第六話「進路」
※今回はかなり鬱な展開となっております。
⚠︎鬱表現が苦手な方は心の準備をしてから読んでください。
中学校麻雀競技選手権の県大会申込用紙を受け取ってから数日が経った。
それでも何も変わらない、
一般的な中学三年生の日常が続いていた。
朝起きて、
学校で勉強をして、
放課後は塾で勉強をする。
帰ったらまた寝るまで部屋で勉強だ。
学校、塾、家。
この繰り返しだ。
気付けば九月も終わりに差しかかっていた。
受験まであと少し。
時間だけがどんどん進んでいく。
◇
「ただいまー」
自分の部屋に向かおうとすると、
リビングからお母さんの声が聞こえた。
「緑、夏休みの模試返ってきてるわよ」
「はーい」
慌ててリビングへ向かう。
机の上には封筒が一枚。
自分の名前。
少し緊張しながら開く。
夏期の模試の結果を見る。
「⋯⋯!」
思わず目を見開いた。
第一志望。
嶺蘭高校。
判定——A。
「え、やった!!」
つい声が大きくなる。
「すごいじゃない!」
お母さんも嬉しそうに笑ってくれた。
「ちゃんと頑張ってたものね」
「うわ、めっちゃ嬉しい⋯⋯!」
何度も結果を見返す。
偏差値も今までで一番良かった。
ずっと目指してきた高校がちゃんと届く場所にある。
それがなにより嬉しかった。
でもその時、ふと頭の奥であの言葉が浮かぶ。
——『嶺蘭で何したいの?』
海里の言葉。
あの時の真っ直ぐな目。
「⋯⋯」
さっきまでの高揚感が次第に落ち着いていく。
嶺蘭高校で私は何をしたいのか。
その答えをあの日からずっと考えていた。
授業中も、
塾の帰り道も、
お風呂の中でも、
頭から離れない。
——嶺蘭に行って本当に私は幸せなのだろうか。
ベットに寝転がりながら天井を見る。
浮かんでいる九頭龍を見て改めて思う。
──やりたいことはきっと麻雀なんだ。
海里と打って、
三浦さんと話して、
卓を囲んでいるあの空気の中にいる時間がとても好きだった。
そしてもっと麻雀が強くなれば、
新しい楽しさがこの先待っていることも容易に想像ができた。
大会のことだって、本当は気になっている。
でも。
「高校で麻雀をした先に、将来何が待ってるの?」
ぽつりと呟く。
青春を麻雀に捧げた先に、
私の明るい未来なんてあるのだろうか。
プロになれる人なんてほんの一握りだ。
プロ一本の人生なんて危なすぎる。
普通に高校に行って、
普通に勉強して、
普通に就職する。
その方が正しい事くらい分かっている。
分かっているはずなのに。
その道で本当に自分が納得できるのか分からない。
「どうした?」
九頭龍が静かに聞く。
「⋯⋯よく分かんない」
スマホを握る。
気付いていたら海里へLINEを打っていた。
緑 《なんかさ》
緑 《本当は麻雀やりたいのかもしれない》
息が苦しくなる。
一度打ち始めた手はもう止めることが出来なかった。
緑 《でも麻雀やっても将来の役には立たないよね?》
緑 《将来とか考えたら普通に勉強した方が良いし》
書きたくもない文字を打っては送信をする。
緑 《なんかもう分かんない》
送信。
数秒後。
既読。
海里から返信が来る。
──海里 《意味があるとかないとか》
──海里 《そんなこと考え始めたらなんも出来ないよ》
画面に表示された文字をじっと見つめる。
海里はきっと真剣に返事をしてくれている。
スマホを握ったまま小さく目を伏せた。
緑 《でも》
文字を打つ。
消す。
また打つ。
緑 《海里はすごいじゃん》
送信。
緑 《頭いいし》
緑 《麻雀も強いし》
緑 《やりたいことも分かってるし》
緑 《私とは違うんだよ》
送ったあとで後悔をする。
重い性格。
本当に自分はめんどくさい人間だ。
また嫌われていた小学校の時に逆戻りしている。
でも文字を打つ手は止められなかった。
緑 《私には何もないから》
天井を見上げる。
きっと⋯⋯答えの出せない自分の代わりに、
誰かに答えを出してもらいたかっただけなんだ。
自分が納得できる言い訳を⋯⋯。
答えをくれるなら誰でもよかった。
海里なら何となく私の求める答えを出してくれる気がしたんだ。
静かな時間が部屋に流れる。
時計の音だけがやけに大きく聞こえる。
志望校はA判定。
普通なら誰でも喜ぶはずなのに、
なんでこんなに苦しいんだろう。
前に進んでいるはずなのに、
自分だけ立ち止まってるこの感覚。
ブルッ。
携帯が震えている。
恐らく海里からの通知だろう。
その中にはきっと求めていた解答が書いてあるのかもしれない。
でも怖くて見れない⋯⋯。
もしその中に求めていた答えがなかったら、
このまま壊れてしまいそうで。
スマホを握ったまま鏡を見る。
酷い顔をしている。
でも一つだけ分かることがある。
ここでこの気持ちから目を背けたら、
きっとどの高校に行っても喜べない。
この気持ちは一生晴れることがない。
深く息を吸って部屋を出た。
リビングの扉を開ける。
お母さんはテーブルで何かを書いていた。
