第12話 特別入学試験
翌朝。
私は王立魔法学院の正門前に立っていた。
昨日は門の外から眺めただけだったが、改めて見ると本当に広い。
石造りの巨大な校舎がいくつも並び、その奥には訓練場らしき広場や、何に使うのか分からない高い塔まで建っている。
敷地全体を薄い魔素の流れが覆い、建物の壁や地面にも小さな術式が至るところに組み込まれていた。
「……入り口だけで一日調べられそうだな」
思わず呟く。
「試験が先だからね」
隣にいたユリーカが即座に釘を刺した。
「分かってるよ」
「本当に?」
「今日はちゃんと受験する」
「今日は、って言い方が怖いんだけど」
父さんが笑いながら私の肩を叩く。
「まあ、行ってこい」
「うん」
「昨日言ったこと、忘れるなよ」
「試験場を壊さない」
「そうだ」
ユリーカも横から顔を出す。
「一割も駄目だからね」
「まだ言ってるの?」
「言うよ!」
私は苦笑しながら正門へ向かった。
父さんとユリーカは試験会場には入れないため、ここから先は一人だ。
受付で招待状を渡す。
担当者が名前を確認し、私の顔を見た。
そしてもう一度書類を見る。
「アル・レイヴァン……十二歳」
「はい」
「魔素量、測定不能。六属性すべてに反応……」
受付の女性の視線が、ゆっくり私へ戻ってくる。
「測定水晶破損?」
「壊れました」
「……あなたが?」
「普通に測定しただけです」
少し間が空いた。
「……第七試験室へどうぞ」
「ありがとうございます」
どうやら、王都まで話はしっかり届いているらしい。
今回の特別入学試験に招かれた受験者は、私を含めて十二人だった。
通常の入学試験とは違う。
地方で突出した才能を示した者。
有力な貴族や研究機関から推薦された者。
規定年齢より早く高度な魔法を習得した者。
そういったいわゆる特別枠らしい。
試験室へ入ると、すでにほとんどの受験者が席についていた。
年齢は私と同じくらいか、少し上か?
服装を見る限り貴族らしい子供も多い。
何人かがこちらを見る。
「……あれが?」
「水晶を壊したっていう……」
「十二歳だろ?」
聞こえている。
まあ王都まで報告されたのだから、噂になっていても不思議ではない。
私は指定された席へ座った。
机の上には紙、インク、筆記具。
前には三人の試験官。
中央に座っている白髪の男が立ち上がった。
「これより、王立魔法学院特別入学試験を開始する。最初は筆記試験だ」
問題用紙が配られる。
「制限時間は二時間。魔法基礎理論、魔素学、属性論、術式基礎から出題する」
楽しみだ。
私は問題用紙を開いた。
最初の数問は簡単だった。
魔素とは何か。
魔法発動に必要な三要素を答えよ。
火属性と水属性の相克関係について説明せよ。
基本的な魔法陣の構造。
詠唱の役割。
この辺りは、ユリーカの母親が残した魔法書にも書かれていた。
だが問題を進めていくうちに、私は手を止めた。
『問十八。雷魔法が風属性に分類される理由を説明せよ』
またこれか。
模範解答は分かる。
雷は空で発生する、風は大気を司る。
ゆえに雷は風属性の上位魔法である。
だが、それは説明になっていない。
私は少し考えてから答案を書く。
『一般的な属性分類上では風属性とされるが、雷という現象そのものが風に属するという根拠は不十分である』
そこから。
放電。
電位差。
空気の絶縁破壊。
私がこれまで行った実験結果を簡潔に書く。
次の問題。
『問二十三。光属性と闇属性が互いに相反する性質を持つ理由を説明せよ』
これも困った。
光については、前世の知識がかなり使える。
だが、この世界の「闇魔法」が何を操作しているのかはまだ完全には分かっていない。
単純な光の欠如ではない現象も存在する。
なら、分からないものを分かったふりするべきではない。
『現時点の観察だけでは、光属性と闇属性を根本的に相反する要素と定義する根拠が不足している』
そう書いた。
さらに。
『問三十一。人間が生来持つ属性適性が、使用可能な魔法属性を決定する理由を説明せよ』
私は筆を止めた。
これ…前提から怪しいのでは?
