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哭き裂く天使  作者: Norn
第六章:天使の残骸
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第50話:去りゆく天使

 息を切らしながら、美空は教室へ駆け込んだ。


 教室には既に何人もの生徒が集まっており、一限の授業へ向けた準備を終えていた。


 だが、今の美空に遅刻など気にする余裕はなかった。

 その場に立ち尽くし、教室を見回す。


 ……どこにも、澄羽はいない。


 澄羽の席は、通路を挟んですぐ隣。

 すぐ手を伸ばせば届く距離だったはずなのに、今はひどく遠く感じられた。


 輸送車の窓越しに見えた少女が、本当に澄羽だったなんて――。

 美空は、まだ信じることができなかった。


 その時だった。


 「美空、おっはよー!」

 名前を呼ばれ、振り返る。

 クラスメイトが、駆け寄ってきた。


 「……おはよう。 澄羽は?」

 美空が問うと、教室の空気が一瞬で重くなる。

 周囲で話していた生徒たちも、思わず口を閉ざした。

 やがて、一人の女子生徒が小さく口を開く。


 「A.E.O.I.の人が来たんだ。 やっぱり普通じゃないよね」

 続くように、他の生徒も口を開く。


 「しかも、あの白鷺さんだし……」

 「前から何か隠してる感じだったよね」

 「いつからか、様子も変だったし」

 誰も悪意を剥き出しにはしていない。


 けれど、その言葉一つひとつが、美空の胸に突き刺さる。

 さらに別の生徒が声を潜める。


 「そういえばさ……。 燈朝市で見つかった死体」

 「あーね。 何か関係あるんじゃない?」


 誰も事実は知らない。

 それでも噂だけが、一人歩きしていく。


 美空はゆっくりと教室を見渡す。

 まるで味方を探すかのように。

 しかし、その姿は見えない。


 「……理くん?」

 天城理。

 旅行学習の後も、唯一澄羽に興味を示していた男子生徒。


 もしかしたら、何か知っているかもしれない。

 そう思った。

 だが、彼の席にも、鞄はなかった。


 「休み……?」

 誰に聞くでもなく、小さく呟く。


 返事はない。

 ただ空席だけが、美空の視界に映っていた。




 山々を震わせる轟音とともに、漆黒のバイクが風を切る。

 地面を抉りながら加速し、天使との距離を一息に詰めた。


 激突する、その寸前。

 ゼリクスはアクセルをさらに開く。


 前輪が大きく跳ね上がった。

 浮き上がった前輪が、天使の頬へ真正面から叩き込まれる。


 天使の巨体は宙へ弾き上げられ、そのまま数本の木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ。


 ゼリクスは着地と同時に車体を横へ流す。

 振り返ることなく、そのまま大きく旋回した。


 ――たった一撃。


 それだけで天使は理解する。

 この男は、リクス=ヴァイアとも、グラ=ゼルとも違う。


 今まで対峙してきた誰よりも、底が見えない。

 天使は地面を滑りながら体勢を立て直す。


 木々を薙ぎ倒し、ようやく両足が地面を捉えた。

 頬に走る亀裂は、既に再生を始めている。


 ゼリクスは一定の距離を保ったままバイクを旋回させた。

 エンジン音だけが、山間へ低く響く。


 「……やはり、この程度なら持ちこたえるか」

 その一言に敵意はない。

 ただ事実を確認するような声音だった。


 『気をつけろ』

 ネヴ=ソスが静かに告げる。

 『奴は隙を探しているのではない。お前そのものを見ている』


 天使は双剣を握り直す。


 (何が目的……?)

 天使の思考を読み解くように、ゼリクスはバイクを止め、天使を見つめた。


 「目的か」

 エンジンを軽く吹かしながら、続ける。


 「先程の通りだ。 お前が、どこまで至ったのか。 それを確かめに来た」


 (……それだけ?)


