第21話 最初の反論
その題名を研究ノートへ書いてから、私は一週間ほどで最初の論文をまとめた。
もっと時間がかかると思っていたが、書くべき内容そのものは八年間の研究でほとんど揃っていた。
火魔法では炎そのものを作るのではなく、対象の温度や燃焼条件へ干渉できること。
風魔法と呼ばれているものが、実際には空気の運動や圧力差として説明できること。
雷も光も同様に、従来の属性という概念を使わなくても現象として整理できること。
そして何より、六属性のどこにも分類できない重力魔法を自分で構築できたこと。
それらを一つの仮説としてまとめる。
『魔素そのものに火・水・風・土・光・闇という六種類の属性が存在するのではなく、単一の魔素が異なる物理現象へ干渉した結果を、人間が六属性として分類している可能性が高い』
もちろん、六属性という分類そのものを否定するつもりはない。
火を使う魔法を火属性、水を動かす魔法を水属性と呼ぶのは便利だし、教育や実戦では十分意味がある。
問題なのは、それを魔素そのものの性質だと考えていいのかどうかだ。
論文を書き終えた日の放課後、私はその束をグレアムの机へ置いた。
「できました」
グレアムが書類から顔を上げる。
「何がだ?」
「論文です」
「……もう?」
「ええ、一応」
彼は嫌な予感でもしたような顔で、一枚目を見る。
題名を読んだ瞬間、眉が僅かに上がった。
「はぁ……ずいぶん大きく出たな」
「題名ですか?」
「『属性魔法不存在論』だぞ。もう少し穏やかな名前はなかったのか」
「これが一番分かりやすいので」
「研究者の世界では、分かりやすければ何を言ってもいいわけではないが…」
……そうなのか。
前世でも論文の題名で揉めたことはあったが、内容が正確なら問題ないと思っていた。
グレアムは最初の数ページを読み、途中から読む速度を落とした。
私は向かいの椅子へ座り、グレアムを待つ。
十分ほど経ったところで、グレアムが顔を上げた。
「……面白いの」
「ありがとうございます」
「だが、このままでは駄目だ」
「どこです?」
私はすぐに身を乗り出した。
グレアムが少し笑う。
「駄目だと言っているのに、落ち込まないのか?」
「間違ってるところがあるなら知りたいんです」
「そう言うと思ったわい」
彼は論文の中央付近を指で叩いた。
「君は火、風、雷、重力と、複数の現象を一つの魔素から引き起こしている。確かにそれは、六種類の魔素が別々に存在するという考えへ強い疑問を投げかける」
「はい」
「だが、それだけでは『属性が存在しない』ことの証明にはならない」
私は黙った。
グレアムが続ける。
「魔素は一種類でも、魔法が発動する直前に火属性、風属性といった性質へ変化している可能性は?」
私は答えようとして、止まった。
……それは。
完全には否定できない。
私が観察しているのは、術者の内部にある魔素と、発動後の現象が中心だ。
その間。
魔素が術式を通過し、現象へ変換される直前の極めて短い時間。
そこを十分な精度で測定したことはない。
「……ありますね」
「だろう?」
グレアムは論文を閉じた。
「だからこの論文は間違っていると言いたいわけではない。ただし、結論が少し先へ行きすぎている」
なるほど。
私はすぐにノートを開き、書き込んだ。
『発動直前の魔素状態を測定する必要あり』
グレアムが呆れたように笑う。
「今ここで直すのか」
「忘れるので」
「なら、ちょうどいい」
「何がです?」
「三日後、学院で小規模な研究会がある。王立魔法研究院からも何人か来る」
研究院。
その言葉に手が止まる。
「……研究者が来るんですか?」
「ああ。魔法理論、魔石、魔道具、術式研究など、それぞれ専門の者が集まる。君の論文をそこで出してみろ」
「私が出てもいいんですか?」
「そのために論文を書いたんだろう?」
確かに。
自分だけで正しいと思っていても意味がない。
反論してもらう。
検証してもらう。
それで残ったものだけが理論になる。
「出します」
私は即答した。
そして三日後。
学院の研究棟にある会議室には、普段見かけない大人たちが集まっていた。
学院の教師。
研究員。
王立魔法研究院から来た研究者。
全部で二十人ほど。
十二歳の私は、明らかに浮いていた。
「緊張してる?」
隣にいたリーナが小声で聞いてくる。
リーナは、共同実験の協力者としてグレアムが見学を許可してくれた。
「……少しね」
「アルでも緊張するんだ」
「知らない人が多いからね」
「…外壁壊すときは緊張しなかったのに?」
「あれは壊す予定じゃなかった」
まだ言われる。
研究会が始まり、いくつかの発表が続いた。
新しい魔石加工法。
結界術式の安定化。
