第36話 流れの先
翌朝。
調査隊がすぐに山奥へ向かうことはなかった。
前日に起きた震動の影響を確認する必要があり、騎士団の斥候が先行して崩落地点周辺を調べている間、私たちは野営地でこれまでの測定結果を整理することになった。
昨日までなら早く続きを見に行きたいと思っただろうが、斜面から石が落ちてくるところを実際に見た直後なので、今回は素直に待つ。
「今日はちゃんと待てるんだね」
隣で記録を整理していたリーナが言った。
「私を何だと思ってるの?」
「気になるものを見つけると周りが見えなくなる人」
「…そんなことないよ」
「昨日、測定器を拾おうとしてダンネルさんに引っ張られてたの誰?」
「あれは高い測定器だったから…」
「命より?」
それを言われると弱い。
少し離れた場所では、そのダンネルが騎士たちと話している。
……聞かれていないことを祈ろう。
机代わりの木箱に地図を広げ、これまでの測定地点をすべて書き込む。
街道付近で最初に見つけた太い流れ。
山へ入ってから確認した変曲点。
観測点十二で合流していた二つの支流。
そして、震動とほぼ同時に北東へ走った大きな変動。
一つずつでは分かりにくかったが、地図に重ねると妙な特徴が見えてきた。
「これ、同じ場所を通ってない?」
リーナが指したのは、街道より南側で測った古い記録と、昨日確認した支流の一つだった。
距離はかなり離れている。
だが流向を延長すると、途中で交わる。
「繋がってる可能性はあるね」
「でも途中を測ってないよ?」
「だからまだ可能性」
私はノエルの記録を横へ置いた。
彼が使っていた方位式探査は、一地点だけの濃度を測る方法ではない。
離れた複数地点で魔素の変動時刻と強弱を比較し、その差から地下の流れがどちらへ進んでいるかを推定する。
今なら、その意味が以前よりよく分かる。
魔脈が一本なら、流向を追うだけでも何とかなる。
しかし分岐と合流を繰り返すなら、一点ずつ追い掛けていても全体像は見えない。
複数地点を同時に見なければならない。
「今日、これをやってみたい」
私は地図の三か所を指した。
「三点?」
リーナが聞く。
「うん。観測点十二を中心にして、北西側の支流、南側の支流、それから合流後を同時に測る。脈動が同じ変化をするなら、時間差から流れる速さも少し推定できるかもしれない」
「ノエルの方位式探査?」
「考え方は同じ。ただ、今回は流れが分かってる場所で検証する」
いきなり未知の場所へ使うより、その方が確実だ。
グレアムにも説明すると、少し考えたあとで許可が出た。
ただし条件が一つ増えた。
「三班に分かれるなら、学院の人間だけでは動かさんからの。それぞれ騎士を付ける」
「分かりました」
「それとアル、お前は一番遠い場所へ行きたそうな顔をしているが、観測点十二だ」
「はぁ…思考を読まないでもらえます?」
「顔に書いてある」
一時間ほどして斥候が戻り、崩落地点周辺に新たな危険は確認されなかったと報告した。
調査隊は昨日と同じ経路を進み、観測点十二の手前で三班に分かれる。
北西側は研究員と魔法兵団。
南側はリーナと研究員。
私はグレアムと観測点十二へ残り、それぞれに騎士が同行する。
ダンネルは私の班だった。
「父さん、やっぱり監視じゃん」
「護衛だ」
「同じようなものじゃない?」
「全然違う」
……本人が言うなら、そういうことにしておこう。
準備したのは簡単な発光魔具だった。
魔素流が一定以上変動すると光が強くなるよう調整してあり、離れた場所でも変化した時刻を合わせられる。
前世の観測機器と比べればかなり原始的だが、この世界で今用意できるものとしては十分だった。
決めた時刻に三地点で測定を開始する。
最初の数分は静かだった。
合流地点の魔素は昨日と同じように上下している。
弱くなり。
少し強くなり。
また下がる。
やがて、携帯用の記録板に北西班から光信号が届いた。
変動。
その少しあと。
南側。
さらに遅れて、私たちのいる合流地点。
「来た」
時間を書く。
もう一度。
今度は南側が先、北西側が続き、最後に合流地点。
「別々に来ている」
グレアムが記録を見る。
「はい。二つの支流の脈動が重なって、そのあと合流地点の値が変化してます」
偶然ではなさそうだ。
三回目。
四回目。
完全に同じではないが、一定の傾向はある。
