第20話 学院最強
重力魔法の完成から一か月が経った。
あれから私は、第三実験場だけでなく学院の大型訓練場まで使い、重力魔法の研究を続けている。
一・二トンの石柱から始まった実験対象はさらに大きくなり、複数の石材を同時に浮かせたり、作用方向を変えて空中で移動させたりと、できることはかなり増えた。
最近では、対象を指定する方法も物体一つずつではなく、一定の範囲そのものへ作用させる方法を試している。
そして当然。
自分自身を対象にした飛行実験も始めていた。
「九十八、九十六、九十四……」
第三実験場の中央で、私は自分に働く重力を少しずつ弱めていく。
足の裏にかかる感覚が軽くなり、普段と同じ力で跳ぶだけでも身体がいつもより高く浮かぶ。
完全に重力を消しているわけではない。
まずは数パーセントずつ作用量を変え、歩行、跳躍、着地、身体への負担を測定している段階だ。
少し離れた場所では、リーナが記録係をしていた。
「九十パーセント。どう?」
「かなり軽い。普通に歩けるし、違和感もほとんどない」
「じゃあ次は?」
「八十まで下げてみる」
「いきなり十も?」
「前回九十までは試したからね」
私は重力の作用をさらに弱める。
身体が軽くなった。
その状態で軽く地面を蹴ると、予想していた以上に身体が持ち上がった。
「うわっ」
二メートルほど浮き、そのままゆっくり落ちる。
着地。
問題なし。
「アル!」
リーナが走ってくる。
「今、すごい飛んだよ!」
「まだ跳んだだけだよ。飛行じゃない」
「普通の人は二メートルも跳ばないよ!」
確かに。
だが、これならいける。
重力を弱めるだけでは上へ跳びやすくなるだけだが、作用方向そのものを変えれば、自分の身体を好きな方向へ『落とす』ことができる。
地面ではなく。
空へ。
前へ。
横へ。
すでに石柱では成功している。
人間でも原理は同じはずだ。
「次は方向制御を――」
「今日はそこまでだぞ」
少し離れたところからグレアムの声がした。
止められた。
……と思ったが、彼は手に持った紙をこちらへ放る。
受け取る。
「何です?」
「次の飛行試験の予定表だ。大型訓練場を明後日の午後から押さえておいた。高さも距離も、ここより取れる」
「本当ですか?」
「ああ。ここでは天井が低すぎるからな」
素晴らしい。
「高度は?」
「最初は五十メートルまで好きにやれ。安定するなら、その先は結果を見て決める」
「ありがとうございます!」
最近のグレアムは、私を止めるというより、どうすれば実験できるかを考えてくれるようになった。
もちろん、好き勝手に何でもやっていいわけではない。
だが、やりたいことを伝えれば、必要な場所や測定器、人員まで学院側で用意してくれる。
前世の研究施設を思い出す。
研究とは本来、こういうものだ。
危険だから何もしないのではなく、危険性を理解したうえで実験できる環境を作る。
私は予定表をノートへ挟んだ。
明後日、初めての本格的な飛行実験。
かなり楽しみだ。
ただ、その前に。
学院では別の予定が待っていた。
翌日の午後。
一年生の基礎魔法実技で、いつもとは少し違う訓練が行われることになった。
「今日は対人魔法戦を行います」
教師がそう告げた瞬間、訓練場がざわついた。
もちろん、本当に相手を傷つけるわけではない。
学院には対人訓練用の防護魔道具があり、一定以上の衝撃や熱を検知すると自動的に結界が展開される。
さらに使用できる術式にも制限があり、殺傷を目的とした魔法は認められていない。
目的は単純な威力比べではなく、動く相手に対してどのように魔法を使い、相手の攻撃へどう対応するかを学ぶことらしい。
私は少し興味を持った。
研究では、現象を観察し、考え、仮説を立ててから実験できる。
だが、戦闘では相手が待ってくれない。
森でグラウスと戦ったときにも感じたが、考える時間が限られた状況では研究室とは全く違う能力が必要になる。
「アル」
隣にいたリーナが手を挙げる。
「私、アルとはやりたくない」
