第45話:託された言葉
『右』
シュウの声が通信機から響く。
天使は反射的に身を翻した。
その直後、薙刀が宇宙を裂く。
先ほどまで天使がいた空間が切り裂かれていた。
トゥ=レイヴは勢いを殺すことなく、そのまま迫る。
『宇宙の流れに乗って急上昇。 トゥ=レイヴが追ってきたところで右へ一歩ずれるように降下。
そして斜めに斬ってください』
(えっ、と……?)
困惑する天使へ、ネヴ=ソスが語りかける。
『こうだ』
次の瞬間、身体が勝手に動いた。
ネヴ=ソスが補助しているのだろう。
天使はシュウの指示通り急上昇する。
トゥ=レイヴを眼下に捉え、そのまま急降下。
交差する瞬間、双剣が斜めに振るわれた。
巨躯に浅い裂傷が走る。
トゥ=レイヴは即座に薙刀を振るう。
だが、天使は既にそこにはいなかった。
右へ一歩ずれる。
たったそれだけの動き。
その指示がなければ今の反撃は確実に命中していた。
「昨日より地力は上がっているな」
トゥ=レイヴは薙刀を構え直す。
「それでも届かないはずだが……昨日とは何かが違う」
トゥ=レイヴは宇宙の流れに乗り、加速。
そして薙刀を素早く投擲した。
薙刀は光速を超えて迫る。
到底、反応などできない速度。
それでも、トゥ=レイヴが投擲を行う直前。
『体が横になるようにジャンプ。 そのまま体を回転させながら、剣を二度に分けて投げてください』
指示通り天使が身を投げ出した直後、真下を薙刀が通過した。
光速を超える一撃も、元から見透かされているようだった。
直後、天使は双剣を投げる。
剣は車輪のように回転しながら、トゥ=レイヴに突き刺さる。
それをもう一本の剣が押し込む。
硬いトゥ=レイヴの外殻が砕けた。
『今です』
天使はよろめくトゥ=レイヴに、矢のように飛翔。
そのまま片足を突き出し、突き立った剣の柄を蹴り抜く。
貫通はしない。
だが、今までの数十倍の威力を与えることに成功した。
「……面白い」
トゥ=レイヴは、どこか楽しそうに笑う。
天使は素早く距離を取った。
「本当に、昨日とは違う。 こちらの攻撃が筒抜けのように、どれも通用しない」
トゥ=レイヴは薙刀を生成し、肩に担ぐ。
「……それとも、誰かが見ているのか?」
天使は答えない。
再び双剣を生成する。
「多少、手加減をしなくても良いようだ」
直後。
薙刀が飛んでいった天使の背後。
遥か彼方に見えていた銀河群の一部が、音もなく消滅した。
『なるほど。 これほど差があるとは』
(冷静すぎない?)
『貴重な戦闘記録だ』
(そういう問題じゃないんだけど……!)
ネヴ=ソスに少し呆れながらも、天使は複数の紅い瞳でトゥ=レイヴを捉える。
その直後、トゥ=レイヴが視界から消えた。
否、消えたのではない。
光速で迫っていたのだ。
天使も即座に加速する。
星々の狭間を駆け抜け、幾度となく衝突を繰り返す。
その度に宇宙は震え、惑星の欠片が散っていく。
しかし、そのどれもが天使にとって優勢な結果となっていた。
シュウの指示通りに動くだけでよかった。
シュウは旅館のロビーで、静かにコーヒーを飲んでいた。
通信機器へ指示を送り続けているにもかかわらず、その姿はどこか優雅ですらある。
周囲から見れば、一人で休憩している青年にしか見えないだろう。
そんな彼のもとへ、一人の少女が歩み寄った。
ローゼだった。
「久しぶりね」
シュウは通信機器を少し口元から離し、淡々と返す。
「取り込み中です。席を外してもらえますか」
その一言に、ローゼは柔らかく微笑んだ。
「もしかして、Armaged討伐のお手伝い?」
「……」
シュウは返答しない。
それでも通信機器へ指示を送り続けていた。
「端末に反応が出たの。MalcutとArmagedが」
ローゼはそう言いながら、シュウの隣へ腰を下ろす。
「しかも、Armagedの方が押されている」
シュウの指先が、一瞬だけ止まった。
ローゼはシュウのコーヒーへ砂糖を一つ落とし、そのまま一口飲む。
そして視線も合わせぬまま、呟いた。
「全知って便利ね」
シュウはそこで初めてローゼの方を見る。
