第13話 学院長グレアム
王立魔法学院。
学院長室。
私は、大きな扉の前に立っていた。
ここまで案内してくれた教師が、扉を二度叩く。
「学院長。アル・レイヴァンを連れてきました」
「入れ」
中から声が返ってきた。
扉が開く。
最初に目へ入ったのは、本だった。
壁一面を埋め尽くす巨大な本棚。
魔法書、歴史書、魔道具に関する資料。
見たことのない文字で書かれた古い本まで並んでいる。
奥には大きな机、窓際には複雑な魔法陣が刻まれた器具。
部屋の隅には、内部で青白い光が揺れている透明な容器まで置かれていた。
「……」
気になる。
非常に気になる。
「あれは何ですか?」
思わず指差した。
案内してきた教師が頭を抱えた。
「お前はまず挨拶をしろ」
「あ」
そうだった。
視線を正面へ戻す。
机の向こうに、先ほどの老人が座っていた。
白い髪、深く刻まれた皺、年齢は七十前後だろうか。
細身で、一見すればどこにでもいる老人に見える。
だが、魔素の扱いが違う。
身体から僅かに漏れる魔素すら、ほとんど乱れていない。
普通の人間は意識していなくても、多少は魔素が揺らぐ。
感情、呼吸、身体の動き。
それに合わせて微妙な変化が起きる。
しかし、この老人の魔素は静かだった。完全に制御されている。
「アル・レイヴァンです」
私が頭を下げると、老人が口元を僅かに緩めた。
「グレアム・アルヴェイン。この学院の学院長をしている」
…やはりこの人が。
「座りなさい」
勧められた椅子へ座る。
教師は一礼して部屋を出ていった。
これで、二人きり。
グレアムは机の上に置かれていた紙を手に取った。
私の答案だ。
しかも一枚ではない。
追加した分まで全部ある。
「さて」
グレアムが眼鏡をかける。
「何から聞くべきか、少々迷っていての」
「試験ですか?」
「全部だ」
どこかで聞いた言葉だ。
八年前。
父さんにも同じことを言われた気がする。
グレアムは答案をめくる。
「まず筆記試験。三十五問中、学院の模範解答と一致したものは二十一問」
「少ないですね」
「普通なら不合格じゃ」
やはり。
「だが、残り十四問が問題での」
グレアムが一枚の答案をこちらへ向ける。
雷魔法について書いた部分だった。
「君はここで、雷を風属性の上位現象と断定する根拠が不足していると書いた」
「はい」
「そして、雷は電位差による放電現象だと説明している」
「少なくとも、私が発生させているものはそうです」
「電位差とは?」
そこから?
私は少し考える。
どの程度から説明すればいいのだろう。
「物質の間に生じる電気的な状態の差……と言えばいいでしょうか。その差が大きくなると、条件によっては空気を通して電荷が移動します。そのときに光や熱が発生して――」
「待ちなさい」
グレアムが手を上げた。
「すでに分からない言葉が三つ出た」
「どこからですか?」
「電気的な状態からだ」
…かなり前だった。
「……最初から説明します?」
「いや」
グレアムが笑った。
「今はいい。おそらく一時間では終わらない」
それは確かに。
彼は次の答案を出した。
「では、こちら。属性適性についてだ」
『属性適性とは使用可能属性を決定する絶対的な制限ではなく、特定の魔素操作に対する習得難度の差である可能性がある』
私が書いた文章。
「これを説明してくれ」
「そのままです」
「そのまま?」
「火属性適性を持つ人間だけが、本当に火魔法を使えるのか。それを疑っています」
グレアムの表情が変わった。
「適性のない属性は使えない。それが現在の魔法理論だ」
「本当に使えないんですか?」
「何?」
「使えないことが確認されているのか、それとも、ほとんどの人が使えなかったからそう考えられているのか。その二つは違います」
グレアムが黙った。
私は続ける。
「例えば、火属性適性を持つ人が炎を作りやすい。それ自体は事実なのかもしれません。でも、それは火という特殊な魔素を持っているからではなく、温度を上げるための魔素操作を無意識に行いやすいだけかもしれない」
「……」
「逆に水属性適性の人は、物質や水分へ干渉する操作が得意なのかもしれない。風なら気体。土なら固体。もちろん、今のところ仮説ですけど」
グレアムが椅子へ深く腰掛けた。
「君は六属性そのものを否定しているのか?」
「いいえ」
私は首を振る。
「分類としては便利だと思っています」
「便利?」
「魔法を教えるには、とても分かりやすいです。炎なら火、水なら水。現象を大まかに分類する方法としては優秀だと思います」
ただし。
「それが自然界そのものの根本法則なのかは、別の問題です」
グレアムは、しばらく何も言わなかった。
怒らせた?
