第44話:選び取る意思
「今度は、今日とは違う。 貴女は負けません」
シュウの瞳が澄羽を真っ直ぐ捉える。
「……負けたけど」
澄羽は目を伏せる。
体の傷は癒え始めているが、敗北した記憶は消えない。
「勝てる気なんてしない」
そう呟くと、シュウは首を横に振った。
「勝てないのではありません」
静かな声だった。
「勝ち方を知らないだけです」
シュウは澄羽に、ロビーの椅子に座るよう促す。
二人は机を挟み、向かい合って座った。
「トゥ=レイヴがどのような性質を持っているか、わかっていますか?」
戦闘を思い返す。
トゥ=レイヴは一度として不利な状況に陥らなかった。
「戦況を固定する、とかですか…?」
「その通りです」
シュウは背もたれに寄りかかり、窓の外を眺めながら続けた。
「一度傾いた戦況を、そのまま維持する能力です。
トゥ=レイヴに主導権を握られた時点で、勝敗はほぼ決まります」
シュウは近くにあったウェルカムドリンクのコーナーから、コーヒーを手に取り再び座る。
「だからこそ、こちらが一度でも不利にならなければ良いんです」
「……それができたら、苦労しないんですが……」
あの戦闘でも、トゥ=レイヴは全く本気を出していないように見えた。
不可能でもあるにも関わらず、あんな存在に有利に立ち回れと言われただけで目眩がする。
「俺は知っています。 貴女が勝つ方法を」
「それはいったい……何ですか?」
シュウは紙コップを机に置き、澄羽を真っ直ぐ見つめた。
「簡単な話です。 彼の攻撃を受けず、こちらだけが攻撃を通し続ければ良い」
「……できるんですか、そんなこと」
「できます」
シュウは即答した。
「俺が指示を出します。 貴女はその通りに動いてください」
シュウは通信機器を手渡した。
「それで、本当に勝てるんですか……?」
「勝てます」
やはり即答だった。
「俺は、その未来を知っていますから」
シュウは静かに立ち上がる。
「それでは、また明日。今日はもう休んでください」
そう言い残し、ロビーを行き交う人々の中へと消えていった。
「ねぇ、澄羽」
気づけば、美空が隣に立っている。
「あっ……ごめんね。放っておいちゃって」
「気にしないで」
美空は首を横に振った。
「そんなことより、あの人とは知り合いなの?」
しばし考え込む。
「知り合い……というよりは」
澄羽は言葉を探す。
「何度か会っただけの人、かな」
「な、なるほど……?」
美空は少し意外そうな顔をした。
「……なんか、大人っぽかったね!」
「そうかな」
「そうだよ。私たちと同じくらいに見えるのに」
言われてみれば、確かにそうだった。
初めて会った時から、シュウは年齢不相応なほど落ち着いていた。
まるで何もかも知っているかのように。
通信機器へ視線を落とす。
明日、再びトゥ=レイヴと戦う。
今度は負けない。
そう言われても、まだ実感は湧かなかった。
「……戻ろっか」
「うん」
二人は並んでエレベーターへ向かう。
その背中を、夜の静かな照明が照らしていた。
夜の風が吹き抜ける。
トゥ=レイヴは旅館の屋上に立ち、一部が荒れた通仙の街並みを見下ろしていた。
宇宙での戦闘を思い返す。
確かにネヴ=ソスはいた。
だが未熟だった。
今すぐ連れ帰る必要はない。
そう判断した矢先だった。
「──トゥ=レイヴ」
頭の奥に声が響く。
聞き慣れた声だった。
「アルク=ディアか」
『ああ』
短い返答。
相変わらず無駄が無かった。
「何かあったのか」
『方針を変更する』
トゥ=レイヴは静かに目を細めた。
「理由は」
『候補の片方は確保した』
その名は出されなかったが、誰を指しているのかは分かる。
『残るはネヴ=ソスのみだ』
「……今の状態でもか?」
『構わない』
即答だった。
『完全に覚醒していようがいまいが関係ない。 こちらで保護する』
しばし沈黙が続く。
やがてトゥ=レイヴは口を開いた。
「今のあれは未熟だ。 無理に連れ帰る意味は薄い」
『意味ならある』
アルク=ディアの声に一切の迷いはない。
『あれは既に戦場へ立っている。 ならば皇帝候補として扱うべきだ』
トゥ=レイヴは夜空を見上げた。
どこか納得したようでもあった。
アルク=ディアらしい判断だった。
