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哭き裂く天使  作者: Norn
第五章:旅する怪物たち
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第39話:神の残響

 壮年の男が、ホテルの一室へと入る。

 静かに扉が閉まった。

 中には誰もいない。


 「……本当に手配するとは。 アルク=ディアも、やはり皇族の器だな」

 男はそう呟き、室内を見渡す。


 トゥ=レイヴだった。

 怪しまれないためか、手には空のスーツケースが握られている。


 彼はそれを壁際へ静かに置き、ソファへ腰を下ろした。

 沈み込む感触に、わずかに目を細める。

 そのまま、視線を巡らせた。


 照明。

 テレビ。

 窓。

 壁紙。

 整えられたベッド。


 朽ちた廃墟とは違う。

 人間達が今も使い、維持し続けている文明の形。

 トゥ=レイヴは静かに天井を見上げた。


 「……人間の社会も、悪くはないな」






 長い移動の末、超特急がゆっくりと速度を落としていく。

 高層ビルは減り、代わりに古びた建造物が各所に点在するようになった。

 同時に、山々の姿も増えている。


 曇り空の下、どこか湿った空気が窓越しにも感じられた。


 やがて。

 車内に到着を告げる音声が響く。


 「まもなく、通仙府中央駅です――」

 生徒達が一斉に騒がしくなる。


 「やっと着いたー!」

 「腹減った!」

 「写真撮ろ!」

 そんな声が飛び交う中、澄羽は窓の外を見つめていた。


 知らない土地。

 知らない空気。

 それだけのはずなのに、胸の奥が妙にざわついていた。


 直後、隣で静かに立ち上がる気配がした。

 ローゼだった。


 「白鷺さん」

 柔らかな声。

 澄羽が振り向くと、ローゼは微笑んでいた。


 「通仙府は、とても綺麗な場所なんですよ」

 その言葉は、観光地を紹介するようにも聞こえる。


 だが、何故か澄羽には、別の意味を含んでいるように思えた。


 電車の扉が開く。

 冷たい風が、車内へと流れ込んだ。


 先頭に座っていたため、電車を降りたのは澄羽が最初だった。

 背後から生徒たちの話し声が流れてくる。

 担任、ローゼ、そして澄羽。

 そんな順番でホームへ降り立った。


 ホームに吹き込む風は、燈朝市とはまるで違う。

 肌を撫でるというより、体温を奪うような冷たさ。

 人を日常から切り離し、別の世界へ踏み込ませるような空気だった。


 「澄羽」

 後ろから声が届く。

 振り返ると、理がこちらへ歩いてきていた。


 「最初は十条寺に行きたい」

 相変わらず唐突だった。


 「……そうだね、行こっか」

 澄羽は頷く。

 旅行学習そのものを嫌だと思っているわけではない。

 むしろ、少しだけ楽しみにしていた部分もある。


 だが。

 寺院や歴史そのものに強い興味があるわけではなかった。


 だから返事も、自然と短くなる。

 理はそんな澄羽の様子を気にした風もなく、改札の方へ歩き始めた。


 「十条寺には、立体曼荼羅があるらしい」

 「曼荼羅……?」

 「神を並べて、世界そのものを表した場所」


