第三話「友達?」
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◇
南四局。
「リーチ」
オーラスで最初に仕掛けたのは常連の男性だった。
卓の空気がまた変わっていく。
「⋯⋯高いのが来た。警戒しろ」
九頭龍の声が低くなる。
自分の手牌を見るも正直まだ全然分からない。
でもさっき初めてアガれたことで、
少しだけ自信があった。
「西を切れ」
九頭龍が言う。
しかし私は西とは別の牌を見た。
(こっちの方が揃いそうじゃない?)
九頭龍の指示に対して感じたほんの小さな違和感。
初めて自分で考えた。
「こっちの方がいいかも?」
タン!
牌を置いたその瞬間、
男性が宣言した。
「ロン、8,000だ」
静かな声だった。
「えっ?」
牌を置いた手が止まる。
店員さんが少し苦笑する。
九頭龍は黙っていた。
男性が手牌を倒していく。
まだ何がダメだったのか理解できない。
ただ初めて“自分の選択で負けた”のだと、
それはなんとなく理解ができた。
「はい、これで終了ー」
店員さんが卓を軽く叩きながらゲームを締める。
牌が崩されていく音。
点棒が片付けられていく。
椅子にもたれながら大きく息を吐いた。
「つかれたぁー」
正直頭はほとんどパンクしていた。
何を揃えたのか。
何を切ったのか。
リーチ。
テンパイ。
ロン。
ツモ。
知らない言葉ばっかり。
でも、
「⋯⋯楽しかったかも」
ぽつりと漏れる。
その言葉に店員さんが嬉しそうに言った。
「お、いいじゃん!」
「なんかもう全然分かんなかったけど!」
「最初はみんなそんなもんだよ!」
男性も頷く。
「初めてにしては全然打ててたよ!」
「ほんとですか?」
「うんうん。普通はもっと固くなっちゃうもんだよ」
お世辞でも褒められると少し嬉しい。
結果はビリだったけど、
最後に放銃してしまったけど、
それでも不思議と悔しくはなかった。
それ以上に、
“最後まで打ち切った”
という達成感の方が大きかった。
「あの2,000点をアガったの良かったよ!」
店員さんが拍手をする。
「あれ嬉しかったです!」
「初アガりって特別だからねー」
思わず笑みがこぼれた。
九頭龍は後ろで静かに腕を組んでいる。
「なぜあの牌を捨てたんだ?」
低い声。
(ん?なんて?)
「南四局だ」
(えー⋯⋯女の勘的なー?)
椅子の背にもたれたまま天井を見る。
(なんかこっちの方が良さそうだったしー)
「感覚で麻雀は打つな」
(だって分かんないし!)
「だから我が言っただろう!」
九頭龍は少し不満そうだった。
だが今の私にはそんなことどうでも良かった。
それくらいこの対局に心を満たされていた。
なにより楽しかった。
それが一番大きかった。
「上路ちゃん、また来てね!」
店員さんが笑いながら牌を片付ける。
「またたくさん教えるからね!」
少し迷ったあと小さく笑った。
「⋯⋯はい」
その言葉は自分でも少し意外だった。
数日前まで麻雀なんて興味もなかったのに、
今はもっと知りたいと思っている。
「ほんと?じゃあいつでもおいでね!」
店員さんは嬉しそうに笑う。
「平日なら夕方からいるから!」
「あ、そうなんですね」
「改めまして、ここで店員をしている三浦 恵です。
みんなからはめぐちゃんって呼ばれてるよ!☆」
「あ、上路 緑です」
「知ってる!点数表に書いてたから」
「あっ」
対局前に名前を紙に書いたこともすっかり忘れていた。
「じゃあ緑ちゃんだね」
「え、もうそこまで距離近い感じなんですか!」
「緑ちゃん私の妹と同じくらいの年齢だからつい!」
三浦さんはくすっと笑った。
ここの雀荘の空気は少し心地よかった。
学校とも塾とも違う。
知らない場所だから変に自分を取り繕わなくていい。