『連れて来られるか』
「できる」
即答する。
『ならば頼む』
「了解した」
通信はそこで途切れた。
トゥ=レイヴは静かに目を閉じる。
宇宙で交差した紅い瞳を思い出していた。
未熟だが、弱くはない。
少なくとも、自分が認める程度には。
「明日か」
そう呟く。
月明かりが薙刀の刃を照らした。
――――――――――――――――――――――
「ヒーローなんていないんだよ」
窓の外を眺める夜美はそう呟く。
まだ十六歳ほどだったが、その瞳には年齢に似合わない諦めが宿っていた。
「っ……でも、助けたいって思う人が絶対に……」
言い終える前に、十二歳ほどの澄羽は首を掴まれ、床へ押し倒される。
夜美はゆっくりと腕を振り上げた。
「これでわかる?」
狂気とも悲しみともつかない笑み。
振り下ろされた拳が床を叩く。
「誰も助けてくれない」
夜美は笑う。
だが、その声はどこか震えていた。
「これから中学生になるっていうのに、いつまでヒーローなんて話してるの」
急に声の温度が消える。
「困っている人を助けたい? みんなを救いたい?」
夜美は澄羽を見下ろした。
「そんなことを言う人ほど、何も救えない」
心臓が強く脈打つ。
「助けたいって思った人は助かった? 守りたいって思った人は守れた?」
夜美の声が近づく。
「結局、誰も救えてないじゃん」
その言葉に、澄羽は何も返せない。
「ヒーローになりたいならなればいい」
夜美は背を向ける。
「でもね」
振り返らないまま続けた。
「誰かを救えなかった時、その責任からは逃げられないよ」
――――――――――――――――――――――
澄羽はゆっくりと目を開ける。
胸の奥に残る息苦しさは消えない。
夜美の言葉が、まだ耳の奥にこびりついていた。
――結局、誰も救えてないじゃん。
無意識に布団を握り締める。
その時だった。
「んん……」
隣のベッドから、小さな声が聞こえた。
美空だ。
寝返りを打ちながら目を擦る。
数秒ほど天井を見つめた後、ぼんやりとした視線が澄羽へ向いた。
「あれ……澄羽?」
まだ眠そうな声。
しかし、すぐに何かに気づいたように首を傾げる。
「おはよう……って、どうしたの?」
澄羽は一瞬返事に詰まる。
「え?」
「なんか元気ない」
美空は上半身を起こした。
「昨日のこと?」
行方不明になった生徒たち等、理由はいくらでも思い浮かぶ。
だが、今の澄羽の胸を締め付けているのは、それとは少し違った。
「……夢を見たの」
思わず口から零れる。
美空は静かに聞いていた。
「嫌な夢?」
澄羽は少しだけ俯く。
「うん」
短く答える。
美空はそれ以上急かさなかった。
ただ、話したくなるのを待つように膝を抱える。
窓から差し込む朝日が、二人の間を静かに照らしていた。
澄羽は夢の内容を美空へ話した。
夜美のこと、ヒーローのこと。
そして、紘一のこと。
全てを話し終える頃には、窓から差し込む朝日も少しだけ強くなっていた。
「……だから」
澄羽は俯き、膝を抱え込む。
「やっぱり私には無理なのかなって」
美空は一呼吸置いてから、告げた。
「私、澄羽のお姉ちゃんに会ったことあるんだ。
でも、そんなこと言う雰囲気じゃなかったな……」
澄羽は顔を上げる。
「お姉ちゃんと? ……わかる気がする。
今のお姉ちゃんって、昔よりずっと優しいんだよね」
声が震え始める。
気づけば肩も小刻みに震えていた。
「でも、怖い」
澄羽の意外な一言に、美空は目を丸くした。
「そっか。 ……私から見たら、すごく妹思いのお姉さんに見えたから、少し意外かも……」
澄羽は首を横に振った。
「昔に比べたらそうなの。 ……だからこそ、優しい今のお姉ちゃんが怖い」
震え続ける澄羽を、美空はそっと抱きしめた。
「きっと戻ってくるよ。 澄羽が大好きなお姉ちゃんは」
澄羽の震えが収まってくる。
その後、美空は澄羽を離しつつ、優しく告げた。
「私は、ヒーローはいると思うよ」
その言葉に、澄羽は顔を上げる。
「だって」
美空は笑う。
「私がピンチの時、澄羽は助けに来てくれたじゃん」
その言葉を聞き、澄羽は俯く。
そしてゆっくり顔を上げた。
「……ありがとう」
身支度を終えた二人は部屋を出る。
廊下を歩きながら、美空は何度か澄羽の顔を覗き込んだ。
