第22話 異端の論文
王立魔法研究院を訪れたのは、研究会から一週間後だった。
学院から馬車でそれほど離れていない場所に建つ研究院は、外から見るだけなら学院より小さい。
だが、中へ入ると印象は大きく変わり、廊下の左右には研究室が並び、扉の向こうから魔法陣の光が漏れている。
金属や魔石を加工する音が聞こえる部屋もあれば、壁一面を数式のような記号で埋めた研究室まであった。
「……ここ、好きかもしれない」
思わず呟くと、隣を歩いていたラウエルがこちらを見る。
「まだ入口だぞ」
「入口でこれなら、中はもっと面白いですよね?」
「……そういう意味ではない」
少し前を歩いていたソフィアが振り返り、楽しそうに笑った。
「放っておきなさい。たぶんアル君は研究設備がある場所なら、どこでも同じ顔をするわ」
……否定できない。
今日ここへ来た目的は一つ。
私の論文『属性魔法不存在論』に残った、最も大きな穴を確かめるためだった。
魔法が発動する直前、魔素は本当に火属性や風属性といった別の性質へ変化しているのか。
もし変化しているなら私の仮説は大きく修正しなければならない。
逆に変化していないなら、六属性が魔素そのものの性質ではないという考えはかなり強くなる。
案内された研究室には、見たことのない装置が置かれていた。
細長い透明管の周囲に薄い魔石片が何十枚も並び、その一枚一枚から細い導魔線が伸びている。
「これが測定器ですか?」
「正確には試作品よ」
ソフィアが答える。
「魔素を直接吸収して測る方式だと、測定器そのものが流れを変えてしまう可能性があるの。だから今回は、魔素を通過させたまま、その周囲に配置した魔石がどう反応するかを見る」
「非接触に近い測定?」
「完全な非接触ではないけれど、今ある装置よりはずっと影響が少ないはず」
私はすぐに装置へ近づいた。
「分解していいですか?」
「駄目」
即答された。
「……構造だけでも」
「あとで見せるから、先に実験よ」
「……分かりました」
ソフィアは扱いが上手い。
そのやり取りを見ていたラウエルが、わずかに笑っていた。
最初に使うのは、最も単純な火炎術式だった。
入力部、術式の中間、そして現象が発生する直前の三か所へ測定点を設ける。
「まず通常の火魔法からだ」
ラウエルが言った。
「アル、外部魔素は使うな。今回は内部魔素だけで発動しろ」
「分かってます」
外部から魔素を取り込めば、測定対象が増えてしまう。
私は自分の内部魔素だけを使い、最低限の火炎魔法を発動した。
小さな炎が生まれる。
ソフィアがすぐに測定器を確認する。
「入力部はほとんど変化なし。中間部……反応あり」
「属性反応?」
「まだ分からない。発光強度が変わっただけよ」
ラウエルが記録を取る。
「出力直前は?」
「こっちも変化してる。ただし、既存の属性結晶みたいに明確な赤色反応ではないわ」
もう一度。
今度は風、次は水、さらに光。
条件を変えながら何度か繰り返したが、結果は思っていたほど分かりやすくなかった。
魔法の種類によって測定器の反応が変わること自体は確かだ。だが、それが「魔素そのものが火属性へ変化した」結果なのか、それとも術式内部で魔素の流量や振動、密度のような何かが変化した結果なのか、今の装置では区別できない。
「……決まらないな」
私が言うと、ラウエルは当然のように頷いた。
「研究とはそんなものだ」
「もっと一発で分かるかと思ってました」
「……そんな研究ばかりなら苦労しない」
ソフィアが測定器から魔石片を外し、一枚ずつ机へ並べていく。
「でも、面白い結果は出てるわよ。同じ火魔法でも、アル君が普通の術式で発動した場合と、現象へ直接干渉した場合で反応がかなり違う」
私はすぐに顔を上げた。
「どれくらい?」
「これを見て」
彼女が二枚の魔石片を並べる。
通常の火炎術式では、中間部に置いた魔石へ強い変化が出ている。一方、私が対象の温度そのものを上げた場合、その反応はほとんど見られない。
それなのに、最終的にはどちらも炎が生まれる。
「……面白い」
「……あなた、そればかりね」
「だって面白いので」
ラウエルが二つの記録を並べた。
「少なくとも、同じ炎という結果へ至るまでに、魔素が同じ状態を通っているとは限らない。そこまでは言えそうだ」
「でも、六属性が存在しない証明にはならない、ですね」
「うむ、その通り」
即答された。
嫌いではない。むしろ、こういう人がいてくれる方が助かる。
私はノートへ結果を書き込みながら言った。
「じゃあ論文は、この部分を未検証のまま残します」
ラウエルがこちらを見る。
「撤回しないのか?」
