第十二話「中学校麻雀競技選手権 県大会①」
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小さくトーナメント表を握り直し、
人の流れに紛れるようにAブロックの会場へ向かった。
......ここがAブロックの会場。
「……っ」
思わず息を呑む。
想像していたよりずっと広い。
大量の卓。
並ぶモニター。
スタッフ。
緊張した空気と、静かなざわめき。
部屋へ入った瞬間その全部が一気に押し寄せてきた。
これが県大会。
その現実がようやく身体に伝わってくる。
改めてトーナメント表を見ながら自分の対局場所を探す。
「えーっと……ここか」
卓を見つけたが、まだ誰も座っていなかった。
一番乗りだった。
静かな卓に整えられた椅子。
まるでこれから始まる戦いを待っているみたいだった。
ゆっくり席へ近づく。
卓の中央。
伏せられた四枚の牌。
一枚をそっとめくる。
――東。
「……」
東家。
静かに席へ座った。
椅子の感触。
卓の匂い。
自動卓の低い駆動音。
全部が妙に鮮明だった。
心臓が少し速い。
でも不思議と昨日までのような恐怖はそこまで感じていなかった。
少し周りに視線を向けてみる。
まだ他の選手はほとんどいない。
早く来ている選手は私と同じように、
座って集中をしているようだった。
後ろを振り向くと、
九頭龍がいつも以上に真剣な表情をしているように見えた。
当然この姿が見えているのは私だけだ。
でもそれがとても心強かった。
「……クズさん」
小さく呟く。
「今日は.....よろしくね」
「これからもクズさんと麻雀をするために。」
少しだけ笑った。
「期待.....してるんだからね!」
その言葉には確かな信頼を寄せていた。
九頭龍は静かに卓を見下ろして少し笑みを浮かべた。
さっきよりは少し穏やかな表情になった気がする。
それでも目は本気だった。
この大会を、
この卓を、
本気で勝ちに行く、そんな顔をしていた。
緑、安心しろと言ってくれているみたいで、
なんだか胸が熱くなる。
それから数分が経っただろうか。
静かだったこの会場にも少しずつ人が入り始める。
会場の外では選手同士の雑談の声もガヤガヤと聞こえるようになってきた。
と同時にBブロックの会場の方では、
歓声とシャッターの音が急に大きくなっていた。
ふぅ......。
呑まれるな。
集中するんだ。
椅子を引く音。
緊張した声。
場決めの牌を打つ音。
空気が徐々に熱を帯びていっているのが分かる。
まもなく私の卓にも男の子が二人座る。
一人は眼鏡をかけた細身の男子。
もう一人は明らかに場慣れしている雰囲気の短髪の男子。
どちらも無駄話はしない。
席へ座った瞬間からもう勝負の顔をしていた。
残るはあと一人。
「……」
小さく息を吐く。
二人の緊張感がこちらにも伝わってくる。
指先が冷たい。
やっぱり大会だからだろうか。
この部屋にいる全員が勝つために、
みんな卓に座っている。
その圧は痛いくらい伝わっている。
真剣な顔。
卓を見る目。
押し殺した緊張。
その全部を見るたび胸が少し締め付けられた。
自分は本当にここに座っていても良いのだろうか。
他の選手と同じような覚悟はあるのか......。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。
いや、
ある。
――私は勝たなきゃいけない。
麻雀を続けるために、
海里と麻雀をこれからも打つために、
誰よりもこの大会で勝つ覚悟だけは持ってきた。
そのために今日は九頭龍に全部を託したんだ。
膝の上で小さく拳を握る。
そんなことを考えていた時だった。
「失礼します」
卓の横から小さな声が聞こえる。
反射的に顔を上げた。
女の子。
この卓の最後の対局者。
無意識にその姿を見つめる。
この子はどんな打ち方をするんだろうか。
そんなことを考えていると、
Aブロックの会場全体にスタッフの声が響いた。
「それでは――
中学校麻雀競技選手権 県大会、1回戦を開始します」
空気が変わる。
小さく息を呑む。
そして次の瞬間、ブザー音が会場全体へ鳴り響いた。
大会の始まりを告げる音。
「……っ」
心臓が跳ねる。
私はサイコロを振った。
乾いた音が響く。
自動卓が静かに動く。
慣れているはずの光景なのに、
今日は全てが違って見える。
配牌を整える。
指先がまだ少し震えている。
そして卓を見下ろしていた九頭龍が小さく呟いた。
「――中」
静かな声。
一瞬だけ配牌を見る。
そして何も考えずに中を卓の中央へ置いた。
タン!