「少し元気になった?」
「……うん」
完全ではない。
それでも、先ほどまでの重苦しさは薄れていた。
美空は満足そうに頷く。
「よかった」
階段を降り、ロビーへ向かう。
屋内待機が出された旅館の中、生徒たちの声が聞こえてくる。
そんな中、窓際の席に見覚えのある人物が座っていた。
「……あ」
澄羽は思わず足を止める。
どこか人間離れした静かな雰囲気。
葉狩シュウだった。
彼は昨日のように、本を閉じる。
澄羽たちが来ることを知っていたかのように。
「おはようございます」
「お、おはようございます……」
美空は二人を交互に見つめた。
「やっぱり知り合いなんだ」
「まぁ……少しだけ」
曖昧に答える澄羽。
シュウは立ち上がる。
「顔色は昨日より良さそうですね」
「そう、ですか?」
「はい」
それだけだった。
しかし、なぜか見透かされているような気がする。
シュウは澄羽へ視線を向ける。
「準備は整いましたか?」
その言葉に、澄羽は息を呑む。
戦いのことだと理解したからだ。
「……整ったかどうかは分かりません」
正直な答えだった。
トゥ=レイヴへの恐怖は消えていない。
勝てる確信もない。
だが。
「逃げるつもりはありません」
シュウは小さく頷いた。
「それで十分です」
そして通信機を指差す。
「私はここから指示を出します」
「ここから?」
「ええ」
シュウは表情一つ変えず、窓の外を見る
「貴女が宇宙へ向かう時です」
澄羽の胸が僅かに高鳴る。
まるで全てを知っているかのような口ぶりだった。
「それでは」
シュウはロビーの出口へ視線を向けた。
「そろそろ行った方が良いですよ」
「……どこへ?」
シュウは答えない。
ただ旅館の外を見る。
つられるように澄羽も振り返った。
その瞬間だった。
ネヴ=ソスの声が脳内に響く。
『いるぞ』
全身に緊張が走る。
美空も異変を察したようだった。
旅館の自動扉の向こう。
朝日が差し込む広場の先に一人の男が立ち、真っ直ぐこちらを見つめていた。
澄羽はそのまま旅館の外へ出る。
朝の空気は冷たい。
だが、それ以上の緊張が澄羽の身体を包んでいた。
広場の先。
トゥ=レイヴは静かに立っている。
昨日と変わらない姿。
その瞳だけが澄羽を見つめていた。
美空も異変を察したのだろう。
澄羽の隣に立ち、警戒するように男を見る。
しかしトゥ=レイヴは美空ではなく、澄羽だけを見ていた。
「……昨日の人」
澄羽が呟く。
トゥ=レイヴは小さく頷いた。
「少し話がある」
周囲に聞かせるつもりは無いらしい。
トゥ=レイヴは踵を返し、人通りの少ない方向へ歩き始める。
澄羽は少し迷った後、その背を追った。
美空もついて来ようとする。
「美空」
「え?」
「美空は待ってて」
不安そうな顔をする美空。
だが、やがて小さく頷いた。
澄羽はトゥ=レイヴの元へ向かう。
十分ほど歩いたあたりで、周囲から人の気配が消える。
そこでトゥ=レイヴは足を止めた。
「昨日はゼリクスに止められた」
振り返る。
その表情は相変わらず読み取れない。
「本来なら、あのまま帰るつもりだった」
「……だったら」
澄羽は拳を握る。
「どうしてまた来たんですか」
トゥ=レイヴは少しだけ空を見上げた。
「命令だ」
短い言葉。
だが、それだけで十分だった。
「上司が、お前を連れて来いと言った」
「断れなかったんですか」
「断る理由が無い。 だが」
そこで僅かに言葉が止まる。
「私は今でも、お前を敵とは思っていない」
澄羽は目を見開く。
トゥ=レイヴは続けた。
「お前はまだ何も選んでいない。 連れ帰るだけで済むなら、それが最善だ」
その言葉は脅しではなかった。
本心だった。
だからこそ澄羽は首を横に振る。
「行きません」
その言葉に、迷いは無かった。
トゥ=レイヴは静かに目を閉じた。
そして小さく息を吐く。
「そうか」
その瞬間。
重力そのものが増したかのような圧迫感が生じる。
薙刀がゆっくりと生成される。
黒い刃が朝日を受けて輝いた。
「ならば、やはり力ずくで連れて行くしか無いようだ」
ネヴ=ソスの声が響く。
『澄羽』
澄羽は一歩前へ出た。
『行くぞ』
次の瞬間、二人の姿が同時に空へ消えた。




