第29話 消えた研究者
翌日、王立魔法研究院から学院へ一通の連絡が届いた。
昨日提出した魔脈の観測結果と、研究院が保管しているS-071関連記録を比較したところ、過去の資料と無視できない一致が見つかったため、追加で確認してほしい記録があるという。
授業を終えた私は、その日のうちに研究院へ向かった。
「……早いわね」
ソフィアは私を見るなり苦笑した。
「呼ばれたので」
「今日じゃなくてもよかったんだけどね…」
「じゃあ何で今日届くように送ったんです?」
「……確かに」
研究室にはラウエルもいたが、今日は机の上に見慣れない箱が置かれていた。
古い木箱ではなく金属製で、蓋には研究院の管理印と封印式が刻まれている。
「…昨日の管理部門から許可が出た」
ラウエルが言った。
「S-071そのものを見せる許可ではないぞ。四十一年前に起きた事故について、君の研究に必要と判断された範囲だけ開示される」
「……事故?」
「見れば分かる」
封印を解除し、箱から取り出されたのは一冊の薄い記録簿だった。
表紙には日付と、短い題名だけが書かれている。
『第二保管物消失事案』
私は椅子へ座り、最初のページを開いた。
発生日は四十一年前。
場所は王立魔法研究院の北東観測施設。
実験責任者は、ノエル・バーク。
そこまでは予想できた。
だが、次の記載で手が止まる。
『対象物 S-071-02』
「……02?」
私が顔を上げると、ラウエルが頷いた。
「昨日、S-071が一つではない可能性に気付いただろう? 研究院では個体を区別するため、末尾に番号を付けて管理していた」
「S-071-01とか、02とか?」
「そういうことだ。実際、発見された石の一つには、S-071-02という識別番号が刻印されていた」
つまり、S-071は一個の特殊な石に付けられた固有名ではなく、同種と判断された複数の物体へ付けられた分類番号らしい。
そして、少なくともS-071-02と呼ばれる個体が実在し、その本体に識別番号が刻まれていたということになる。
「じゃあ、02は今どこに?」
聞くと、ソフィアの表情が少し曇った。
「そこの先を読んでみて」
私は記録へ戻る。
S-071-02を観測装置中央へ固定し、周辺魔素濃度を測定しながら方位式探査による広域観測を実施。
そして、その横には見覚えのある数字が残されていた。
『同調値 17.4付近』
……また17.4だ。
さらに読み進めると、実験開始からしばらくして周囲の魔素濃度が急激に低下し、観測装置の一部が停止、複数の測定器も記録不能になっていた。
その直後。
『S-071-02の視認不能を確認』
私は眉を寄せた。
「視認不能?」
「……消えたんだ」
ラウエルが答える。
「壊れたわけじゃなく?」
「破片ではない。装置にも飛散した形跡はなく、固定具だけが残っていた」
……まるで、その場所から丸ごと取り除かれたような消え方という事か。
そして、さらに問題があった。
次の行。
『主任研究員ノエル・バーク、所在確認できず』
私はもう一度読んだ。
……間違いではない。
「……ノエルも?」
「同時に消えた」
部屋が静かになる。
四十一年前、ノエル・バークとS-071-02は同じ実験中に姿を消していた。
学院の資料では、ノエルは単に『行方不明』としか記されていなかったが、S-071そのものが秘匿対象だったのなら、詳細が伏せられていた理由も分かる。
「死体は?」
「見つかっていない」
「S-071-02も?」
「その後、一度も確認されていない」
事故直後には施設内や周辺森林、地下設備まで捜索され、魔素反応も調べられたが、ノエルにもS-071-02にも繋がる痕跡は何一つ見つからなかったらしい。
ただ、一つだけ奇妙な記録が残されていた。
事故の直前、ノエルは同じ実験を何度も繰り返しており、最後の数週間になると観測記録の余白へ同じ言葉を書いている。
『向こう側』
私はその文字を見つめた。
「これ、どういう意味です?」
ソフィアが首を振る。
「…正確には分からないわ」
「研究院でも?」
「少なくとも、その言葉が何を指していたのかまでは断定できてないわ」
ラウエルが別の資料を机へ置いた。
「事故前の私的記録だ。こちらも今回だけ閲覧許可が出た」
ノートというより、ばらばらの紙を綴じたものだった。
数式や地図、魔脈の流れ、S-071-02、17.4という数値に加え、何度も書き直された円形の図まである。
私はページをめくった。
『同調値安定』
『接続時間不足』
『像のみ確認』
『向こう側』
……像。
S-071-02越しに何かを見ていた?