適性が魔法の使用可能範囲を決めているのか。
それとも、特定の魔素操作を習得しやすい傾向をこの世界では「適性」と呼んでいるだけなのか。
私は後者の可能性について書いた。
気がつけば、答案の余白が足りなくなっていた。
仕方がないので試験官へ手を上げる。
「すみません」
「どうした?」
「紙を追加でもらえますか?」
「……答案用紙を?」
「はい」
試験官が少し驚いた顔をしながら一枚持ってくる。
「これで足りるか?」
「多分」
結局、もう二枚もらった。
二時間後。
答案を提出する。
試験官の一人が私の紙の束を見る。
「……五枚?」
「書くところが足りなくて」
「問題は三十五問だぞ」
「はい」
「……そうか」
なぜか少し疲れた顔をされた。
筆記試験の採点は後で行われるため、私たちはそのまま第二試験会場へ移動した。
次は魔素操作。
広い部屋の中央に、小さな金属球が十個並べられている。
試験官が説明する。
「この試験では、魔素を用いて金属球を浮かせてもらう」
なるほど。
「一個につき一点。五個を同時に浮かせれば満点だ。六個以上については評価対象外とする」
私は金属球を見る。
直径五センチほど。
それほど重くはない。
順番に受験者が挑戦していく。
一個。
二個。
三個。
四個。
さすが特別入学試験に呼ばれた者たちだけあって、全体的に上手い。
五個浮かせた少女が出たときには、試験官たちも感心していた。
「満点だ。見事だ」
少女は得意そうに席へ戻る。
そして。
「次。アル・レイヴァン」
呼ばれた。
私は前へ出る。
「始めてよい」
「はい」
金属球へ魔素を伸ばす。
一個ずつ掴む必要はない。
十個それぞれへ独立した魔素の流れを接続し、重力方向への力を相殺する程度に上向きの力を与える。
ふわっ。
十個、全部浮いた。
「……」
試験官が黙った。
「これでいいですか?」
「待て」
「はい」
「なぜ十個浮いている?」
「十個あったので」
「五個で満点だと言っただろう」
「六個以上は評価対象外と言っていたので、禁止ではないのかと」
試験官が額へ手を当てた。
「……まあいい。下ろしなさい」
「あ、ちょっと待ってください」
「何だ?」
せっかく十個ある。
なら、もう一つ試したい。
それぞれへの魔素接続を維持したまま、操作量を個別に変える。
一個目を上へ。
二個目を下へ。
三個目を左。
四個目を右。
残りもそれぞれ別方向へ動かす。
十個の金属球が空中をバラバラに飛び始めた。
衝突しないよう軌道を調整しながら。
円、楕円、上下運動、回転。
異なる動きを同時に維持する。
「……」
部屋が静かになった。
「アル」
試験官が呼ぶ。
「はい?」
「もういい」
「まだ余裕ありますけど」
「そういう問題ではない」
そうなのか。
私は金属球を元の位置へ戻した。
試験官たちが小声で話している。
「同時制御十……?」
「しかも完全に独立しているぞ」
「何本に分割している?」
「分からん」
私は黙って聞いていた。
百本くらいならできる、とは言わない方がよさそうだ。
結果表へ何かが書き込まれる。
ちらっと見えた。
『測定基準外』
またそれか…
水晶のときからどうにもこの言葉が好きになれない。
昼休憩を挟み。
最後の試験、魔法実技。
屋外の巨大な訓練場へ案内された。
正面には高さ三メートルほどの石製標的。
その後方。
約二十メートルの位置に分厚い防御壁があり、さらにその向こうには学院敷地を囲む外壁がある。
試験官が標的を指差した。
「受験者は、あの標的へ自分が最も得意とする攻撃魔法を使用する。威力、制御、発動速度、効率を総合して評価する」
攻撃魔法…何を使うか。
昨夜から考えていた。
炎は分かりやすい。
雷もいい。
だが、雷はまた属性論の話になりそうだ。
氷も、グラウスの件で目立っている。
なら。
「風かな」
一番単純だ。
空気を圧縮し、一方向へ解放する。
見た目としては風属性魔法に分類されるだろう。
「アル・レイヴァン」
順番が来た。
私は前へ出る。
試験官が確認する。
「使用魔法は?」
「風……だと思います」
「……だと思う?」
「分類するなら」
試験官が妙な顔をしたが、そのまま続けた。
「分かった。標的以外へ被害を出さないよう注意しなさい」
「はい」
そこは重要だ。
父さんにも言われている。
試験場を壊すなと。
私は標的を見る。
距離、およそ五十メートル。
普通に撃てば簡単に壊せる。
ではどれくらい出す?
