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哭き裂く天使  作者: Norn
第六章:天使の残骸
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第48話:動き出す歯車

 教室の中は静かだった。

 友人同士で話す声は聞こえる。

 だが、そのどれもが以前より小さい。


 旅行学習で起きた事件は、誰の心にも影を落としていた。


 澄羽は鞄を机の横へ掛け、窓の外へ目を向けた。

 校庭では運動部が朝練をしている。

 その光景だけは、何も変わっていないように見えた。


 澄羽は静かに前を向いた。

 まだ、自分の居場所はここにある。


 そう思いたかった、その時だった。


 廊下の方が少し騒がしくなる。

 何人かの生徒が教室の外を覗き込み始めた。


 「何だろう?」

 「誰か来てる?」


 職員室の方から、複数の足音が近付いてくる。

 規則正しい足音。

 教師ではない。

 その音は教室の前で止まった。


 そして、教室の扉がゆっくりと開いた。

 担任と、黒いスーツを着た男女が二人。


 スーツの男女は、見覚えのない顔だった。

 教室の空気が静まり返る。

 担任は一度教室全体を見渡すと、小さく息を吐いた。


 「白鷺」

 突然名前を呼ばれ、澄羽はゆっくり立ち上がる。


 「……はい」

 スーツ姿の男性が一歩前へ出た。

 胸元には、A.E.O.I.の身分証が下がっている。


 「お時間をいただけますか」

 穏やかな口調だった。


 「少し、お話を伺いたいことがあります」

 教室がざわつく。


 「A.E.O.I.……?」

 「何で白鷺を?」

 小さな囁き声が広がっていく。


 澄羽は男性を見つめた。


 「ここで、ですか?」

 「できれば別室で」

 男性は静かに答える。

 「ご安心ください。事情を確認するだけです。」


 ――事情。


 その言葉に胸がざわつく。

 何のことだろう。

 自分には心当たりが多すぎた。


 天使。

 ネヴ=ソス。

 それとも、別の何か。


 担任が申し訳なさそうな顔で口を開く。


 「白鷺、一緒に行ってきてくれるか」


 教室中の視線が集まる。

 澄羽は拳を握る。


 逃げるべきだろうか。

 だが、この状況で逃げれば。


 それこそ、自分が何かを隠していると認めることになる。


 「……わかりました。」

 小さく答える。

 鞄を置いたまま、席を離れた。


 教室を出る瞬間、クラスメイト達の視線が背中へ突き刺さった。


 何も知らない視線。

 それなのに、その視線が妙に痛かった。


 「こちらへ」

 職員に案内され、澄羽は校舎の一室へ入る。

 応接室だった。

 長机を挟み、向かい合わせに椅子が置かれている。


 「どうぞ、お掛けください」

 澄羽はゆっくりと椅子へ腰を下ろした。

 向かいには男性職員。

 その隣には、若い女性職員が資料を抱えて立っている。


 男性職員は一度会釈をした。


 「改めまして、A.E.O.I.調査部です。 本日は、お時間をいただきありがとうございます」

 「……何の話なんですか?」


 澄羽は率直に尋ねる。

 職員は少しだけ視線を落とした。


 「現在調査中の案件について、お話を伺いたいと考えています」

 「調査中の……?」

 「はい」


 それ以上は続かない。

 澄羽は首を傾げた。


 「私、何かしましたか?」


 職員はすぐには答えなかった。

 数秒の沈黙が流れる。


 「現時点で、白鷺さんをそのような存在として扱っているわけではありません」

 静かな声だった。


 「ですが、あなたからお話を伺う必要がある状況になっています」

 「だから、その理由を……」

 「申し訳ありません」


 職員は小さく頭を下げる。


 「学校という場所では、お伝えできません。

