第41話:見えざる災厄
「ねぇ、澄羽ちゃん」
沈みゆく夕陽を見つめる少年。
紘一だった。
赤く染まった世界の中で、彼だけが昔のままそこにいる。
「まだ、戦ってるの?」
澄羽は答えられない。
紘一は、ゆっくりと振り返る。
「戦うのも良いけど」
その顔には、責める色など無かった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑っていた。
「優しい澄羽ちゃんのままでいてね」
澄羽は耐えきれず、手を伸ばす。
近づいて初めて気づいた。
思っていたよりも、紘一は小さい。
いつの間にか、自分の方が背丈も高くなっていた。
過ぎ去った時間だけが、そこに残っていた。
「きっと、また会えるよ」
紘一が微笑む。
その瞬間。
身体が、静かに崩れ始めた。
指先が塵となり、夕陽の中へ溶けていく。
「待って……!」
伸ばした手は届かない。
触れるより先に、紘一は崩れていく。
「全部、無意味なんかじゃないよ」
声だけが残る。
「澄羽ちゃんなら、ヒーローになれるよ」
世界が、音もなく崩壊した。
――――――――――――――――――――――
まだ静かな朝方。
澄羽は、ゆっくりと目を覚ました。
夢の感覚だけが、まだ胸の奥に残っている。
紘一は、もういない。
その事実が、再び心を貫いた。
「……やっぱり、もういないよね」
小さく呟きながら、身体を起こす。
何個かのベッドを挟んだ先では、美空が静かな寝息を立てていた。
他の生徒たちの姿は見えない。
朝風呂か、散歩にでも行っているのだろう。
窓の外には、薄青い朝焼け。
山々の輪郭が、ぼんやりと浮かんでいる。
「やっぱり、私にはヒーローなんて……」
『その少年は、お前に救われたかったわけではない』
不意に、ネヴ=ソスの声が響いた。
澄羽の肩が小さく揺れる。
『ただ、お前に笑っていてほしかったはずだ』
静かな声だった。
まるで、誰かの記憶をなぞるような。
澄羽は俯く。
「……ネヴ=ソスに、何が分かるの」
吐き捨てるような声。
「人間のことも、紘一のことも……」
数秒の静寂が流れる。
やがて。
『……分からない』
否定も肯定も無い返答。
『だが、きっとその少年は、もう苦しんではいないだろう』
その瞬間。
澄羽の呼吸が止まる。
どうしてそんな言い方をするのか。
「ネヴ=ソス、あなたっていったい……」
澄羽が言いかけた、その時だった。
向こう側の布団がもぞりと動く。
美空がゆっくりと目を開け、上半身を起こした。
眠そうな瞳が澄羽を捉える。
「おはよう……。 やっぱり眠いね……」
目を擦りながら、大きなあくびをひとつ。
昨日一日の疲れが、まだ残っているのだろう。
「おはよう」
澄羽は小さく返す。
そして部屋を見回した。
「……みんないないけど、何か知ってる?」
「んー……」
美空は数秒考え込む。
そして、枕元に置いてあったスマートフォンへ手を伸ばした。
「あ、朝ごはんの前にお土産見に行くって」
「朝から?」
「朝から」
美空は即答した。
「旅行になるとみんな元気だよね……」
そう言いながら再び布団へ倒れ込む。
澄羽は少しだけ口元を緩めた。
さっきまで見ていた夢。
胸に残る痛み。
それらは消えていない。
それでも。
目の前には、美空がいる。
笑っている人がいる。
それだけで、ほんの少しだけ息がしやすくなった。
「ほら澄羽、せっかくだし私たちもどこか行こうよ」
布団の上から、美空が手を伸ばす。
「朝ごはんまで時間あるし」
窓の外では、通仙の朝日が山々を照らし始めていた。
いつもなら五人が集う廃墟。
しかし今夜、その場にいるのは四人だけだった。
トゥ=レイヴは通仙へ向かっている。
静かな寝息が室内に響く。
ソファでは、リクス=ヴァイアとイシュ=ノクスが身を寄せ合うように眠っていた。
少し離れた壁際では、グラ=ゼルが床に座ったまま目を閉じている。
アルク=ディアもまた、椅子に座ったまま目を閉じている。
だが。
次の瞬間、その瞳がゆっくりと開く。
「……ゼハトか」
視線の先には誰もいない。
それでも会話は成立していた。
「何の用だ」
しばらく沈黙。
誰かの声を聞いているように、アルク=ディアは僅かに視線を伏せる。
「……ああ、分かっている」
低く答える。
「もし候補の二人が失われるようなら――」
そこで言葉を切った。
彼の瞳が静かに細められる。
怒りではない。
覚悟だった。
その時だった。
廃墟の奥から、微かな足音が響く。
アルク=ディアだけが顔を上げた。
他の三人は眠ったまま。
足音はゆっくりと近づいてくる。
そして。
月明かりの差し込む廊下の先に、一人の女性が姿を現した。
長い黒髪。
白い肌。
どこか儚さを感じさせる女性。
彼女は周囲を見渡すこともなく、そのまま歩み寄ってくる。
まるで最初からここを知っていたかのように。
