第32話 家族が来た
向こう側の観測は、一時停止になった。
正確には禁止されたわけではなく、王立魔法研究院がこれまでの記録を整理し、次にどこまで実験を許可するか決めるまで、透明な石を使った観測を行わないという判断だ。
三つの輪を持つ塔だけならまだしも、向こう側にいた二人の人影がこちらを認識し、何かを伝えようとしていた可能性まで出てきた以上、私としても異論はない。
少なくとも、今は。
その代わりと言っては何だが、私は久しぶりに普通の学院生活へ戻っていた。
朝から講義を受け、昼にはリーナと食堂へ行き、午後は魔法理論の課題を片付ける。
研究院へ行かない一日は随分長く感じた。
「……普通の学生ってこんなに暇なんだ」
「その感想、学院中の学生に謝った方がいいよ、アル」
隣で課題を書いていたリーナが、呆れた顔でこちらを見る。
「課題、もう全部終わったけど…」
「私はまだ半分なんだけど?」
「手伝おうか?」
「それは腹立つからいい」
……難しい。
私は自分の課題を片付け、何となく窓の外を見る。
向こう側について考えないようにしていても、頭の片隅には昨日の光景が残っていた。
三つの輪を持つ巨大な塔。
こちらを見ていた人影。
二、三、一、一、二という意味不明な動作。
そして、二人目の人影がこちらへ手を伸ばした瞬間、急激に強まった透明な石の反応。
……ものすごく調べたい。
だが、だからこそ今は触らない方がいい。
そう自分に言い聞かせていたところで、教室の扉が開いた。
「アル・レイヴァン」
職員の一人が私を呼ぶ。
「はい?」
「正門に君の家族が来ているそうだ。ダンネル・レイヴァンと、ユリーカ・レイヴァンと名乗っている」
一瞬、意味が分からなかった。
「父さんと姉さん?」
「そう聞いている」
私は椅子から立ち上がった。
リーナも顔を上げる。
「家族?」
「うん。ちょっと行ってくる」
「何かあったの?」
「……分からない」
そう答えた瞬間、少しだけ胸がざわついた。
手紙では何も聞いていない。
村で何か起きたのか。
騎士団の任務で問題があったのか。
……いや、まさか。
考え始めると自然に足が速くなり、私はそのまま教室を出た。
学院の正門が見える。
その向こうに、大きな荷物を背負った男と、隣で学院の建物を見上げている少女が立っていた。
見間違えるはずがない。
「父さん!」
私が呼ぶと、ダンネルがこちらを向いた。
その横でユリーカも気付き、大きく手を振る。
「アル!」
私は二人のところまで走った。
「どうしたの? 何かあった?」
開口一番そう聞くと、ダンネルが眉を上げた。
「何かないと息子に会いに来ちゃいかんのか?」
「そういう意味じゃなくて、急だったから」
「手紙は出したぞ」
「……来てないよ?」
「いつ出したの?」
ユリーカが聞く。
ダンネルが少し考える。
「三日前だ」
ユリーカがため息をついた。
「……父さん、私たちの方が早いよ」
村から王都までの日数を考えれば当然だった。
「じゃあ先に言ってよ」
「驚かせようと思ったんだ!」
ユリーカが笑う。
「成功したでしょ?」
……うん、驚いた。
私は二人を改めて見る。
最後に家を出たときと大きく変わったわけではない。それでも、学院や研究院で過ごす時間が長くなったせいか、二人の顔を見るだけで妙に懐かしく感じた。
ダンネルが私の頭へ手を置く。
「元気そうだな、アル」
「うん」
「怪我は?」
「ないよ」
「本当に?」
「本当」
「魔獣と戦ったとか、変なことは?」
私は少し黙った。
ダンネルの目が細くなる。
「今、間があったな」
「……なかった」
「いや、あった」
ユリーカまで頷く。
「絶対あった」
久しぶりなのに相変わらずの扱いだ。
「大きな怪我なんてしてないよ」
「……言い方が嫌なんだが」
「細かいなぁ、父さんは」
ダンネルはため息をついたが、私が元気なのを確認できたからかそれ以上は追及しなかった。
二人を学院の来客用区画へ案内すると、ようやく王都へ来た理由を聞くことができた。
「それで、本当に何しに来たの?」
私が聞くと、ダンネルは腰を下ろし、持っていた荷物を足元へ置いた。
「騎士団からの招集だ」
「招集?」
「ああ。北東街道の魔獣騒ぎがあっただろ」
私は少しだけ姿勢を正した。
先日の大規模な魔獣出現。
王国騎士団と魔法兵団が本隊として動き、その前段階で学院が応援要請を受けて先行対応した事件だ。
私自身もその場にいた。
「周辺の駐屯地や地方騎士から、警戒状況や魔獣の動きについて報告を集めるらしい。俺も数日、王都で会議と訓練に参加することになった」
「父さんも北東方面を見てたの?」
「直接あの街道へ出たわけじゃないが、周辺地域の警戒命令は出ていた。今回の件で、地方側の対応もまとめ直すらしい」
……なるほど。
「何日くらいいるの?」
「予定では十日ほどだ。報告が長引けばもう少しかかるかもしれん」
思ったより長い。
「それでユリーカも?」
私が聞くと、ユリーカが少し胸を張った。
「ついてきた!」
「それだけ?」
「それだけじゃないよ。王都の工房を見てみたかったし、父さん一人だと宿と騎士団を往復するだけで終わりそうだから」
「余計なお世話だ」
「絶対そうなるでしょ!」
ダンネルは否定しなかった。
ユリーカは工房仕事や魔道具に興味があり、村でも簡単な修理や加工を手伝っているらしい。