…いやそうは見えない。
むしろ、楽しそうだった。
「面白いな」
ぽつりとそう言った。
「学院へ来て六属性理論を否定する者は何人か見たことがある」
「いるんですね」
「大抵は、自分だけが特別だと思いたい若者だ。既存理論を批判するだけで、その代わりとなる説明も証拠もない」
グレアムは私の答案を指で叩いた。
「だが君は違う」
「……?」
「否定するために疑っているのではない。確かめるために疑っている」
その言葉に、私は少しだけ驚いた。
「そうです」
まさにそれだ。
私には、六属性理論を壊したい理由などない。
正しいならそれでいい。
むしろ、八年間の研究を全部捨ててでも、正しい理論があるなら学びたい。
「私は、正しい答えが知りたいだけです」
「自分の仮説が間違っていても?」
「もちろん」
即答した。
「間違っているなら、早く分かった方がいいです。その方が次へ進めるので」
グレアムの目が僅かに細くなる。
「……十二歳の言葉とは思えんな」
「よく言われます」
正確には。
精神年齢まで十二歳というわけではない。
グレアムは答案を机へ戻した。
「では一つ聞こう。君は魔法を何だと思っている?」
難しい質問だ。
私は少し考えた。
八年間、何度も考えたこと。
「分かりません」
グレアムが目を丸くした。
「分からない?」
「はい」
「これだけ使えて?」
「使えるのと理解しているのは別です」
昨日も言った。
炎を作れる、雷も作れる、物体を動かせる、魔法陣も改良できる。
だが、私はまだ。
魔素そのものを説明できない。
「現時点では、魔素を介して物理現象へ干渉している、としか言えません。ただ、その魔素が何なのか、なぜ人間の意識に反応するのか、どうやって現象へ作用しているのかは分かっていない」
「だから学院へ来た?」
「はい」
「自分で八年研究しても分からなかったからか?」
「それもあります」
私は部屋の本棚を見る。
「ここには、私一人では集められなかった何百年分もの研究があります。それを全部知りたい」
グレアムが笑った。
「全部?」
「できれば」
「学院の図書館には、魔法関係だけでも二万冊以上あるぞ」
「……二万?」
思わず身体が前へ出た。
「全部読めますか?」
「今そこに食いつくのか」
二万冊……素晴らしい。
一年で千冊。
いや、研究しながらならもう少し時間が必要か。
だが、十分可能だ。
「入学したいです」
「急に話を戻したな」
「二万冊あるので」
グレアムが声を出して笑った。
そのとき、扉が叩かれた。
「学院長。お呼びでしょうか」
「入れ」
三人の教師が入ってくる。
そのうち一人は。
試験会場にいた教師だった。
もう一人は女性。
最後の一人は、何か大きな箱を抱えている。
「準備できました」
「ご苦労」
箱が机へ置かれる。
中から出てきたのは、金属製の器具、透明な球、魔法陣が描かれた板。
「これは?」
私が尋ねる。
女性教師が答えた。
「魔素消費量を測定する装置です」
「そんなものがあるんですか?」
思わず立ち上がった。
「見てもいいですか?」
「今から使う」
グレアムが笑う。
「君にな」
「私?」
「ああ」
彼は一枚の紙を取り出した。
そこに描かれているのは火炎魔法陣。
見覚えがある。
というより。
「これ、私が持ってきたノートの……」
「勝手に見たことは謝ろう」