ふと時計に視線をずらす。
「あ、やば!! 塾!!」
完全に忘れていた。
慌てて立ち上がる。
「ありがとうございました!」
「はーい、またねー」
男性も軽く手を振る。
男の子だけは席に座ったまま小さく会釈した。
「また来ます」
その言葉を残して私は雀荘を後にした。
扉のベルが鳴る。
夕方の空気が体を包む。
「急げ」
後ろから聞こえる九頭龍の声。
「分かってるって!」
駅へ向かって全力で走る。
でもその表情は雀荘に入る前よりも随分と明るかった。
◇
雀荘の開いた扉が閉まる。
静かになった先程の卓では、
三浦さんが牌を片付けながら言った。
「元気な子だったね!」
「⋯⋯」
男の子は閉まった扉をずっと見ていた。
「中野くん?」
「⋯⋯あの子」
「ん?」
「上路さん、また来ますかね?」
「楽しそうだったし、また来るんじゃない?」
三浦さんは笑顔でそう答えた。
男の子は少しだけ黙ったあとこう言った。
「あの、上路さんがまた来たら僕に連絡もらえますか?」
それを聞いて三浦さんが目を丸くする。
「中野くんがそんなこと言うの珍しいね!
もしかして⋯⋯一目惚れ?」
「違いますよ!」
男の子はそれだけ返し、
静かに牌へ視線を落とした。
(南三局のあの切り返しは⋯⋯いったい)
だがその目は真剣そのものだった。
◇
雀荘に行ってから数ヶ月が経った。
季節は夏休み。
蝉の声が朝からずっと鳴いている。
中学三年生にとって一番“受験”を意識する時期だ。
「あっつ⋯⋯」
机に突っ伏しながらシャーペンを転がしていた。
夏休みなのに全然休みじゃない。
朝から塾。
帰って自主勉。
夜になったらまた塾。
友達と遊ぶ時間すら無かった。
「集中しろ」
後ろから聞こえる九頭龍の声。
「無理⋯⋯暑い⋯」
「だらしない」
「クズさんは汗かかないからいいよね⋯⋯」
九頭龍は呆れたようにため息をついた。
あの日から九頭龍が見えることにもだいぶ慣れていた。
最初は視界に男がいるだけで落ち着かなかったのに今では普通に会話をしている。
そして雀荘にはあれ以来一度も行っていなかった。
別に行きたくないわけじゃない。
むしろたまに思い出す。
牌の音。
点棒の感触。
自動卓の開く音。
初めてアガった時のあの感覚。
でも受験勉強に集中しなくちゃ。
「緑ー!」
一階から母親の声が聞こえる。
「この前のテスト返ってきたんだけど!?」
「⋯⋯あっ」
ペンを書く動きが止まる。
数秒後に一階からお母さんの声が響いた。
「ちょっと下りてきなさい!」
「はーい⋯⋯」
重い足取りで立ち上がった。
九頭龍が静かに言う。
「赤点か?」
「違うし!」
「では何だ」
「⋯⋯平均ちょい下」
「前より点数が落ちたな」
「うるさい!」
実際その通りだった。
春頃まではそこそこ取れていた点数が最近少しずつ落ちてきている。
原因は分かっていた。
勉強に集中できていないのだ。
勉強中でもテスト中でも麻雀のことを考えてしまう。
“テンパイ”
“リーチ”
“ダマテン”
知らない言葉ばかりだったのに、
気付けば頭の中は麻雀でいっぱいだった。
「受験生なんだからしっかりしなさい!」
お母さんにも今回はかなり怒られた。
だから雀荘へ行く時間があったら勉強をしようと思った。
何より行ったら絶対ハマってしまう。
なんとなくそれが分かっていた。
「行ってきまーす」
「ちゃんと勉強してきなさいよー!」
母親の声を背中で聞きながら家を出た。
◇
夜の空気は昼より少しだけ涼しい。
とはいえ夏だ。
歩けばじんわり汗は滲む。
塾の帰り、時計の針はもう九時を回っていた。
「てかさー、絶対今回の数学ムズくなかった?」
隣を歩く友達が不満そうに言う。
「そうだねー」
適当に返す。
「いや絶対ムズいって!
