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哭き裂く天使  作者: Norn
第六章:天使の残骸
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第53話:戦いの果てに

 人間の肉体のまま、澄羽は生成した双剣を手に飛び上がる。

 以前の自分には無理な動きすら、可能にしていた。


 「白鷺……」

 玲司は澄羽を見つめる。

 天使としてではなく、人間のまま動き回る彼女に、どこか恐れを抱いた。


 双剣はリクスに近づいていた。

 しかし、剣の起動をズラされる。

 リクスの権能か。


 「三カ月前も同じだったよね? 学ばなかったの?」

 振るわれた糸が迫る。

 避けきれない。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)!」

 澄羽へ迫っていた糸が、虚空へと消えた。

 玲司の能力が、リクスの糸を捉えたのだ。


 それは同時に、玲司の力が三カ月前とは違うことを示していた。

 今の玲司ならば、リクスの権能にも対抗できる。


 「へぇ……サーベラス。君も強くなったんだね」

 リクスがふと、玲司へ視線を向ける。

 その一瞬だった。


 澄羽が双剣を投げる。


 「――!」

 リクスは咄嗟に身体を逸らした。

 しかし、完全には避けきれない。

 刃が身体を掠め、裂傷が走った。


 「やってくれたね……天使」

 傷口が蠢き、瞬く間に塞がっていく。

 その様子を横目に、玲司は澄羽へ尋ねた。


 「天使にならないのか?」

 「ここで変身すれば、A.E.O.I.の蜂の巣になる」


 澄羽は周囲を見渡す。

 ここは街中だ。

 三カ月の時を経たA.E.O.I.の戦力は、まだ未知数。


 天使になればリクスを倒せる可能性は高い。

 だが、その瞬間にA.E.O.I.まで呼び寄せてしまえば、戦いはさらに危険なものになる。


 「だから……まだ、この姿で戦う」

 澄羽は双剣を構え直した。


 「分かった」

 玲司も槍を構える。


 「なら、俺も付き合う」

 「玲司……」

 「三カ月前とは違うってところを、見せてやろう」


 その言葉に、澄羽は僅かに目を見開く。

 だが。


 「……いいね」

 リクスが笑った。

 再び、周囲に糸が浮かび上がる。


 「じゃあ、どこまで強くなったのか……確かめさせてもらおうかな」


 リクスの体が変化する。

 黒い外殻が全身を覆い、腕は細く、長く伸びていく。

 その姿は、まるで影を纏った使者だった。


 そして――糸の数が増えていく。


 一本、二本、三本。

 やがて、それ以上。

 輸送車から引きずり出され、戦ったあの時と同じ姿。

 だが、澄羽はもう怯まなかった。


 「来るよ!」

 澄羽の声が響く直後、リクスが腕を振るう。

 無数の糸が、一斉に放たれた。


 澄羽は駆ける。

 一本目を身体を捻って躱し、二本目を双剣で弾く。

 だが、三本目が死角から迫る。


 「白鷺、右だ!」

 玲司の声。

 澄羽は反射的に身を屈めた。


 頭上を糸が通過する。

 その直後、玲司の槍が横薙ぎに振るわれた。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)!」

 槍の軌道に沿って虚空が穿たれ、澄羽の背後へ回り込もうとしていた糸が消滅する。


 「助かった!」

 「前だけ見てろ!」

 玲司が叫ぶ。

 澄羽は頷き、リクスへ向かって一気に踏み込んだ。


 「っ!」

 双剣が閃く。

 リクスは身体を捻り、刃を避ける。

 だが、その先には玲司がいた。


 「逃がすか!」

 槍が突き出される。

 リクスは糸を張り、槍の軌道を逸らそうとする。

 しかし。


 「鏡界侵入(ミラー・イン)!」