基地まで来ていただければ、全てご説明します」

 「……」


 胸の奥がざわつく。

 天使のことだろうか。


 「拒否したら、どうなりますか」

 思わず口をついて出た。

 男性職員は澄羽の目を真っ直ぐ見つめる。

 その視線には敵意も威圧もなかった。


 「できれば、そのような形にはしたくありません」

 一拍置いて続ける。

 「ですが、今回の件は非常に重要です」


 つまり、断ることはできない。

 そういうことだった。


 澄羽は静かに目を伏せる。


 「……わかりました」

 「ご協力、ありがとうございます」


 女性職員も軽く頭を下げる。


 「それでは、ご案内します」

 教室を出る。

 廊下には、既に数人の教師が集まっていた。


 生徒達が不用意に近付かないよう、静かに誘導している。


 澄羽は前を歩く職員の背中を見つめた。

 誰も乱暴なことはしない。

 腕を掴まれることもない。

 ただ、自分が逃げないと信じているようだった。


 階段を下りる。

 一階へ着く頃には、校内中に噂が広がり始めていた。


 「A.E.O.I.……だよね?」

 「白鷺、何かしたの?」

 小さな声が耳に届く。


 澄羽は俯いた。

 聞こえないふりをするしかなかった。


 昇降口を抜ける。

 外には黒い輸送車が停まっていた。

 周囲には数人の戦闘員が立ち、周辺を警戒している。


 まるで重要参考人でも護送するかのような光景だった。


 「どうぞ。」

 職員が後部座席の扉を開く。


 澄羽は一度だけ空を見上げた。


 青空だった。

 こんなにも穏やかな朝なのに、どうして自分だけが、こんな場所へ立っているのだろう。


 小さく息を吐く。

 そして車内へ乗り込んだ。


 扉が静かに閉まり、エンジンが唸りを上げる。

 輸送車はゆっくりと校門を後にした。


 窓越しに見える校舎は、少しずつ遠ざかっていく。

 その景色を、澄羽は何も言わず見つめ続けていた。


 もう、あの教室へ戻れないような気がした。




 美空は息を切らしながら校門をくぐる。


 その時、一台の黒い輸送車が校門から出ていく。

 何気なく窓へ目を向ける。


 「……え?」


 後部座席。

 窓際に座る少女と目が合った。


 澄羽だった。


 「澄羽!!」

 美空は反射的に駆け出す。

 輸送車は速度を上げる。

 それでも走る。


 「待って!」

 届くはずがない。

 そんなことは、自分でもわかっている。


 それでも足は止まらない。


 「澄羽!!」

 叫び声だけが、朝の街へ響いた。

 輸送車は交差点を曲がり、その姿を消す。


 美空はなおも数歩走り続ける。

 やがて足を止め、肩で息をする。


 目の前には、もう何もなかった。






 A.E.O.I.中央基地。

 自動扉が開き、玲司は基地へ足を踏み入れた。


 鏡界侵入(ミラー・イン)により、一瞬で行き来していたのだ。

 肩に担いでいた槍を下ろし、一つ息をつく。

 学校へ向かったものの、結局答えは得られなかった。


 ――澄羽のことが、頭から離れなかった。


 「……」

 考え込んでいると、不意に館内放送が流れ始めた。


 『現在、基地に滞在している戦闘員は、第一ホールへ集合してください。 繰り返します――』


 玲司は顔を上げる。

 周囲を歩いていた戦闘員達も、一斉に足を止めていた。


 『現在、基地に滞在している戦闘員は、第一ホールへ集合してください』


 玲司は槍を持ち直すと、人の流れに加わった。

 廊下には燈莉の姿もある。


 「おかえり、玲司」

 「燈莉か」

 二人は並んで歩き始める。


 「何か聞いてる?」

 燈莉が小声で尋ねた。

 玲司は首を横に振る。


 「いや、俺も今戻ったばかりだ」

 「そう……」

 二人とも自然と足が速くなる。


 第一ホールへ近付くにつれ、多くの戦闘員が集まっていた。