「貴女はどうなると思いますか?」
シュウの問いに、少しだけ間を置く。
「ラプラスの悪魔なら、未来がわかるはずです」
シュウの言葉に、ローゼは楽しそうに笑った。
そのまま顔を近づける。
今にも触れそうな距離だった。
「二体とも死ぬわ」
そして小さく首を傾げる。
「……当たってる?」
シュウは表情一つ変えなかった。
「あり得ませんね。Malcutの方は生き残ります」
直後、ローゼは顔を離す。
「果たして、本当にそうかしら?」
ローゼは立ち上がり、出入り口へ向かって歩き出した。
腕に付けられたA.E.O.I.の腕章が光を受けて輝く。
数歩進んだところで足を止め、振り返る。
「少しでも減るなら、それでいいわ」
そのままローゼは歩き去る。
その背を見つめ、シュウは一言。
「それでも、結果に至るまでの過程は見えています」
『それでも、結果に至るまでの過程は見えています』
その言葉が、戦闘中の天使の耳にも届いた。
(……?)
『いえ。こちら側の話です』
シュウは何事もなかったかのように告げる。
天使とトゥ=レイヴは、既に地球から遥か彼方の銀河で戦っていた。
無数の恒星が砕かれ、その残骸が小惑星群のように漂っている。
『それよりも、全速力で地球へ戻ってください』
シュウの声が続く。
『通仙中央には戻らないでください』
(どうして?)
『それは後々わかります。 では、県境のあたりへ』
天使は言葉の意図を理解できなかった。
だが、胸の奥に説明のつかない不安が広がっていく。
(……わかった)
『ただし、移動の余波は地球に近づくほど抑えてください』
少し間を置き、
『地球が壊れてしまいますので』
シュウは当然のように言った。
天使は地球へ向けて離脱を開始する。
その背を追うように、トゥ=レイヴも飛翔した。
恒星の残骸の合間を縫うように、天使は光の速さで地球へ向かう。
やがて、青い星が視界に映った。
天使は大気圏を一瞬で通り抜ける。
だが、そのまま降下はしない。
一度だけ上空へ飛翔し、風に身を委ねるように減速する。
そして静かに地上へ降り立った。
どうやら、指定された県境へ辿り着けたらしい。
数秒後。
トゥ=レイヴもまた、ゆっくりと地表へ降りてくる。
「戦闘を放棄するのか?」
天使は答えない。
その代わり、ネヴ=ソスが語りかけた。
『変身を解除しろ』
ほぼ同時に、通信機からもシュウの声が届く。
『人間に戻ってください』
理由はわからない。
だが、二人とも迷いなくそう告げていた。
天使の肉体が崩れ始める。
黒い塵となって風に溶け、その内側から澄羽が姿を現した。
その肉体が地面に立った瞬間。
澄羽の全身を、言葉にできない悪寒が駆け抜ける。
何かが危険だと、本能が叫んでいた。
「……なるほど」
トゥ=レイヴが小さく呟く。
「そういうことか」
澄羽が顔を上げる。
その瞬間だった。
「えぇ。そういうことよ」
聞き覚えのある女性の声。
澄羽の肩が跳ねる。
トゥ=レイヴの後ろ。
数メートル先に、ローゼが立っていた。
「白鷺さん。 貴女のことは守りますから、少し待っていてくださいね」
ローゼは微笑んで語りかけるが、その笑みは安心感を与えない。
次の瞬間、ローゼから放たれた紫の瘴気が周囲へ広がる。
瘴気に触れた空気すら腐り落ちるかのようだった。
トゥ=レイヴの外殻が崩れ始める。
「これは……猛毒、とでも言ったところか」
毒に侵食された外殻が崩れ始める。
トゥ=レイヴの巨体は、徐々に歪な形へと変貌していった。
それでも、トゥ=レイヴは薙刀を構え、ローゼに飛びかかる。
間合いの差を活かし、一方的に攻撃を浴びせる。
突き、薙ぎ、切断。
可能な攻撃を連撃で繰り出す。
しかし次の瞬間、攻撃が弾かれた。
そして薙刀の刃が、半ばから消滅する。
「魔神顕装」
ローゼの腕が黒く変貌を遂げている。
その腕の外側には、鋭利な刃が生成されていた。
ドーム上の膜に囲まれた澄羽はその様子を見ていた。
人間に戻っていなければ、きっと一瞬で死んでいた。
(ネヴ=ソス、トゥ=レイヴは攻撃していたよね……?)