「あ、お風呂入る?」
「⋯⋯お母さん!」
その声にお母さんが顔を上げる。
少しだけ拳を握った。
「やっぱり私、嶺蘭には行かないかもしれない」
空気が止まる。
「⋯⋯は?」
お母さんの表情が変わった。
その顔はとても怖かった。
でも口から出てくる言葉は止められなかった。
「私、別に良い大学に行きたいわけじゃない」
「ちょっと何言ってるの?」
「高校で麻雀がしたいの!」
その瞬間お母さんが立ち上がる。
「麻雀?」
信じられないものを見る目だった。
「最近ちょっとおかしいと思ってたけど⋯⋯」
「おかしくない!!」
思わず声を荒らげる。
「私は⋯⋯⋯本気で——」
「麻雀をやってどうするの!?」
お母さんの声が私の言葉を遮る。
「受験生でしょ!? 今まで頑張ってきたのに!」
「分かってるよ!!!」
「分かってないからそんなことが言えるの!」
胸が苦しくなる。
心臓がうるさい。
呼吸が苦しい。
でも何を言われても心は既に決まっていた。
「私⋯⋯桜華高校に行く」
「⋯⋯は?」
「そこで麻雀をする」
「ふざけないで!」
お母さんの声が低くなる。
「高校受験は遊びじゃないのよ?」
「麻雀だって遊びじゃないよ!!!」
涙を滲ませながら叫ぶ。
「ちゃんとやりたいって思ったの、
そう思えたものは麻雀が初めてなの!!」
静まり返るリビング。
息ができない。
怖い。
でも今さら引き返せなかった。
震える声で続ける。
「⋯⋯もうすぐ麻雀の大会があるの」
「大会?」
「中学生の県大会」
お母さんは呆れたように息を吐く。
唇を噛む。
そしてまっすぐお母さんを見た。
「そこで良い成績を残せたら桜華高校の進学を認めてほしい」
こんなにお母さんに反発をしたことは今までなかった。
勉強しなさいと言われれば素直に頷いて、
大きく反抗することもない“良い子”だった。
今の私を見てお母さんはどう思っているのだろうか。
失望しているのだろうか。
お母さんはしばらく黙っていた。
重たい沈黙。
やがてお母さんが深く息を吐く。
「⋯⋯分かった」
その声に顔を上げる。
「ただし結果を残せなかったら、
ちゃんと嶺蘭高校に行きなさい。
緑にとって麻雀が未来あるものなのか、
そこで証明しなさい」
これ以上言葉を返すことは出来なかった。
嬉しいのか。
悲しいのか。
自分でも色んな感情が混ざってよく分からない。
ただ心臓だけがうるさいくらい脈打っていた。
それから先のことはもうあまり覚えていない。
どうやって部屋へ戻ったのか。
どうやってお風呂へ入ったのか。
眠りにつくまで何を考えていたのか。
全部ぼんやりとしている。
でも一つだけ、
はっきり覚えていることがあった。
それは締切が明日までの麻雀の県大会。
その応募フォームへ、
自分の名前を入力したということだ。
◇
麻雀の県大会に応募してから数日が経った。
「ねー聞いて。昨日さ、新作のリップ買ったんだけどー」
「え、見せて!」
教室の窓から日差しが差し込んでいる。
笑い声。
机を囲む友達。
いつも通りの景色。
その輪の中で私も笑っていた。
「それ絶対似合うじゃん!」
「でしょー?」
そんな何気ない会話をして、
昼休みには友達と一緒にご飯を食べて、
放課後は塾へ行って勉強をして、
そして家へ帰る。
何も変わらない今までと同じ"日常"。
私は人付き合いが上手だった。
いや、正確には人付き合いが上手くいくように努力をした。
空気を読んで、
相手が喜びそうな返事をして、
ちゃんと笑う。
だから本音を押し殺していても、
周りに溶け込むことは容易にできた。
今だってそう。
いつでも、いつも通りの緑を演じられる。
周りから見れば何も変わらない。
でもその日常の中で大きく変わったことが二つだけあった。
一つ目は塾から帰ったら、
勉強の代わりにネット麻雀をするようになった。
◇
大会に応募した次の日。
部屋でぼんやりとスマホを見つめていた。
「⋯⋯」
このままでは大会に出場しても勝てない。
そんな現実が焦燥感を駆り立てていた。
海里にはまだ到底及ばない。
三浦さんにも。
そもそも私はまだ麻雀を始めたばかりだ。
普通に考えたら大会で勝てるはずがない。
それでも勝たなければいけない。
ゆっくり目を閉じる。
麻雀を楽しむためじゃない。
勝つために何をしなければいけないのか。
それを考えていた。
ルールはもうある程度分かる。
役も覚えた。
鳴きのタイミングも問題ない。
そういった事は全部海里が教えてくれた。
でも勝つための麻雀を私はまだ知らない。
牌効率。
打点の上げ方。
守り方。
その経験が無さすぎる。
しかし今は海里にも合わせる顔がなかった。
だってあれ以来LINEは一度も開いていない。
(きっと怒ってるだろうなー)
携帯を見ながらそんなことを考える。
だから海里には直接聞けないし、
海里が良く通う 《まーじゃん 緑一色》にももう行けない。
そんな時にふとスマホの広告が目に入る。
───初心者歓迎! ネット麻雀アプリ!
