第16話 首席
リーナとの実験から数日後。
王立魔法学院では、入学後最初の総合評価が発表されることになった。
筆記試験、魔素操作、魔法実技、それに入学後の授業で行われた基礎評価を合わせ、生徒たちの現在の順位を決めるらしい。
朝から教室が妙に騒がしかった。
「絶対セリウスだろ」
「いや、実技だけならガルドの方が上じゃない?」
「筆記まで入るなら分からないよ」
周囲ではそんな話ばかりが聞こえてくる。
私は席に座りながら、昨日リーナと取った実験結果をノートへ書き写していた。
上級火炎魔法を発動した際の消費魔素量。
術式内で発生した損失。
魔法陣を簡略化した場合の変化。
まだ試行回数は足りないが、少なくとも保有魔素量が少ないから高位魔法を使えない、という単純な説明では不十分だということはかなり確実になってきた。
「アル」
隣からリーナが覗き込んでくる。
「なに?」
「今日、順位出るよ」
「らしいね」
「気にならないの?」
「何が?」
「順位」
私は少し考えた。
「別に」
「……別に?」
リーナが目を丸くした。
「だって、みんな朝からその話してるよ」
「順位が高いと何かあるの?」
「え?」
「図書館で借りられる本が増えるとか、研究室が広くなるとか」
「そういうのじゃないと思うけど……」
それなら、あまり興味はない。
自分の実力を知るための指標としては使えるだろうが、一位だから魔法の原理が一つ余計に分かるわけでもない。
試験で勝つことと、研究で正しい答えを見つけることは別だ。
「アルらしいね」
リーナが小さく笑った。
そのとき、教室の扉が開いた。
担任教師が入ってくる。
手には大きな紙の束を持っていた。
ざわついていた教室が一気に静かになる。
「全員座れ、今日の最初は授業ではない」
教師は教壇へ立つと、壁際にある掲示板へ一枚の紙を貼った。
「先日行われた総合評価の結果だ。上位十名のみ掲示している」
その瞬間、生徒たちが一斉に立ち上がった。
私だけ座っていた。
「アル、見に行かないの?」
「後でいいよ」
「でも順位だよ?」
「ノートの方が途中だから」
「……」
リーナは少し呆れた顔をしたあと、結局自分も席に残った。
掲示板の周囲ではすぐに声が上がる。
「嘘だろ……」
「一位……?」
「やっぱりあいつか」
「筆記、採点保留だったんじゃなかったのか?」
聞こえてきた言葉に、私はようやく顔を上げた。
筆記。
採点保留。
…心当たりがあるな。
嫌な予感というほどではないが、気になって立ち上がる。
掲示板へ近づくと、周囲の生徒たちが自然に道を空けた。
そこには十人の名前が並んでいた。
一位。
アル・レイヴァン。
私はしばらく、その文字を見る。
「……一位だね」
隣に来たリーナが言った。
「うん」
「もっと喜ばないの?」
「予想してなかったから」
正確には、順位そのものを予想していなかった。
入学試験の筆記は採点保留。
魔素操作は測定基準外。
実技は測定不能。
あれでどうやって順位をつけたのだろう。
むしろそちらが気になる。
「先生」
私は教壇の教師を見る。
「なんだ?」
「これ、どうやって採点したんですか?」
教室が少し静かになった。
教師は嫌そうな顔をした。
「はぁ、そこから聞くのか?」
「筆記は採点保留だったし、魔素操作は基準外、実技も測定不能でしたよね」
「ああ、覚えている」
「なら点数出せなくないですか?」
教師はため息をつき、机の上の資料を一枚めくった。
「お前の筆記試験は、学院長と各科の主任教師が再採点した」
「再採点?」
「ああ。模範解答と異なる十四問について、単純な誤答として扱うのは不適切だという結論になった」
なるほど。
「じゃあ正解になったんですか?」
「全部ではない。既存理論に基づく試験だからな。ただし、論理性、実験結果との整合性、独自性を含めて特別評価がついた」
「特別評価……」
また妙なものが増えた。
「魔素操作は十個すべてを独立制御。規定上は満点だ」
「六個以上は評価対象外じゃなかったですか?」
「だから満点止まりだ。これ以上は点を増やしていない」
なるほど、少し残念だ。
百個ならどう評価するのか気になっていた。
「実技については、学院の防御壁と外壁を破壊した点をどう扱うか最後まで揉めた」
教室から小さな笑い声が出る。
私としては笑い事ではない。
「減点された?」
「施設破損については別だ。試験評価としては威力、制御、発動速度ともに最高評価になった」
「制御も?」
思わず聞き返した。
「外壁まで抜いたのに?」