乾いた牌の音が鳴る。
麻雀大会の始まりを合図にするかのように、
一回戦の前半戦が始まった。
◇
あれから一時間が経っただろうか。
気付けば前半戦はもう南四局の終盤まで進んでいた。
卓の空気は重い。
誰も喋らない。
牌の音だけが静かに響いている。
最後の牌をゆっくり河へ置いた。
タン。
「テンパイ」
「ノーテン」
「テンパイ」
「ノーテン」
前半戦終局。
「ありがとうございました」
小さく息を吐いた。
点棒表示。
49,200点。
トップだ。
しばらく数字を見つめる。
九頭龍が打っているんだ。
トップになれるって分かっている。
それでもこの卓で勝ったという現実が、
より一層安心させる。
周囲では椅子を引く音が鳴り始める。
「御手洗行ってくる」
「飲み物買うか……」
そんな声で会場が少し騒がしくなった。
十分間の休憩。
席を立つ人。
御手洗へ向かう人。
対局内容を振り返る人。
張り詰めた会場内の空気が少しだけ緩む。
私はその場から動かなかった。
動きたくなかったという方が正しいか。
ただ静かに卓へ座ったまま周囲を見つめる。
広い対局部屋。
大量の卓。
心地よい緊張感のある空気。
麻雀に触れていなければきっと経験出来なかった。
その全部をこの身体へ刻み込みたいと感じていた。
ーー。
席を立っていた人達が少しずつ卓へ戻ってくる。
空気がまた張り詰めていく。
私は深呼吸をした。
「それでは後半戦、開始してください」
再び牌が混ざる音が響く。
一回戦の後半戦。
前半よりも空気は重かった。
点数状況。
焦り。
押し引き。
全員が“勝ち上がり”を意識し始めている。
けれどその中でも九頭龍の打牌は最後まで静かだった。
無駄が無い。
迷いが無い。
気づけば卓の流れそのものを支配している。
そして――。
「ロン、2000点です。」
対局終了。
点数集計。
静かにモニターを見つめる。
前半戦後半戦のトータル。
81,000点。
卓内堂々のトップだった。
「よしっ!」
一回戦を勝ち上がった。
周囲では悔しそうに俯く人もいる。
安堵している人もいる。
その中で私だけが、
どこか現実感の薄いまま座っている気がした。
スタッフが近づいてくる。
「二回戦はこちらになります」
立ち上がる。
「……ありがとうございました」
卓へ向かって小さくお辞儀をする。
そのまま同じく勝ち上がった短髪の男の子と、
並んで次の卓へ向かった。
その間、男の子との会話はなかった。
当たり前だ。
二回戦でもお互いに蹴落とし合うんだから。
周囲の空気がさっきよりも研ぎ澄まされていく感覚。
二回戦。
指定された卓へ到着する。
卓には既に二人座っていた。
どちらも女の子。
一人は一緒に座っている女の子を見て少し怯えているように見える。
もう一人は椅子へ浅く座りながらスマホを弄っていた。
「……?」
その時、私はふとあるものが目に止まった。
袖口の服の隙間からほんの少しだけ覗いている黒い模様。
(......タトゥー?)
一瞬だけ見えたそれに小さく眉を寄せた。
二回戦前半戦が始まった。
卓の空気は一回戦よりさらに鋭い。
打牌速度。
視線。
押し引き。
全員が一回戦よりレベルが高い気がする。
それでもこの半荘を引っ張っていたのは、
九頭龍と一回戦で同じ卓の短髪の男の子だった。
お互いに確実に点数を積み重ねていく。
そして、
「ツモ。2,000、4,000です。」
前半戦終了。
点数表示。
35,000点。
トップ。
「よしよし!」
小さく息を吐いた。
まだ安心は出来ない。
でも確実に準々決勝へ近づいている。
僅かな時間の休憩タイム。
椅子を引く音。
飲み物を開ける音。
また緊張が少しだけ緩む。
その時だった。
「お姉さん、調子いいなー」
「……え?」
声のする方へ視線を向ける。
タトゥーの女の子だった。
改めてちゃんと顔を見ると、
思っていたより圧がある。
タトゥーのせいだろうか。
それとも何か別のこの子が持つ何かか。
袖の奥から黒い模様がちらちらと見えている。
緑は少し姿勢を正した。
「ありがとうございます……?」
緊張しながら返す。
タトゥーの女の子はニヤッと笑う。
「でも後半戦、やり返すで?」
挑発的な言葉。
なのに不思議と嫌な感じはしなかった。
「……」
なんだろう、この感じ。
どこか懐かしいような。
一瞬、緑一色で打ったときの記憶が脳裏を過ぎった。