「まだ組み合わせは決まってないよ」
「先に言っておこうと思って」
「ひどくない?」
「一・二トンの石柱を空に浮かべる人と戦いたい?」
なるほど。
それなら仕方ない。
「重力魔法は使わないよ」
「使わなくても嫌」
そこまで言われるとは思わなかった。
教師が対戦表を読み上げ、生徒たちが二人ずつ円形の訓練場へ入っていく。
勝敗は、防護結界が発動するほどの攻撃を受けるか、場外へ出るか、本人が降参した時点で決まる。
最初の試合では、一人が火球を放ち、相手が土壁で防いだ。そこから横へ回り込んで風魔法を撃ち、それを水の膜で受け流す。
見ていると面白い。
教科書では属性ごとの相性が説明されている。
火には水。
水には土。
土には風。
もちろん実際の魔法はそこまで単純ではないが、学院ではまず、各属性の特徴と一般的な対処法を覚えるところから始めるらしい。
数試合が終わったところで、リーナの名前が呼ばれた。
相手は火属性を得意とする男子生徒だった。
「頑張って」
「うん」
リーナが訓練場へ入る。
試合開始と同時に、相手の手の前へ火球が作られた。
リーナは動かない。
火球が真っ直ぐ飛んでくる。
そして直撃する寸前、リーナが指先を僅かに動かした。
火球が消えた。
「え?」
周囲から声が上がる。
正確には消したのではない。
リーナは極細の魔素を火球へ伸ばし、炎が維持されている領域の一部だけから熱を奪った。
燃焼状態が崩れたことで、火球そのものが形を維持できなくなったのだ。
以前、一緒に研究した直接加熱の逆。
必要な場所だけを冷却する。
相手の男子生徒も驚いていたが、すぐに二発目を作った。
今度は二つ。
左右から別々の軌道で飛んでくる。
リーナは一歩下がりながら二本の魔素を伸ばし、まず一つを消した。
だが、二つ目への処理が僅かに遅れる。
火球が肩へ近づき、防護結界が発動した。
「そこまで!」
試合終了。
戻ってきたリーナは悔しそうだった。
「負けた……」
「一発目は完璧だったよ」
「……二つ同時になると追いつかない」
「精度は十分だから、次は処理速度だね。最初から二本伸ばしておく方法もある」
リーナが少し考えて頷く。
「うん、練習する…」
落ち込むより先に、もう次の課題を見つけている。
以前なら「魔素が少ないから無理」と考えていたかもしれない。
だが今は違う。
魔素量が少ないなら、別の方法を考えればいい。
その考え方が少しずつ彼女自身のものになっているのが嬉しかった。
やがて。
「アル・レイヴァン」
私の名前が呼ばれた。
訓練場へ入る。
向かいに立っていたのは、同じ一年生ではなかった。
十五歳ほどの少年。
私より明らかに背が高く、身体つきもしっかりしている。
「……一年生同士じゃないんですか?」
教師を見る。
「学院長の指示だ」
なるほど。
またグレアムか。
相手の少年が笑いながら手を上げた。
「カイル・レオンハルト。三年生だ。よろしく、アル」
「よろしくお願いします」
三年生ではかなり上位の成績らしく、得意なのは火と風。
カイルは私を見ながら楽しそうに笑っている。
「入学試験の話は聞いてる」
「あれは事故です」
「外壁まで事故で貫通する一年生なんて初めて聞いた」
「一割だったんですけど」
「それも聞いた。だから余計怖いんだよ」
どこまで広まっているのだろう。
教師が私たちの間へ立つ。
「双方、訓練規定の範囲で行うこと。アルは重力魔法を使っても構わないが、相手の身体へ直接高倍率で作用させるのは禁止だ」
「分かりました」
これは当然だ。
重力魔法を全て禁止されているわけではない。
訓練として使える範囲なら試していい。
開始位置につく。
距離は十五メートルほど。
「始め!」
教師の声と同時に、カイルが右へ走った。
速い。
移動しながらすでに魔法を構築している。
火球。
一つではない。
三つ。
正面、右、上と、それぞれ違う軌道から飛んでくる。
なるほど。
先ほどリーナが苦戦した多方向攻撃と同じだ。
水で消す?
