第五話「夏の終わり」
⚠︎良ければブックマーク、評価の方よろしくお願いします。
星川さんと出会ってから数日が経った。
気付けば夏休みももう終わりを迎える。
窓の外では蝉の声が少しだけ弱くなっている。
机の上には参考書。
その横にはいつの間にか麻雀の本が置かれている。
「⋯⋯なんでこうなったんだろ」
小さく呟きながらスマホを見るとLINEの通知が来ている。
『海里』
いつの間にか下の名前で呼び合う仲になった。
メッセージが届いている。
──海里 《今日もいつものファミレスにいる》
──海里 《何時に来る?》
会ってからまだそんなに経っていないのに、
一気に距離が縮まっている現実に笑みがこぼれる。
あれから海里とは毎日連絡を取っていた。
私もすぐにスマホで返信する。
緑 《14時になるかも!》
送信。
──海里 《おっけー》
──海里 《宿題終わってなかったら殺すよ》
「怖っ」
思わず笑ってしまう。
最近はこうして海里に勉強を教えてもらっていた。
もちろん勉強だけで終わるはずもなく、
麻雀についても教えられている。
「チーは左から」
「ポンは同じ牌」
「鳴くとスピードが上がるよ」
と麻雀についてはさらに熱血だった。
ベッドの上でつぶやく。
「なんで勉強会で麻雀を覚えてるんだろ⋯⋯」
「勉強は良いのか?」
頭の上から九頭龍が言う。
「勉強もしっかりやってるもん!」
参考書を閉じながら小さく笑った。
実際海里の教え方はとても分かりやすかった。
「これ公式を覚えるより、
意味で理解した方が早くない?」
「え、どういうこと?」
「だからさ──」
最初はノリと勢いだけの人だと思っていた。
でも海里は頭の整理が上手かった。
どこを覚えれば良いのか説明が妙に的確なのだ。
しかも、
「麻雀も勉強も一緒だよ」
なんてことを言ってくる。
最初は意味が分からなかったけど、
不思議と回数を重ねる毎に海里の言葉はすんなり頭の中に入ってくるようになった。
そのおかげで夏期講習のテストはかなり良い点が取れた。
「偉いじゃない緑!」
お母さんも久しぶりに機嫌が良かった。
だから最近は外出の帰りが遅くても、
前ほどとやかく言われなくなった。
◇
「んー⋯⋯」
鏡の前で出かける準備をしている。
メイクを終えて髪を巻きながらずっと悩んでいた。
今日はどの服にしようか。
海里はとてもおしゃれだ。
一緒にいるとなんとなく気を遣ってしまう。
「それで三十分経ったぞ」
後ろから九頭龍が呆れた声を出す。
「女の子には準備があるの!」
「理解できん」
「クズさんには一生分かんないよ!」
笑いながらお気に入りのトップスを取り出した。
少しだけ大人っぽい服。
これなら海里と並んでも変じゃない。
髪を整えて、
リップを塗って、
カラコンをつけて、
バッグを持つ。
なんだか最近ファミレスへ行く時間が、
とても楽しみになっている。
「行ってきます!」
「遅くならないようにねー」
お母さんの声を背中に聞きながら家を出た。
外へ出た瞬間。
「あっつ⋯⋯」
思わず顔をしかめる。
夏の熱気がまだ全然残っている。
アスファルトからむわっとした空気が上がってきて歩くだけでも汗が滲む。
「なんでこんな暑いの⋯⋯」
「夏だからだ」
「クズさんってたまに答えになってないんだよね」
文句を言いながら歩く。
もうすぐ二学期。
長かった夏休みも終わる。
「久しぶりにみんなに会うの楽しみだなぁ」
ぽつりと呟く。
友達とまたくだらない話をして、
放課後に寄り道して、
そんな日常が戻ってくる。
するとふと海里の顔が浮かんだ。
「⋯⋯今度機会があったら友達に海里を紹介してみようかな?」
「やめておけ」
九頭龍が即答する。
「なんで?」
「あのテンションについてこれるのか?」
「それはまぁ⋯⋯そうだけど」
でも海里と学校の友達が並んでいるところを想像すると、なんだかとても変な感じだった。
派手な髪。
大人っぽい見た目。
なのに麻雀バカ。
「いや、普通にドン引きされそうだな」
そんな独り言を続けながらファミレスへ向かって歩いていく。