魔獣の魔素器官に関する調査。
どれも面白い。
途中から私は自分の発表があることを忘れ、普通に質問したくなっていた。
そして。
「次。アル・レイヴァン」
グレアムに呼ばれた。
私は前へ出る。
机の上に論文を置き、参加者を見る。
「題名は『属性魔法不存在論』です」
一瞬。
空気が変わった。
当然かもしれない。
この世界で何百年も使われてきた六属性理論へ、十二歳の学院一年生が正面から疑問を出している。
私は簡潔に説明した。
六属性を分類として否定するものではないこと。
同一の魔素から、熱、運動、光、放電など複数の現象を発生させられること。
魔法陣の経路を変えても、魔素そのものが別の物質へ変わったようには感じられないこと。
さらに、古代文献に同様の考え方が存在すること。
そして最後に。
重力魔法。
私が一から組み直した術式の図を示す。
「この魔法は、現在の六属性のどこへ分類すればいいのか、私はまだ答えを持っていません。しかし、六属性の外にある現象へも同じ魔素で干渉できるなら、魔素そのものに六種類の属性が存在するという前提は再検討する必要があると考えています」
発表を終える。
会議室が静かになった。
すぐに反論が来ると思っていたが、誰も口を開かない。
重力魔法の話が強すぎたのかもしれない。
……それは困る。
私が欲しいのは驚きではない。
私の論文に対する指摘、反論だ。
「質問はありますか?」
自分から聞いてみる。
しばらくして、一人の男が手を上げた。
年齢はグレアムと大きくは変わらないように見える。白髪が混じった髪を後ろへ撫でつけ、机の上には私の論文が開かれていた。
「エドガー・ラウエル。王立魔法研究院で理論魔法を研究している」
声は低く、淡々としている。
「君の論文は読んだ。結論から言えば、面白い。だが証明としては足りない」
来た。
私は思わず姿勢を正した。
「どこがですか?」
「君は『単一の魔素から異なる現象が生まれる』ことを根拠の一つにしている。しかし、それは属性が存在しない証拠にはならない」
グレアムと同じ指摘だ。
ただ。
ラウエルはさらに続けた。
「発動前の魔素が無属性であったとしても、術式の内部で火属性へ変換され、その結果として炎が生まれている可能性は残る。風も水も同じだ」
「はい、おっしゃる通りかと」
「……なに?」
ラウエルが少し眉を動かす。
「反論しないのか?」
「その可能性、グレアム学院長にも指摘されました。まだ測れてません」
会議室の何人かがこちらを見る。
ラウエルも少しだけ意外そうな顔をした。
「では、なぜ発表した?」
「測る方法が分からなかったからです」
「……何?」
「一人で考えて分からないなら、他の人に見てもらった方が早いので」
一瞬、ラウエルが黙った。
私は続ける。
「もし発動直前に属性変換が起きてるなら、それを測定できれば私の仮説はかなり弱くなります。逆に、変化がないなら強くなる。だから測りたいんです」
「自分の理論が否定されても?」
「間違ってるなら早く知った方がいいでしょう?」
ラウエルは私をじっと見た。
しばらくして。
ほんの僅かに口元が動く。
「……君の考え方は嫌いじゃない」
……褒められたのだろうか。
その直後、別の場所から女性の声がした。
「問題は、どう測るかね」
視線がそちらへ集まる。
長い髪を後ろでまとめた女性が、こちらの論文ではなく、重力魔法の術式図を見ていた。
「ソフィア・クレイン。研究院で魔石構造と測定法を研究しているわ」
穏やかな話し方だが、視線は鋭い。
「あなたが使った測定器は?」
「学院の魔素流量計と、属性測定用の結晶です」
「なるほど、それでは難しいでしょうね」
即答された。
「どうしてです?」
「属性測定用の結晶は、魔法が発動する直前の一瞬を測るために作られた装置じゃないもの。一定時間流れ込んだ魔素に対する反応を色として表示しているだけだから、変換が起きる瞬間を見逃している可能性がある」
私は完全にソフィアの方を向いた。
「もっと速く測れるものがありますか?」
「今のままではないわ」
「作れます?」
ソフィアが少し笑う。
「…いきなりそこへ行くのね」
「必要なので」
「……でしょうね」
彼女は論文の一ページを開いた。
「それともう一つ。あなたは魔素を『一種類』と書いているけれど、それも現時点では仮定でしょう?」
「はい」
「なら、属性変換を測るだけでは足りない。魔素そのものの状態変化を見なければいけない」
「状態変化?」
「例えば魔石。魔石は魔素を蓄えるけれど、種類によって放出時の特性が違う。それを単純に属性差と考える研究者もいれば、内部構造の違いだと考える研究者もいる」
私は思わず聞き返した。
「内部構造で魔素の出方が変わるんですか?」
