第30話 三つの輪の塔
翌日。
王立魔法研究院の大型実験室には、普段なら置かれていない数の測定器が並んでいた。
部屋の中央には、昨日見せてもらった透明な石が小さな固定台に収められている。
その周囲を囲むように十二台の魔素測定器が配置され、さらに外側には流向を測るための感応板が八枚、床には方位を確認するための目盛りまで引かれていた。
「……やりすぎじゃない?」
ソフィアが実験室を見渡す。
「昨日、できるだけ多くって言いましたよね」
「言ったけど、まさか研究院中から集めるとは思わなかったよ」
「貸してくれたので」
「……私が手配したんだが」
ラウエルが少し疲れた顔で言う。
グレアムも学院から来ていた。
本来なら私とラウエル、ソフィアだけでも観測はできるが、昨日までの資料を確認した結果、S-071に関わる実験でノエルが失踪している以上、学院側の責任者も立ち会うべきだという話になったらしい。
「先に確認しておく」
グレアムが腕を組む。
「今日は観測だけだな?」
「はい」
「魔素を流す実験ではないな?」
「今日は透明な石の周期反応を測るだけです」
「ならいい」
以前なら、こういう実験そのものを止めようとしたかもしれない。
だが、最近のグレアムは違う。
危険だからやるな、ではなく、どこまでなら安全に試せるかを先に考えてくれる。
……その方が私としても助かる。
実験を始める。
透明な石の現在の周期は、およそ三・一分。
正確には少しずつ変動しているため、まず三回分の反応を記録し、各測定器に現れる時間差と流向を比較する。
最初の反応。
十二台の針が僅かに動いた。
「記録」
ソフィアの声に合わせて、研究員たちが数値を書き込む。
私は中央に立ち、周囲の魔素そのものへ意識を向けた。
昨日感じた通り。
反応する瞬間だけ、透明な石の周囲で魔素が僅かに歪む。
だが、それは一点へ吸い込まれているわけではなかった。
二回目。
「北側、一拍遅れ」
ソフィアが言う。
「東側も」
ラウエルが記録を見る。
私は床の目盛りを確認した。
三回目。
また同じ。
完全ではないが、変化の伝わり方に偏りがある。
「これ、普通の方位じゃないですね」
私が言う。
「どういう意味だ?」
グレアムが聞く。
「北とか東とかじゃなくて、中央から外へ広がってるように見えるのに、全部の測定器が同時じゃないんです」
普通なら、波が中央から広がるなら距離に応じて反応が遅れる。
ところが今回の時間差は、測定器までの距離だけでは説明できない。
近いのに遅れるものがあり、遠いのに先に反応するものもある。
「機器差は?」
ラウエルが聞く。
「入れ替えます」
測定器の位置を変える。
さらに三回。
結果は同じだった。
機械ではない。
……場所?
いや、空間か?
私は透明な石を見る。
「これ、石から何かが出てるんじゃなくて、石の周りの空間そのものが揺れてる?」
ソフィアが眉を寄せる。
「空間?」
「言い方が悪いですね。でも、魔素が石を中心に普通の方向へ動いてるように見えないんです」
ラウエルが腕を組む。
「ノエルの『接続』という表現か」
「多分、それに近いです」
ここまで分かれば、次は比較できる。
昨日閲覧したノエルに関する記録には、透明な石だけではなく、S-071へ魔素を流した際の観測値も残っていた。
私はその数値を机へ並べた。
「17.4の頃、ノエルはS-071へ低出力で魔素を流してる。それで『像のみ確認』が出始めた」
「だから再現したいと?」
グレアムの声が少し低くなる。
「いきなり最大出力にはしません」
「当然だ」
「研究院に保管されてるS-071を使わなくても、当時の接続条件に近い環境を作れないか試したいです」
ソフィアが私を見る。
「透明な物体の反応に、外から魔素を合わせる?」
「はい」
透明な物体が向こう側との何らかの関係を残しているなら、その周期へ外部魔素を同期させるだけでも変化が出る可能性がある。
問題は、誰が微細に合わせるか。
私は部屋の入口を見る。
ちょうど扉が開いた。
「遅れた?」
リーナが顔を覗かせる。
「ちょうどいい」
「……嫌な言い方」
今日、学院から来てもらった理由はこれだった。
魔素量なら私の方が圧倒的に多い。
だが、ごく小さな出力を一定の周期で揃えるなら、リーナの方が上手い。
「何すればいいの?」
「この石の反応に合わせて、ほんの少しだけ魔素を流してほしい」
「どれくらい?」
「最初は、普段の火魔法より少なくていい」
「それなら簡単!」
即答だった。