「標的、防御壁、外壁の穴がほぼ一直線だった。周囲への拡散も極めて少なかったそうだ」
なるほど。
威力を見誤っただけで、方向制御そのものは成功していたと判断されたか。
「加えて、入学後の授業評価。それらを総合して首席だ」
首席。
つまり、一位ということらしい。
周囲を見ると、こちらを見ている生徒が多い。
尊敬。
驚き。
警戒。
そして、あまり好意的ではない視線もいくつか混じっている。
まあ当然か。
突然入学してきた人間が、壁を壊して、数日後には一位。
面白くない者もいるだろう。
だが、それより。
「先生」
「まだ何かあるのか?」
「首席だと何か特典あります?」
教室中の視線が私へ集まった。
教師が少し黙る。
「特典?」
「例えば図書館の閲覧範囲が広がるとか」
「お前は本当にそれしか考えていないのか」
「二万冊あるので」
誰かが吹き出した。
リーナも横で笑っている。
教師は額を押さえながら答えた。
「通常の図書館利用については順位で差はない。ただし、首席や上位成績者は教師の推薦を受けやすい。研究課程への参加や、一部の特別資料を閲覧する際には有利になることもある」
「特別資料?」
そこだけは聞き逃せない。
教師がしまったという顔をした。
「……食いつくと思った」
「どんな資料ですか?」
「今のお前に関係あるのは、せいぜい上級資料庫までだ」
「上級?」
「一般の生徒が自由に閲覧できない研究記録や、危険性の高い術式、廃止された古い魔法理論などが保管されている」
私は完全に興味を持った。
廃止された魔法理論。
それは非常に価値がある。
現代の理論が正しいとしても、そこへ至るまでに捨てられた仮説を見ることで、何を根拠に現在の体系が作られたのか分かる。
逆に、十分な検証もされず歴史の中で消えた理論がある可能性もある。
「見られますか?」
「だから、今はまだ――」
教師が言い切る前に、教室の後ろから別の声がした。
「上級資料庫なら許可しよう」
全員が振り返る。
そこに立っていたのは。
グレアムだった。
「学院長?」
教師が驚いて立ち上がる。
「どうしてこちらに?」
「少し様子を見に来ただけだ」
グレアムは教室へ入り、掲示されている順位表を見る。
「首席か。まあ、そうなるだろうな」
「知ってたんですか?」
「最終承認をしたのは私だ」
そういえば学院長だった。
「アル。首席になった感想は?」
「特にないです」
教室がざわつく。
グレアムは笑った。
「だと思ったわい…」
「それより、さっきの上級資料庫って」
「そちらの方が気になるか?」
「かなり」
「なら、放課後に図書館へ行きなさい。私から話を通しておく」
「ありがとうございます」
これは嬉しい。
一位になったことより、遥かに嬉しい。
すると教師が慌てた。
「学院長、よろしいのですか? 上級資料庫には学生向けではない文献もあります」
「彼に普通の学生と同じ範囲だけ読ませて、何か意味があるか?」
「それは……」
教師は言葉に詰まった。
グレアムはこちらを見る。
「ただし、持ち出しは禁止だ。閲覧は図書館内だけ。術式を見つけても、その場で勝手に発動するな」
「分かりました」
「妙に素直だな」
「読むだけなら危なくないので」
「その言葉は一応信じよう」
一応。
少し失礼だ。
グレアムはそのまま教室を出ていった。
教師がしばらく扉を見つめたあと、こちらへ振り返る。
「お前、本当に入学して数日だよな?」
「はい」
「……そうか」
また疲れた顔をしていた。
授業が始まってからも、周囲の視線は少し増えていた。
首席。
どうやら、この学院では思っていた以上に意味のある立場らしい。
昼休みになると、知らない生徒に声をかけられた。
「アル・レイヴァン」
振り返ると、背の高い少年が立っている。
制服の胸元には、貴族らしい家紋入りの留め具があった。
「何?」
「俺はセリウス・ヴァルハルト。今回二位だった」
「そうなんだ」
「……それだけか?」
「他に何か?」
セリウスの眉が僅かに動く。
周囲にいた生徒たちが、こちらの会話を気にしている。
「俺は入学前から王都の教師について魔法を学び、去年の学院予備試験でも最高評価だった」
「すごいね」
「……」
本当にすごいと思っている。
十二歳前後でそこまで評価されているなら、十分優秀だろう。
なのに。
なぜか不満そうだ。
「俺は悔しい!」
「何が?」
「順位だ!」
「二位だけど?」
「だからだ!」
少し声が大きくなった。
