第10話 壊れた水晶
爆発した。
正確には、私が水晶へ手を置いて魔素を流した瞬間、内部から凄まじい光が溢れ、その直後に水晶全体へ亀裂が走った。
そして次の瞬間。
バキンッ!!
乾いた音とともに、水晶が砕け散った。
「……」
神殿が静まり返る。
私は水晶が置かれていた台座の前で、右手を伸ばしたまま固まっていた。
床には透明な破片が散らばり、先ほどまで人の頭ほどの大きさがあった水晶は見る影もない。
「……え?」
最初に声を出したのは私だった。
後ろを振り返る。
父さん。
ユリーカ。
神官。
そして、今日同じように測定を受けるため集まっていた子供たちと、その家族。
全員が私を見ていた。
「……壊れたね」
私がそう言うと、父さんが額を押さえた。
「やっぱりか……」
「やっぱり?」
「俺じゃない。ユリーカが言ってただろ」
そうだった。
ユリーカを見る。
彼女は両腕を組み、ものすごく得意げな顔をしていた。
「だから言ったでしょ!」
「……言ってたね」
「水晶かわいそう」
「私が悪いの?」
「アルが壊したんだからアルが悪い!」
「普通に使っただけなんだけど……」
少なくとも、壊すつもりはなかった。
むしろ最初から大量の魔素を流すつもりなどなく、ほんの少量だけ送り込んだつもりだ。
それなのに。
「待ちなさい」
神官がようやく動いた。
かなり高齢の男性で、先ほどまで穏やかな表情をしていたのだが、今は完全に顔色が変わっている。
彼は床へ膝をつき、水晶の破片を一つ拾い上げると、光へ透かすように何度も確認した。
「ありえない……」
「壊れることってないんですか?」
私が尋ねると、神官はゆっくり顔を上げた。
「私は四十年以上、この神殿で測定の儀を行ってきた」
「はい」
「一度もない」
「……なるほど」
どうやら本当に珍しいらしい。
いや。
珍しいというより、想定されていないのだろう。
私は砕けた水晶を見つめる。
「この水晶って、どうやって魔素量を測ってるんですか?」
神官が一瞬黙った。
「……今、それを聞くのか?」
「気になるので」
「アルだからね」
ユリーカが妙に納得した顔をしている。
神官は困惑しながらも答えてくれた。
「この水晶は、測定者の魔素を吸収しているわけではない。流れ込んできた魔素へ反応し、その強さと性質を光として示す魔道具だ」
「吸収ではなく反応……」
私は水晶の破片を見る。
それなら単純な容量超過とは少し違う。
測定者から流れ込んだ魔素に対して、内部の術式が何らかの反応を起こし、その結果を光として表示する。
ということは。
壊れた原因は魔素の総量ではなく、瞬間的に流れ込んだ魔素の密度や流量、あるいは私の魔素そのものに対する術式側の反応だった可能性もある。
「内部の魔法陣、見られますか?」
「駄目だ」
父さんが即答した。
「まだ神官さんに聞いてないよ」
「聞く前に止めた」
「少しくらい」
「壊れた直後に分解しようとするな」
「壊れてるんだから、むしろ今しか調べられないと思うけど」
「そういう問題じゃない」
残念だ。
だが、構造は気になる。
非常に気になる。
「アル」
ユリーカが私を見る。
「今、絶対持って帰ろうと思ってるでしょ」
「一個くらいなら」
「駄目」
「まだ何も――」
「顔に書いてある」
父さんと同じことを言われた。
少し悔しい。
「それより問題は属性だ」
神官が口を開いた。
私は顔を上げる。
そうだ。
今回の儀式には二つの目的がある。
魔素量の測定。
そして、適性属性の判定。
「水晶が壊れたから測れない?」
「いや。壊れる直前に反応は出ていた」
神官の表情が妙に険しい。
「私も見たよ」
ユリーカが言った。
「何色だった?」
「それが……全部」
「全部?」
「うん」
意味が分からない。
神官は床に散らばった破片へ視線を落とした。
「通常、この水晶は適性属性によって色を変える。火なら赤、水なら青、風なら緑、土なら黄、光なら白、闇なら紫だ」
「それは知ってます」
「一つの属性なら一色。二属性なら二色、三属性なら三色が現れる」
そこまでは魔法書にも書かれていた。
一般的には一属性。
二属性を持っていれば優秀。
三属性ともなれば、滅多に現れない天才。
では私の場合は?
「最初は赤だった」
神官が言う。
「その次に青、そして緑、黄、白、紫。六属性すべての色が現れた」
周囲がざわついた。
「六属性全部……」
父さんもさすがに驚いた顔をしている。
ユリーカだけは腕を組みながら、「やっぱり」と呟いた。
「驚かないの?」
私が聞くと、ユリーカは逆に不思議そうな顔をした。
「アルだよ?」
「どういう意味?」
「だって昔から火も水も風も使ってるじゃん」
「まあ、そうだけど」
「氷も使うし、雷も使ってたし」
神官の顔が動いた。
「……雷?」
ユリーカ。
それは今言わなくてもよかったのでは?