風で逸らしてもいい。
氷で防ぐこともできる。
だが、もっと簡単な方法がある。
私は三本の魔素を伸ばし、それぞれの火球へ干渉した。
炎を維持するのに必要な熱を奪う。
三つの火球が、私へ届く前にまとめて消えた。
カイルの目が僅かに開く。
「やっぱり普通じゃないな」
すぐに次の魔法。
今度は風だ。
圧縮された空気の塊が高速で迫ってくる。
炎のように冷やせば消えるものではない。
空気が高速で移動し、局所的な圧力差を作っている。
なら、その差を崩せばいい。
飛んでくる風の周囲へ魔素を伸ばし、空気の流れを僅かに乱す。
圧縮された塊は途中で形を失い、私のところへ来た頃には髪を揺らす程度の風になっていた。
訓練場がざわつく。
カイルが一度足を止めた。
「……何した?」
「空気の流れを崩しました」
「風魔法で?」
「学院の分類なら、多分そうなると思います」
「多分?」
私自身は、風属性を使った感覚はない。
やったのは、空気を動かしただけだ。
カイルは一瞬考えたあと、楽しそうに笑った。
「じゃあ、これは?」
両手を広げる。
左手に火。
右手に風。
二つの魔法を同時に構築している。
火炎へ風を加え、広範囲へ拡散させるつもりだ。
「炎嵐!」
放たれた炎が風を巻き込みながら扇状に広がった。
単純な火球より遥かに範囲が広い。
冷却する?
範囲が広すぎる。
風を止めれば?
炎そのものは残る。
一瞬、考えた。
それが遅かった。
実験なら時間をかけて考えられる。
戦闘は違う。
理解している間にも、現象は迫ってくる。
私は横へ大きく跳んだ。
炎がすぐ横を通過し、熱気が頬を撫でる。
防護結界は作動していない。
避け切った。
しかし。
「そこ!」
カイルの声。
着地点へ、すでに次の風魔法が飛んできていた。
「まずい」
咄嗟に空気を圧縮して受ける。
衝撃。
身体が後ろへ押され、二歩、三歩と下がった。
場外まであと一メートル。
そこで踏みとどまる。
……危なかった。
周囲から歓声が上がった。
カイルは嬉しそうだ。
「初めて焦った顔したな!」
「……しましたね」
認めよう。
……上手い。
一つ一つの魔法だけを見れば、対処は難しくない。
だが相手は、こちらがどう動くかを考えながら次の魔法を準備している。
知識だけでは足りない。
判断速度、経験、位置取り、相手を読む力。
研究とは違う技術が必要になる。
私は少し楽しくなってきた。
「カイル先輩」
「なんだ?」
「もう一回お願いします」
「言われなくても!」
再び火球。
今度は四つ。
私は一つずつ消さず、火球が通過する空間全体の温度を先に下げた。
個別処理より魔素は多く使うが、こっちが速い。
四つの火球がまとめて崩れる。
その直後、風。
先ほどと同じ攻撃だ。
今度は、カイルが発動する前から周囲の空気へ薄く魔素を広げている。
圧縮空気が形成された瞬間、進行方向にある圧力分布を乱す。
崩壊。
カイルの顔が変わった。
「もう対応したのかよ」
「一回見ましたから」
未知の魔法なら分析に時間が必要になる。
だが一度理解した現象なら、二度目はもっと速く対処できる。
次はこちらの番だ。
攻撃する必要はない。
この訓練では、相手を場外へ出せば勝ちになる。
私はカイルの足元を見る。
重力を横方向へ変えて引っ張る方法もある。
だが、今はもっと簡単な方を試したい。
彼が次の一歩を踏み出した瞬間、靴の下へ薄い水の膜を作った。
「うわっ!?」
滑る。
身体が傾く。
そこへ弱い風を当てた。
カイルの身体が横へ流れ、そのまま場外へ――出ない。
片手を地面につき、反対側へ風を噴かせて姿勢を戻した。
「危なっ!」
……すごいな。
咄嗟にそこまでできるのか。
やはり、実戦経験では向こうが上だ。
今度はカイルが私の周囲を大きく走り始めた。
火球。
風。
また火球。
威力を抑えた魔法を、途切れなく連続して放ってくる。
