第27話 S-071
それから一週間、私たちは学院の北東側を中心に魔素分布の測定を続けた。
とはいっても、毎日同じ場所に立って数字を眺めていたわけではない。
魔道具科から借りた簡易測定器を使い、学院周辺から少しずつ範囲を広げながら複数地点を同時に測定し、その結果を地図へ重ねていった。
三日目には、最初に見つけた高濃度領域が学院の北東からさらに先まで続いていることが分かり、五日目には、その幅が一定ではないことも見えてきた。
狭いところでは数十メートル。
広いところでは数百メートル。
しかも濃度の高い中心部分は、川や地形と完全には一致していない。
地下水だけでは説明できない。
魔石鉱床とも一致しない。
さらに、複数地点で観測した濃度変化には僅かな時間差があり、少なくとも何らかの変化が一定方向へ伝わっていることまでは確認できた。
私は机の上へ地図を広げ、測定結果を書き込んでいく。
「……ここまで来たら、本当に流れてるって言っていいんじゃない?」
向かいに座っていたリーナが地図を覗き込む。
「かなり可能性は高い。でも今追ってるのは一本だけだからね」
「…一本?」
「魔脈がこれだけとは限らない」
過去資料には王国東部だけでも複数の地下魔素集中帯が記録されている。
今追っているものは、その中の一つにすぎない可能性が高い。
ただし、全部を一から調べていたら何か月かかるか分からない。
今必要なのは、魔脈そのものを完全に解明することではなく、北東街道で起きた魔獣群の異常と、そこを通っていた魔素流に関係があるのかを確かめることだ。
「だから、現地調査はいったんここまで」
私が言うと、リーナが目を丸くした。
「……アルが途中で研究止めるって言った」
「止めないよ。方法を変えるだけ」
私は地図の北東側を指した。
学院から始まった測定線は途中で途切れているが、その先には先日の戦闘地点があり、さらに向こうには森林と山岳地帯が続いている。
毎日歩いて追うのは効率が悪い。
だったら、すでに同じことをしていた研究者の記録を使えばいい。
ノエル・バーク。
四十一年前、広域魔素流動を研究し、方位式探査まで考案していた人物。
彼の資料は王立魔法研究院へ戻されている。
なら、そこへ行けばいい。
二日後。
私は再び王立魔法研究院にいた。
「来ると思ってたわ」
顔を見るなり、ソフィアに言われる。
「なんでです?」
「学院から照会が来たもの。ノエル・バークの資料を閲覧したいって」
「早かったですね」
「アル君の名前が付いてたからね」
……どういう意味だろう。
横にいたラウエルは、机から顔も上げずに言った。
「また面倒なものを見つけたんだろう」
「魔脈です」
そこで初めて顔を上げた。
「ほう」
私は先日の魔獣発生から、地下の魔素流を見つけたこと、その後学院周辺で複数地点の同時測定を行い、濃度変動に時間差が確認されたことまでを簡潔に説明した。
全部話すより、地図と測定結果を見せた方が早い。
ラウエルはしばらく黙って資料を見たあと、指先で測定点をなぞった。
「固定された高濃度領域だけでは説明しにくいな。ただし、流動している魔素そのものを直接追跡したわけではない以上、別の原因が存在する可能性は残る」
「はい」
……相変わらずだ。
でも、それでいい。
横からソフィアも測定表を見る。
「この測定器、学院の簡易型?」
「ええ、そうです」
「よくこれで時間差まで取ったね」
「十台並べました」
「力技ね……」
否定できない。
私は本題へ入った。
「それで、ノエル・バークの資料を見たいんです」
ソフィアとラウエルが一瞬だけ顔を見合わせる。
「残ってはいる」
ラウエルが答えた。
「ただし、整理されているとは言い難いぞ。彼が失踪したあと、研究資料の多くが回収されたが、正式な論文になっていないものも大量に混ざっている。観測記録、地図、個人メモ、途中計算、用途不明の数値まで一緒だ」
「むしろ、その方が助かります」
完成した論文には、途中で捨てた仮説や失敗は残らない。
生の記録なら、ノエルが何を考え、どこで方向を変えたのかまで追える可能性がある。
「見せてください」
ラウエルがため息をついた。
「はぁ、そう言うと思った」
案内されたのは、以前使った研究室よりさらに奥にある資料保管室だった。
棚には古い文書箱が並び、その一角にノエル・バークの名前が書かれた箱が三つ置かれている。
四十一年前、一人の研究者が残したもの。
箱を開けると、中には予想以上の量の紙が詰め込まれていた。
「多いな……」
「見るのやめる?」
ソフィアが聞く。
「まさか」