 玲司の周囲に鏡面が展開される。

 槍の先端が鏡へと消えた。


 そして次の瞬間。

 リクスの側面から、槍が飛び出す。


 「なっ……!」

 リクスが身を逸らす。

 その隙を、澄羽は見逃さなかった。

 双剣が振り下ろされる。


 リクスは後方へ跳ぶ。

 直撃は免れたが、リクスの外殻に傷が付いていた。

 地面へ着地したリクスは、二人を見つめた。


 「……三カ月前とは、本当に違うね」

 「当然だ」

 玲司は槍を構え直す。

 澄羽も双剣を握り直す。


 「俺たちは、ずっと何もしてなかったわけじゃない」

 「そう」

 リクスの糸が、再び張り詰める。

 その声には、僅かな歓喜が混じっていた。


 「なら――もっと楽しめそうだ」

 糸が、一斉に二人へ襲い掛かった。




 A.E.O.I.燈朝支部。

 モニターに融合体の位置が表示され、出現を告げる警報が鳴り響く。


 反応は、Lv8.Armaged(ハルマゲイド)。


 「住宅街の中だ!」

 「急げ! 被害が出る前に!」


 市内にLv8の融合体が現れたことで、基地内は困惑と焦燥に包まれていた。


 「応戦している隊員は!?」

 「戦闘員番号は……桜庭玲司です!」

 「我々も向かうぞ!」


 戦闘員たちが一斉に武器を手に取り、輸送車へ乗り込む。


 エンジンが唸りを上げる。

 今にも車両が走り出そうとした、その時だった。


 『燈朝支部戦闘員一同、活動を中止しろ』

 基地内にアナウンスが響く。

 中央基地から届いた、司令官の声だった。


 「……司令官?」

 『現在、現地では桜庭玲司が交戦している』


 モニターへ視線が集まる。

 そこには、融合体と対峙する玲司の姿が映し出されていた。


 『桜庭の戦闘能力は、既にLv8相当の存在と単独で交戦できる領域に達している』

 「しかし、相手はLv8ですよ!」

 『だからこそだ』

 司令官の声は、変わらない。


 『現場は住宅街。

そこへ戦闘員を投入すれば、融合体だけではなく、我々自身が周囲へ被害を及ぼす可能性がある』

 誰も言葉を返せなかった。


 『桜庭が戦えている以上、今は彼に任せろ』

 モニターの中で、玲司が糸を躱す。

 槍が振るわれ、迫る糸が弾き飛ばされる。


 その動きには、三か月前とは明らかな違いがあった。


 『……彼を信じる』

 短い言葉。

 それだけを残し、通信が切れた。


 基地内に静寂が戻る。

 隊員たちはモニターを見つめたまま、動かなかった。


 やがて一人が、ゆっくりと武器を下ろす。


 「……本当は行きたいが、桜庭を信じるしかない」

 誰かが呟いた。

 その言葉に、他の隊員たちも頷く。

 今はただ、戦況を見守るしかなかった。





 リクスの糸が複数、玲司の槍へ絡みつく。

 一本だけなら、脅威ではない。

 だが、数が増えれば話は別だった。


 槍を奪い取ろうとするように、糸が一斉に引かれる。

 その隙を狙い、もう一本の糸が空を裂きながら玲司へ迫った。


 「玲司!」

 澄羽が飛び上がる。

 迫る糸へ、双剣を振るう。


 軌道、角度、力を込めるタイミング。

 全てが噛み合った。


 甲高い音が響く。

 糸が、切れた。


 「……え?」

 リクスが目を見開く。

 「人間の状態で……切られた?」


 その隙を、澄羽は逃さなかった。

 リクスの背後へ着地する。

 そして、双剣を振り抜く。


 しかし、響いたのは鈍い音だった。

 片方の剣が、途中から折れた。


 「……っ」

 澄羽の表情が僅かに歪む。

 やはり、足りない。


 力も、武器の強度も。

 人間の姿のままでは、リクスと真正面から渡り合うには限界がある。


 「……甘いね」

 リクスが振り返る。

 「やっぱり、ソティアの方が向いてるよ」


 その言葉に、澄羽の動きが一瞬止まった。