「まもなく二回戦の後半戦を開始します。
選手の皆さんはお席にお戻りください。」
スタッフの声が部屋へ響く。
休憩が終了し、卓の空気が再び緊張に包まれていった。
二回戦の後半戦。
この半荘は明らかにタトゥーの女の子が卓を引っ張っていた。
前半戦とは思えないくらいの押しの強さ。
何より九頭龍の押しに一切怯まない。
「……」
無意識にその打牌を見つめる。
怖い。
でもとても楽しそうだった。
リーチ。
押し返し。
高打点。
卓の流れを強引にタトゥーの女の子へと持ち込んでいく、そんな力強い打ち筋だった。
この局では九頭龍もアガりにくそうな場面が多かった。
守れてはいる。
崩れてはいない。
でもいつもの“卓を支配している感覚”が少し弱い。
タトゥーの女の子の麻雀がそれだけ強いということか。
そして、
「ロン。3,900点。」
二回戦、二回の対局が終了した。
点数表示。
前半戦後半戦TOTAL
45,000点。
二回戦もトップ通過。
「……」
準々決勝へ駒を進めた。
ひとまずここまで来た。
しかし二着表示の点数を見た瞬間、
目を疑った。
タトゥーの女の子 43,000点
後半戦だけで見れば、
タトゥーの女の子の方が九頭龍よりも点数を稼いでいる。
(……うそ)
思わず口に出そうになった。
するとタトゥーの女の子は椅子へ背中を預けながら、
悔しそうに笑った。
「あと一歩、届かんかったかー」
その視線がまっすぐ私へ向く。
「お姉さん、しっかり守りも固いな」
「……え?」
「崩せると思ったけど、これはなかなか骨が折れそうや」
楽しそうに笑う。
その顔には負けた悔しさと、
勝負を楽しんでいる感情が両方混ざっているのが分かった。
そしてタトゥーの女の子は立ち上がりながら私に指を指した。
「次の準々決勝は......トップ狙わせてもらうで」
まるで私の打ち方が攻略できたと言わんばかりの自信満々な雰囲気だった。
その楽しそうに麻雀をしているタトゥーの女の子の姿に私は嫉妬心すら感じてしまっていた。
泣いている短髪の男の子を背に、
静かに次の卓へ足を進めた。
「準々決勝はお昼休憩後に開始します」
スタッフが淡々と説明する。
「開始十分前には対局の座席へお戻りください」
「……はい」
小さく頷いた。
準々決勝。
その言葉がまだ少し現実感を持たない。
周囲では勝ち上がった人達が友達なのか部活の仲間なのか、お疲れさまという声が聞こえてくる。
一方で悔しさのあまり泣き崩れている人もいる。
そんな会場の中でやっぱり自分だけがどこか浮いている感じがする。
なんだろう、モヤモヤする。
ーーー。
ひとまず外の空気でも吸ってこよう。
人混みを避けるように会場を出た。
昼の日差しが眩しい。
熱気。
蝉の声。
夏の匂い。
大会会場の張り詰めた空気とは違って、
会場の外は妙に穏やかだった。
近くのコンビニで買ったパンとお茶。
会場裏のベンチへ腰掛ける。
隅っこの人通りが少ない場所。
会場の中と比べてとても落ち着く。
袋を開けながらぼんやりと空を見上げた。
準々決勝まで来れている。
それも危なげなく全てトップ通過だ。
「クズさん……改めてすごいね」
自然と呟いていた。
「これからはもっと気を引き締めないとな。」
「特にあのタトゥーの女の子だ。」
「あれは相当厄介だぞ」
九頭龍が緑の横に来てそう伝える。
「私はクズさんを信じてる。」
「大丈夫、クズさんは絶対勝つよ」
この大会では強者だけが勝ち残れる。
準々決勝に進めている九頭龍がどれだけすごい人なのか。
実際に卓に座っていたからこそ分かる。
ペットボトルを握りながら、
横に座る九頭龍の顔を見た。
当然、周りの人からは私が一人でご飯を食べているように見えていることだろう。
周りから見た私は孤独に見えている。
でも私には九頭龍が見えている。
孤独じゃない。
「……ありがとうね」
ぽつりと呟く。
九頭龍は少しだけ目を細めた。
「まだ終わっていない。」
「むしろこれからだ。」
静かにそう返した。
そうだ。
まだ終わっていない。
ここで終われば、今まで頑張ってきたものも全部失ってしまう。
海里に届けたかった気持ちも、
苦しいほど打ち続けた夜も、
麻雀が好きだと思えた気持ちも。
全部。
深呼吸をして気持ちを整理させる。
私が麻雀を続けるために、
今日は何としても勝たないといけない。