二本の流れがそれぞれ別の変動を持ち、それが合流地点まで伝わっている。
つまり、地下の魔素は単にその場で濃くなったり薄くなったりしているわけではない。
変化そのものが移動している。
私は地面を見る。
目には何も見えない。
それでも、その下では大量の魔素が流れ続けている。
「本当に川みたいだな」
ダンネルが言った。
「川より面倒かも。見えないし、枝分かれするし、地面の中だし」
「お前は楽しそうだがな」
……否定はしない。
午前の測定を終え、三班が合流した。
リーナが記録紙を抱えて戻ってくる。
「南側、途中で一回だけ変な波があった」
「どんな?」
「急に上がって、すぐ戻った。そっちには来てない?」
記録を比べる。
同じ時間、観測点十二では変化がほとんどない。
北西側にもない。
「支流の途中で消えた?」
「そんなことあるの?」
「分からない。別の方向へ分岐した可能性もある」
地下で一本が二本へ分かれているなら、変動の一部だけ別方向へ流れてもおかしくない。
地図へ印を付ける。
南側の支流。
途中で未確認の分岐があるかもしれない。
「そっちを確認するか?」
グレアムが聞いた。
私は地図と時間を見る。
まだ昼前、予定範囲内。
騎士団側の許可が出れば行ける。
「行きたいです」
「…だろうな」
また言われた。
南側の支流を追う調査は、予定経路から大きく外れない範囲に限られた。
リーナが先ほど測った地点まで戻り、そこから流向を細かく確認する。
最初は北東、少し先で東寄り。
さらに進むと。
「ここ」
私は止まった。
「分かれてる?」
リーナが聞く。
「うん」
地中の流れが二方向へ分かれている。
一方は観測点十二へ向かう。
もう一方は東。
ただし東側は細い。
かなり弱い。
昨日までなら見落としていたかもしれない。
「ノエルの地図には?」
グレアムが聞く。
私は記録を確認する。
この支流そのものを細かく追った形跡はない。
少なくとも残っている測定点には記載されていなかった。
「ないです」
「なら、新しい観測だな」
その言葉に少しだけ胸が高鳴った。
ノエルの記録を追っているだけではない。
四十一年後の今だから見つけたものがある。
私は東へ向かう細い流れを追った。
そこから十分ほど進んだ頃だった。
先頭の騎士が突然止まり、剣を抜いた。
「止まれ」
木々の間から、何かがこちらを見ている。
低い体。
太い前脚。
灰褐色の毛。
昨日遭遇した熊型の魔獣より小さいが、口元から伸びる牙が妙に長い。
一頭ではない。
右。
左。
背後にも気配がある。
「囲まれてる」
リーナが小さく言った。
騎士が五人。
魔導師が二人。
それに、グレアム、リーナ、私。
数としては十分だが、魔獣は木々の間に散っている。
「山牙狼だ」
ダンネルが剣を抜く。
名前は狼だが、体格は大型犬どころではない。肩の高さだけで私の胸近くまであり、前脚もかなり太い。
「こいつらは群れで連携してくる!前だけ見るな!」
その説明が終わるより早く、一頭が左側から飛び出した。
騎士が盾で受ける。
牙が金属へぶつかり、大きな音が響いた。
同時に右側から二頭。
魔導師が火球を放つ。
一頭は避けた。
もう一頭がそのまま飛び込む。
私は地面へ重力場を置いた。
対象は魔獣だけ。
踏み込んだ前脚が一気に重くなり、体勢を崩したところへダンネルが入る。
一閃。
今度は剣の腹ではない。
首元へ深く刃が入った。
魔獣が倒れる。
「…今回は倒すんだ」
「こいつらはこっちを狩りに来てる!」
確かに、昨日の熊型とは動きが違う。
逃げようとしていない。
明確に私たちを囲み、隙を探している。
なら遠慮する理由はない。
奥で一頭が走る。
その直後、別方向から二頭。
連携している。
私は足元へ力を集中した。
重力を強くするのではなく、進行方向を少しずらす。
一頭目の身体が横へ引かれ、そのまま二頭目とぶつかった。
「えっ」
リーナの声が聞こえた。
二頭が絡みながら地面を転がる。
そこへ騎士が一人ずつ仕留めた。
「今の何だ?」
ダンネルが聞く。
「重力」
「それは知ってる!」
……なら聞かなくてもいいと思う。
茂みが揺れた。
次は大きい。
群れの中心にいたらしい個体が飛び出してくる。
他より一回り大きく、額に古い傷がある。
狙いは……
リーナか!