 「ソティア……?」

 しかし、考える暇はなかった。

 リクスの脚が、澄羽の腹部へ突き出される。


 「――!」

 直撃。

 澄羽の身体がくの字に折れ、そのまま勢いよく吹き飛ばされる。

 地面を何度も転がり、土煙が舞い上がった。


 「白鷺!」

 玲司が叫ぶ。

 リクスは玲司へ視線を戻した。

 その周囲には、未だ大量の糸が浮かんでいる。


 「さて……」

 リクスが笑う。

 「次は君だよ、サーベラス」


 無数の糸が、一斉に玲司へ向けられる。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)!」

 玲司の周囲に虚空が穿たれる。

 迫った糸が次々と消滅していく。

 だが、消しても消しても、糸は増え続ける。


 「……っ!」

 玲司が後退する。

 その横を、なんとか立て直した澄羽が駆け抜けた。


 「玲司!」

 「分かってる!」


 二人が左右へ分かれる。

 直後、その間を大量の糸が通過した。

 リクスは二人を追うように腕を振るう。


 「そこ!」

 澄羽が踏み込む。

 剣が糸の隙間を縫い、リクスへ迫る。


 「っ!」

 リクスが身を逸らす。

 刃が外殻を掠めた。

 さらに玲司が追撃する。


 「鏡界侵入(ミラー・イン)!」

 槍が鏡面へ消える。

 次の瞬間、リクスの背後から突き出された。


 「くっ……!」

 リクスは身体を捻って避ける。

 それでも、穂先が外殻を削った。

 リクスが、明確に後退した。


 「……なんで」

 小さく呟く。

 先ほどまでの笑みが消えている。


 「なんで……こんなに……」

 糸が乱れる。

 動きも、僅かに荒くなっていく。


 澄羽と玲司。

 二人の攻撃を同時に捌ききれなくなっていた。


 「……まだだ」

 リクスは自分へ言い聞かせるように呟く。


 「僕は……まだ……」

 脳裏に浮かぶ。


 ローゼ。

 トゥ=レイヴを奪った、あの女。


 ……まだ、終わっていない。

 ここで負けるわけにはいかない。

 ローゼに、この手で報いを受けさせるまで。


 「……僕は、まだ復讐を終えてないんだ!」

 リクスが叫ぶ。

 二人を囲うように、糸が一気に増殖する。


 「来る!」

 「分かってる!」

 二人は同時に動いた。


 玲司が槍を構える。

 澄羽が折れていない剣を握り直す。


 視線が交わる。

 言葉は必要なかった。


 「白鷺!」

 「うん!」


 玲司が前へ出る。

 大量の糸を、正面から引き受ける。


 「虚界穿孔(ヴォイド・ブレイカー)!」

 虚空が開く。

 糸が次々と消えていく。


 しかし、全ては消せない。

 その隙間を、澄羽が駆け抜ける。

 リクスの目が見開かれた。


 「なっ――」

 双剣が、一直線に迫る。

 リクスの直感が告げていた。

 あれに当たれば、終わると。


 黒い影を引き伸ばしながら、リクスが上空へ逃れる。

 無数の糸が、その周囲を覆っていく。


 「これで終わりだ!」

 リクスが腕を振り下ろす。

 その瞬間、玲司が槍を構えた。

 黒槍へ、虚界の力が収束していく。


 「白鷺!」

 澄羽が玲司を見る。


 「次の一撃に合わせろ!」

 「……何をするの?」

 「俺を信じろ!」


 玲司が、槍を握り直す。

 その手に、僅かな震えがあった。


 戦える。

 まだ、戦える。

 目の前の敵は強い。

 ならば、もっと。

 もっと力を引き出せば――。


 『まだ終わらせるな』

 玲司の脳裏に、声が響いた。

 「……」


 サーベラス。

 自分の中にいる、もう一つの存在。


 『もっとだ……!』

 その声に、玲司の口元が僅かに歪む。


 「……分かってる」

 無意識に呟いてから、玲司はハッとする。


 「……いや」

 自分は、何を言った?