「別にいいです」
むしろ、感想が聞きたい。
それは、私が既存の火炎魔法陣を改良して作った術式だった。通常の三分の一ほどまで魔素消費を減らしたもの。
グレアムが教師を見る。
「まず標準式から」
「はい」
教師が一般的な火炎魔法陣を測定器へ設置する。
透明な球へ魔素を流すと、数字らしきものが刻まれた盤面の針が動いた。
魔法陣中央に拳ほどの炎が浮かぶ。
「標準術式。消費魔素量を一〇〇とする」
なるほど、相対値か。
「次。アル君の術式を」
私の魔法陣へ交換される。
同じ教師が。
同じ量の炎を出すよう調整しながら魔素を流した。
ボッ。
炎が灯る。
大きさ、温度、ほぼ同じ。
測定器の針が止まる。
女性教師が数字を読む。
「……三十一・八」
部屋が静かになった。
私は。
数字を見る。
「三十一・八……」
予想より少し低い。
自分で測ったときは、およそ三分の一。
つまり三十三前後だった。
測定方法の精度を考えれば十分誤差範囲だろう。
「やっぱり、それくらいか」
私が呟く。
教師たちが。
一斉にこちらを見る。
「それくらい?」
女性教師が聞き返す。
「はい。私の測定でも大体三分の一だったので」
「……君は」
教師が魔法陣を見る。
「これが何を意味するか分かっているのか?」
「魔素消費を六十八・二パーセント減らせた?」
「そういう意味ではない!」
……怒られた。
では何だろう。
教師が紙を持つ手に力を込める。
「この火炎術式は、王国中で使われている標準式だ。学院でも、騎士団でも、魔導具工房でも使われている」
「はい」
「それを十二歳の子供が、出力を落とさず、消費魔素を三分の一以下にしたんだぞ」
「あ」
なるほど、普及率の話か。
私としては、研究対象の一つでしかなかった。
無駄な経路を消した、重複する処理を統合した。ただそれだけだ。
だが、これが広く使われている術式なら影響範囲が違う。
「……魔道具にも使えますね」
私が呟く。
教師たちが黙る。
「同じ魔石で三倍近く動く?」
「アル」
グレアムが言った。
「今気付いたのか?」
「はい」
そこまで考えていなかった。
面白い。
なら照明、暖房、魔導車、街道の魔除け装置、王都の様々な魔道具。
既存術式を効率化できれば、必要な魔素量を大幅に減らせる。
さらに、出力側を同じ魔素量へ合わせれば、従来より遥かに大きな現象を起こせる。
「……これ、他の術式も全部調べたいです」
三人の教師の顔が引きつった。
グレアムだけは。
楽しそうだった。
「やはりそうなるか」
「駄目ですか?」
「いや」
グレアムは私の魔法陣を持ち上げる。
「むしろ、やってもらいたい」
教師たちが振り返った。
「学院長!?」
「これを見て、止める理由があるか?」
「ですが――」
「我々が何十年も使い続けてきた術式を、この子は八年間の独学でここまで改良した」
グレアムが私を見る。
「なら、学院に入れた方が面白い」
面白い…
その一言、私はかなり好きだった。
「つまり?」
「アル・レイヴァン」
グレアムが立ち上がる。
「君の王立魔法学院への特別入学を認める」
一瞬、意味を理解するまで時間がかかった。
「……合格?」
「ああ」
「図書館も使える?」
「最初に聞くのがそれかい」
「…二万冊」
「覚えていたか……」
もちろん。
「ただし」
グレアムが続ける。
来た…なんか条件か?
