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哭き裂く天使  作者: Norn
第五章:旅する怪物たち
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第40話:知らない者たち

 日が山の向こうへ沈み、通仙府はゆっくりと夜に包まれていく。

 旅館へ到着した生徒たちは、部屋班ごとに分かれて廊下を進んでいた。

 澄羽もまた、割り振られた部屋へ向かう。


 「澄羽! 私たち同じ部屋だね!」

 美空が嬉しそうに駆け寄り、そのまま澄羽の手を取った。

 柔らかい笑顔。


 その反応だけなら、普通の旅行そのものだった。

 だが。


 「……」

 同じ班の他の女子たちは、どこか冷めた視線を向けていた。

 澄羽へだけ向けられる、見えない壁。


 言葉にはしない。

 だが、歓迎されていないことだけは嫌というほど伝わってくる。


 「ほら、美空。早く行こ」

 一人がそう言う。

 「あっ、ごめん!」


 美空は慌てて澄羽の手を離した。

 澄羽は「別にいいよ」と小さく返す。


 それ以上、空気を悪くしたくなかった。




 部屋へ入る。

 畳の香り。

 広い窓。

 山々を見渡せる景色。


 本来なら、気分が高揚してもおかしくない場所だった。


 「温泉いつ行く?」

 「ご飯めっちゃ豪華らしいよ」

 「写真撮ろ〜!」


 班の女子たちは盛り上がっている。

 その輪の中へ、澄羽は自然に入れなかった。


 『……居心地が悪そうだな』

 ネヴ=ソスの声。


 「うるさい……」

 心の中で返す。

 だが、否定はできなかった。


 荷物を整理しながら、美空がちらりと澄羽を見る。


 「あとで一緒に館内回ろ?」

 「……うん」


 短く返す。

 その時だった。


 窓の外。

 空の上で、何か白いものが動いた気がした。

 澄羽は反射的に視線を向ける。


 だが、次の瞬間には暗闇しかなかった。


 『……気を抜くな』

 ネヴ=ソスの声が、低く響く。


 旅行学習一日目の夜は、静かに軋み始めていた。






 「……いったい、何が起きているんだ……?」

 A.E.O.I.中央基地管制室。

 巨大モニターには、日本列島周辺の観測情報が投影されていた。


 日頃から、燈朝市上空には異常な数の宇宙外生命体反応が確認されている。

 だが今、その数が明確に減少していた。


 もちろん、それでも他地域と比較すれば異常値だ。

 しかし問題は、消えた半分がどこへ向かったかだった。


 モニターの西側。

 通仙府周辺に、異常な密度で反応が集まり始めている。


 「……もしかして、通仙に奴らを引き寄せる何かがあるのか?」

 若い職員が呟く。

 すると、隣のオペレーターが眉をひそめた。


 「その場合、何かは生物である可能性が高い。 ただの物体なら、ここまで急激な移動は発生しないはずだ」

 管制室に重苦しい沈黙が落ちる。


 その時だった。

 一人の職員が、思い出したように顔を上げる。


 「確か……一週間前から、燈朝市周辺の学校が一時避難していたよな」

 「……旅行学習か」

 「結局、燈朝へ戻ってきてはいるが……」


 その言葉で、何人かの表情が変わった。


 「待て。 今、通仙へ向かっている学校の生徒に、何かが紛れ込んでいる可能性があるってことか?」

 「……可能性は否定できない」

 空気が張り詰める。


 モニター上では、通仙府周辺へ向かう無数の光点が、ゆっくりと増え続けていた。


 まるで。

 何かへ引き寄せられているように。


 「対象の特定を急げ。 もし融合体、あるいはそれに類する存在が紛れていた場合――」

 職員の言葉が止まる。

 誰もが、最悪の想定をしていた。


 学生。

 旅行学習。

 観光地。

 避難先。


