第33話 触れずに動かす
翌日の放課後。
学院を出た私は、ユリーカと待ち合わせていた王都西区の広場へ向かった。
ダンネルは朝から王国騎士団本部へ行っている。北東街道の魔獣騒ぎに関する報告会だけでなく、地方騎士を交えた合同訓練まで組まれているらしく、宿へ戻るのは夕方になると言っていた。
つまり今日は、ユリーカと二人だ。
「遅い!」
広場へ着くなり言われた。
「……時間ぴったりだけど」
「私は十分前からいた!」
「はぁ、それはユリーカが早いだけでしょ」
「楽しみだったんだから仕方ないじゃん!」
ユリーカの視線は、すでに広場の向こうへ向いている。
王都西区は職人街として知られており、通りの両側には鍛冶工房、魔道具店、加工所、素材店が並んでいた。
学院周辺にも魔道具店はあるが、こちらは完成品を売る店より、部品や素材を扱う店の方が多い。
窓越しに見えるだけでも、魔石、導魔線、術式板、用途の分からない金属部品、小型の魔導炉まで置かれている。
「アル!」
「何?」
「まだ最初の店にも入ってないよ」
気付けば足が止まっていた。
「……見てただけだよ」
「顔が研究するときの顔になってる」
「そんな顔ある?」
「ある」
……即答かい。
ユリーカが行きたがっていたのは、通りの奥にある中規模の魔道具工房だった。
事前に宿の主人から紹介状をもらっていたらしく、見学だけなら構わないと言われているそうだ。
工房へ入ると、金属を削る音と熱気が一気に押し寄せてきた。
学院の研究室とはまるで違う。
壁には工具が並び、作業台には分解途中の魔道具が置かれ、奥では職人が赤く熱した金属部品を加工している。
ユリーカの目が輝いた。
「すご……」
「ユリーカ、顔」
「何?」
「すごい顔してる」
「アルにだけは言われたくない」
……さっきの仕返しは失敗したらしい。
工房の主人は、四十代くらいの大柄な男だった。
「レイヴァンさんのところのお嬢さんか?」
「はい! ユリーカです!」
「村で工房仕事を手伝ってるって聞いたぞ」
「まだ大したことはできませんけど」
珍しく少し緊張している。
主人は笑うと、今度は私を見る。
「そっちは弟か?」
「はい、弟のアルです」
「学院の制服じゃねえか。魔法学院か?」
「はい」
「なるほど。姉は工房、弟は学院か。面白い家だな」
その上、父さんは騎士だ。
……確かに統一感がない。
工房の中を案内してもらう。
魔石を使った照明、温水器、小型の送風機、荷物を持ち上げるための補助魔道具、農具に取り付ける簡易駆動装置。
王都では、魔法は戦闘だけに使われているわけではない。
むしろ生活の中へ入り込んでいる魔道具の数なら、学院で見るものよりずっと多い。
ユリーカは職人へ加工方法を聞き、私は内部の術式ばかり見ていた。
「ここの線、何でこんなに太いんですか?」
「負荷が掛かったときに魔素が詰まりにくいようにだ」
「でも、その分こっちの分岐で損失増えません?」
職人が止まった。
「ほぉ……見ただけで分かるのか?」
「ええ、大体ですが」
「アル」
ユリーカが横から袖を引く。
「今日は見学だけじゃなかったっけ?」
「……聞いただけだよ」
「私が声かけなかったら分解し始めてたでしょ!」
……相変わらず、私は信用がないな。
しばらく見て回っていると、工房の奥から大きな音がした。
ガンッ、と金属同士がぶつかり、その直後に何かが回転を失うような音が続く。
「またか!」
職人の一人が声を上げた。
見ると、奥に置かれた加工機が止まっていた。
人の腰ほどの高さがある装置で、先端に大きな研磨輪が取り付けられている。
工房の主人がそちらへ向かう。
「今日三回目だぞ」
「魔石は昨日替えたばっかりですが……」
「導魔線は?」
「確認しました。焼けも断線もありません」
ユリーカが私を見る。
私はユリーカを見る。
「ユリーカ、行きたいの?」
「アルがね」
「いや、ユリーカでしょ」
二人で近づくと、主人が気付いた。
「悪いな。古い機械で、最近どうも調子が悪くてな」
ユリーカが内部を覗く。
「見てもいいですか?」
「触らなきゃ構わんよ」
私たちは並んで装置を見る。
構造自体はそれほど複雑ではない。
内部の魔石から導魔線を通して術式板へ魔素を送り、その術式が軸へ回転力を与えている。
前世なら電動機を思い浮かべるところだが、この世界の機械は力の発生方法そのものが魔法だ。
「どのタイミングで止まるんですか?」
ユリーカが聞いた。