「俺は二位だった。それが悔しい、次は必ず追い抜く、普通はそう思うものだろう?」
なるほど。
競争か。
前世にもいた。
論文数。
引用数。
研究費。
大学の順位。
賞。
研究者同士でも競争はある。
それが悪いとは思わない。
競争によって進歩することもある。
ただ。
「私は別に、誰かに勝つために魔法を研究してるわけじゃないから」
セリウスが黙った。
「もちろん試験なら勝つよ。でも、順位を上げるために研究するつもりはない」
「なんだと? では、何のためだ?」
聞かれて少し考える。
だが、答えは昔から変わっていない。
「知りたいから」
「……それだけ?」
「うん」
魔素とは何か。
魔法とは何か。
なぜ人の意識へ反応するのか。
どうして炎が生まれ、物質を動かし、光や熱に干渉できるのか。
その答えを知りたい。
それだけだ。
セリウスはしばらく私を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……お前、変なやつだな」
「最近よく言われる」
横にいたリーナが笑った。
セリウスは少しだけ口元を緩める。
「まあいい、次の評価では俺が一位になる、覚悟しとけよ!」
「ああ、頑張って」
「その言い方、腹立つな……」
なぜだ…応援しただけなのに。
彼はそのまま去っていった。
リーナが隣で肩を震わせている。
「アル、絶対分かってないでしょ」
「何が?」
「いいや」
リーナまで教えてくれなかった。
そして放課後。
私は約束通り、学院の図書館へ向かった。
正門から見たときにも大きいと思っていたが、中へ入ると想像以上だった。
高い天井まで本棚が続き、通路が何列も奥へ伸びている。
古い紙。
革。
インク。
そして微かな魔素の匂い。
私は入り口で立ち止まった。
「……すごい」
王都へ来てから何度目か分からない言葉が出た。
「アル?」
隣から声がする。
リーナだった。
「来たの?」
「ちょっと気になって」
どうやらついてきたらしい。
私は本棚を見る。
魔法理論。
属性魔法。
魔法陣。
魔道具。
魔獣。
治癒。
結界。
歴史。
研究記録。
どこから見ればいい?
全部読みたい。
「……住めるかな」
「駄目だと思うよ」
「聞いてみないとわからないでしょ」
「聞かなくても分かるよ…」
受付へ行くと、年配の司書がこちらを見る。
「アル・レイヴァン君だね」
「はい」
「学院長から聞いている。上級資料庫の閲覧を許可する」
机の下から、一枚の金属板が取り出された。
小さな魔法陣が刻まれている。
「これを持って奥へ行きなさい。扉の術式が反応する。ただし、資料庫内の本は持ち出せない」
「分かりました」
「それと、さらに奥の扉には近づかないように」
私の手が止まる。
「さらに奥?」
司書が一瞬、嫌そうな顔をした。
「……聞こえなかったことにしてくれ」
無理だ。
完全に聞こえた。
「何があるんですか?」
「アル」
リーナが横から袖を引く。
「顔」
「また?」
「すごい興味持ってる顔してる」
司書がため息をついた。
「上級資料庫のさらに奥には、許可された研究者と一部の教師しか入れない区画がある」
「何が置いてあるんですか?」
「禁書だ」
その言葉に。
私は黙った。
禁書。
「危険な魔法?」
「それもある。現代では使用を禁じられた術式、再現不能とされた古代魔法、出所の分からない文献、現在の魔法理論と大きく矛盾する資料も保管されている」
現在の魔法理論と矛盾する。
最後の言葉だけが、妙に耳へ残った。
「見られますか?」
「見られない」
即答された。
「首席でも?」
「関係ない」
「学院長の許可なら?」
「正式な閲覧許可が必要だ」
なるほど。
許可があれば見られる。
私は覚えた。
リーナが横でため息をつく。
「アル」
「なに?」
「絶対、見ようとしてるでしょ」
「見られるなら」
「やっぱり」
私はまだ、その禁書に何が書かれているのか知らない。
だが。
現在の魔法理論と矛盾する文献。
それだけで、十分すぎるほど興味がある。
六属性。
魔素。
古代魔法。
もしかすると、私が八年間探していた答えの一部がその奥にあるかもしれない。
私は上級資料庫へ続く扉を見た。
さらにその奥。
今はまだ入ることのできない場所を、このときの私はまだ知らなかった。
そこに保管されている一冊の古い魔法書が。
千年以上前。
六属性という考え方が今ほど確立するより以前に書かれたものであり。
そして。
そこに記されていた内容が、私の考えていた魔法の本質へ驚くほど近づいていたことを。