ソフィアが面白そうにリーナを見る。
「この子が例の?」
「はい」
「アル君より細かい制御が上手い子」
「……そこだけ切り取らないでください」
リーナが少し得意そうな顔をした。
実験を組み直す。
透明な物体を中央に置き、その周囲へ十二台の測定器。
リーナは二メートル離れた位置。
私は反対側で流れを見る。
三・一分。
反応が来る。
「今」
私が声を出す。
リーナが魔素を流す。
……何も起きない。
次は、少し強く。
また何もない。
「もう少し上げる?」
「うん。ただし倍にはしないで、少しずつ」
何度か繰り返す。
五回目。
透明な石の周囲で、何かが変わった。
「待って」
……今までとは違う。
魔素が揺れたのではなく、中央付近の空気が僅かに歪んで見えた。
熱による陽炎に似ている。
ただ、温度は上がっていない。
「見えた?」
ソフィアが立ち上がる。
「見えました」
「私も」
リーナが小さく答える。
ラウエルはすぐに測定器を見る。
「反応値が上がっている。ただし危険域には遠い」
「次、同じ出力でいきます」
「上げるなよ」
グレアムに釘を刺された。
「まだ上げません」
次の周期。
リーナが同じ量の魔素を流す。
歪みが現れる。
……今度は少し長い。
一秒。
二秒。
消える。
「像……?」
ソフィアが呟いた。
そう見える。
ただの歪みではなく、奥に何かある。
「もう一回」
三分後。
同じ出力。
歪みが広がった。
今度は、中央にぼんやりとした形が現れた。
……灰色。
空?
建物?
判別できない。
それでも、こちらの部屋ではない。
「……これ」
リーナの声が小さくなる。
私も言葉を失っていた。
壁の向こうを見ているわけではない。
幻影を投影する魔法も使っていない。
なのに。
そこに、別の景色がある。
「記録しろ」
ラウエルの声だけが冷静だった。
研究員たちが一斉に動く。
「アル、どう見える?」
グレアムが聞く。
「遠いです。というより、焦点が合ってない感じがする」
「魔素は?」
「この像の向こうへ続いてます」
その言葉を口にした瞬間。
自分でも少し震えた。
……向こう側。
ノエルが書いていた言葉。
比喩ではないのかもしれない。
その後、何度か同じ条件を繰り返すうちに、像は少しずつ安定していった。
理由は分からない。
透明な物体そのものが反応しやすくなっているのか、それともこちらの同期が上手くなっているのか。
そして、八回目。
像の奥に、はっきりとした建造物が現れた。
「……塔か?」
誰かが呟く。
かなり高い。
全体は霞んでいて色までは分からないが、細長い塔の周囲に巨大な輪のような構造物が浮いている。
一つ。
二つ。
三つ。
互いに角度を変えながら、塔を囲むように配置されていた。
「三輪構造……」
私はノエルの記録を思い出す。
間違いない。
彼が見たのはこれだ。
「映像を固定できる?」
ソフィアが聞く。
「やってみます」
リーナに今の出力を維持してもらい、私は周囲の魔素だけを整える。
像そのものへ触るのではなく、歪みの周辺にある乱れを減らす。
数秒後、塔が少し鮮明になる。
表面には見たことのない模様が走り、その周囲を三つの輪がゆっくり回転しているように見えた。
ただの建物には見えない。
魔道具?
施設?
それとも、もっと別のもの?
「アル、十分だ」
グレアムが言う。
「まだ出力は低いです」
「だからこそ、今止めてもいい」
……正しい。
ノエルの記録では、この先出力を上げるほど像が鮮明になる。
そして最大出力で、消失した。
今日はそこまでやるつもりはない。
「……あと一回だけ」
「アル」
「条件は変えません。同じ出力でもう一度確認したいだけです」
グレアムは少し黙ったあと、ラウエルを見る。
ラウエルも測定値を確認する。
「同条件なら許可する」
「ありがとうございます」
最後の観測。
リーナが呼吸を整える。
「いくよ」
「お願い」
周期。
三・一分。
魔素を流す。
像が開く。
塔、そして三つの輪。
さっきより、少しだけ広い範囲が見える。
塔の周囲には平らな地面のような場所があり、その奥には別の構造物らしき影も見えた。
空は妙に暗い。
夜という感じではない。
光はある。
なのに、色が薄い。
「……変な空」
リーナが呟く。
私もそう思う。
そして、そのとき塔の下で小さな何かが動いた。
「待って!」
私は目を凝らす。
像が揺れ、消えそうになる。
「リーナ、そのまま!」
「やってる!」
魔素の流れを整える。
もう少しで見える。
塔の近く。
あれは。
人?