 澄羽は小さく眉をひそめる。


 「なんか難しそう……」

 「実際難しいよ。人間って、そういうの好きだから」

 軽く笑いながら言う理。

 その言い方は、まるで人間を外側から見ているようだった。


 澄羽は少しだけ違和感を覚える。

 だが、それ以上踏み込むことはしなかった。


 駅を出る。

 古い街並みと、新しい建築が混ざり合う通仙府の景色が広がっていた。


 観光客の声。

 遠くで鳴る鐘の音。

 漂う線香の香り。


 燈朝市とは違う。

 ここには、積み重なった時間が存在していた。

 理はその景色を静かに眺める。


 「……面白い場所だな」

 それだけ言って歩き出す。

 澄羽も少し遅れて後を追った。


 観光客の波を抜け、古い街並みを歩く。

 しばらく沈黙が続いた。


 だが、その沈黙は嫌なものではない。

 理という男は、不思議と無理に話しかけてこない。

 だからこそ逆に、気になった。


 「……ねえ」

 「ん?」

 「なんで、私と班組んだの」


 理の足が少しだけ止まる。

 だが、振り返りはしない。


 「気になる?」

 「……まあ」

 「簡単だよ」


 理は前を向いたまま答える。


 「君が、一番面白そうだったから」

 「は?」

 あまりにも意味不明だった。

 澄羽が眉をひそめる。


 「なにそれ……」

 「そのままの意味」

 理は平然としている。


 「他のやつらって、だいたい同じだから」

 「同じ……?」

 「遊んで、笑って、騒いで、帰る」

 どこか他人事のような声音だった。


 「でも君は違う」

 その瞬間だけ。

 理の視線が、澄羽へ向く。


 黒い瞳。

 妙に静かな目だった。


 「君はずっと、何かと戦ってる顔をしてる」

 澄羽の心臓が跳ねた。

 だが理は、それ以上踏み込まない。


 まるで本当に、ただ感想を言っただけのように。


 「……意味わかんない」

 澄羽は視線を逸らす。

 理は小さく笑った。


 「よく言われる」

 再び歩き出す。

 その背中を見ながら、澄羽は小さく息を吐いた。


 この男は危険だ。

 理由はわからない。

 でも、本能がそう告げている。

 それなのに、何故か嫌悪感だけは湧かなかった。


 やがて二人の前方に、巨大な門が姿を現す。

 歴史の重みを感じさせる寺院。

 理はそれを見上げ、静かに呟いた。

 「……やっぱり、残ってるんだな」




 本殿へ足を踏み入れる。

 外の空気とは違う、静かな冷気が肌を撫でた。


 薄暗い堂内。

 並び立つ十数体の像。

 その中心には、他より一回りどころではなく巨大な白い像が鎮座していた。


 まるで世界の中心そのものを象徴するような存在感。

 ただそこにあるだけで、空間全体を支配しているようだった。


 「これが立体曼荼羅。 真ん中の像に興味があったんだ」

 理の声が響く。

 澄羽は、その白い像を見上げた。


 長く流れる髪。

 どこか人間離れした整った顔立ち。

 静かに細められた目。


 そして――


 「……あれ」

 胸の奥がざわつく。

 どこかで見たことがある。


 いや、知っている。


 (あれって……レナさんに……)