近い。
私は考えるより先に動いた。
直接押さえ込む。
だがその瞬間、妙な感覚があった。
周囲の魔素が揺れる。
魔獣が踏み込んだ場所。
地下には、さっき追っていた細い魔素流。
一瞬だけ、そこから周囲へ魔素が広がった。
私は反射的に外部魔素を取り込もうとした。
いつものやり方。
だが、やめた。
……間に合う。自分の魔素だけで十分だ。
重力場を魔獣の肩口へ置き、前へ進む力だけを斜め下へ逃がす。
巨体が大きく傾いた。
リーナの横を外れ。
地面へ肩から落ちる。
「リーナ! 下がって!」
リーナがすぐ距離を取る。
魔獣は立ち上がろうとしたが、ダンネルと二人の騎士が同時に踏み込み、その動きを止めた。
数秒後。
戦闘は終わった。
全部で七頭。
こちらの負傷者は一人だけで、盾を受けた騎士が腕を少し痛めた程度だった。
リーナが治癒魔法を使おうとしたところで、同行していた魔導師が先に簡単な処置をする。
私は倒れた山牙狼より、さっき魔素が揺れた場所を見ていた。
「アル」
ダンネルの声。
「行かないよ」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てるんでしょ?」
「…分かってきたな」
……嬉しくはない。
安全が確認されてから戦闘地点を測る。
やはり、細い支流が真下を通っている。
ただし、戦闘前より値が少し高い。
「魔獣の魔法?」
リーナが聞く。
「分からない。少なくとも、あの魔獣が何か術式を使った感じはしなかった」
「じゃあ戦ったせい?」
「それも分からない」
人間側は魔法を使っている。
私の重力。
魔導師の火球。
周囲の魔素が僅かに巻き込まれること自体は珍しくない。
ただ、私が気になったのはその向きだ。
普段なら術式へ向かって周囲の魔素が引かれる。
しかし、さっきは地下の支流から地表へ向かって広がったように感じた。
魔法が魔脈へ干渉したのか。
魔脈の変動が偶然重なったのか。
今の記録だけでは判断できない。
私は時刻を書き留める。
「また実験したいって顔してる」
リーナが言う。
「今日はしないよ」
「今日は?」
「この場所でやる意味がないから」
意図的に魔法を撃ち込み、地下の流れが変わるか確認する。
考えとしては簡単だ。
でも。
魔脈が何か分かっていない。
昨日は地面まで揺れた。
そんな場所へわざと干渉するのは、さすがに順番が違う。
「学院長」
私はグレアムを見る。
「今の地点、記録だけしておきたいです。魔法使用と魔脈変動が重なってます」
「因果関係は?」
「分かりません」
「なら、そう書け」
「はい」
それでいい。
調査はそこで終わらず、東側の細い支流をもう少しだけ追った。
戦闘地点から先では流れが再び弱くなり、やがて感知するのも難しくなる。
消えたように見えた。
だが、リーナが測定器を持ったまま少し離れた場所へ移動した。
「アル、こっち」
「何?」
「また出てる」
十数メートル離れた場所。
そこに弱い反応がある。
私は二点の間を何度か歩き、流向を確かめた。
「地下へ潜ってる」
「深くなっただけ?」
「…多分」
流れがなくなったわけではなく、地下深くへ入り込んだため感知しづらくなったらしい。
これでは地表から一本道として追うのは難しい。
「だから方位式探査、か」
私は呟いた。
ノエルが複数地点から方向を推定していた理由。
地下へ深く潜る魔脈を追うためには、真上を歩くだけでは足りない。
離れた地点で脈動を比較し、見えない流れの方向を推定する必要がある。
「アル」
リーナが呼ぶ。
「これ、三点じゃ足りなくない?」
私は地図を見る。
分岐、合流、深度変化。
確かに。
三点だけでは途中の枝を見落とす。
「五点くらい欲しい」
「測定器そんなにある?」
「王都に戻れば」
「……増やす気なんだ」
「必要だからね」
リーナが笑った。
「やっぱり研究の顔してる」
もう否定しないことにした。
夕方。
野営地へ戻り、今日の結果を一枚の地図へまとめる。
観測点十二。
二つの支流。
南側から分岐した細い東向きの流れ。
途中で深度を増し、地表から追いにくくなった地点。
戦闘中に記録した一時的な変動。
すべてを書き込むと。
魔脈が、初めて線ではなく網に見えた。
「これ全部繋がってるのか?」
ダンネルが地図を覗く。
「全部かは分からない。でも少なくとも何本かは繋がってる」
「で、最終的にどこへ行く?」
「それを調べてる」
「まだ分からんか…」
「分からないから調べるんだよ」
「研究者って大変だな」
その感想は正しい。
私はノエルの記録も横へ並べた。
方位式探査、複数地点、時間差、流向。
四十一年前、ノエルが残した方法はかなり理にかなっている。
ただし、そのまま真似するだけでは足りない。
現在の測定器は当時より精度が高い。
リーナの微細な魔素制御も使える。
もっと多地点で、もっと細かく。
同時に測れば、魔脈全体の動きを地図の上へ落とせるかもしれない。
そこで私はふと、工房で見た術式を思い出した。
導魔線の形によって魔素の流れが変わる。山では地下の構造に沿うように魔脈が流れている。
そして今日、人間の魔法が使われた瞬間、その近くの魔脈にも変化が見えた。
もし、周囲の条件によって魔素の流れが変わるなら。
私はそこまで考えて、ノートを閉じた。
まだ早い。
今の私にできるのは、外部の魔素を取り込むこと、感知すること、流れを観測すること。
外にある魔素そのものへ、こちらから働き掛けられるかどうかはまだ分からない。
「アル?」
リーナが顔を覗き込む。
「……何でもないよ」
「絶対何か考えてた」
「…仮説になる前の事を少しね」
「じゃあ今は聞かない」
その答えは意外だった。
「聞かないんだ?」
「アルが自分から話さないときって、大体まだ何も証明できてないときでしょ?」
少し悔しいがその通りだった。
私はもう一度地図を見る。
線ではない。
網。
魔素は地中を複数の経路へ分かれ、また交わりながら流れ続けている。
その動きを正確に捉えられれば、次に知るべきものもきっと見えてくる。