 普段は別任務についている者達までいる。

 緊張した空気が漂っていた。


 やがてホールへ入る。

 壇上には数名の上官が並び、その中央にはレナとローゼの姿もあった。


 ざわめいていたホールが、徐々に静まっていく。

 全員が集まったことを確認すると、司令官が前へ出た。


 「諸君。 本日集まってもらった理由は一つだ」

 低く響く声がホール全体へ広がる。


 「我々を取り巻く戦況は、この数週間で大きく変化した」

 大型モニターに映像が映し出される。


 通仙で撮影された戦闘記録。

 天使。

 トゥ=レイヴ。

 そして、これまで確認されていなかった宇宙外生命体達。


 「これまでの訓練内容では、今後の戦闘に対応できないと判断した」


 玲司は画面を見つめる。

 天使が放った一撃。

 映像越しでも、その規格外の力が伝わってくる。


 「本日より、全戦闘員の育成課程を変更する」

 司令官は一拍置き、続けた。

 「新たな特別訓練を開始する」


 ざわめきが起こる。

 しかし、司令官は構わず続けた。


 「この訓練は、これまでとは比べものにならないほど過酷な内容となる。

身体能力、戦闘技術、そして宇宙外生命体との実戦を想定した適応能力。 その全てを見直す」


 司令官は一度言葉を切った。

 その表情は厳しい。


 「そして、ここからが重要だ」

 ホールが静まり返る。


 「訓練を継続できない者。

あるいは、我々が戦闘継続は困難と判断した者には、戦闘員任務から外れてもらう」


 空気が張り詰める。


 「勘違いするな」

 上官の声は少しだけ柔らかくなった。


 「これは罰ではない。 今後の敵は、一瞬の判断ミス、一瞬の力不足が、そのまま死に繋がる。

無理に戦場へ立たせることは、本人だけでなく、仲間をも危険に晒すことになる」


 再びホールを見渡す。


 「我々が求めるのは英雄ではない。 生きて帰る戦闘員だ。 そのための訓練だと理解してほしい」


 玲司の脳裏に、先ほどの映像が蘇る。

 あの力を前にすれば、この判断は決して大げさではなかった。







 廃墟の一室。

 重苦しい沈黙が流れていた。

 不意に、リクス=ヴァイアが立ち上がる。


 「リクス、どうした?」

 グラ=ゼルも立ち上がる。

 立ち止まったリクスの顔を覗き込む。


 「……天使を、倒しに行く」

 その場が静寂に包まれた。

 誰もがその言葉をはっきりと聞いていた。


 「ローゼって女は、天使よりも強かった……。 だったら、まずは天使を倒せるようにならないと……!」


 グラ=ゼルはリクスの頭に手を置き、優しく撫でる。


 「天使の力も、まだ底が見えていない。焦って向かっても、お前まで失うだけだ」

 「だったらどうしろっていうの!?」

 突然、大きな声を上げる。


 「トゥ=レイヴが死んだんだよ! どうしてみんなは平気なの!?」

 リクスは頭を抱え込み、その場に蹲った。


 「トゥ=レイヴの悲願は、俺達が果たす。 そう決めたはずだ。 だからこそ、生き残れ。 今は冷静な判断が必要だ」


 アルク=ディアが、低く確実に、言葉を発した。

 しかし、リクスには届かないようだった。

 そのままアルク=ディアに近づく。


 両者は少しの間、見つめ合う。

 次第に、リクスの頬を涙が伝う。


 「アルクは……っ、トゥ=レイヴがいなくなっても悲しくないんだ!!」


 そう吐き捨てると、リクスは踵を返した。


 「リクス!」

 グラ=ゼルが呼び止める。

 だが、リクスは振り返らない。


 そのまま廃墟の外へ駆け出していく。

 やがて静寂だけが残った。


 アルク=ディアは閉ざされた入口を見つめる。


 「……必ず、生きて戻れ。」

 その呟きは、リクスの耳に届くことはなかった。

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