 だが、考える暇はない。

 リクスの糸が迫る。

 玲司は槍を構え直した。


 「……Le Diable boiteux」

 黒い槍が空を裂き、上空のリクスへ一直線に飛翔する。

 その軌道に沿って、現実そのものが崩れ始めた。


 槍が通過した場所から、虚界が滲み出す。

 空間が黒く染まり、音すら遠ざかっていく。


 「なっ……!」

 リクスが身を捻る。

 だが、遅い。

 虚界が周囲を包み込む。


 「何だ、これ……!」

 リクスの糸が虚界へ触れる。

 しかし、糸は現実へ戻ることなく、輪郭を失って消えていく。


 その瞬間、澄羽が地面を蹴り、上空へ。

 だが、まだ人間の姿だった。

 このままでは届かない。


 だが、ここで天使になればいい。

 玲司が作った虚界の中なら、少なくとも今この瞬間はA.E.O.I.から姿を隠すことができる。


 「ネヴ=ソス!」

 『分かっている』


 澄羽の身体に、変化が訪れる。

 骨格が軋み、肉体が変質する。

 白い肉が人間の輪郭を捨て、異形へと変わっていく。

 翼のような突起が生え、無数の紅い瞳が開眼する。


 天使。

 それは一瞬の変化だった。

 虚界の中を、白い異形が駆ける。


 「そんな……!」

 リクスが初めて、明確な動揺を見せた。


 「この距離で……変身した!?」

 天使は答えない。

 ただ、空中で身体を捻る。

 天上へ突き出された右脚へ、天使の全力が圧縮されていく。

 そして。


 天使の脚が、リクスの頭へ叩き込まれた。

 虚界そのものが震えた。

 大気圏を突破し、宇宙まで勢いが落ちることはなかった。


 そして、リクスの身体が大きく吹き飛ばされる。

 黒い外殻が砕け、糸が千切れて宇宙の闇へ散っていく。


 「……トゥ、レイヴ……」

 リクスは静かに呟く。

 その呟きごと、リクスの体は宇宙の彼方へ消えていった。


 天使はそのまま、静かに落下した。




 天使は空中で身体を翻し、燈朝市付近の森へ着地する。

 そして、鏡界侵入(ミラー・イン)で転移してきた玲司へ視線を向けた。

 玲司は槍を下ろしていた。


 「……終わった」

 彼は小さく呟く。

 これで、もう戦う必要はない。

 そう思った。

 そのはずだった。


 『……まだだ』

 玲司の脳裏に、声が響く。

 「……」

 『まだ、戦える』

 玲司の指が、槍を強く握る。


 (サーベラス……?)

 『あれだけの相手では足りない』

 玲司の呼吸が、僅かに乱れる。


 『もっと強い相手と戦え』

 (……もう終わったんだ)

 『終わらせる必要などない』


 玲司は目を閉じる。

 だが、声は消えない。

 むしろ、先ほどよりも近くなっていた。


 『目の前にいる』

 玲司の目が開く。

 そこに映っていたのは――天使だった。


 「……白鷺」

 天使が、一歩近づく。

 しかし、玲司は槍を持ち上げた。


 「……玲司?」

 天使の動きが止まる。

 玲司自身も、何をしているのか分からない。


 ただ、身体が勝手に動いていた。

 槍の穂先が、澄羽へ向く。


 『そうだ』

 サーベラスの声が、愉悦に震える。


 『あれと戦え』

 「……違う」

 玲司が呟く。


 「俺は……」

 槍を下ろそうとする。

 だが、腕が動かない。


 「……っ」

 身体の奥から、何かがせり上がってくる。


 戦いたい。

 もっと。

 もっと強い相手と。

 目の前の天使と――。


 「……戦いたい」

 その言葉が、自分の口から出たことに玲司は気づかなかった。

 澄羽の瞳が揺れる。


 『もっとだ、玲司』

 サーベラスが囁く。

 『まだ終わっていない』


 玲司の身体から、異様な気配が滲み出す。

 槍を握る手に力が入る。


 そして――

 玲司は、澄羽へ向かって踏み出した。

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