その想いをもう一度胸の奥にしまい込む。
ペットボトルを捨て立ち上がった。
再びAブロックの会場に戻り、
準々決勝の卓へ足を進める。
会場の空気は午前中よりもさらに重くなっていた。
残る人数も一回戦の時の四分の一ほどに少なくなった。
その分一人一人の存在感が濃い。
指定された卓へ向かう途中だった。
人混みの中で少し前を歩く、
見覚えのある髪が揺れている。
黄色に近い明るい長髪。
ポニーテール。
「……海里」
小さく目を見開く。
海里も準々決勝の卓へ向かって歩いている。
ちゃんと勝ち上がっているんだ。
その事実に少しだけ安心をした自分がいた。
でも同時に、
次を勝ったら、
嫌でも顔を合わせなきゃいけない。
小さく視線を落とす。
まだどんな顔をして海里と向き合えばいいのか分からない。
そんなことを考えながら、準々決勝の卓へ座った。
その数秒後。
「お待たせー」
聞き覚えのある声。
タトゥーの女の子だった。
椅子へ座りながらニヤッと笑う。
「借り、返しに来たで」
その目は本気だった。
ブーーー。
準々決勝の前半戦がいよいよ始まった。
開始直後から盤面は動いていく。
速い。
そして無駄がない。
タトゥーの女の子は最初から九頭龍を仕留めに来ている。
鳴き。
リーチ。
とにかく九頭龍が攻めにくい打ち方をしてくる。
「……っ」
私も思わず息を呑む。
押しが少し強引な場面あるが、
決して無茶はしてこない。
押すべき局面をちゃんと見極めている。
そして九頭龍の危険牌は綺麗にかわしてくる。
純粋に強い。
まるで"海里の上位互換"と戦っている様な錯覚に陥る。
二回戦よりも私に放ってくるプレッシャーも強くなっている。
「……面白い子だな」
九頭龍が小さく呟く。
その声は少しだけ楽しそうだった。
対して九頭龍は相変わらず静かだった。
九頭龍もタトゥーの女の子の危険牌を綺麗に避ける。
無理はしていないのに、気づけばお互いに打点を伸ばしている。
守りながらしっかり勝つ。
まるで卓全体を俯瞰しているような打ち方だった。
そして卓は完全に二人のペースで進んでいた。
タトゥーの女の子が攻める。
九頭龍が受け流して取り返す。
また攻める。
また返す。
二人のアガり合い。
押し合い。
点数が大きく動くたび、卓の空気がどんどん熱くなっていった。
「テンパイ」
「テンパイ」
「テンパイ」
「ノーテン」
準々決勝の前半戦が終了した。
点数表示。
34,000点。
何とかトップ。
「……」
でも二着との差は小さい。
すぐ後ろにタトゥーの女の子が付けていた。
「くーっっ!」
タトゥーの女の子は椅子へ背中を預けながら、
本気で悔しそうな顔をする。
「あとちょいやったのに……!」
その姿を見て思わず心の中で突っ込む。
(――いや。
九頭龍にここまでついてくるの、普通に凄いよ......。)
10分間の休憩時間。
卓の一人は飲み物を飲んでいる。
もう一人は黙って目を閉じて集中しているのだろうか。
そしてタトゥーの女の子は、
相変わらず私の方をじっと見ていた。
「なぁ、お姉さん」
「……?」
「名前なんて言うん?」
少しだけ間を空ける。
「…… 上路 緑だけど」
「緑、ねぇ......」
タトゥー女の子はその名前を一度口の中で転がすみたいに呟く。
「ふーん。覚えとくわ」
ニヤッと笑う。
「なかなかの打ち手やな」
「……ありがとうございます」
「誰に麻雀習ってるん?」
その質問にどう答えたら良いか迷って、
少しだけ視線を逸らした。
「ネット……かな....あはは....」
乾いた声で返す。
「これは決勝戦、アイツにも教えてやらんとなー」
「……え?」
思わずタトゥーの女の子を見る。
タトゥーの女の子は決勝に行くのは当然みたいな顔で、ペットボトルを回していた。
まるで自分がそこへ行くことを、
最初から疑っていないみたいに。
「……」
小さく息を呑む。
海里みたいに強い子、
いや、海里よりも強いかもしれない人、
ほんとにいるんだ...。
そんな事を思っていると、
10分の休憩が間もなく終わろうとしていた。
準々決勝の後半戦はまもなく始まりを迎える。
次回、準々決勝の後半戦に終止符が打たれます。果たして緑とタトゥーの女の子、どちらがトップで準決勝へコマを進めるのでしょうか。
第十三話「中学生麻雀競技選手権 県大会②」