リーナがいたら、また何枚あるのか数え始めそうだ。
私は最初の束を取り出した。
魔素濃度測定。
王国北東部。
森林。
山地。
魔石鉱山跡。
ノエルが調べていた範囲は広く、学院で見つけた引用文献より遥かに詳細だった。
複数の観測地点を円状に配置し、濃度変化の時間差から魔素変動が伝わる方角を割り出している。
方位式探査。
私が十台の測定器を並べて行った方法と、基本的な考え方はほぼ同じだった。
「……やっぱり、この人も流れを見てる」
さらに資料をめくる。
記録の日付が進むほど、調査地域は少しずつ北東へ移っていた。
最初は王都近郊。
その後は森林。
さらに山岳地帯へ。
明らかに何かを追っている。
「魔脈を辿ってた?」
私が呟くと、ラウエルが横から資料を見る。
「そう考えるのが自然だろうな」
次の束には地図が入っていた。
何本もの線が描かれ、魔脈と思われる流れや支流、合流地点、濃度、流向まで記されている。
私たちが一週間かけて調べた範囲も、その端に含まれていた。
「……ほぼ合ってる」
自分の地図を横へ置いて比較する。
四十一年以上前の記録だから多少の誤差はある。
それでも、位置も流れる方向もかなり近い。
……北東。
「これなら、今追ってる魔脈と同じ可能性が高いですね」
ソフィアも頷いた。
「少なくとも別物だと考える理由は薄いかな」
つまり四十一年前にも、同じ場所を魔素が流れていた。
今回突然できたものではない。
なら、今回の魔獣群発生の原因は魔脈が存在することそのものではない可能性が高い。
元からあったなら、変わったのは別の部分だ。
濃度か、流量か、周期か。
私は次の記録を取った。
そこには、以前の資料でも見た数値が何度も書かれている。
『脈動周期 17.4』
「十七・四……」
単位がない。
秒なのか、分なのか、それとも別の尺度なのかも分からない。
別のページを見る。
また17.4。
さらに次も同じ。
場所も日付も違うのに、同じ数字が何度も現れる。
「ソフィア先生、これ何の単位ですか?」
資料を渡すと、彼女は眉を寄せた。
「……書かれてないわね」
「当時の特殊な測定単位とか?」
「少なくとも私は知らないわ」
ラウエルも資料を見る。
「周期と書かれている以上、時間に関する値である可能性は高い。ただ、単位も測定条件もなければ意味は決められん」
……確かにそうだ。
私は数字だけノートへ記録した。
今はまだ追わない。
もっと重要なのは、ノエルがどこまで魔脈を辿ったかだ。
さらに資料をめくっていく。
すると、ある時期を境に記録の内容が変わった。
それまで地名や座標が並んでいた紙に、突然見慣れない記号が現れる。
『S-071』
私は手を止めた。
「……S-071?」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
ほんの僅かだった。
でも、分かった。
ソフィアの視線が資料から私へ移り、ラウエルもさっきまでとは違う表情でこちらを見る。
「アル」
ラウエルの声が少し低くなる。
「その番号を、どこで見た?」
私は紙を持ち上げた。
「ここです。ノエルの記録に何回も出てきます」
ラウエルは資料を受け取り、黙って数行読む。
ソフィアも隣から覗き込んだ。
二人とも知らない反応ではない。
「……知ってるんですね」
私が言う。
しばらく誰も答えなかった。
やがてソフィアが小さく息を吐く。
「存在だけなら…」
「存在?」
「S-071は資料番号じゃないのよ」
私は少し身を乗り出した。
「じゃあ何です?」
また一瞬、間が空く。
ラウエルが答えた。
「研究院で管理されている特殊資料の一つだ」
「資料って、紙じゃないんですか?」
「物品だ」
そこまで聞いて、私はさらに気になった。
「どんな?」
ソフィアがラウエルを見る。
ラウエルは少し考えたあと、最低限だけ答えた。
「外見は石に近い」
「石?」
「そう見える、というだけだ。普通の鉱石と同じものかどうかは分かっていない」
……その言い方、明らかにただの石ではない。
「見たことあるんですか?」
ソフィアが言った。
「私は一度だけ、保管区画の確認で遠目にね。黒っぽい石みたいな形だった。ただ、詳しい測定値や保管理由までは閲覧権限がない」
「研究院の人でも?」
「全員が全部知ってるわけじゃないよ」
ラウエルも頷く。
「S-071の存在自体を知っている者は一部いるが、詳細情報はかなり限定されている。王国側の管理部門も関わっているはずだ」
……なるほど、完全な秘密ではない。
ただし、一般に知られているものでもない。
