンネルが言う。
「今のは気になるでしょ」
「戦った直後だぞ…」
「だからこそ」
「まず周囲の安全確認だ」
「……はい」
……正しい。
周囲に別の魔獣がいないことを確認してから、観測を再開した。
岩甲獣との戦闘で予定より時間を使ったため、北東側での測定は短くなったが、それでも重要な結果は取れた。
午後。
五班が観測点十二へ戻る。
リーナが私たちを見るなり聞いた。
「遅かったね。何かあった?」
「岩甲獣が出てきやがった」
ダンネルが答えた。
リーナの顔が変わる。
「大丈夫だったの?」
「誰も怪我はしてないよ」
「アルも?」
「何で私だけ確認するの?」
「一番危ないことするから」
……否定しづらい。
記録を集める。
五地点。
午前と午後。
合計した変動時刻を地図へ書き込むと、昨日まで曖昧だった部分がかなり埋まった。
南側から来る支流、北西側から来る支流、東へ分かれる細い流れ、観測点十二で一度合流。
その後、北東へ進む途中でさらに小さな流れを拾っている。
そして、もっと先。
私たちの観測地点を越えたところで、流れが再び広がっている。
「ここから先、さらに分岐してる?」
リーナが聞く。
「多分。でも今までの分岐と少し違う」
私は五地点の時間差を見る。
普通なら分岐すれば、変動が二方向へ分かれる。
しかし北東側では、流れが広がっているのに全体として同じ方向を向いている。
扇のように、広がりながら北東へ。
「一本の魔脈じゃなくて、この一帯全体が北東へ流れているのか?」
グレアムが言った。
私は頷く。
「そう見えます」
これまで追ってきた一本一本の支流は、巨大な流れの一部。
地下の細い経路を一本ずつ追うより、もっと広い範囲で方向を見る必要がある。
私はノエルの記録を開いた。
方位式探査、複数地点、時間差、北東。
彼が途中から一点の濃度より、複数地点の方向を重視した理由。
ようやく分かってきた。
魔脈は線ではない。
地下に広がった流れの場だ。
「明日も先へ行く?」
リーナが聞く。
グレアムが先に首を振った。
「今回の調査はここまでだ」
「ここで?」
思わず聞き返した。
「十分だ。騎士団の目的は魔獣移動の確認、学院側の目的は魔素異常の調査だ。魔獣が北東側の魔脈変動が大きい地域から離れている傾向も確認できたし、これ以上は改めて調査計画を組む」
……正論だった。
「それに」
グレアムが私を見る。
「ここから先は、研究院の記録とも照合した方がいい」
ノエル、S-071、北東。
私は反論しなかった。
ダンネルが少し驚いた顔をする。
「何?」
「いや、止められて素直に聞くんだな」
「私だっていつも反抗してるわけじゃないよ」
「…そうか?」
「そうだよ!」
リーナまで笑っている。
その夜。
最後の野営。
私は焚き火の近くで今日の記録を整理した。
五地点の測定。
魔脈の分岐。
再合流。
北東へ広がる流向。
岩甲獣との戦闘。
そして、複数の魔法を使ったときに起きた小さな変動。
そこで手が止まった。
昨日の山牙狼では、重力と火球。
今日は、重力、圧縮空気、冷却、電気。
全部、周囲の魔素へ同じ影響を与えたのか?
いや、そんな保証はない。
魔法ごとに術式は違う、現象も違う、使う魔素量も違う。
なら、周囲の魔素を巻き込む量も違うかもしれない。
私はノートへ新しい欄を作った。
『術式ごとの周辺魔素変動比較』
その下へ。
重力、圧縮空気、冷却、電気。
四つを書く。
王都へ戻ったら条件を揃えて試す。
地下の魔脈ではない。
もっと安全な場所で少量の魔素を使い、周囲がどう動くか。
工房で見た術式に引かれる魔素。
山で見た自然に流れる魔素。
戦闘で見た魔法使用時の変動。
別々だと思っていたものが少しずつ、同じ疑問へ集まり始めていた。
外部の魔素は何によって流れる方向を決めているのか。
そこまで書いたところで私はペンを置いた。
答えはまだない。
けれど、次に何を確かめればいいかはもう見えていた。