「仮説まで撤回する必要はないでしょう。証明できていないところを、証明できていないと書けばいいだけです」
「……正しい」
「なら出していいでしょうか?」
ラウエルは少し考えたあと、腕を組んだ。
「私は止めない。ただし、おそらく荒れるぞ」
「荒れる?」
今度はソフィアが答える。
「六属性は研究上の分類だけじゃないのよ。学院教育、魔法協会の資格制度、騎士団の編成、魔道具の規格まで、いろいろなところで使われてる」
「でも、分類として使うなとは書いてません」
「読んだ全員が、そこまで丁寧に読んでくれると思う?」
なるほど。
前世でも、題名だけを見て批判する人はいた。少し嫌な記憶が蘇る。
「それでも出します」
私は答えた。
「間違ってるなら反論してもらえばいいし、正しい部分があるなら調べてもらった方が早い」
ソフィアが肩をすくめる。
「……でしょうね」
ラウエルも小さく息を吐き、論文の結論部分を指で叩いた。
「なら、ここだけ直せ。『六属性の不存在を証明した』と受け取られる書き方ではなく、『六属性を魔素固有の性質とする現行理論では説明できない現象が存在する』程度にしておけ」
「弱くないですか?」
「研究論文は、強い言葉を使う競技ではない」
「……分かりました」
少し残念だが、正しい。
その日のうちに論文を修正し、グレアムを通じて王立魔法研究院の紀要へ提出した。
私としては、そこで一旦終わりだった。
まだ調べることはいくらでもある。測定器も改良する必要があるし、重力魔法の研究も続けたい。それに、飛行実験の続きも待っている。
論文一つだけに、いつまでも時間を使うつもりはなかった。
ところが提出から十日ほど経った朝、教室へ入った瞬間に妙な空気を感じた。
いつもなら普通に挨拶をする生徒まで、こちらを見ながら何かを話している。
「アル」
先に来ていたリーナが駆け寄ってきた。
「なんか大変なことになってるよ」
「何が?」
彼女が一枚の紙を渡す。
王都で発行されている魔法研究情報紙らしい。
そこには、大きな見出しが載っていた。
『王立魔法学院の十二歳、六属性理論を否定』
「……否定?」
記事を読んでいく。
内容は完全に間違っているわけではないが、かなり大げさだった。
『火・水・風・土・光・闇という六属性は存在しない』
『現在の魔法理論そのものを覆す主張』
『千年近く続く魔法体系への挑戦』
そんな言葉が並んでいる。
「私、分類そのものは否定してないんだけど」
「そこ?」
「大事でしょ」
リーナは呆れた顔をした。
さらに読み進めると、今度は魔法協会の名前が出てきた。
王国中の魔法使いの資格管理や、標準術式の認定を行う大きな組織。その理論部門から、私の論文に対する正式な見解が出されたらしい。
『現時点において、六属性理論を覆すに足る証拠は確認されていない』
ここまでは、その通りだ。
私だって完全に証明したとは思っていない。
問題は、その次だった。
『若年研究者による意欲的な試みである一方、基礎理論への理解が十分とは言えず、現行魔法体系への過度な否定には慎重であるべきだ』
「基礎理論への理解が不十分?」
少し引っかかった。
反論するなら、実験や理論そのものに対してしてほしい。十二歳であることは、論文の内容とは関係ない。
「怒った?」
リーナが聞く。
「少し」
「珍しい」
「年齢を理由に間違ってるみたいな書き方は嫌い」
理論が間違っているなら、どこが間違っているか言えばいい。実験が不十分なら、何が足りないか示してほしい。
その方が、ずっと面白い。
「まだあるよ」
リーナが言った。
「何が?」
「昨日、学院に手紙が来たらしい」
嫌な予感がする。
昼休み。
私はグレアムの学院長室へ呼ばれた。
机の上には、何通もの封筒が置かれている。
「全部、私宛て?」
「半分は学院宛てだ」
「多くないですか?」
「君の論文が思った以上に広がっている」
グレアムが一通を持ち上げた。
「王立魔法研究院からは追加検証の申し出、魔道具工房連合からは重力魔法についての問い合わせ、王都大学からは資料提供の依頼が来ている」
それは嬉しい。
むしろ歓迎だ。
「そして」
グレアムが別の封筒を持つ。
「魔法協会から、君に正式な説明を求める通知だ」
「説明?」
「論文の意図と、六属性理論をどこまで否定するつもりなのか直接聞きたいらしい」
「行けばいいんですか?」
「そう簡単な話でもない」
グレアムは少し表情を変えた。
「魔法協会は研究機関であると同時に、王国の魔法制度を支えている組織だ。六属性を基準に資格や術式を管理している以上、君の主張を単なる研究論文として無視することもできない」