さらに次のページには。
『三輪構造、再確認』
と記されている。
……三輪。
三つの輪。
図を探してみたが、該当するページは抜け落ちていた。
「……この辺り、何もありませんけど」
「事故後の資料回収時点ですでに欠けていたそうよ」
ソフィアが答える。
私はさらに記録を追った。
ノエルはS-071-02へ流す魔素量を段階的に増やしており、低出力ではほとんど変化がなかったものの、出力が上がるにつれて『像』の確認頻度が増え、『三輪構造』と呼ばれる何かも徐々に鮮明になっていた。
そして最後の実験だけは、投入魔素量が装置の許容最大値まで引き上げられている。
「この事故のとき、それまでと何が違ったんですか?」
私が聞くと、ラウエルは記録の一部を指した。
「……投入した魔素量だ。最終実験では、装置側が許容していた最大値まで上げている」
「最大まで流した直後に消えたと?」
「記録上はそうなる」
「その前に、何か見えてたんですか?」
ラウエルはページをめくった。
「最終記録の直前に、『像、完全視認』という記述がある」
私はその文字を見る。
それまでの『像のみ確認』とは違う。
……完全視認。
「つまり、接続が強くなるほど向こう側が見えるようになったのですか?」
「ノエルはそう考えていたらしい。そして最大出力へ到達した直後、S-071-02と本人が消えた」
…転移。
その言葉が頭に浮かんだ。
もちろん、まだ断定はできない。
何かに分解された可能性もあるし、別の場所へ移動した保証もない。
ただ、低出力では像が見え、高出力になるほど像が鮮明になり、最大まで流した瞬間に対象そのものが消失した。
……偶然として切り離すには、流れが綺麗すぎる。
「研究院では、この事故をどう考えてるんです?」
「公式には、接続試験中の原因不明消失事故だ」
「転移とは考えられていないんですか?」
「証明できない以上、そうは記録できん」
ラウエルらしい答えだった。
「ただし、この事故以降、大規模な接続試験は停止された。少なくともノエルが行っていた方法は、危険性が高すぎると判断されている」
私は頷いた。
完全転移だったとしても、それが成功だったとは言えない。
…帰ってきていないのだから。
その後も資料を確認したが、同じ説明を繰り返す記録は飛ばし、意味のあるものだけをノートへまとめた。
S-071-02。
17.4。
向こう側。
三輪構造。
投入魔素量。
接続強度。
完全視認。
そして、ノエル失踪。
そこまで整理したところで、ソフィアが別の薄い記録簿を机へ置いた。
「……実は、もう一つあるの」
「何がです?」
「事故のあとに回収されたものよ」
私は顔を上げる。
「事故のあと?」
「ああ」
ラウエルが答える。
「ノエル失踪からおよそ三か月後、北東観測施設の保管室で、それまで存在しなかった小さな物体が発見された」
「……突然?」
「少なくとも管理記録上はな。前日の確認時には存在せず、翌朝には保管台の中央に置かれていた」
私は思わず身を乗り出した。
「誰かが持ち込んだ可能性は?」
「当然調べられた。だが、封印記録に異常はなく、出入りの記録もない」
ソフィアが記録を開く。
「しかも、見つかった直後だけ周囲の魔素が少し乱れていたらしいの」
記録には、回収物についてこう書かれていた。
『無色透明。極めて軽量。既知鉱物との一致なし。魔素反応微弱』
さらに、その下。
『S-071消失事案との関連、不明』
私はその文字をしばらく見つめた。
「これ……ノエルが送った可能性は?」
「当然、考えられた」
ラウエルが答える。
「だが証明はできない。誰が、どこから、どうやって送り込んだのかも分かっていない」
「でも、事故の三か月後に突然出てきた?」
「ああ」
ノエルが消えた。
そして、S-071-02も消えた。
そして三か月後、封印された施設の中へ正体不明の透明物質が現れた。
……偶然にしては出来すぎている。
「その物体は今も?」
「残ってるわよ」
ソフィアが答えた。
「見たいです」
「……そう言うと思った」
昨日と同じやり取りになった。
「申請したら?」
「もうしてあるわ」
一瞬、言葉が止まった。
「……いつ?」
「君が昨日帰ったあと。ラウエル先生が」
私はラウエルを見る。
「…なぜ?」
「君が今日来れば、どうせそこまで辿り着くと思ったからだ」
……完全に行動を読まれている。
「許可は?」
「今日の午後には出る予定だ」
ありがたい。
…少し悔しいけど。
昼を少し過ぎた頃、ソフィアが研究室を出ていき、しばらくして小さな箱を持って戻ってきた。
「許可出たわよ」
私は思わず立ち上がる。
「例の透明な物体?」
「そう。でも触らないでね」
「分かってます」
机の中央へ箱が置かれる。
外側には簡単な封印術式があるだけで、昨日の地下保管区画ほど厳重には見えない。
ソフィアが封印を解除して蓋を開くと、中には綿のような緩衝材が敷かれ、その中央に小さな透明な物体が置かれていた。
一見すると、ただの石だった。
大きさは指先ほどで、無色透明。表面は自然石のように不規則なのに、内部にはほとんど濁りがない。
「これが?」
「失踪から三か月後に発見された物体だ。質量は四・八一グラム」
私は身を乗り出す。