 もしその中心で戦闘が起きれば、被害は燈朝市以上になる可能性がある。


 「……ローゼ隊員へ連絡は?」

 「既に送っています。 ですが……まだ応答はありません」


 その瞬間。

 通仙府上空の観測データが一瞬だけ乱れた。


 ノイズ。

 赤い警告表示。


 そして。

 観測不能領域発生

 の文字がモニター中央へ映し出される。


 管制室の空気が、凍りついた。





 夕食と温泉を終えた後。

 部屋には再び、生徒たちの賑やかな声が戻っていた。


 テーブルの上には土産売り場で買った菓子。

 誰かのスマホから流れる動画の音。

 笑い声。


 旅行らしい夜。

 その輪の少し外側で、澄羽は窓際に座っていた。


 暗い山々を眺める。

 昼間よりも、山の輪郭が濃い。

 まるで何かが潜んでいるようだった。


 『……まだいるな。 増え続けているようにも見える』

 ネヴ=ソスが低く呟く。


 「……うん」

 小さく返す。

 その時だった。


 「澄羽!」

 後ろから声が飛ぶ。

 振り向くと、美空がこちらに手を伸ばしている。


 「今から卓球しに行こ!」

 「……え」


 あまりにも唐突だった。


 「一階に卓球台あったの! 今みんなで行くんだって!」

 満面の笑み。

 対して、澄羽は少し視線を逸らした。


 「……私はいいよ」

 「えー!?」

 美空が露骨に声を上げる。


 「だって絶対楽しいよ!?」

 「そういうの、あんまり得意じゃないし……」


 澄羽は曖昧に誤魔化す。


 本当は違う。

 気を抜きたくなかった。

 山の奥から感じる妙な気配。

 通仙府へ集まり始めている何か。


 それらが、胸の奥へずっと引っかかっていた。

 だが、美空は引かなかった。


 「じゃあなおさら行こ!」

 「……なんでそうなるの」

 「だって、せっかくの旅行だよ?」


 美空は澄羽の手を取る。

 そのまま、ぐいっと引っ張った。


 「ほら! こういう時ぐらい楽しまないと損だって!」

 「ちょ、ちょっと美空……!」

 半ば強引に立たされる。


 周囲の女子たちが笑う。


 「白鷺さん卓球弱そう〜」

 「わかるかも」

 そんな声まで飛んできた。


 澄羽は少しだけ眉を下げる。

 だが。

 手を引く美空だけは、本当に楽しそうだった。


 『……変わった女だな』

 ネヴ=ソスが呟く。


 「……そうかも」

 澄羽は小さく返しながら、部屋を出た。

 旅館の廊下には、まだ生徒たちの笑い声が響いていた。




 旅館一階。

 卓球場には、生徒たちの歓声が響いていた。


 「よっしゃー!」

 「ナイス!」

 卓球台は二台。

 周囲には観戦している生徒たちまで集まっている。

 その中で。


 「……なんでこうなったの」

 澄羽はラケットを持ちながら、小さく呟いた。


 「白鷺さん強いじゃん!」

 対面の女子が悔しそうに言う。

 既に三人目だった。

 最初は、美空に半ば無理やり参加させられただけだった。


 だが。

 気づけば連勝していた。


 『球速が遅すぎる』

 ネヴ=ソスが当然のように言う。


 「うるさい……」

 澄羽は心の中で返す。

 確かに、見えてしまうのだ。


 回転。

 軌道。

 落下地点。


 全部。

 まるで、止まって見えるように。


 「次、私やる!」

 人混みを割って、一人の女子が前へ出る。


 短い髪。

 引き締まった足取り。

 周囲の空気が少し変わった。


 「あ、卓球部エース来た」

 「これ終わったでしょ」


 ざわめきが広がる。

 対する澄羽は、少しだけ困ったような顔をした。


 「……私、本当に初心者なんだけど」

 「またまた〜」

 女子は笑いながらラケットを構える。


 一球目。

 鋭いスマッシュ。

 普通なら反応できない速度。


 しかし。


 パァン!!