私は姿勢を正す。
「君には、学院内で研究する上での条件を守ってもらう」
「研究禁止ですか?」
「逆だ」
意外な答えだった。
「好きに研究しなさい」
「……いいんですか?」
「ああ」
グレアムが笑う。
「君に研究するなと言ったところで無意味だろう。それなら学院側で、必要な場所と設備を用意した方がいい」
素晴らしい。
話が分かる。
「ただし、学院の施設を勝手に壊されるのは困る」
「今日は事故です」
「一割だったそうだな」
「……はい」
「その一割で外壁を壊した人間の『事故』を、私は信用しないことにした」
ひどい。
グレアムは指を折りながら続ける。
「高出力の実験。結果が予測できない新術式。魔道具の分解。建物そのものへの改造。そして学院結界への干渉」
最後。
「王都の防護結界もだ」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある」
また言われた。
「それらを行う場合は、事前に研究室か訓練施設を確保しなさい。必要なら私の名で許可を出す」
私は少し考える。
つまり、禁止ではない。場所さえ確保すれば。
「結界も?」
「内容次第だ」
「魔導車の分解は?」
「所有者の許可を取れ」
「学院の魔道具は?」
「担当教師と相談しろ」
「実験場は?」
「貸す」
「大規模魔法は?」
「学院外の専用訓練場がある」
「……」
素晴らしい。
私は頷いた。
「分かりました」
「随分素直だな」
「研究できるので」
グレアムがまた笑った。
どうやら、学院生活は思っていた以上に楽しくなりそうだ。
学院長室を出た頃には、すでに夕方になっていた。
正門の外では、父さんとユリーカが待っていた。
私を見つけるとユリーカが走ってくる。
「アル!」
「ただいま」
「どうだった!?」
「受かった」
「ほんと!?」
「うん」
ユリーカが一瞬固まり。
次の瞬間。
「やったぁぁぁ!!」
飛びついてきた。
危うく倒れそうになる。
「ちょっと!」
「よかったぁ!」
「苦しい!」
父さんも。
少し遅れて歩いてくる。
笑っていた。
「そうか」
「うん」
「よくやったな」
父さんの大きな手が私の頭に乗る。
十二歳になって、まだ子供扱いされるのは少し変な感じがする。
だが、嫌ではなかった。
「それで?」
父さんが聞いた。
「何?」
「今日は何を壊した?」
「……」
…なぜ最初から壊した前提なのだろう。
「アル?」
ユリーカまでこちらを見る。
「標的」
「うん」
「防御壁」
父さんの眉が動く。
「あと外壁」
沈黙。
「……外壁?」
「少し」
「少しって何だ」
「穴が開いただけ」
「壁に穴を開けるのを少しとは言わん!」
怒られた。
「一割しか出してないよ」
「それが一番怖いんだよ!」
ユリーカが横で笑っている。
「だから言ったじゃん!」
「一割なら大丈夫だと思ったんだよ」
「大丈夫じゃなかったでしょ!」
「結果的には」
「結果的にも駄目!」
父さんが大きくため息をついた。
それでも、口元は笑っていた。
「まあいい」
「いいの?」
「受かったんだろ」
「うん」
「なら今日は祝おう」
ユリーカの顔が明るくなる。
「ごちそう!?」
「王都まで来たんだ。少しくらいな」
「やった!」
ユリーカが走り出す。
「アル! 早く!」
「待って」
私は二人の後ろを歩きながら学院を振り返った。
巨大な校舎、研究棟、図書館、訓練場。
その奥にあるまだ知らない魔法。
私はここで学ぶ。
いや。
学ぶだけではない。
試す、確かめる、作る。
今まで誰も説明できなかったものを一つずつ理解していく。
魔素、属性、魔法陣、魔道具、魔法そのもの。
前世で私は世界の法則を研究した。
今度は魔法の法則を研究する。
胸の奥がまた熱くなった。
楽しみだった。
本当に、心の底から。
ただ、その頃の私はまだ知らなかった。
学院にはもう一人、私とは全く違う意味で常識から外れた人間がいることを。
保有する魔素量は学院でも最低水準、大きな魔法は使えない、派手な攻撃もできない。
だから多くの人間から才能がないと思われていた。
だが、その少女の魔素操作精度は私がこれまで見た誰よりも異常だった。
そして、彼女との出会いが私の持っていたある一つの思い込みを、根本から覆すことになる。