一部の研究者や管理者だけが存在を知っていて、さらに詳しい情報はその中でも限られた人間しか見られない。
「なんでそんなものがノエルの資料に?」
私が聞くと、ラウエルはもう一度記録へ目を落とした。
「それを今読んでいるところだろ」
……確かに。
先へ進む。
『S-071周辺において、流量低下を再確認』
『S-071固定後、脈動変化あり』
『S-071移送時――』
そこから先は紙が破れている。
私は眉を寄せた。
「固定?」
別の紙を見る。
『S-071出力変化』
『S-071接続試験』
ただ保管されていた石ではない。
少なくともノエルは、何らかの実験へ使っている。
「これ、装置なんですか?」
「分からん」
ラウエルが答える。
「石のような物体そのものが装置なのか、別の術式や機構へ組み込んで使うものなのか、それすら公開情報にはない」
ソフィアも資料を見ながら言う。
「でもノエルはかなり深く関わってたみたいだね」
確かに。
S-071という記号が出てから、記録の密度が一気に増えている。
魔素濃度、流量、方位、17.4、さらに固定、接続、出力。
魔脈だけを調べていた頃とは、明らかに研究内容が変わっている。
「ノエルがS-071を研究してたことは知られてたんですか?」
私が聞く。
ラウエルは少し考えた。
「公式な研究履歴には、そこまで詳しく残っていないはずだ」
「じゃあ、これ結構重要なんじゃ…」
「だから軽々しく外へ持ち出すな」
私は黙る。
さらに地図を見る。
ノエルの調査線は王都から始まり、学院周辺を通り、北東街道を越えて山岳地帯へ伸びている。
その後半には、S-071に関する記録が増えていた。
そして地図の端には、古代エルグラッドのある北東山地が描かれている。
ただし、S-071そのものがそこにあるとは書かれていない。
ノエルが魔脈を追って北東へ進んだこと。
その途中からS-071を使った研究を始めたこと。
今分かるのはそこまでだ。
「エルグラッドと関係あると思う?」
ソフィアが聞く。
私は首を振った。
「まだ分かりません」
ここで結びつけるには早い。
重力魔法の資料を見つけた古代遺跡。
北東へ伸びる魔脈。
ノエルの調査。
そしてS-071。
同じ方向に情報が集まり始めているのは事実だが、だからといって全部が一つの原因から生まれているとは限らない。
「アル」
ラウエルが言う。
「その考え方を忘れるなよ。面白い仮説ほど、人は証拠を集めるより先に信じたくなる」
「はい」
それは分かっている。
でも、面白いものは面白い。
私は再びノエルの資料を見た。
「S-071、見せてもらえま…」
食い気味に。
「無理だ」
ラウエルに断られた。
「あの、まだ全部言ってないです…」
「言う前から分かる」
「存在を知ったんだから、一回見るくらい」
「閲覧権限が必要だ」
「どうやったら取れます?」
「はぁ…すぐ取ろうとするな」
ソフィアが笑いを堪えている。
「アル君らしいわね」
「気になりますよ」
「気になるのは分かる。でも、今の研究目的は魔脈でしょ?」
言われてみればそうだ。
私は一度、S-071から意識を離した。
今追うべきなのは、北東街道の魔獣群発生と魔脈の変化だ。
ノエルの記録を見る限り、四十一年前にも同じ方向へ魔素は流れていた。
なら、過去と現在を比較すれば、今回何が変わったのかを絞れる可能性がある。
「ノエルの魔脈記録だけ、複写できます?」
「それなら許可は出せると思う」
「S-071の部分は?」
「それは別審査だ」
……残念。
結局、その日は魔脈の地図や測定記録を中心に複写許可を申請し、S-071が記載されている資料は研究院内でのみ閲覧することになった。
研究院を出る頃には、すでに夕方だった。
私は歩きながら、今日分かったことを頭の中で整理する。
四十一年前にも、今とほぼ同じ位置に魔脈が存在していた。
ノエル・バークはその流れを北東へ追っていた。
研究の途中から、S-071という石のような特殊物品を扱い始めた。
S-071は現在も存在し、一部の研究者や王国関係者には知られているが、詳細は隠されている。
そして、17.4。
まだ意味の分からない数値。
分からないことは増えた。
でも今回は、それでいい。
私はノートを開き、新しいページに二つだけ書き込んだ。
『S-071――石状の特殊物品。現存。詳細非公開』
『ノエル・バークとの関係あり』
まだ証拠がない以上、それ以上は書けない。
ただ、四十一年前の研究者が追っていたものが完全に失われたわけではなかった。
S-071は、今もどこかにある。
それならいつか。
自分の目で確かめる機会も来るはずだ。