「ごめんお待たせー!」
ファミレスの扉を開けながら海里に手を振る。
海里は窓際の席でドリンクバーのコーラを飲みながらスマホをいじっていた。
「遅いー」
「いやまだ五分!」
「女の五分は貴重なんだよ!」
「ごめんてー」
ペロッと下を見せて席へ座る。
机の上にはすでに参考書とノートが広げられていた。
「はい、今日は英語ね」
「えぇー」
「その顔やめな?」
海里は笑いながらペンを回す。
私も鞄から教科書を取り出した。
こうして海里と勉強するのも何回目か分からない。
最初は緊張していたのに今はもう普通に話せるようになった。
「そういえばさ」
ノートを開きながら海里に聞く。
「最近雀荘には行ってるの?」
「最近はそんなでもない」
海里はストローを咥えながら答える。
「外暑いし、まぁいろいろとねー」
「へぇー」
「あと勉強もあるし」
「いや海里は勉強しなくてもできるじゃん!」
「する時はするの!」
海里はあっさり言う。
珍しい真面目な一面が垣間見えた。
続けてふと気になった事を海里に聞く。
「そういえばさ、海里ってそれだけ頭良いってことはどこの高校受けるの?」
「んー?」
海里は少し考えるようにしてから、
「桜華高校」
と答えた。
「⋯⋯えっ?」
思わず顔を上げる。
桜華高校。
決してレベルが低い学校じゃない。
むしろ普通に人気校だ。
でも海里の偏差値ならもっと上を狙えるはずだ。
「え、なんで!?」
本気で驚いていた。
そんな私に海里が逆に聞いてきた。
「じゃあ緑は?」
「え?」
「志望校」
「⋯⋯嶺蘭、とか?」
「とか?」
海里が詰める。
「なんで?」
「えっと⋯⋯」
特に答えがなく少し視線を泳がせた。
「偏差値高いし⋯⋯」
「ふーん」
海里は頬杖をつく。
「嶺蘭で何をするの?」
「え?」
「高校に入って何をしたいの?」
「⋯⋯」
言葉が止まる。
何をしたいか。
そんなこと考えたこともなかった。
ただ勉強して少しでも偏差値の高い大学へ行く。
なんとなくそれが正しいと思っていた。
でも、
「別に、特に⋯⋯うーん」
その問いに対する回答を口に出せない自分は
空っぽなんだと思った。
海里は少しだけ私を見つめて静かに口を開いた。
「あたしはね」
さっきまでの軽い声じゃなかった。
少しだけ真面目な顔。
「桜華高校で麻雀部を作るの」
「麻雀部?」
「そ」
海里は笑った。
でもその目は真っ直ぐだった。
「そして全国大会を目指したい」
その言葉に迷いは一切なかった。
私は凄いと思いながらあえてこう聞いてみた。
「いや海里の実力なら他の高校でも別に麻雀で全国行けそうじゃん!」
偏差値がもっと高い、いわゆる良い大学にも行きやすい高校。
そういう場所でも海里ならその夢を叶えられると本気で私は思っている。
でもその瞬間、海里の表情が曇った。
「⋯⋯それじゃダメなんだよね」
と小さく呟いた。
海里はストローを指で弄びながらゆっくり話し始めた。
「あたしの家さ、親が麻雀好きなんだよね」
「へぇ」
「小さい頃から普通に家で牌を触ってた」
海里にとって麻雀は気付けばそこにあったもの。
携帯みたいに自然に触れていたものだった。
「自慢じゃないけど⋯⋯」
海里は少し笑う。
「うちの親、結構強いらしいよ?」
“らしい”。
その言い方がどこか海里らしかった。
「らしいって!」
「だってプロとかじゃないし!」
「でもそれなりに強いんだ?」
「まぁこの辺では有名だったっぽい」
海里はジュースを飲みながら続ける。
「でね。昔、お父さんと一緒に全国目指してた人がいたの」
「全国⋯⋯?」
「その人が今、桜華高校で先生をやってるんだって」
そんな思いで麻雀と向き合っていたなんて、
初めて聞いたからびっくりだった。
麻雀の全国大会。
そんな世界があることすらも私は知らなかった。
海里はどこか羨ましそうに笑った。
「お父さんさ、
その人のことめちゃくちゃ尊敬してんの」
「へぇ⋯⋯」
「打ち方も人間としてもすごかったって」
海里の声が少し柔らかくなる。
「でも」
そこで一度言葉を切った。