「変わるわ。少なくとも測定結果はね」
……面白い。
ものすごく面白い。
「そのデータ、見られますか?」
「研究院に来ればね」
「行きます」
「まだ日程も言ってないけど?」
「いつです?」
ソフィアが笑った。
会議室の空気が少しだけ柔らかくなる。
その横でラウエルが小さくため息をついた。
「ソフィア。あまり焚きつけるな」
「あなたが最初に反論したんでしょう?」
「反論と勧誘は別だ」
「でも興味あるでしょう?」
ラウエルは答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
どうやら、この二人は以前一緒に研究することがあるらしい。
理論から穴を探すラウエル。
測定と材料から確かめるソフィア。
方法は違う。
だが、どちらも同じところを見ている。
本当に正しいのか。
それだけだ。
私は少し嬉しくなった。
前世では当たり前だった。
仮説を出せば、誰かが疑う。
実験すれば、別の誰かが測定方法を疑う。
結果が出ても、再現できるまで信用しない。
この世界へ来てから、私は長い間ほとんど一人で魔法を研究してきた。
父さんもユリーカも協力してくれた。
リーナとも一緒に研究するようになった。
グレアムも、今では私の実験を支えてくれている。
それでも、目の前にいる二人は少し違う。
私が出した理論を、研究者として本気で壊しに来ている。
「ラウエル先生」
「先生?」
「先生と呼んではだめでしたか?」
「……好きに呼べ」
「じゃあラウエル先生。さっき言った発動直前の属性変換なんですけど、どの段階なら測定できると思います?」
「今ここで始めるのか?」
「忘れないうちに」
ラウエルはしばらく私を見たあと、自分の鞄から紙を一枚出した。
「術式の入力部、変換部、出力部を分けろ。一つの術式として測るから分からなくなる」
私は紙を受け取る。
「三か所を別々に?」
「ああ。君は魔法陣を回路として考えているのだろう。それなら途中に測定点を作ればいい」
……なるほど。
ソフィアも机へ近づいてくる。
「ただし、測定器を挟むことで流れそのものが変わる可能性があるわ。なるべく干渉の少ない媒体を使う必要がある」
「魔石?」
「普通の魔石では駄目ね。反応が強すぎる」
「では何を?」
「それを探すのが私の仕事よ」
三人で紙を見る。
いつの間にか、研究会はほとんど終わっていた。
周囲の研究者たちも立ち上がり始めている。
リーナが近くへ来て、呆れた顔で言った。
「アル」
「なに?」
「もう研究会終わったよ」
「本当?」
「……また気付いてなかったの?」
「話してたから」
ラウエルがこちらを見る。
「いつもこうなのか?」
リーナが即答した。
「はい、いつもです」
「……なるほど」
……納得しないでほしい。
ソフィアは笑いながら書類をまとめていた。
「アル君」
「はい」
「一週間後、研究院へ来なさい。測定に使えそうな魔石を何種類か準備しておくわ」
「ありがとうございます!」
「ただし、最初から自分の仮説を正しいと思わないこと。測定結果が逆なら、ちゃんと受け入れるのよ」
「ええ、もちろんです!」
「なら大丈夫」
その横でラウエルが論文を持ち上げる。
「私はこれをもう少し読む。次に会うまでに、他の穴も探しておこう」
「是非、お願いします!」
ラウエルの眉が動いた。
「……普通は嫌がるところだぞ」
「穴があるまま残る方が嫌なので」
「……やはり変な子供だな」
……変って言われるの今日だけで何度目だろう。
だが、悪い気はしなかった。
夜。
私は論文の最後に、新しい項目を一つだけ追加した。
『未検証事項――魔法発動直前における魔素状態の変化』
論文の題名は変えない。
結論も今は残す。
ただし、まだ証明できていないことははっきり書く。
それでいい。
この論文を完成品にする必要はない。
研究は、ここから続く。
それよりも、今日得たものの方が大きかった。
エドガー・ラウエル。
ソフィア・クレイン。
一人は、私の理論へ最初に真正面から穴を突きつけた。
もう一人は、その穴を実験で確かめる方法を考え始めた。
私は二人の名前を研究ノートへ書き、その横へ小さく付け加える。
『発動直前の魔素変化――共同検証』
それを見て、私は少し笑った。
この世界へ来てから、私はずっと自分で疑問を見つけ。
自分で考え。
自分で実験してきた。
だが、どうやら。
これからは少し変わるらしい。
自分では気付けなかった間違いを指摘する人間がいて。
自分には作れない測定方法を考える人間がいる。
そして、その結果を一緒に確かめられる。
研究というものが。
ようやく。
前世で知っていた形に、少しずつ近づき始めていた。