魔素反応は弱い。
S-071のように周囲の魔素を吸い込んでいる感じもなく、普通の魔石とも違う。
「材質は?」
「特定できてない。少なくとも既知の天然鉱物とは完全には一致しない」
「四十一年間ずっと?」
「何度か再分析されてるけどね」
ソフィアが答える。
私は角度を変えて観察した。
本当にただの透明な石にしか見えない。
しかし、これがノエル失踪後、封印された施設の内部へ突然現れたものだとすれば、話は変わる。
「これ、何か変化するんですか?」
ソフィアが少し笑った。
「そこに気付く?」
「保管してるくらいだから」
「発見直後から、微弱だけど周期的な魔素反応が確認されていた」
私はすぐにノートを開く。
「……周期は?」
ソフィアは答える前にラウエルを見る。
ラウエルが小さく頷いた。
「発見当時の平均で、およそ十七・四分だ」
手が止まった。
「……17.4」
数字が繋がった。
ノエルの記録へ何度も残されていた値。
脈動周期。
同調値。
そして、失踪後に現れた透明な物体。
「今も同じですか?」
「いや」
ソフィアが首を振る。
「そこが問題なんだよね。現在の平均周期は、約三・一分なの」
私は透明な石を見る。
四十一年前は十七・四分。
現在は三・一分。
同じ物体なのに、周期が変化している。
「いつから?」
「正確には分からない。常時測定されていたわけじゃないから。ただ、過去の記録を並べてみると少しずつ短くなってる」
物体固有の周期なら、これほど大きく変わるのは妙だ。
温度や周囲の魔素濃度、内部の劣化など、考えられる原因はいくつもある。
ただ、もしこの石自身が周期を生み出しているのではなく、どこか別のものに反応しているのだとしたら。
私は昨日考えた仮説を思い出した。
17.4がS-071そのものの値ではなく、別の現象との関係を表している可能性。
……その考えが、少しだけ現実味を持った。
「測ってもいいですか?」
私が聞くと、ソフィアが測定器を出した。
「そのために持ってきたのよ」
透明な石の周囲へ三台の測定器を置く。
一台は魔素濃度、一台は流向、もう一台は微細な変動を見るための高感度型。
私は自分の感覚でも周囲の魔素を見る。
数分待つと、最初の変化はごく小さく現れた。
測定器の針が僅かに動き、透明な石そのものから何かが出たというより、周囲の魔素が一瞬だけ揺れたように見える。
「…今!」
ソフィアも記録する。
そこから約三分後、もう一度ほぼ同じ変化が起きた。
「……確かに周期的ですね」
「でしょ?」
さらに三回目を待つ。
やはり同じ。
ただし、自分の感覚では測定器とは少し違うものを拾っていた。
石が反応していることは間違いないが、その直前だけ、魔素がこの部屋の中では説明できない方向へ引かれる。
昨日S-071の保管区画で感じたものとも違う。
あちらは周囲の魔素がS-071へ向かって流れていた。
今は、どこへ向いているのか分からない。
距離も方向も掴めないのに、ほんの一瞬だけ何か別の場所へ続いているように感じる。
「アル?」
ソフィアが私を見る。
「……もう一回、測りたいです」
次の変化を待つ。
約三分後、再び反応が来た。
その瞬間、私は外部魔素を取り込まず、周囲に存在する魔素の動きだけをできる限り細かく追った。
石の周囲で魔素が僅かに歪み、その奥で何か別の場所へ触れたような感覚が生まれる。
形は見えない。
音もない。
それでも、この部屋の中だけで完結している現象には思えなかった。
私はノエルの記録にあった言葉を思い出す。
『向こう側』
まだ、それが何を意味するのかは分からない。
ただ、ノエル失踪後に現れたこの石が、彼の記録と同じ周期を持っていたことだけは偶然とは思えなかった。
「次は、周期が来る瞬間をもっと細かく観測したい」
私が言うと、ラウエルが腕を組む。
「何を探す?」
「まだ分かりません。ただ、石そのものだけを見ても駄目な気がします。反応した瞬間に、周囲の魔素がどこへ向いているのかを調べたい」
ソフィアが少し考える。
「……方位式探査?」
私は頷いた。
ノエルが魔脈を追うために使った方法。
複数の測定点を置き、魔素の変化がどちらから来て、どちらへ向かうのかを調べる。
同じ方法を、この透明な物体へ使う。
「明日、広い場所を借りられます?」
「何台並べる気?」
「できるだけ多く」
ラウエルがため息をついた。
「また力技か」
「分からないものを見るには、測るしかないので」
透明な石は何も答えないまま、三分ほどの間隔で微かな反応だけを繰り返している。
四十一年前、発見された直後の周期は十七・四分だった。
ノエル・バークはS-071へ流す魔素量を増やしながら『像』や『三輪構造』を観測し、最後には『像、完全視認』という記録を残した。
そして最大出力へ到達した直後、ノエルとS-071-02はこの世界から姿を消した。
その三か月後。
今度は、正体不明の透明な物体がこちら側へ現れた。
もし、それらがすべて一続きの現象なのだとしたら。
この石は単なる証拠品ではない。
向こう側とこちら側の間に、今も何らかの繋がりが残っている証拠なのかもしれない。
私は透明な石を見つめながら、翌日の観測方法を頭の中で組み始めていた。