「アル」
神官が私を見る。
「雷魔法を使えるのか?」
「少しだけ」
八年前よりは、かなり扱えるようになっている。
だが、わざわざ説明する必要はないだろう。
「風属性の上位魔法を、十二歳で……?」
「いや」
私は思わず訂正した。
「私が使っているものは、多分、風属性魔法ではありません」
「……何?」
神官の眉が寄る。
「雷は風属性だ」
「この世界では、そう分類されていますね」
「この世界では?」
父さんがものすごく嫌そうな顔をした。
私が何か面倒なことを言い始めると分かったらしい。
「アル」
「なに?」
「長くなるか?」
「多分」
「そうか……」
父さんは諦めた。
私は神官へ向き直る。
「一つ聞いてもいいですか?」
「……なんだ」
「雷魔法が風属性に分類されているのは、どうしてです?」
「雷は空に生じ、大気に宿る力だからだ。それゆえ風属性の上位魔法とされている」
予想通りの答えだった。
「じゃあ、風を動かさなければ雷は作れませんか?」
「何?」
私は右手を上げ、二本の指を少しだけ離す。周囲に影響が出ない程度の魔素を使って、指先の間へ僅かな電位差を作る。
パチッ。
青白い火花が飛んだ。
神官が目を見開いた。
「詠唱なし……」
私はもう一度。
パチッ。
今度は先ほどより分かりやすく放電させる。
「空気を動かしていません」
もちろん、本物の雷と比べれば規模は桁違いに小さい。
だが、現象としては放電だ。
「風を起こさなくても、こういう現象は発生します。なら、雷そのものが風の一種という説明には少し無理があると思います」
「……」
神官が黙る。
私は続けた。
「氷も同じです。この世界では水属性魔法に分類されていますけど、私は水を生み出さなくても物体を凍らせられる」
八年前。
グラウスを止めたときがそうだった。私が直接操作したのは水ではなく、主に熱だ。
対象から熱を奪い、温度を下げ、その結果として水分が凍結した。
結果だけを見れば氷。
だが、過程は水属性魔法として説明されているものとかなり違う。
「火、水、風、土、光、闇。私は、この六つが自然界の基本要素だとは考えていません」
火は物質ではない。
風も物質の種類ではない。
光と闇を対になる二種類の物質として扱うのも不自然だ。
つまり六属性とは、自然界そのものの分類ではなく。人間が魔法を理解しやすいように整理した分類なのではないか。そう考えた方が、私の実験結果とは辻褄が合う。
「だから私は――」
そこまで言ったとき、神官が低い声で言った。
「待ちなさい」
私は口を閉じた。
神官は怒っているようには見えない。
むしろ少し警戒しているようだった。
「その考えを、外で軽々しく口にしない方がいい」
「どうして?」
「六属性は、この国だけで使われている考え方ではない」
神官は水晶の破片を握りしめる。
「王国の魔法教育、魔法協会、騎士団、教会、そして何百年と積み重ねられてきた魔法研究。そのほとんどが六属性という考えを基礎にしている」
なるほど。
私は少しだけ理解した。私にとっては、数ある仮説の一つだ。
間違っていれば捨てればいい。
実験結果と合わなければ修正するだけ。
だが、この世界の人間にとって六属性は単なる仮説ではない。長い歴史の中で常識として定着している。しかも、魔法は学問だけに使われているわけではない。
軍事。
宗教。
政治。
教育。
社会そのものと結びついている。
「別に否定したいわけではありません」
私は答えた。
「ただ、本当に正しいのか確かめたいだけです」
「それを疑うこと自体が問題になる場合もある」
神官は小さく息を吐いた。
「世の中には、疑われることを嫌う常識もある」
「……なるほど」
前世でも似たことはあった。
もちろん科学の世界では既存の理論を疑うこと自体は普通だ。だが、人間の社会では正しいか間違っているかだけで全てが決まるわけではない。
特に魔法がこれだけ社会の根幹へ入り込んでいるなら少し慎重に扱った方がいいだろう。
「分かりました」
「……素直だな」
「証拠が揃うまでは、わざわざ言い回る必要もないので」
神官が固まる。
父さんが額を押さえた。
「お前、研究やめる気は一切ないんだな」
「なんでやめるの?」
「そう言うと思った」
もちろん研究はする。
正しいのか。
間違っているのか。
むしろ、これでさらに確かめたくなった。
そのとき、神殿の奥から別の神官が走ってきた。手には小さな木箱を抱えている。
「予備の水晶がありました!」
「予備?」
神官がこちらを見る。
父さんも見る。
ユリーカまで見る。
「……何?」
「アル」
父さんが言った。
「顔」
「また?」
「ものすごく測りたそうだぞ」
「だって予備があるなら――」
「待ちなさい」
今度は神官が口を挟んだ。
「今の水晶が壊れた原因も分かっていない」
「じゃあ、今度は流す量をさらに減らします」
「そういう問題なのか?」
「確かめれば分かります」
「アル」
父さんが私を見る。