先生も今回平均下がるって言ってたし!」
「へぇー」
「聞いてる?」
「聞いてる聞いてる!」
半分くらい。
そしてふと前に視線を向けると、
前を歩く明るい髪の女の子が視界に入った。
長い髪。
細いシルエット。
夜道でも分かるくらい整った横顔。
年齢は高校生くらいだろうか。
制服なのにどこか大人っぽい。
「⋯⋯綺麗な人」
思わず小さく呟く。
「え?」
「いや、なんでもない!」
友達に誤魔化しながら、
でもついまた目で追ってしまった。
なんとなく目が離せない人だった。
歩き方。
雰囲気。
ただ可愛いだけじゃない。
どこか近寄りがたい空気を感じていた。
するとその女性が細い横道を曲がっていった。
街灯も少ない薄暗い道。
「あれ?」
歩いていた足が止まる。
この道は見覚えがあった。
その曲がり角は、
どこかで──。
「緑?」
友達が不思議そうに振り返る。
「どうしたの?」
「あー⋯⋯ごめん、ちょっとお母さんからのおつかい思い出した!」
「今!?」
「すぐ終わるやつ!」
「なにそれ怪しー」
友達は笑う。
適当に笑い返しながらその細道へ視線を向けた。
女の人の姿はもう奥へ消えかけている。
「また明日ね!」
「え?うん。またねー」
手を振る友達。
そして友達と別れると、
見失わないように少し足早にその道へ入っていった。
後ろから九頭龍が静かについてくる。
「つけるのか?」
(いや、なんか気になるじゃん!)
「好奇心は身を滅ぼすぞ」
(クズさんってたまに変な言い回しするよね)
「そうなのか?」
(もういい!)
軽口を返しながら暗い道を進んでいく。
すると少し先に見えた看板で私は足を止めた。
先にぼんやりと見える看板には見覚えがあった。
古い雑居ビルの一階。
「あれ⋯⋯」
眉をひそめて記憶を辿る。
どこかで見たような──。
その瞬間中からジャラジャラという乾いた音が聞こえた。
牌のぶつかる音。
脳裏に数ヶ月前の記憶がよみがえる。
「あっ⋯⋯」
思わず呟く。
《まあじゃん 緑一色》
今、さっきの女の人がここへ入っていったような。
緑一色の扉を見つめる。
「雀荘なんかにあんな綺麗な人が⋯まさかね」
でももし本当にあの綺麗な人がここへ入っていったのだとしたら。
この好奇心を必死に抑え込もうとしている。
「帰らなくていいのか?」
後ろで九頭龍が言う。
「受験生なのだろう?」
「⋯⋯うっ」
痛いところを突かれる。
今日だって本当なら真っ直ぐ家へ帰る予定だった。
母親にはこの前かなり怒られたばかりだ。
“麻雀なんてやってる暇あるなら勉強しなさい”
その通りだと思う。
だから今日も塾へ行って寄り道をせずに帰る。
⋯⋯はずだった。
「ちょっと見るだけ」
「その言葉を信用したことはない」
「クズさん時々失礼なんだけど!」
唇を尖らせる。
でも足先は既に店の方向を向いていた。
気になる。
なんでこんなに気になるのか自分でも分からない。
牌の音を聞いただけで私の胸は更に高鳴っていった。
「⋯⋯」
数秒迷って、
「ちょっとだけだからね」
私は扉へ手をかけた。
カラン──。
小さなベルの音が鳴る。
そこには私が待ち望んでいた光景が広がっていた。
──《ただいま。》
次回、再び雀荘の扉を開く緑。そこには懐かしい顔や新しい顔が広がっていた。そこで待つ緑の運命とは⋯⋯!?
第四話「友達!」