「軽い研磨なら平気なんだ。硬い材料を押し当てると止まりやすい」
「負荷が掛かったときだけ?」
「ああ」
ユリーカは導魔線を確認し始めた。
私は装置そのものではなく、その周囲に存在する魔素を見る。
「一回動かしてもらえます?」
主人が少し迷った。
「危なくない位置にいろよ」
加工機が起動し、研磨輪が回り始める。
無負荷では問題ない。
職人が金属片を軽く当てると回転音が少し低くなり、さらに押し込んだ瞬間、装置周辺の魔素が揺れた。
「……あ」
今の動きが気になった。
「一回止めてください」
加工機が止まる。
私は術式板を覗いた。
「ここ、前からこの形ですか?」
主人が近づく。
「どこだ?」
術式板の外周にある細い経路の一部が摩耗していた。
断線するほどではなく、目で見ても少し線が細くなっている程度だ。
ユリーカも気付いた。
「……削れてる」
「ああ? そんなので止まるか?」
「多分、それだけじゃない」
私は答えた。
問題は傷そのものではなく、負荷が上がって術式へ流れる魔素量が増えた瞬間、この細くなった場所で流れが乱れていることだ。
それだけなら出力低下で済むはずだが、さっき見えたのは別の動きだった。
周囲に存在する魔素が、術式へ引かれていた。
「もう一回いいですか?」
「今度は何を見る?」
「機械の外です」
主人は意味が分からない顔をしたが、もう一度動かしてくれた。
私は外部魔素を取り込まず、ただ流れを見る。
負荷が上がると術式板の流れが乱れ、その瞬間に装置の周囲へ漂っていた魔素が僅かに引き寄せられ、乱れた経路へ入り込もうとする。
だが、うまく流れない。
内部から送られてきた魔素とぶつかり、流れがさらに崩れて停止する。
「……なるほど」
私は思わず笑った。
「アル、その顔やめて」
ユリーカが言う。
「え、何で?」
「絶対何か見つけた顔だから」
……お見通しのようだ。
加工機を止めたまま、術式板を外してもらう。
摩耗部分を補修し、線幅を元の状態へ近づけるだけなら難しくない。
工房の職人が処置をしている間、私はさっきの魔素の動きを考えていた。
「アル」
「ん?」
「何考えてるの?」
「外の魔素かな」
ユリーカが眉を寄せる。
「また難しいやつ?」
「いや、そんなでもないよ」
私は普段、周囲の魔素を使うとき、一度自分の中へ取り込んでから魔法に利用している。
子供の頃に覚えた方法であり、周囲にある魔素を感知し、自分へ引き寄せ、体内の魔素と同じように制御する。
でも、今の加工機は違った。
傷んだ術式が、周囲にある魔素を直接巻き込んだ。
制御されていたわけではなく、ただ引かれて流れを乱しただけだが、それでも外にある魔素が人間の体を通らず術式へ干渉したこと自体は間違いない。
「……別に、入れなくても動くのか」
私は呟いた。
「何が?」
「魔素」
ユリーカがさらに怪訝な顔になる。
「どこに入れるの?」
「自分の中」
言葉にしてみると、自分でも少し妙な感じがした。
今まで私は、外部魔素を使うなら自分へ取り込むものだと思っていたし、実際その方法が一番制御しやすかった。
けれど、魔法陣や魔道具の術式が外部回路として成立しているなら、周囲に存在する魔素を人間の体内へ通さず、術式側の条件だけで動かすことも理屈としてはあり得る。
「何か思いついた?」
ユリーカが聞く。
「……まだ仮説だけどね」
「じゃあ今すぐ試す?」
一瞬考えた。
それから首を振る。
「今はやめとく」
「珍しいじゃん」
「ここ工房だし、何が起きるか分からないものを勝手に試す方がおかしいでしょ」
ユリーカが少し驚いた顔をしたあと、笑った。
「学院でちょっと成長したんじゃない?」
「前からそれくらい分かるよ」
……多分。
補修を終えた加工機が再び動き始めた。
今度は硬い金属を強く押し当てても回転は止まらず、工房の主人が何度か負荷を変えて確認したあと、満足そうに頷いた。
「おぉ、直ったな」
ユリーカが嬉しそうに術式板を見る。
「やっぱり摩耗だったんですね」
「ああ。しかし、あんな程度でここまで影響するとはな」
「流れが崩れてたからだと思います」
私が答える。
「魔石を大きくしても直らなかったはずです。供給量を増やすほど、むしろ乱れも大きくなってたかもしれません」
主人はしばらく私を見ていた。
「学院の学生ってのは、みんなそんなことまで分かるのか?」
「……多分違うと思います」
ユリーカが先に答えた。
「この子が変なんです!」
「あの、ユリーカ?」
「褒めてるよ?」
……絶対違うだろ!