ただ、以前のように即座に止めるわけではなかった。
「本当に壊さない自信はあるか?」
私は予備の水晶を見る。
壊れた原因はまだ特定できていない。
流量。
密度。
私の魔素の性質。
あるいは六属性すべてへ同時反応したことで、内部術式に何らかの過負荷が掛かった可能性もある。
「……ない」
「正直だな」
「だから調べたいんだけど」
「今日はやめとけ」
「うーん……」
迷う。
非常に迷う。
だが、同じ測定器を二つ連続で壊せば、さすがに原因を調べるための現物までなくなってしまう。それは困る。
「……分かった」
「珍しく早いな」
「今ある破片を調べる方が先だから」
「やっぱりそっちか」
父さんが呆れた。
その日の儀式は、当然ながら中止になった。他の子供たちには申し訳ないことをした。後日、別の村から新しい測定器を借りるらしい。
そして、私の測定結果については。
魔素量――測定不能。
適性属性――六属性すべてに反応。
ただし、水晶破損により正式判定不能。
そう記録されることになった。
「……なんか嫌だな」
神殿からの帰り道、私は渡された記録を眺めながら呟く。
「何が?」
隣を歩くユリーカが聞いた。
「測定不能って」
「水晶壊した人が言わないの」
「せめて限界値くらい書いてあればいいのに」
「げんかいち?」
「水晶がどこまで測れるように作られてるのか」
それさえ分かれば、最低でも自分の魔素量がどの範囲にあるのか推定できる。それに、測定限界を超えたから壊れたのか。それとも別の原因なのか。
切り分けもできる。
「神官さんに聞けばよかった」
「戻る?」
「……戻りたい」
「やめときなよ。多分まだ片付けてるよ」
それはそうか。
少し歩いたところで、父さんが口を開いた。
「アル」
「なに?」
「実は、話がある」
「話?」
父さんの表情が真面目だった。
「今日の測定結果は、王都へ報告される」
「水晶を壊したから?」
「それもある」
父さんは頷く。
「十二歳で六属性すべてに反応。魔素量は測定不能。しかも四歳の頃にはグラウスを一人で止めてる」
「……並べると結構変だね」
「今さら気付いたのか」
自覚はある。
多少は。
「おそらく、何かしら動きがある」
「王都から人が来る?」
「可能性はあるな」
私は少し考える。
悪い話ではない。
王都の人間。
つまり、この村より魔法に詳しい人間と話せる可能性がある。
「研究者だったらいいな」
「お前はもう少し警戒しろ」
「何を?」
「お前自身が調べられる側になるかもしれないんだぞ」
「それなら、向こうの測定方法も見られる」
父さんが黙った。
ユリーカが笑う。
「父さん、諦めた方がいいよ」
「……そうだな」
失礼な。
だが。
父さんの予想は少しだけ外れた。王都から人が来ることはなかった。代わりに二週間後、一通の手紙が届いた。
差出人は王立魔法学院。
この国で最も優秀な魔法使いたちが集まり、長い歴史の中で膨大な魔法知識を蓄積してきた場所。
父さんから手紙を渡され、私は文面を読む。そこには、こう書かれていた。
『アル・レイヴァン殿を、王立魔法学院特別入学試験へ招待する』
「……」
もう一度読む。
間違いない。
王立魔法学院。
特別入学試験。
「父さん」
「なんだ?」
「行っていい?」
「まだ最後まで読んでないだろ」
「行きたい」
「だから読め」
「行きたい」
「分かったから落ち着け!」
無理だった。
この村で十二年間、前世を含めれば八十年以上。私はずっと魔法を知りたかった。
王立魔法学院。
そこには、私が読んだことのない魔法書がある。
知らない魔法がある。
魔法陣。
魔道具。
研究資料。
歴史。
そして何より。
何十年も魔法を研究してきた人間がいる。
「……行きたい」
もう一度呟く。
父さんがため息をついた。
「分かった。最後まで読んでからな」
「読む」
私は手紙へ視線を戻す。
試験日。
場所。
必要なもの。
注意事項。
全部読む。
そして最後まで読んだ瞬間。もう一度、最初から読み返した。
ユリーカが横から覗き込む。
「そんなに嬉しい?」
「うん」
「すっごい顔してるよ」
「どんな?」
「魔法陣見つけたときと同じ」
それは相当だ。
王立魔法学院。
この世界最高峰の魔法知識が集まる場所。
もしかするとそこへ行けば、私より遥かに魔法を理解している人間がいるかもしれない。
八年間調べても分からなかった魔素の正体に、すでに誰かが近づいているかもしれない。
六属性についても、私が知らない証拠があるかもしれない。
考えるだけで胸が高鳴る。
「……楽しみだ」
私は招待状を握りしめた。
このときの私は、王立魔法学院という場所を、少し勘違いしていた。そこへ行けば自分より遥かに進んだ魔法理論を学べる。自分の知らない魔法を、教師たちから教えてもらえる。
そう本気で思っていた。
まさか、入学試験の最中に試験官から。
「君は一体、何をしにこの学院へ来たんだ?」
と聞かれることになるとは、このときの私はまだ知らなかった。