「お父さん達、結局全国には行けなかったんだよね」
ファミレスの雑音が少し小さく感じる。
海里は窓の外を見ながら小さく笑った。
「だから今度は」
まっすぐ前を見る。
「あたしがその人と行ってみたい」
その目にはいつもの軽さがなかった。
「その先生と一緒に桜華高校の麻雀部として
全国大会を目指してみたい」
静かな声。
「やっぱりすごいね」
素直にそう思った。
海里は首を傾げる。
「なにが?」
「なんか⋯⋯ちゃんと目標あるじゃん」
ストローを弄りながら小さく笑った。
「高校行って何がしたいか決まってて、
全国行きたいって思えるくらい麻雀が好きで⋯⋯ほんとにすごいよ」
海里は少しだけ黙る。
私はそのまま続けた。
「私、そこまで真剣に取り組めるものないし、
麻雀は好きだけど⋯⋯青春かけるとか、そこまではまだ分かんないかな」
それが本音だった。
楽しい。
もっと知りたい。
勝ってみたい。
そう麻雀で思えることは増えた。
でも“麻雀の為に高校を選ぶ”。
その言葉を口にするほど私は麻雀と真剣に向き合えなかった。
「そもそもお母さんが麻雀なんて絶対許さないし、
それにわざわざ偏差値の低い高校に行くって言ったら普通に怒られる」
「まぁそれが普通かもね」
海里も少し笑った。
でもぼんやり思っていた。
海里はやっぱり自分とは違う人間だ。
ただ明るくて自由なだけじゃない。
ちゃんと自分が進みたい道を歩いている。
やりたいことがあってそこへ向かって進んでいる。
それが私には眩しかった。
「⋯⋯」
氷の溶けたジュースを見つめる。
海里と私は人間として大きく違うのかもしれない、そんなことを思い知らされた瞬間だった。
◇
気付けば窓の外は赤くなっていた。
ファミレスのガラスにも夕焼けの色が映っている。
「うわ、もうこんな時間⋯⋯」
ノートを閉じながら呟く。
英語の問題集。
数学の解き直し。
その横には麻雀牌の落書きのあと。
「今日もありがとう!」
筆箱を鞄にしまいながら海里に手を合わせる。
「ん」
海里も参考書を重ねながら軽く返事をする。
「緑、最初よりだいぶ解けるようになったじゃん」
「まぁちょっとだけ!」
「鳴きの判断はまだ変だけど」
「麻雀は勉強よりももっと難しいんだって!」
そんな会話をしながら片付けていると、
「あ、そういえば」
海里がふと思い出したように口を開いた。
「さっき全国大会って話、したじゃん?」
「うん」
「中学生でも出れる大会はあるんだよ?」
「え?」
顔を上げる。
海里はそのまま続けた。
「県大会。しかも部活に入ってなくても誰でも参加できるの」
「へぇ⋯⋯」
少し驚いた。
もっと狭く閉じた世界だと思っていた。
でもそうじゃないらしい。
「海里は出るの?」
「もちろん」
その言葉に迷いがなかった。
「そこで勝ちたい人がいるの」
(海里をそこまで思わせる人ってどんな人なんだろ⋯。
そもそも海里が勝てない人なんているの?)
心の中ではそんなことを思っていた。
すると海里がこちらを見る。
「緑は?」
「え?」
「出ないの?」
「いやいやいや」
すぐ首を横に振った。
「受験前だし、そんな余裕ないよ」
それにまだ自分は麻雀初心者だ。
県大会に出るなんて想像もつかない。
「ふーん」
海里はただそれだけ返した。
「⋯⋯まだ緑には大会は早いかもね」
海里はジュースを飲みながらぽつりと言った。
その声はいつものからかう感じではなかった。
「なんか変なこと聞いてごめん」
「え?」
海里が謝るのは珍しい気がして少し驚いた。
「ううん」
小さく笑って返す。
「こっちこそ今日も勉強教えてくれて本当にありがと!ちゃんと点数上がってるし海里様様です」
「まぁ、あたしが教えてるからね!」
「すぐ調子乗る!」
二人で笑う。
そんな何気ない時間が今は私の大切な時間になっていた。
片付けを終え席を立つ。
窓の外はもう夕方というより夜に近い色になっていた。
「⋯⋯夏休みが終わったらあんまり会えなくなるね」
ぽつりと呟く。
海里は鞄を肩に掛けながら、
「会いたくなったらLINEして!
