第39話:神の残響
壮年の男が、ホテルの一室へと入る。
静かに扉が閉まった。
中には誰もいない。
「……本当に手配するとは。 アルク=ディアも、やはり皇族の器だな」
男はそう呟き、室内を見渡す。
トゥ=レイヴだった。
怪しまれないためか、手には空のスーツケースが握られている。
彼はそれを壁際へ静かに置き、ソファへ腰を下ろした。
沈み込む感触に、わずかに目を細める。
そのまま、視線を巡らせた。
照明。
テレビ。
窓。
壁紙。
整えられたベッド。
朽ちた廃墟とは違う。
人間達が今も使い、維持し続けている文明の形。
トゥ=レイヴは静かに天井を見上げた。
「……人間の社会も、悪くはないな」
長い移動の末、超特急がゆっくりと速度を落としていく。
高層ビルは減り、代わりに古びた建造物が各所に点在するようになった。
同時に、山々の姿も増えている。
曇り空の下、どこか湿った空気が窓越しにも感じられた。
やがて。
車内に到着を告げる音声が響く。
「まもなく、通仙府中央駅です――」
生徒達が一斉に騒がしくなる。
「やっと着いたー!」
「腹減った!」
「写真撮ろ!」
そんな声が飛び交う中、澄羽は窓の外を見つめていた。
知らない土地。
知らない空気。
それだけのはずなのに、胸の奥が妙にざわついていた。
直後、隣で静かに立ち上がる気配がした。
ローゼだった。
「白鷺さん」
柔らかな声。
澄羽が振り向くと、ローゼは微笑んでいた。
「通仙府は、とても綺麗な場所なんですよ」
その言葉は、観光地を紹介するようにも聞こえる。
だが、何故か澄羽には、別の意味を含んでいるように思えた。
電車の扉が開く。
冷たい風が、車内へと流れ込んだ。
先頭に座っていたため、電車を降りたのは澄羽が最初だった。
背後から生徒たちの話し声が流れてくる。
担任、ローゼ、そして澄羽。
そんな順番でホームへ降り立った。
ホームに吹き込む風は、燈朝市とはまるで違う。
肌を撫でるというより、体温を奪うような冷たさ。
人を日常から切り離し、別の世界へ踏み込ませるような空気だった。
「澄羽」
後ろから声が届く。
振り返ると、理がこちらへ歩いてきていた。
「最初は十条寺に行きたい」
相変わらず唐突だった。
「……そうだね、行こっか」
澄羽は頷く。
旅行学習そのものを嫌だと思っているわけではない。
むしろ、少しだけ楽しみにしていた部分もある。
だが。
寺院や歴史そのものに強い興味があるわけではなかった。
だから返事も、自然と短くなる。
理はそんな澄羽の様子を気にした風もなく、改札の方へ歩き始めた。
「十条寺には、立体曼荼羅があるらしい」
「曼荼羅……?」
「神を並べて、世界そのものを表した場所」
澄羽は小さく眉をひそめる。
「なんか難しそう……」
「実際難しいよ。人間って、そういうの好きだから」
軽く笑いながら言う理。
その言い方は、まるで人間を外側から見ているようだった。
澄羽は少しだけ違和感を覚える。
だが、それ以上踏み込むことはしなかった。
駅を出る。
古い街並みと、新しい建築が混ざり合う通仙府の景色が広がっていた。
観光客の声。
遠くで鳴る鐘の音。
漂う線香の香り。
燈朝市とは違う。
ここには、積み重なった時間が存在していた。
理はその景色を静かに眺める。
「……面白い場所だな」
それだけ言って歩き出す。
澄羽も少し遅れて後を追った。
観光客の波を抜け、古い街並みを歩く。
しばらく沈黙が続いた。
だが、その沈黙は嫌なものではない。
理という男は、不思議と無理に話しかけてこない。
だからこそ逆に、気になった。
「……ねえ」
「ん?」
「なんで、私と班組んだの」
理の足が少しだけ止まる。
だが、振り返りはしない。
「気になる?」
「……まあ」
「簡単だよ」
理は前を向いたまま答える。
「君が、一番面白そうだったから」
「は?」
あまりにも意味不明だった。
澄羽が眉をひそめる。
「なにそれ……」
「そのままの意味」
理は平然としている。
「他のやつらって、だいたい同じだから」