 「それだけだ」

 短い返答だった。

 そこに虚勢も嘘もない。


 だからこそ、不気味だった。

 玲司は槍を握る手に力を込める。


 「あいつ……戦う気はあるのか?」

 「あるはず」

 燈莉は即答した。


 「でも、倒すためじゃない」

 「試してる……」


 ゼリクスは二人へ視線を向けることもなく、小さく呟く。


 「皇帝候補ならば、この程度では終わらん」

 次の瞬間、アクセルが唸りを上げた。


 黒い車体が再び大地を蹴る。


 今度は一直線ではない。

 天使の周囲を高速で移動し始めた。


 雷鎚のように残像が急激な方向転換を繰り返し、軌道を読ませない。


 『来るぞ』

 ネヴ=ソスが告げた直後。

 漆黒の閃光が天使へ向かい来る。


 天使はそれに合わせ、右手を突き出す。

 青白いプラズマの粒子が一瞬で収束し、波動砲のような炎がゼリクスへ一直線に飛ぶ。


 青白い炎が視界を埋め尽くす。

 ギリギリまで引きつけてから放たれた一撃。

 直撃する、誰もがそう思った。


 轟音だけが、その奥から響いてくる。

 次の瞬間、炎の幕を切り裂くように漆黒の車体が飛び出した。


 ゼリクスは車体を極限まで倒しながら、炎を掠めるように回避したのだ。


 天使がゼリクスを捉えた瞬間、アクセルがさらに唸りを上げた。

 漆黒の車体が起き上がる。


 前輪が大きく浮き上がり、そのまま天使の腹部を掬い上げた。

 巨体が宙へ放り投げられる。


 天使は何とか上下感覚を取り戻し、眼下にゼリクスを捉える。


 あれだけの強敵ならば、力を出し惜しむ余裕は無い。

 右手の剣を放つ。

 白銀の刃は流星のように一直線に落下していく。


 続けざま、左手の剣を投擲。

 後から放たれた一振りは、先行する剣の柄尻へと寸分違わず命中した。


 甲高い金属音。

 二振りは一直線に連なり、後方の剣が前方の剣を押し出すように、さらに加速する。


 その直後。

 天使は翼状の突起を大きく広げ、一気に急降下した。


 二振りの剣へ追いつく。

 脚が、後方の剣へ触れる。


 ――蹴り出す。

 双剣を纏ったまま、天使はゼリクスへ向けて落下した。


 空気を裂く轟音。

 それはまるで、天から撃ち落とされる一本の槍だった。


 双剣を纏った蹴りがゼリクスへ迫る。


 「……面白い」

 ゼリクスはバイクを横向きに停める。

 そして、左腕を静かに掲げる。


 次の瞬間、双剣の切っ先がゼリクスの掌へ突き立つ。


 地面が砕ける。

 バイクが横滑りをするように、ゆっくりと後退した。


 山道にタイヤ跡が刻まれる。

 それでも、左腕は一切揺るがない。


 「十分だ。 今のお前なら、まだ先へ進める」

 アクセルを開く。

 双剣を弾き返し、黒い車体は大きく旋回した。


 「次に会う時を楽しみにしている」

 数メートル進んだ直後、そっと振り返った。


 「ネヴ=ソス、お前がどのような未来へ辿り着くのか、楽しみにしている」


 それだけ話すと、元の山道へ機首を向ける。

 人間態に戻りつつ、その姿は消えていった。




 静寂だけが、その場に残った。


 澄羽はゆっくりと目を閉じる。

 白い外殻が砕けるように粒子となって剥がれ落ち、巨大な肉体は少しずつ縮んでいく。


 やがて、そこに立っていたのは制服姿の少女だった。


 「……っ」

 膝をつきそうになった体を、澄羽は何とか踏みとどまらせた。


 玲司は槍を握ったまま、その姿を見つめる。

 何かを言おうとして、言葉が出ない。


 「白鷺さん……」

 燈莉が一歩前へ出る。

 だが、その先の言葉が続かなかった。


 澄羽は二人を見つめ、小さく笑う。

 「……ごめんね」


 玲司の肩がわずかに震えた。

 「どうして……」

 絞り出すような声だった。


 「どうして、黙ってた」

 澄羽は俯く。


 「言えなかった。 言ったら、もう戻れないと思ったから」

 「そんなの……」

 玲司は拳を握り締める。


 「そんなの、一人で全部背負う理由にならないだろ」


 澄羽は少しだけ笑う。

 その笑みは、どこか諦めているようだった。


 「私、一人しかいなかったから」


 その一言で、玲司は黙り込んだ。

 燈莉もまた、何も返せない。


 剣を交え、想いを受け止め合った彼女だからこそ、その言葉が嘘ではないとわかってしまう。


 しばらく沈黙が続いた。

 やがて玲司は、槍を肩へ担ぐ。


 「……俺には、まだわからない。 お前が敵なのか。

それとも、助けるべき相手なのか。」


 その言葉を聞いた澄羽は、静かに頷いた。


 「うん」

 責めることも、否定することもない。

 ただ受け止めるように。

 「それでいいよ」


 燈莉は小さく、語りかける。


 「白鷺さん。 これから先は、もっと大変になると思います」


 澄羽は苦笑する。


 「うん、知ってる。 だから、二人とも」

 少しだけ間を置き、優しく笑った。

 「生きてね」


 玲司はその笑顔を見つめる。

 普段の澄羽からは想像の付かない笑顔だった。

 返事はできない。


 ただ、槍を握る手だけが、少しだけ強くなった。


 そして、玲司が瞬きをした、その一瞬で。

 澄羽の姿は、もうどこにもなかった。


 天使のように、光の残滓だけを残して。

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