アルク=ディアは立ち上がった。
「来たか」
女性は黒髪を揺らしながら、室内を見渡した。
そして。
アルク=ディアへ視線を向ける。
「久しぶりね」
アルク=ディアは僅かに目を細めた。
「そうだな」
それだけだった。
「相変わらずね」
「お前もな。 ……だが、嫌な匂いだ」
アルク=ディアが返す。
その声色に変化はない。
まるで昨日も会っていたかのようだった。
女性はそんな彼を見つめる。
そして口を開いた。
「ゼハトは?」
「健在だ」
「そう」
短いやり取り。
だが、それだけで十分だった。
「確認する」
アルク=ディアの声音が、少しだけ硬くなる。
「戻る気はあるか」
部屋の空気が静まった。
女性は窓の外を見る。
遠く。
朝日が見える。
しばらく沈黙した後、彼女は小さく首を横へ振った。
「今はまだ」
予想通りだった。
アルク=ディアはため息一つ吐く。
「理由は」
「聞く必要がある?」
問い返される。
再び沈黙。
やがてアルク=ディアは視線を外した。
女性の瞳が僅かに揺れる。
それだけで十分だった。
「面倒なことになったな」
感情の見えない声。
だがその言葉に、女性は少しだけ微笑んだ。
「そうかもしれないわね」
朝食を終えた生徒たちは、ロビーへ集められていた。
これから班ごとの自由行動が始まる。
昨日まで騒がしかった空気も、どこか浮ついていた。
観光地の話。
土産の話。
写真を撮る約束。
様々な声が飛び交う。
その中で澄羽は美空の隣に立っていた。
「今日はどこ行くの?」
「まだ決めてないかな……」
そう返した時だった。
担任の声が響く。
「えーっと、ちょっと待ってくれ」
いつもより硬い声。
生徒たちの会話が止まる。
担任は名簿を確認している。
そして再び周囲を見渡した。
「……松崎」
返事は無い。
「吉川」
返事は無い。
「佐伯」
やはり返事は無い。
ロビーが静かになる。
担任は眉をひそめた。
「同じ部屋だった者はいるか?」
美空が手を挙げる。
「はい」
「昨夜の様子は?」
「普通でした」
美空は困惑した表情を浮かべる。
「温泉入って、卓球して、一緒に寝て……」
そこで言葉が止まる。
「朝起きた時には?」
「いませんでした」
ざわめきが広がった。
生徒たちの声が飛び交う。
教師陣も顔を見合わせる。
旅行先で数人が同時に消える。
明らかに異常事態だった。
その時。
澄羽の背筋を冷たいものが走った。
『澄羽』
ネヴ=ソスの声。
『気を付けろ』
短い警告。
だが理由は語られない。
教師陣の協議が始まる。
数分後。
担任が再び前へ出た。
「現時点で捜索班を出す」
空気が重くなる。
「だが生徒全員を待機させるわけにもいかない」
旅行学習そのものを中止するかどうか。
そこまではまだ決定できない。
担任は名簿を見る。
「人数が合わなくなった班については再編する」
その言葉に、生徒たちは一斉に顔を上げた。
「白鷺」
澄羽が反応する。
「はい」
「花守」
「はい!」
「それから――」
担任が名簿をめくる。
そして。
「天城」
理が静かに手を挙げた。
「はい」
担任は頷く。
「この三人で行動してくれ」
美空が少しだけ安堵したように笑顔になる。
隣の理は興味が無さそうだ。
「よろしくね! 澄羽、理!」
「う、うん……」
澄羽は頷く。
理は無言で頷くだけだった。
澄羽の胸の奥には、どこか引っかかるものがあった。
女子生徒たちはどこへ消えたのか。
なぜネヴ=ソスは警告したのか。
そして。
理の顔を見た瞬間。
理由もなく、胸騒ぎが強くなった。
まるで何かが近づいているような。
そんな感覚だった。
A.E.O.I.中央基地。
燈莉は違和感を覚えていた。
燈朝市での宇宙外生命体発見件数が、異常なまでに減少している。
廊下を歩く間も、職員たちの話題はその件で持ちきりだった。
燈莉は端末を開き、全国の観測データを確認する。
日ごとの発見件数を追っていくと、一つの地点が目に留まった。
通仙府。
そこでは逆に、多くの宇宙外生命体が確認されていた。
(そういえば、お姉ちゃんたちが旅行学習で……!)
燈莉は慌ててスマホを取り出す。
まず美空へメッセージを送る。
当然ながら、すぐに既読は付かない。
「お姉ちゃんが通仙にいるってことは……」
そこまで口にして、燈莉は息を呑んだ。
「あっ……!」
もう一つの連絡先を開く。
『白鷺さん』
と表示された名前。
燈莉は迷うことなくメッセージを打ち込み、そのまま送信した。
送信完了の表示を確認した瞬間、無意識にスマホを胸へ抱き寄せる。
「お姉ちゃん……白鷺さん……」
祈るような声が零れた。
その頃。
閉じられた端末の画面の奥で、基地の観測システムが新たな反応を検知する。
Lv8.Armaged。
それは災厄級に分類される個体。
だが燈莉は、まだその反応に気付いていなかった。