せっかく王都まで来るなら、大きな工房や市場を見てみたいそうだ。
「王都の魔道具店、種類がすごいって聞いたんだよね」
目が少し輝いている。
「工房にも行くの?」
「入れてもらえるところがあればね。見学だけでもしたい!」
「じゃあ、学院が終わったら一緒に探す?」
「本当?」
「うん」
ユリーカが一気に嬉しそうな顔になる。
ダンネルが横で笑った。
「お前たち、そういうところは昔から変わらんな」
「何が?」
「何か面白そうな物があると、すぐ二人で覗きに行くところだ」
言われてみれば、そうかもしれない。
そこへ扉が開いた。
「アル、先生が戻ってきたら――」
リーナだった。
途中まで言って、部屋の中にいる二人を見る。
向こうも止まった。
少し妙な沈黙が生まれる。
「……こんにちは」
リーナが頭を下げる。
ユリーカが私を見る。
それからリーナを見る。
もう一度、私を見る。
嫌な予感がした。
「アル」
「何?」
「紹介して?」
声が楽しそうだ。
非常に嫌な予感がする。
「リーナ・フェルミア。学院の友達で、最近は研究も一緒にやってる」
「へえ…」
「……何その反応?」
「別に?」
……絶対に別にではない感じだが。
リーナも少し困った顔をしていたので、今度は家族を紹介する。
「こっちが父さんのダンネル・レイヴァン。王国騎士団員。こっちが姉さんのユリーカ・レイヴァン」
「よろしくお願いします」
リーナが改めて頭を下げる。
ダンネルも笑って返した。
「アルが世話になってるみたいだな」
「いえ、私の方が助けてもらうことも多くて」
「そうなのか?」
ダンネルが意外そうに私を見る。
「何で驚くの?」
「いや、お前が誰かと一緒に研究できてることに少し感動してな」
「どういう意味?」
ユリーカはもう笑っている。
リーナまで笑い始めた。
……なんでだよ。
その後は、久しぶりに研究とはほとんど関係のない時間を過ごした。
学院での生活。
授業。
寮。
食事。
友人。
そして、リーナが知っている範囲で話す私の学院生活。
特別試験で壁を壊した話になったところで、ダンネルの表情が止まった。
「一割って言ったよな?」
「抑えてたよ魔力…」
「一割って言ったよな?」
「……はい」
特別試験前日の会話を、まだ覚えているらしい。
ユリーカも腕を組む。
「王都まで来て最初に聞くのが、アルが学院の壁壊した話なんだけど」
「最初じゃないよ」
「重要なのそこ?」
久しぶりに三人で話していると、学院へ来る前の生活へ少しだけ戻ったような気がする。
けれど、何も変わっていないわけではない。
私は学院へ入り、ユリーカは村で工房仕事を覚え、ダンネルは王国騎士として今も各地の警戒や任務に出ている。
それぞれの場所で時間は進んでいた。
夕方。
リーナが寮へ戻り、私たち三人だけになったところで、ダンネルが少しだけ声の調子を変えた。
「アル」
「何?」
「本当に危ないことはしてないな?」
さっきまでとは違う。
……冗談ではない。
私は少し黙った。
ダンネルは、私が前世の記憶を持っていることを知っている。
そして昔、危険な実験をするなら必ず誰かへ伝えること、一人でやらないこと、最後には必ず生きて帰ることを約束した。
今回の研究について、細かな内容を話すことはできない。
S-071も、ノエルの事故も、研究院の秘匿情報だ。
それでも、嘘をつく必要はない。
「危険性がまだ分からない研究には関わってる」
ユリーカがこちらを見る。
ダンネルは何も言わず、続きを待った。
「でも、一人ではやってない。学院長も研究院の人もいるし、危険だと判断した実験は止めてる」
昨日もそうだった。
本当なら、もっと見たかった。
返事もしてみたかった。
それでも止めた。
「約束は守ってるな?」
ダンネルが聞く。
私は頷いた。
「うん、守ってる」
しばらく私を見ていたダンネルが、ようやく小さく息を吐いた。
「ならいい」
それだけだった。
何を研究しているのか追及もしない。
やめろとも言わない。
「ただし」
やっぱり続いた。
「生きて帰ってこい」
昔と同じ言葉だった。
「分かってる」
「それと、無茶をするな」
「それは努力する」
「努力じゃなくて守れ」
ユリーカが吹き出す。
「そこは父さんの方が正しいね」
「二人とも厳しくない?」
「アル相手だからね」
その声を聞きながら、私は少しだけ肩の力が抜けていくのを感じた。
翌日から、ダンネルは王国騎士団の本部へ向かうらしい。
北東街道の魔獣騒ぎについて、地方騎士側からの報告、警戒配置の見直し、今後の合同訓練について話し合うという。
ユリーカはその間、王都の工房や魔道具店を見て回るつもりらしい。
「学院が終わったら来る?」
帰り際、ユリーカが聞く。
「行く」
「じゃあ王都の工房、一緒に見に行こうよ!」
「いいよ」
「絶対、勝手に分解しだしたりしないでね」
「……しないよ」
ユリーカがじっと私を見る。
「今の間は何?」
「何もないって」
ダンネルが笑いながら先に歩き出す。
私は二人の背中を見送った。
三つの輪の塔。
向こう側の人影。
S-071。
透明な石。
調べなければならないことは山ほどある。
けれど、急いだから答えが出るとは限らない。
明日は久しぶりに、研究とは少し違うものを見てみよう。
そう思いながら、私は学院へ戻った。