 乾いた音。

 澄羽のラケットが、正確に打ち返していた。


 「……え?」

 女子の表情が止まる。

 返球は、卓球台の角へ吸い込まれるように落ちた。

 取れない。


 「い、今の偶然!」


 二球目。

 三球目。

 四球目。

 続く高速ラリー。


 だが。

 澄羽は、一歩も慌てない。


 まるで。

 全部知っているかのように。


 『甘い』

 ネヴ=ソスの声。

 次の瞬間。

 澄羽の打球が、一直線に台の端へ飛ぶ。


 「うそっ!?」

 女子が反応できない。

 そして。


 「え、白鷺さん何者!?」

 「絶対初心者じゃないって!!」

 「怖っ!!」


 一気に騒ぎが広がる。

 澄羽本人だけが、一番困惑していた。


 「……いや、私もなんで勝ってるかわかんないんだけど……」

 その時。

 卓球場の窓の外。


 山の奥で、何か白い影が動いた。

 だが。

 その場で気づいたのは、澄羽だけだった。




 卓球大会のようになってしまった騒ぎが終わり、生徒たちはそれぞれ部屋へ戻っていった。

 時刻は既に深夜へ近づいている。


 消灯時間。

 部屋の照明も落とされ、残るのは窓の外から差し込む淡い月明かりだけだった。


 「……ねぇ美空、さっきの絶対おかしかったって」

 「卓球部より強い初心者とか何?」

 「白鷺さん、実はプロだったりして〜」


 布団の上で、女子たちが小声で笑い合う。

 澄羽は壁際の布団へ横になったまま、何も返さなかった。

 美空だけが少し気まずそうに澄羽を見る。


 「……ごめんね、澄羽。なんか騒ぎになっちゃって」

 「別にいいよ」

 小さく返す。


 だが。

 眠れない。

 胸の奥がざわついている。


 『近いな』

 ネヴ=ソスの声。

 「……うん」

 山の奥から感じる気配。


 それだけではない。

 旅館全体に、何か異物が混じっている感覚があった。


 澄羽はゆっくりと身体を起こした。

 「……飲み物買ってくる」


 「え、今?」

 美空が眠そうに目を擦る。

 「すぐ戻るから」

 それだけ言い、澄羽は部屋を出た。


 静かな廊下。

 昼間の喧騒が嘘のようだった。


 窓の外には、黒く沈んだ山々。

 その奥に何がいるのか。

 考えないようにしても、意識してしまう。


 エレベーターで一階まで降りる。

 自販機コーナーは、一階の端にあった。


 座り心地の良いソファ。

 薄暗い照明。

 自販機の白い光が、周囲を強く照らしている。


 澄羽は小さく息を吐き、自販機の前へ立った。

 冷たい缶コーヒーを買い手に取った――その時。


 「……眠れないのか」

 低い男の声。

 澄羽の動きが止まる。


 振り向く。

 そこには、一人の壮年の男がソファへ腰掛けていた。

 だが、その雰囲気は普通の宿泊客とはどこか違う。


 まるで。

 人間社会へ紛れ込んだ異物のようだった。

 男は缶コーヒーを片手に、静かに澄羽を見ていた。


 「……はい。 そのようです」

 「それでも、コーヒーという飲料は、就寝前には向かないと思うが」

 男は、澄羽の持つ缶を静かに見つめた。


 「眠気を遠ざけるための飲料を、眠る前に飲む」

 男は淡々と呟く。

 「人間は、時々よく分からんな」


 澄羽は、その言葉に小さな違和感を覚えた。


 「そんなこと言ったって、貴方も人間じゃないですか」

 沈黙が落ちる。

 男はしばらく何も言わず、缶のラベルを眺めていた。


 やがて、静かに口を開く。


 「……時々、人間というものが何なのか、分からなくなる」

 その声音には、妙な重さがあった。

 澄羽は男の顔を少しの間見つめ、そして小さく息を吐く。


 「……私と同じですね」

 そう言いながら、向かいのソファへ腰を下ろした。


 「ここには、どんな用事で来たんですか?」

 その言葉に、男は少しだけ視線を伏せる。


 「仕事だ」

 短い返答。

 「……にしては、良いところに泊まってますね」

 「上司が手配した」


 「厳しい人なんですか?」

 澄羽の問いに、男は少し考える。

 「……ああ」


 即答だった。


 「容赦がない。 妥協もしない。 間違えば、容赦なく切り捨てる」

 その言葉だけ聞けば、冷酷な人物のようだった。

 だが。


 「だが、誰よりも仲間を見ている」

 男は静かに続ける。

 「誰かが欠けることを、あの人は嫌う」


 「……いい上司なんですね」

 男は少しだけ目を細めた。


 「どうだろうな。 少なくとも、ついて行く価値はある」

 その一言には確かな信頼が滲んでいた。


 自販機の低い駆動音だけが、静かな空間に響く。

 窓の外には、通仙の夜景。

 山々の黒い輪郭が、夜空へ溶け込んでいた。


 「……そろそろ戻る」

 男は立ち上がる。


 「君も、あまり夜更かしはするな」

 それだけ告げ、歩き出す。


 澄羽は、その背中をぼんやりと見つめていた。

 不思議な人だった。


 初対面のはずなのに。

 どこか、自分と似た何かを感じる。


 だが——

 その正体を、澄羽はまだ知らない。

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