一割。
昨夜はそう考えた。
だがユリーカには止められた。
ならもっと下げる?
私は少し迷った。
ただ弱すぎて実力を測れなければ、試験にならない。
特別入学試験なのだから。ある程度は見せた方がいいだろう。
「……まあ、一割で大丈夫か」
小さく呟いた。
「何か言ったか?」
「いえ」
私は右手を標的へ向ける。
通常の風魔法のように、広範囲の空気を動かす必要はない。
むしろ、拡散させれば威力が逃げる。
必要なのは狭い範囲で、かつ一直線であること。
私は標的までの空気を細長い筒状に捉えた。
周囲から余計な空気が入り込まないよう流れを整え、その内部だけを圧縮する。
圧力を上げる。
さらに圧縮。
ただし。昨日の約束を思い出す。
一割。
それ以上は使わない。
これで十分だ。
私は指先を僅かに動かした。
「行け」
解放。
音が消えた。
いや違う。
音が聞こえるより先に、空気の塊が撃ち出された。
次の瞬間。
ドンッ!!
標的の中央に穴が開いた。
「……」
直径三十センチほどの綺麗な貫通孔だ。
よし! 狙い通り!
私は手を下ろしかけた。
その直後。
ドゴォンッ!!
標的の後方から別の音が響いた。
「……え?」
私は見る。
後方の防御壁、その中央にも穴が空いた。
まずい…嫌な予感。
さらにずっと向こう。
学院の外壁。
ズドォン!!
石が吹き飛んだ。
壁の一部が崩れ落ちる。
訓練場へ静寂が落ちた。
私は伸ばしていた右手を見る。
標的を見る、防御壁を見る、そして外壁を見る。
三つの穴が、ほぼ一直線に並んでいる。
「……」
まずい。
父さんの顔が浮かんだ。
試験場を壊すなと、確かに言われた。
私はゆっくり試験官を見る。
誰も動かない。
「……すみません」
反応がない。
「思ったより、減衰しませんでした」
ようやく試験官の一人が口を開いた。
「……何をした?」
「空気を圧縮して撃ち出しました」
「風魔法か?」
「分類するなら、多分」
「詠唱は?」
「してません」
「魔法陣は?」
「使ってません」
別の試験官が外壁の穴を見る。
「防御壁には、高位魔法の暴発を想定した強化術式が入っている」
「……そうなんですか?」
知らなかった。
それなら、むしろ興味がある。
どんな術式だったんだろうか。
「それを貫いた」
「はい」
「外壁も?」
「……はい」
試験官が私を見る。
「最大出力か?」
私は一瞬迷った。
嘘をつく理由はない。
「いえ」
「……何割だ」
「一割くらいです」
誰かが筆記具を落とした。
カラン。
妙に大きく響いた。
「一割?」
「はい」
「今のが?」
「はい」
「……」
試験官たちが再び外壁を見る。
「……本当に?」
「多分」
「多分?」
「正確な出力計がないので、感覚的な割合です」
念のため付け加える。
「でも、本気ではありません」
「……」
また、静かになった。
少し離れた場所にいた他の受験者たちも誰も喋らない。
さっきまで自信満々だった子供たちまで。
全員、私と壁を交互に見ている。
「……まずかったですか?」
私は聞いた。
試験官の一人がゆっくり椅子へ座った。
「まずいというか……」
別の試験官が呟く。
「これを、どう採点するんだ」
「標的は破壊した」
「防壁も破壊した」
「外壁も破壊した」
「威力は……」
「測定不能だ」
また測定不能。
私は少しだけ眉を寄せた。
「またですか?」
試験官が私を見る。
「また?」
「あ、いえ。こちらの話です」
水晶。
魔素操作。
実技。
どうにもまともな数字が出ない。
これは困る。
学院ならもう少しちゃんと測定できると思っていたのだが。
すると奥に座っていた一人の老人が立ち上がった。
試験中、ほとんど喋っていなかった人物だ。
白い髪、細い身体。
だが魔素の制御だけは、この場にいる誰よりも綺麗だった。
「アル・レイヴァン君」
「はい」
老人が私を見る。
…目が笑っていない。
怒っている?