私は一つずつ処理する。
消す。
逸らす。
冷やす。
流れを崩す。
攻撃そのものは強くない。
だが数が多い。
そして途中で気付いた。
……追い込まれている。
カイルは無作為に撃っているのではない。
私が避ける方向を限定し、少しずつ訓練場の端へ誘導している。
「…なるほど」
思わず笑った。
強い魔法を撃つだけが戦闘ではない。
相手を動かし、選択肢を減らし、位置を利用する。
これは勉強になる。
なら、私も考え方を変える。
次の火球が飛んできた。
私は消さなかった。
僅かに軌道を変える。
火球は私の横を抜け、地面へ衝突した。
煙が上がる。
視界が遮られた。
「え?」
カイルの声。
私は煙の向こうへ移動する。
出た場所は、カイルの横。
距離は五メートル。
彼の背後には場外線。
正面から押せば、風魔法で抵抗するだろう。
ならば逃げる方向を残す。
左右と正面。
三方向から空気を流し、一方向だけ圧力を低くする。
後ろ。
カイルが反射的に一歩下がった。
さらに一歩。
三歩目。
足が線を越える。
「そこまで!」
教師の声。
静かになった。
カイルが自分の足元を見て、次に私を見る。
「……やられた、か」
「…危なかったです」
本当に。
あと少し気付くのが遅ければ、先に私が場外へ出されていた。
カイルは悔しそうに笑いながら手を差し出した。
「次は勝つ!」
私はその手を握る。
「次もお願いします」
訓練場を出ると、リーナが待っていた。
「アル」
「なに?」
「最後、ほとんど強い魔法使ってなかったね」
「うん」
「最初の火も消してたし、風も途中でなくなってた。なんか……アル相手だと、魔法を撃っても意味ないみたいだった」
私は少し考える。
確かに、外から見ればそう感じるかもしれない。
だが。
「意味はあったよ。途中、本当に負けそうだった」
「でも最後は勝った」
「一度見た魔法だったから対処できたんだよ。知らない魔法なら同じようにはいかない。それに、カイル先輩には位置取りで完全に上を取られてた」
特に炎嵐。
あれへの初動は遅かった。
本当の戦闘で、さらに高威力の魔法だったなら危険だったはずだ。
自分の弱点が一つ分かった。
私は魔法を見ると、まず理解しようとする。
普段なら長所だ。
だが戦闘では、その一瞬の思考が遅れになる。
研究者として正しい判断と、戦う者として正しい判断は必ずしも同じではない。
覚えておこう。
そのとき。
「アル・レイヴァン」
また教師に呼ばれた。
「はい?」
「次の相手が決まった」
「まだやるんですか!?」
「ああ。学院長からの指示だ」
やっぱり。
教師が対戦表を見る。
「五年生。魔法戦技科首席、セドリック・アーヴェル」
周囲が一気にざわついた。
どうやら、かなり有名な生徒らしい。
しばらくして、一人の青年が訓練場へ入ってくる。
十七歳ほど。
背が高く、短い金髪。
腰には杖ではなく、細身の剣を下げている。
「君がアルか」
「はい」
「話は聞いている」
……最近、本当にこればかりだ。
セドリックは腰の剣を抜いた。
刃には細かい魔法陣が刻まれている。
魔道具。
しかもかなり高度なものだ。
「剣も使うんですか?」
「魔法剣だ。安心しろ、刃そのものは結界が止める」
なるほど。
遠距離魔法だけではない。
これは面白い。
教師が中央へ立つ。
開始距離は二十メートル。
「始め!」
その瞬間。
セドリックの姿が消えた。
いや、消えたように見えただけだ。
速い。
風魔法を自分へまとわせ、身体そのものを前方へ加速している。
一瞬で距離が半分になった。
私は正面へ風を起こす。
だが、セドリックは接触する直前に横へ飛んだ。
速い。
発動を見てから対処していたのでは遅れる。
私は周囲へ魔素を広げる。
空気の流れ。
温度。
地面の振動。
そして相手が動かす魔素。