「でも、制度を壊したいわけじゃないですよ」
「分かっている。私も、ラウエルも、ソフィアもな」
グレアムが机へ手紙を置く。
「問題は、君を知らない者たちだ」
論文だけを見る。
十二歳。
六属性否定。
重力魔法。
確かに、かなり怪しい。
「それと、もう一つある」
グレアムが最後の封筒を出した。
他のものとは違う白い封筒で、中央には見覚えのない紋章が押されている。
「これは?」
「教会だ」
少し意外だった。
「教会?」
「魔法の起源を、神から与えられた六つの力として解釈する宗派がある。王国全体がそう考えているわけではないが、君の論文を快く思わない者はいる」
なるほど。
研究だけでは終わらないらしい。
封筒を開く。
中には丁寧な文章が書かれていたが、一文だけ強く目に留まった。
『六つの力を人の都合による分類にすぎぬと断ずることは、神より与えられた秩序そのものへの否定となり得る』
「……神」
前世では、神の存在を科学で証明することはできなかった。
この世界では、まだ分からない。
魔法すら本当に存在したのだから、神が絶対に存在しないと決めつける理由もない。
だが、それと六属性が自然界の基本法則なのかどうかは、全く別の問題だ。
「グレアム学院長」
「何だ?」
「私、神を否定した覚えはないんですけど」
「私もそう読んだ」
「六属性を疑っただけですよね?」
「そうだな」
「なら説明すればいいだけでは?」
グレアムが少し笑った。
「……君は本当に変わらんな」
「何がです?」
「普通なら、王国最大級の魔法組織と教会から同時に名前を出されたら、もう少し緊張するものだ」
「でも、話せば分かるかもしれないでしょう?」
「分からなかったら?」
私は少し考えた。
「実験します」
「……そう答えると思った」
実験結果を見せればいい。
火属性と呼ばれる魔法を、水属性を使わずに止める。
六属性に存在しない重力魔法も見せられる。
それでも違うと言うなら、何が違うのか聞けばいい。
反論があるなら、知りたい。
「いつ行くんです?」
「三日後だ」
「分かりました」
「随分あっさりしているな」
「それより、明日の飛行実験は予定通りですよね?」
グレアムが黙った。
「……そこを気にするのか」
「楽しみにしてるので」
「予定通りだ」
よかった。
私は立ち上がる。
「では明日、飛んできます」
「待て。話はまだ終わっていない」
学院長室を出ようとしたところで呼び止められた。
振り返ると、グレアムが机の上にあった研究情報紙を指で軽く叩く。
「アル。覚えておけ。これからは、君が魔法を一つ作るたびに、それを見る人間が増える」
私は黙って聞く。
「重力魔法も効率化も六属性理論も、学院の中だけなら研究で済んだ。だが外へ出れば、それによって利益を得る者も、不利益を受ける者も、自分たちが信じてきたものを否定されたと感じる者も出てくる」
「……はい」
「だから研究をやめろとは言わん。むしろ続けろ。ただし、自分の研究が世界に触れ始めたことだけは理解しておけ」
私は少し考えたあと、頷いた。
「分かりました」
研究結果は、研究室の中だけに留まるわけではない。
前世でも、新しい技術が社会を変えることはあったし、その変化がいつも良い方向へ進むとは限らなかった。
それでも、分からないものを分からないままにしておく理由にはならない。
私は学院長室を出た。
その日の放課後。
リーナへ魔法協会の話をすると、彼女はしばらく黙っていた。
「怖くない?」
「何が?」
「偉い人たちに怒られるかもしれないんでしょ?」
「別に怒られるって決まったわけじゃないよ」
「でも……」
「それに、間違ってるなら教えてもらえる」
リーナがこちらを見る。
「それ、本気で言ってる?」
「うん」
「アルって、やっぱり変」
また言われた。
ただ、今回だけは今までと少し違う感覚もあった。
これまで私が向き合ってきたのは、魔素や古代術式、重力といった魔法そのものだった。
どれほど複雑な現象でも、条件を整えて測定すれば結果は返ってくるし、少なくとも数字が感情で変わることはない。
だが、次に向き合うのは人間だ。
同じ結果を見ても受け取り方は違い、それぞれに立場や信じているもの、守りたいものがある。
実験より、少し面倒かもしれない。
それでも私は、どこか楽しみにしていた。
王国最大級の魔法組織と、何百年も続いてきた六属性理論。
その中心にいる人間たちは、私の研究を見て何を言うのだろう。
そして三日後。
私は初めて、王立魔法学院の外で、自分の理論を真正面から否定する人間たちと向き合うことになる。