予定なかったら会ってあげる!」
「なにその上から!」
「事実だから」
海里はニヤッと笑う。
そして笑顔で海里に手を振る。
「じゃあまたね!」
「ん。また」
ファミレスの自動ドアが開く。
夜の空気が体に流れ込んできた。
振り返りもう一度だけ海里を見る。
最初はとても変な出会いだった。
でも気付けば今年の夏は海里が思い出の中心になっていた。
こうして中学三年生の夏が終わった。
◇
キンコンカンコーン——。
二学期の始まりを告げるチャイムが校舎に鳴り響く。
夏休みが終わった学校はどこか騒がしい。
「課題終わった?」
「ねぇー見せて!」
「二学期とか最悪」
そんな声が教室中から聞こえてくる。
久しぶりの空気に私も少しだけ懐かしさを感じていた。
やっぱり学校は学校で落ち着く。
◇
放課後。
「緑、一緒に勉強しよー」
友達に誘われ図書室へ向かう。
静かな空間。
ページをめくる音。
シャーペンの音。
カリカリカリ——。
二人とも無言で問題集を進めていく。
受験生になってからこういう時間も増えた。
「⋯⋯あー疲れた」
少し背伸びをする。
ずっと座っていたせいで肩が重い。
「ちょっと息抜きしてくる」
友達にそう言って図書室の棚の間をふらふら歩いてみる。
小説。
参考書。
歴史の本。
色々並ぶ中でふとある文字が目に入った。
『麻雀入門』
「あっ⋯⋯」
自然とその本を手に取っていた。
最近覚えた言葉が並んでいる。
リーチ。
ポン。
チー。
役牌。
ぱらぱらとページをめくる。
前なら意味不明だった言葉が分かるようになってる。
なんだかそれが嬉しかった。
すると後ろから友達が声をかける。
「え、緑って麻雀するんだっけ?」
振り返ると友達が驚いた顔をしていた。
「あー⋯」
少し照れくさそうに笑う。
「最近始めたんだー」
「えー、なんか意外」
友達がくすっと笑う。
「緑って頭使うゲームできたの?」
「できますー!」
ムッとしながら本を閉じた。
「すごい失礼なんだけど!」
「だって絶対感覚派じゃん」
「そうかもだけど!」
そんなやり取りをしながら席へ戻る。
椅子へ座り再び問題集を開く。
座ってすぐに友達が口を開いた。
「ていうかさ」
「ん?」
「最近テストの調子よくない?」
ペンを書く手が止まる。
「そう?」
「夏期講習のやつ結構上じゃなかった?」
「えへへ⋯⋯」
「絶対なんかあったでしょ!なになに!」
友達がニヤニヤしながら覗き込んでくる。
少し考えてから小さく笑った。
「麻雀好きの新しい家庭教師のお陰⋯⋯かな?」
「え、誰それ!」
「めっちゃ変な人だよ」
海里の顔が頭に浮かぶ。
「ふーん?」
友達は面白そうに笑う。
「なんか恋してるじゃん」
「そんなんじゃない!!
あと女の人だから!!」
私はすぐ否定した。
図書室を出る頃には空はもうオレンジ色に染まり始めていた。
「なんか暗くなるの早くなったねー」
友達が歩きながら言う。
「そうだね」
空を見上げる。
少し前まで夕方でもまだ明るかった。
でも今は違う。
風も少しだけ涼しくなっている。
夏が終わる。
そんな空気だった。
「二学期始まったら受験まで一瞬だよね」
「受験ほんと嫌なんだけど」
「分かるー」
そんな普通の会話をしながら通学路を歩く。
少し前までならきっと私も同じように“受験だけ”を考えていた。
でも今は頭の片隅に別の世界がある。
牌の音。
リーチの声。
雀荘の空気。
海里の笑い声。
気付けば麻雀はもう私の日常の一部になっていた。
ブルッ。
スマホが震える。
足を止めてスマホを見る。
《海里:》
表示を見て少しだけ笑う。
メッセージを開く。
──海里 《今日緑一色にいる》
──海里 《めぐみさんが緑来ないの?って寂しがってたよ》
「⋯⋯」
少しだけ画面を見つめる。
私だって行きたい。
でも課題もあるし塾もある。
何より受験生だ。
小さく息を吐いてスマホを閉じた。
「行かないのか?」
隣で九頭龍が言う。
「今日は我慢する」
「ほう」
「ちゃんと受験生してるの!」
九頭龍は少しだけ笑った。
「大人になったな」
「子供扱いしないで!」
でも胸の奥が少しだけ騒いでいる。
また卓を囲みたい。
また海里と話したい。
そんな気持ちが自分の中ではとても大きくなっていることに気付いていた。
ブルッ。
再びスマホが震える。
海里から画像が送られてきた。
──海里 《余計なお世話だけど一応》
その一言だけ。
「⋯⋯?」
気になって画像を開く。
そこに写っていたのは——
『中学生麻雀競技選手権 県大会申込用紙』
「⋯⋯」
思わず足が止まる。
開催日。
会場。
参加条件。
そして大会の締切は二週間後だった。
夕焼けの色が画面に反射する。
「⋯⋯」
しばらく無言でその画像を見つめていた。
出るわけない。
受験生だし。
まだ始めたばかりだし。
大会で勝つ実力もない。
だから、
緑 《出ないよ》
そうLINEを返す。
数秒後。
──海里 《そっか》
海里らしい短い返事。
そのまま空を見上げた。
夏の終わりの風が吹く。
良い高校に入るために今は受験勉強に集中をする。
そう決心しているのに。
まだ自分の中でそれが正しい選択なのか自信が持てずにいた。
一萬
~完~
次回、海里からの質問が緑の中にずっと引っかかっていた。高校に行って何をしたいのか?その答えがない自分自身を更に追い詰めていく。
第六話「進路」