 完全に同じではない。

 だが、雰囲気が酷似していた。


 神秘的で、冷たくて。

 それでいて、どこか人間を見下ろしているような佇まい。


 「通仙府には、この神の伝承が残っているらしい」

 理が像を見上げながら言う。


 「昔、天から降り立った白き神が、山奥の村へ現れたって話」

 「……白き神」

 「その神は、人々に力を与え、災いを退けた。でも――」

 理はそこで言葉を切る。


 「ある日突然、村から姿を消した」

 堂内に静寂が落ちる。

 澄羽は像から目を離せなかった。


 あまりにも、似ている。

 偶然にしては、妙なくらいに。


 『……澄羽』

 その時。

 沈黙していたネヴ=ソスが、低く呟いた。


 『あの像から、微かに痕跡を感じる』

 澄羽の喉が小さく鳴る。


 「……痕跡?」

 『……まだ断定はできない。 だが――』

 その時、気配を感じた澄羽は反射的に振り向く。

 だが、そこには誰もいなかった。


 「澄羽。 ここを見たあとの話を後で組もう」

 澄羽は理の方に振り返る。

 「そ、そうだね」

 再び澄羽は神像を見上げる。


 像は変わらず、神秘的な雰囲気を放っていた。






 夕焼けが沈みきる頃。

 澄羽たちは、本日宿泊する大型ホテルへと到着した。


 観光地らしく、内装は豪華だった。

 吹き抜けのロビー。

 磨かれた床。

 並ぶ照明。


 生徒たちが歓声を上げながらロビーへ流れ込んでいく。


 「すご……」

 「旅館っていうより、ほとんど城じゃん」

 そんな声が飛び交う中。

 澄羽は、どこか落ち着かなかった。


 『……妙だな』

 ネヴ=ソスの声。


 『嫌な気配がある』

 澄羽が周囲を見回そうとした、その時だった。


 ロビー奥。

 ソファに腰掛けていた壮年の男が、ゆっくりと顔を上げる。


 トゥ=レイヴだった。

 その視線は、生徒たちではない。

 澄羽でもない。


 引率として歩いていた、ローゼへ向けられていた。


 「……まさか」

 トゥ=レイヴが、小さく呟く。


 「奴らまで、ここに泊まるとはな」

 その目が、わずかに細まる。


 「これは……面白いことになりそうだ」

 ホテルの自動扉が閉まり、通仙の夜が静かに幕を開けた。

ここからおまけです



 「で、トゥ=レイヴはどうするの?」

 リクスがカードを弄びながら問いかける。


 「私は適当に廃墟でも探す。 人間の目につかず、身を隠せればそれでいい」

 トゥ=レイヴが淡々と告げる。


 すると、リクスは露骨に嫌な顔をした。


 「えぇ〜……僕だったら絶対嫌だけどなぁ……。ね、グラ=ゼル」

 「当然だ。 無意味に劣悪な環境を選ぶ理由が無い」

 グラ=ゼルは腕を組みながら即答する。


 「だよねぇ。 雨とか降ったら最悪じゃん」

 「お前は野営そのものに向いていない」

 アルク=ディアが冷めた声で言うが、リクスは気にした様子もなく笑っていた。


 「そういえばさ、ゼリクスも行くんだよね?

ゼリクスはどうするの?」


 部屋の隅で地図を眺めていたゼリクスが、静かに視線を上げる。

 「既に宿はある」


 そう言って、一冊のパンフレットを机に置いた。


 表紙には巨大な旅館の写真。

 夜景に照らされた建物は、明らかに高級宿と分かる佇まいだった。


 「うわっ、何ここ! めちゃくちゃ良さそうじゃん!」

 リクスが勢いよく身を乗り出す。

 グラ=ゼルもパンフレットを一瞥し、

 「……悪くないな」

 と、小さく呟いた。


 「料理も豪華そうだし、部屋広いし、温泉あるし……。 いいなぁゼリクス」

 「人間社会に溶け込むなら、ある程度は合わせる必要があるからな」


 ゼリクスは特に興味無さそうに答える。

 その横で、トゥ=レイヴは変わらず静かな声を出した。


 「私はやはり廃墟で構わん。 身を置ければ十分だ」


 その瞬間だった。


 「……愚かだな」

 アルク=ディアの低い声が響く。

 空気がわずかに張り詰める。

 トゥ=レイヴが視線を向けた。


 「人間社会へ赴く以上、人間として振る舞え。

無意味に異質な行動を取るな。 貴様一人の問題では済まなくなる」


 淡々とした声音。

 怒鳴りつけているわけではない。

 だが、その場の誰も口を挟まなかった。


 「……すまない。 配慮が欠けていた」

 トゥ=レイヴが素直に頭を下げる。


 アルク=ディアは数秒沈黙し、

 「……既に手配は済ませてある」

 そう言って、一枚のカードキーを机へ置いた。

 そのカードキーは、ゼリクスと同じ旅館のものだった。


 一瞬、部屋が静まり返った。


 「えっ」

 リクスが目を丸くする。

 グラ=ゼルも珍しく目を瞬かせていた。

 トゥ=レイヴはカードキーを見つめた。


 「……貴方が?」

 「当然だ。 力を無駄な理由で消耗させる必要は無い」

 アルク=ディアはそれだけ言い、再び資料へ視線を落とす。


 「……ふふ」

 小さく笑ったのは、リクスだった。


 「アルク=ディアって、なんだかんだ優しいよね」

 「違う。 合理性の話だ」


 即答。

 だが、誰もそれを額面通りには受け取っていなかった。

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