何を使うかを見てから判断するのではなく、変化そのものを先に捉える。
右。
踏み込み。
剣が振られた。
私は身体を後ろへ逸らす。
刃が目の前を通過した直後、その刀身から炎が噴き出した。
「っ!?」
これは予想していなかった。
防護結界が作動する前に、私は炎の温度を下げる。
火は消えた。
だが、剣はそのまま迫る。
二撃目。
三撃目。
速い。
この距離で剣術勝負をすれば負ける。
当然だ。
なら、剣術をさせなければいい。
セドリックが地面を蹴り、再び風魔法で加速する。
私は彼へ直接魔法を当てるのではなく、その周囲の空気へ干渉した。
背後から押していた追い風を崩し、正面には僅かに高い圧力を作る。
速度が落ちる。
「なに?」
その一瞬で距離を取った。
次は剣から炎。
冷却。
続いて雷。
地面側へ魔素を流し、放電しやすい経路を作って逸らす。
光。
……目眩ましか。
目を閉じる。
視界に頼らず、周囲の魔素変化を追う。
背後から、セドリックが回り込む。
……分かる。
振り向かず、足元の空気を横へ流した。
セドリックの姿勢が僅かに崩れる。
それでも倒れない。
「面白いな、君は!」
セドリックが笑った。
「普通は相手より強い魔法で防ぐ。君は魔法そのものを成立しにくくしている」
その言葉で、私自身も一つ気付いた。
確かに。
私は防御魔法をほとんど使っていない。
火が来れば、燃焼条件を崩す。
風が来れば、圧力差を壊す。
雷なら放電経路を変える。
相手より強い力を正面からぶつける必要はない。
現象が成立する条件を理解しているなら、その条件の一つだけを壊せばいい。
必要なのは力そのものではない。
理解だ。
セドリックが大きく距離を取った。
「なら、これならどうだ?」
剣を地面へ突き立てる。
複数の術式が組み上がっていく。
一つではない。
火。
風。
土。
三種類の術式が接続された複合魔法。
地面が隆起し、その隙間から炎が噴き出す。
さらに風が炎を巻き上げ、巨大な渦となって訓練場を覆った。
広い。
一つずつ処理している時間はない。
火を消しても、風と土が残る。
風だけを止めても、炎は残る。
地面を抑えても、すでに形成された二つの現象は消えない。
なら、全部を相手にしなければいい。
私は剣が突き立てられた地面を見る。
三つの術式。
別々の現象。
だが、それらを維持する魔素は、途中の一か所で分配されている。
……そこ。
私は極細の魔素を伸ばした。
壊すのではない。
流れを僅かに乱す。
巨大な炎の渦が揺れた。
風が崩れる。
隆起した地面の動きが止まり、炎が小さくなる。
そして、数秒後。
全て消えた。
訓練場が静まり返った。
セドリックも動かない。
「……今、何をした?」
「魔素の流れを一か所だけ乱しました」
「それだけか?」
「はい」
セドリックは剣が突き立ててある地面を見る。
しばらく黙ったあと。
剣を抜き、鞘へ戻した。
「降参だ」
「え?」
「今の術式は、俺が使える中で最も完成度が高い。正面から防がれたなら、まだ威力を上げる方法を考えた。でも一か所触られただけで全体を止められるなら、今の俺では続きをやっても同じだ」
教師が確認する。
「セドリック・アーヴェル。降参でいいのか?」
「ああ」
「勝者、アル・レイヴァン!」
声が響いた瞬間、訓練場が一気にざわついた。
私は少し困った。
……勝った。
確かに勝った。
だが、圧倒した感覚はない。
カイルには戦闘経験と位置取りで追い込まれた。
セドリックの接近にも何度か反応が遅れたし、初めて見る攻撃には判断が遅れることもあった。
結果だけを見れば、三年生上位、五年生首席。
二人に勝ったことになる。
だが、だからといって自分が学院で一番強いとは思えなかった。
訓練場の端で見ていたグレアムが、こちらへ歩いてくる。
「アル」
「はい」
「今日の訓練で何を学んだ?」
少し考える。
自分は強い?