『能力が通用するのは同等の存在までだ』
ネヴ=ソスはそれだけ呟く。
それは、ローゼがトゥ=レイヴよりも強いことを意味していた。
魔神顕装で生成された刃が幾度も振るわれる。
その度に、トゥ=レイヴの肉体が削り取られていく。
再生も追いつかない。
巨大だったはずの肉体は、目に見えて小さくなり始めていた。
「もはや、これまでか」
片膝を地についたトゥ=レイヴは、生命を繋ぎ止めるだけで精一杯だった。
「ええ。 どうやらそのようね」
トゥ=レイヴを見下ろすローゼ。
その瞳は、氷のような冷たさを宿している。
「でも残念ね。 貴方一人が消えたところで、この戦いは何も変わらない」
ローゼは背を向けて歩く。
「私の目的はネヴ=ソスだけだもの」
澄羽は思わず身を震わせた。
あの存在に狙われている、という事実に。
その時、トゥ=レイヴがゆっくりと顔を上げる。
崩れゆく外殻の奥。
その視線が、真っ直ぐ澄羽へ向けられた。
「……」
言葉は無い。
口も動いていない。
だが次の瞬間、何かが流れ込んできた。
――人間と我々は相容れない。
低く、静かな声。
――だが、それでも構わない。
脳ではなく、魂へ直接刻み込まれるような感覚。
――あの悪魔を、生かしておいてはならない。
澄羽の背筋を冷たいものが走る。
トゥ=レイヴの視線はローゼへ向いていた。
そこに怒りは無い。
憎しみも無い。
ただ、確信だけがあった。
――あれは滅びを招く。
――いずれ、人も、我々も。
――全てを。
崩壊していく身体は、もう長くは持たない。
それでもトゥ=レイヴは最後まで澄羽を見ていた。
――頼む。
その一言だけが届く。
――白鷺澄羽。
直後、意識が切り離されたように、声は消えた。
トゥ=レイヴは何も語らない。
ただ静かに、膝をついたまま。
トゥ=レイヴは薙刀を神速で投擲した。
薙刀がローゼへ届く直前。
赤黒い水と青黒い炎が彼女の周囲を渦巻く。
深淵灼流だった。
薙刀は凍結し、次の瞬間には蒸発した。
まるで鎧のように展開され、最後の一撃を完全に受け止めたのだ。
直後、トゥ=レイヴの肉体が完全に崩壊する。
風に溶けるように消え、残骸すら残らない。
やがて紫の瘴気が薄れ、雲間から陽の光が差し込んだ。
ローゼはゆっくりと振り返る。
そして澄羽と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
「帰りましょう、ね?」
ローゼに促され、澄羽は小さく頷いた。
周囲は既に空の色に染まり始めている。
何事も無かったかのような景色。
だが、この旅行学習だけで失われた命は決して少なくない。
トゥ=レイヴもまた、その一つだった。
――あの悪魔を、生かしておいてはならない。
最後に聞こえた言葉が頭から離れない。
だが、それ以上に。
――私は知っています。貴女が勝つ方法を。
シュウの言葉もまた、胸の奥に残っていた。
全てを知っているかのような青年。
圧倒的な力を持つ少女。
そして、自分。
何が正しくて何が間違っているのか、まだわからない。
それでも、澄羽は静かに拳を握る。
守りたいものだけは、変わらない。
(私は――)
――私は、ヒーローはいると思うよ。
(諦めない)
その声は誰にも届かない。
けれど、澄羽自身には届いていた。