帰り道、ユリーカは工房で見た加工方法の話をずっとしていた。
あの工具が欲しい。
あの固定具は村でも使えそう。
導魔線を曲げる治具が便利だった。
かなり楽しそうだった。
私は半分聞きながら、さっき見た魔素の動きを頭の中で何度も思い返していた。
「……アル、全然聞いてないでしょ」
「聞いてるよ。導魔線の治具がどうとか」
「そこだけ?」
「あと工具がどうとか」
「ほぼ聞いてないじゃん!」
……怒られた。
「ごめん。でも、ちょっと気になることができた」
「工房で?」
「うん」
ユリーカが笑う。
「やっぱり連れてきて正解だったね!」
そうかもしれない。
宿へ戻る頃には、ダンネルも騎士団本部から帰ってきていた。
「どうだった?」
ダンネルが聞く。
「面白かった!」
ユリーカが即答した。
「アルは?」
「面白かったよ」
「何か壊したか?」
「……何で最初にそこ聞くの?」
「昨日の話を聞いたからな」
「何も壊してないよ。むしろ直した」
「本当か?」
ユリーカが頷く。
「珍しく本当」
……珍しくは余計だよ。
その日の夕食では、ユリーカが工房の話をして、ダンネルが騎士団本部で聞いた北東街道の報告を少しだけ話した。
魔獣群の大半はすでに処理され、街道も通常運用へ戻りつつある。
ただし、北東側の山地ではここ最近、魔獣の移動経路に小さな変化が見られるらしい。
「移動経路?」
私は思わず聞き返した。
「食いつくと思った」
ダンネルが嫌そうな顔をする。
「どの辺?」
「まだ確定した話じゃない。山の奥から街道側へ降りてくる個体が少し増えた程度だ」
北東山地。
私は魔脈の地図を思い出した。
学院から北東街道を通り、さらにその先へ。
ノエルも同じ方向へ調査範囲を広げていた。
「アル」
ダンネルが釘を刺す。
「行くなよ」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
……最近みんなそれ言うな。
「騎士団でも調査隊を出す話が出てる。今すぐ危険というわけじゃないが、山の中へは勝手に入るな」
「分かった」
……今は、という言葉は心の中だけにしておいた。
夜。
宿へ戻ってから、私はノートを開いた。
今日見たことを、忘れないうちに書き残す。
『負荷上昇時、摩耗した術式が周囲の魔素を巻き込む現象を確認』
その下に少し考えてから、『外部魔素は、術者の体内を経由しなくても術式へ干渉し得る』と書いた。
ここまでは観測した事実に近い。
問題はその先だ。
もし、術式が偶然巻き込むのではなく、意図的に流れを作ることができたらどうなる。
周囲の魔素を自分へ取り込まず、外にある状態のまま目的の方向へ流せるのなら、今までとはまったく違う使い方ができるかもしれない。
ただし、それはまだ想像にすぎない。
実際に操作できるかどうかも分からないし、人間が直接行えるのか、魔法陣のような外部術式が必要なのかすら判断できない。
私はその下へ、大きく疑問符を書いた。
そして、もう一つ。
『魔脈では同じ現象が自然に起きている?』
地面の下を流れる大量の魔素。
あれは誰かが体内へ取り込んでいるわけではない。
それでも、一定の方向へ流れている。
工房で見た現象と魔脈が同じ原理だとは限らないが、少なくとも「外部魔素は外部にあるまま動ける」という当たり前の事実を、私は今まで深く考えていなかった。
窓の外へ目を向ける。
王都の北東には山々があり、その先へ魔脈は続いている。
向こう側の謎を追う手はいったん止めた。
けれど、北東にはまだ調べていないものが残っている。
ノエルが辿った魔脈の先。
最近変わり始めたという魔獣の移動。
そして、地面の下を流れ続ける大量の魔素。
答えを急ぐ必要はない。
今はまだ、気付いただけで十分だ。
私はノートを閉じた。