……いや、それは違う。
「…知らない魔法は怖いです」
グレアムが僅かに目を細める。
「ほう」
「一度見て仕組みが分かれば対処方法を考えられます。でも、初めて見る魔法をその場で必ず理解できるわけじゃない。それにカイル先輩には位置取りで負けかけましたし、セドリック先輩の接近にも何度か反応が遅れました」
「では、自分はまだ弱いと?」
「強いか弱いかは分かりません。ただ、知らないことが多いのは分かりました」
グレアムはしばらく私を見ていた。
やがて小さく笑う。
「ふむ……それでいい」
「何がです?」
グレアムは答えず、そのまま歩いていった。
その日の夜。
私は寮で研究ノートを開いた。
今日の戦闘で行ったことを、一つずつ整理する。
燃焼状態の崩壊。
圧力差への干渉。
放電経路の変更。
術式内部の魔素流路への干渉。
どれも相手より大きな魔力を正面からぶつけたわけではない。
むしろ必要な魔素量だけを見れば、相手が使った攻撃魔法より少ないものがほとんどだった。
そして、それはリーナと研究してきた魔法効率化と同じ考え方でもある。
大量の魔素を使う必要がないなら、使わなければいい。
大きな魔法を正面から止める必要がないなら、成立条件だけ崩せばいい。
私はノートへ一つの文章を書いた。
『魔法の強さは出力だけでは決まらない。現象と術式を理解すれば、小さな干渉で大きな魔法を制御、あるいは無力化できる』
それは戦闘だけの話ではない。
魔法陣も。
魔道具も。
重力魔法も。
全部同じだった。
世界で起きていることを理解すれば、必要な部分だけへ魔素を使える。
そこで私は、以前から何度も考えていた仮説へ戻った。
火、水、風、土、光、闇。
今日、私は火を消した。
だが、水属性で打ち消したわけではない。
熱を奪っただけだ。
風魔法も消した。
しかし、反対方向の風属性魔法をぶつけたわけではなく、空気の圧力差を崩した。
雷も同じ。
魔法の属性を打ち消したのではない、放電という現象が起きる経路を変えただけ。
そして重力魔法。
これは、六属性のどこにも入らない。
私は新しいページを開いた。
しばらく白い紙を見つめてから。
題名を書く。
『属性魔法不存在論』
ペンを止める。
少し強い名前かもしれない。
だが、書きたいことは明確だった。
火、水、風、土、光、闇。
それらは魔素が持つ六種類の性質ではない。
人間が観測した魔法現象へ付けた分類名にすぎない。
魔素は一つ。
その一つの魔素が、熱、物質、運動、光、電気、そして重力のような、世界に存在する様々な現象へ干渉している。
もちろんまだ仮説だ。
だが、古代文献には近い考え方が残されていた。
私の実験結果も、その方向を支持している。
だが私はまだ、魔素そのものが何なのかを知らない。
意識がなぜ魔素へ作用するのかも、現象へ変換される仕組みも、何も解明できていない。
だからこそ、論文にする意味がある。
自分一人で正しいと思っているだけでは研究にならない。
他の研究者へ見せる、反論してもらう、実験してもらう。
間違いがあるなら壊してもらう。
それでも残ったものだけが理論になる。
私は最初の一行を書き始めた。
その数日後。
学院では妙な噂が広がっていた。
『一年生に、上級生の魔法が全く通じなかった』
『五年生の戦技科首席が降参した』
『アル・レイヴァンへ魔法を撃つと、全部消される』
さらに数日すると。
『あいつの近くでは魔法そのものが使えなくなる』
という、私にも意味の分からない話にまで変わっていた。
当然、そんな能力はない。
「学院最強だって」
昼休み。
リーナが笑いながら言った。
「誰が?」
「アル」
「違うでしょ」
「でも五年生の首席に勝ったんだよ?」
「一回の訓練でしょ。先生たちとも戦ってないし、グレアム学院長がどれくらい強いのかも知らない。この国には騎士団も宮廷魔法使いもいるんだから、学院最強なんて分からないよ」
「そういう意味じゃなくて、みんながそう呼んでるって話」
「迷惑だな」
「ちょっとくらい喜べばいいのに」
「順位と同じで、あんまり興味ない」
リーナが呆れた顔をする。
だが、学院で一番強いと呼ばれることより、私には気になることがある。
机の鞄。
その中には、書き始めたばかりの論文が入っている。
『属性魔法不存在論』
これまで、私は既存の魔法理論を疑ってきた。
だがそろそろ次へ進もうと思う。
この論文が完成すれば、次に向き合う相手は、一人の生徒ではない。一人の教師でもない。
この世界で何百年もの間、当然のものとして信じられてきた六属性魔法理論そのもの。
私はリーナの話を聞きながら、少しだけ笑った。
学院最強。
そんな呼び名より、こちらの方がずっと面白そうだった。