「……人影」
ソフィアが息を呑んだ。
間違いない。
顔も服も分からない。
ただ、人間に近い形。
それが、塔の前を歩いている。
誰も声を出さなくなった。
私は見続ける。
人影が止まった。
そして、こちらを向いたように見えた。
偶然かもしれない、向こうからこちらが見えているかも分からない。
だが、次の瞬間。
人影が腕を上げた。
「……え?」
リーナが声を漏らす。
こちらへ手を振っている?
何かを指している?
像が激しく揺れた。
測定器の針が跳ねる。
「切れ!」
ラウエルが叫ぶ。
リーナがすぐに魔素を止める。
私も周囲の制御を解除した。
像が一気に縮み、そして消えた。
測定器の針が、ゆっくり元へ戻る。
誰もすぐには喋らなかった。
最初に口を開いたのはグレアムだった。
「今のを、全員見たな?」
「……はい」
ソフィアが答える。
ラウエルも黙って頷いた。
リーナが私を見る。
「アル」
「うん」
「あれ、人だったよね?」
「少なくとも、人の形には見えた」
私は中央に置かれた透明な石を見る。
そこにはもう、何も映っていない。
ただの小さな透明な石。
それなのに、数秒前まで別の場所が見えていた。
「向こう側……」
私が呟く。
四十一年前、ノエルもこれを見たのだろうか。
三つの輪を持つ塔、もしかすると人も。
だから接続を強くした?
もっと見ようとした?
もっと確かめようとした?
そして最後には、最大まで魔素を流した。
「アル」
グレアムの声。
私は振り返る。
「最大出力は試さないぞ」
考えていたことを先に言われた。
「……今日は」
「今日だけではない」
「まだ最後まで言ってません」
「顔に出ている」
ラウエルが椅子へ座り、記録紙をまとめる。
「今回だけでも十分だ。少なくともバークの記録にある『像』と『三輪構造』は再現された」
ソフィアも頷く。
「それに人影までね」
私はそこが一番気になっている。
もし本当に人間なら、向こう側はただの空間ではない。
誰かがいる。
そして、あの人影はこちらを認識したように見えた。
「記録、もう一度見せてください」
「何の?」
「ノエルの最後の観測です。人影について書いてないか確認したい」
ラウエルが少し考えたあと、昨日の資料を取り出した。
ページをめくる。
像、三輪構造、同調値、接続時間。
何度も確認する。
そして、最後の方に小さな一文があった。
前は、見落としていた。
『塔下部、移動像あり。生物の可能性』
私はその文字を見つめた。
「やっぱりノエルもこれを見てる」
ソフィアが横から読む。
「人とは書いてないね」
「でも、動く何かは見てた」
四十一年前。
ノエルが見たものと、今日私たちが見たもの。
同じ存在なのか、違うのか分からない。
そもそも、向こう側で四十一年という時間が同じように流れているのかすら分からない。
考えることが、一気に増えた。
でも今日は、これ以上やらない。
「戻りましょう」
私が言うと。
グレアムが少し驚いた顔をした。
「珍しいな」
「調べたいことが多すぎるので、一回整理します」
「成長したな」
「……前からできます」
リーナが横で笑った。
実験室を出る前に、私はもう一度だけ中央の透明な物体を見る。
ノエルが残した、向こう側由来と推定される石。
その石が、今は三分ほどの周期で反応している。
四十一年前は、十七・四分。
……なぜ周期が短くなっているのか。
向こう側との距離が変わった?
接続しやすくなっている?
それとも、向こう側の何かがこちらへ近づいている?
まだ、何も分からない。
ただ一つ、はっきりした。
ノエルが書き残した『向こう側』は、少なくとも彼の妄想ではなかった。
そこには塔があり、その塔の近くには何者かがいる。
そして今日、そいつはこちらを見た。