「⋯⋯そうだ!」
小さく呟く。
「ネット麻雀でとにかく対局の回数を重ねるんだ」
そしてもう一つの考えが頭をよぎる。
「そういえば」
ゆっくり顔を上げた。
「クズさんって、麻雀上手いって言ってたよね?」
部屋の隅。
九頭龍は壁にもたれかかりながら静かにこちらを見ていた。
「まあな」
どこか得意げな声。
唇を噛みながら小さく頭を下げた。
「私に⋯⋯勝つための麻雀を教えてほしい」
静寂が部屋の空気を重くする。
私はすぐさま言い直した。
「いや、教えてください。お願いします」
九頭龍は目を細める。
いつもの軽口を叩くかと思ったら、
頭を下げられてお願いをしてきた。
九頭龍はすぐには何も言わなかった。
ただ静かに今の緑を見ている。
よく見ると正気が薄れている目。
麻雀に触れた頃とは明らかに違った怖い目をしている。
「⋯⋯」
九頭龍は少しだけ考えるように視線を落とした。
本当はこんな形で麻雀に触れて欲しかったわけじゃなかった。
麻雀は楽しい遊びなんだと、
そう体感して欲しかったんだ。
でもそれ以上に苦しんでいる緑を見るのは、
かなり心にくるものがあった。
こんな緑を前に断ることなど到底できなかった。
「⋯⋯分かった」
短くそう言った。
その日から、塾が終わった後に毎日ネットで麻雀を打つようになったのだ。
今日も学校から帰って、塾へ行って、課題を終わらせる。
そして深夜部屋の照明だけをつけてパソコンを開く。
「この形なら、どっちを切るの?」
「そっちではない」
九頭龍が静かに答える。
「アガる確率を高めるなら、
河の牌や相手の手牌を予想して山に残っている牌の数を意識するんだ」
手役の進め方、
牌効率、
鳴くタイミング、
リーチの判断、
危険牌の見分け方。
今まで感覚で打っていたものを、
一つずつ頭の中で整理していく。
「ここは降りる」
「え、でもテンパイ——」
「貴様より相手の方が高い手を張っている」
冷たいくらい淡々とした声。
でも九頭龍の言う通りに打つと少しずつ対局の結果も変わっていった。
最初は低かった勝率もいつの間にか上がっていった。
「⋯また一位」
画面を見る。
ポイントが増えていく。
少しだけ嬉しい。
でも上の卓へ行くと途端に勝てなくなる。
手が進まない、
押し返される、
読まれる、
そして気付けば負けている。
「⋯⋯っ」
無意識に舌打ちをしてしまう。
ストレスが溜まる。
前は負けてもあんなに楽しかったのに。
でも今は違う。
負けるたび心の奥がどんどん黒くなっていく。
どす黒い感情。
大会で勝たなければならないという焦り。
私は大会で負けることは許されないんだ。
──《私がやりたい"麻雀"を高校でも続けるために。》
無言のまま再びマウスを握った。
そんな日々の繰り返し。
学校、塾、勉強、
そして深夜のネット麻雀。
眠い目を擦りながら画面で麻雀を打ち続けた。
気付けば大会まで残り三日になっていた。
◇
放課後。
「緑、最近なんか疲れてない?」
友達が心配そうに聞いてくる。
「えー? そう見える?」
いつも通りに笑って返した。
「確かにちょっと寝不足かも」
「受験生だもんねー」
「それなー」
笑う。
ちゃんと笑えている。
昔からこういうのは得意だった。
どれだけ心がぐちゃぐちゃでも、
周りにはいつもの私を見せられる。
でも一人になると駄目だった。
部屋へ戻る。
制服のままベットへ横たわる。
スマホを見ると大会の開催通知が画面に現れる。
その文字だけで呼吸が浅くなる。
もし負けたら全てが私から無くなってしまう。
桜華高校への進学。
海里との麻雀。
やりたいこと全部。
【失う】
「⋯⋯っ」
気付けば無意識に爪を噛んでいた。
─────(天の声)──────
あっ、そうそう!
さっき緑の日常で変わったものが二つあるって言ったよね?
もう一つ言い忘れてたよ!
ごめんごめん。
もう一つはね。
《暗転》
……ギ、……ッ────……
……ツ、……───ザッ……
──……ッ、……キィ───……
───【緑ノ心ガ、既ニ壊レテイル事】
次回、緑は麻雀の大会に向けて焦っていた。身を削って、精神を削って、麻雀と向き合う。そんな中でもう一人の主人公はと言うと。
第七話「友達の話①」