いや違う、観察されている。
まるで珍しい実験結果を見る研究者のような目。
少し親近感がある。
「一つ聞かせてもらいたい」
「なんでしょう?」
老人は、机の上に置かれていた私の筆記答案を持ち上げた。
どうやらすでに途中まで読んでいたらしい。
「筆記試験では、学院で教えている六属性理論の前提を何度も疑っている」
「はい」
「魔素操作試験では、十個の球を同時に、しかも個別に制御した」
「はい」
老人が崩れた外壁へ視線を向ける。
「そして実技では、一割の力で学院の防壁を二枚抜いた」
「外壁も含めれば三枚です」
「訂正しなくていい」
「はい」
周囲から、小さな笑い声が聞こえた。
老人は額を押さえた。
そして、大きく息を吐く。
「君は……」
私を見る。
「君は一体、何をしにこの学院へ来たんだ?」
聞かれた私は、意味が分からなかった。
何をしに?
そんなもの決まっている。
「魔法を学びに来ました」
私は答えた。
老人が黙る、試験官たちも黙る。
「……本気で言っているのか?」
「はい」
「君が?」
「はい」
「……」
何がおかしいのだろう。
私はまだ、魔素の正体すら知らない。
なぜ意識へ反応するのかも、なぜ物理現象へ干渉できるのかも、魔法陣についても、分からないことばかりだ。
王都の防護結界、魔導車、魔素導体、学院の術式、まだ見たことのない魔法、知らない理論。
知りたいものが山ほどある。
「私は、魔法のことをほとんど知りません」
そう答えると、老人の眉が僅かに動いた。
「……ほとんど?」
「はい。使えるようにはなりましたけど、なぜ使えるのかは分からないので」
魔法を使えることと、魔法を理解していることは違う。
炎を出せても、なぜ魔素から熱が生まれるのか分からない。
物体を動かせても、魔素がどのように力へ変換されるのか分からない。
それでは、私にとって理解したことにはならない。
「だから、この学院へ来ました」
老人はしばらく何も言わなかった。
その後、試験官同士で話し合いが始まり。
私は少し離れた場所で待つことになった。
数分後。
一人の教師がこちらへやってくる。
「アル・レイヴァン君」
「はい」
「試験結果について伝える」
私は姿勢を正した。
「筆記試験」
教師が紙を見る。
「採点保留」
「え?」
いきなり?
「模範解答と異なる回答が多すぎる。しかし、明確に誤答と断定できないため、学院長による確認が必要だ」
なるほど。
「魔素操作」
一度、教師が私を見る。
「測定基準外」
また。
「魔法実技」
教師の視線が、崩れた外壁へ向く。
「測定不能」
「……」
全部まともに点数がついていない。
「これ」
私は聞いた。
「落ちてます?」
教師がものすごく微妙な顔をした。
「私には判断できない」
そんなことあるのか。
「そこで」
教師が続ける。
「学院長がお前と直接話をしたいそうだ」
学院長。
この学院で一番偉い人間。
おそらくかなり強い魔法使い。
私は一瞬で興味を持った。
「魔法について質問してもいいですか?」
「……知らん」
教師が疲れた声で答える。
「本人に聞け」
なるほど、では聞こう。
こうして私の王立魔法学院特別入学試験は、合格でも、不合格でもなく。
『学院長預かり』
というよく分からない結果になった。
そして、このあと私は初めて。
グレアム・アルヴェイン。
王立魔法学院の学院長と対面することになる。