「同じ……?」
「遊んで、笑って、騒いで、帰る」
どこか他人事のような声音だった。
「でも君は違う」
その瞬間だけ。
理の視線が、澄羽へ向く。
黒い瞳。
妙に静かな目だった。
「君はずっと、何かと戦ってる顔をしてる」
澄羽の心臓が跳ねた。
だが理は、それ以上踏み込まない。
まるで本当に、ただ感想を言っただけのように。
「……意味わかんない」
澄羽は視線を逸らす。
理は小さく笑った。
「よく言われる」
再び歩き出す。
その背中を見ながら、澄羽は小さく息を吐いた。
この男は危険だ。
理由はわからない。
でも、本能がそう告げている。
それなのに、何故か嫌悪感だけは湧かなかった。
やがて二人の前方に、巨大な門が姿を現す。
歴史の重みを感じさせる寺院。
理はそれを見上げ、静かに呟いた。
「……やっぱり、残ってるんだな」
本殿へ足を踏み入れる。
外の空気とは違う、静かな冷気が肌を撫でた。
薄暗い堂内。
並び立つ十数体の像。
その中心には、他より一回りどころではなく巨大な白い像が鎮座していた。
まるで世界の中心そのものを象徴するような存在感。
ただそこにあるだけで、空間全体を支配しているようだった。
「これが立体曼荼羅。 真ん中の像に興味があったんだ」
理の声が響く。
澄羽は、その白い像を見上げた。
長く流れる髪。
どこか人間離れした整った顔立ち。
静かに細められた目。
そして――
「……あれ」
胸の奥がざわつく。
どこかで見たことがある。
いや、知っている。
(あれって……レナさんに……)
完全に同じではない。
だが、雰囲気が酷似していた。
神秘的で、冷たくて。
それでいて、どこか人間を見下ろしているような佇まい。
「通仙府には、この神の伝承が残っているらしい」
理が像を見上げながら言う。
「昔、天から降り立った白き神が、山奥の村へ現れたって話」
「……白き神」
「その神は、人々に力を与え、災いを退けた。でも――」
理はそこで言葉を切る。
「ある日突然、村から姿を消した」
堂内に静寂が落ちる。
澄羽は像から目を離せなかった。
あまりにも、似ている。
偶然にしては、妙なくらいに。
『……澄羽』
その時。
沈黙していたネヴ=ソスが、低く呟いた。
『あの像から、微かに痕跡を感じる』
澄羽の喉が小さく鳴る。
「……痕跡?」
『……まだ断定はできない。 だが――』
その時、気配を感じた澄羽は反射的に振り向く。
だが、そこには誰もいなかった。
「澄羽。 ここを見たあとの話を後で組もう」
澄羽は理の方に振り返る。
「そ、そうだね」
再び澄羽は神像を見上げる。
像は変わらず、神秘的な雰囲気を放っていた。
夕焼けが沈みきる頃。
澄羽たちは、本日宿泊する大型ホテルへと到着した。
観光地らしく、内装は豪華だった。
吹き抜けのロビー。
磨かれた床。
並ぶ照明。
生徒たちが歓声を上げながらロビーへ流れ込んでいく。
「すご……」
「旅館っていうより、ほとんど城じゃん」
そんな声が飛び交う中。
澄羽は、どこか落ち着かなかった。
『……妙だな』
ネヴ=ソスの声。
『嫌な気配がある』
澄羽が周囲を見回そうとした、その時だった。
ロビー奥。
ソファに腰掛けていた壮年の男が、ゆっくりと顔を上げる。
トゥ=レイヴだった。
その視線は、生徒たちではない。
澄羽でもない。
引率として歩いていた、ローゼへ向けられていた。
「……まさか」
トゥ=レイヴが、小さく呟く。
「奴らまで、ここに泊まるとはな」
その目が、わずかに細まる。
「これは……面白いことになりそうだ」
ホテルの自動扉が閉まり、通仙の夜が静かに幕を開けた。
ここからおまけです
「で、トゥ=レイヴはどうするの?」
リクスがカードを弄びながら問いかける。
「私は適当に廃墟でも探す。 人間の目につかず、身を隠せればそれでいい」
トゥ=レイヴが淡々と告げる。
すると、リクスは露骨に嫌な顔をした。
「えぇ〜……僕だったら絶対嫌だけどなぁ……。ね、グラ=ゼル」
「当然だ。 無意味に劣悪な環境を選ぶ理由が無い」
グラ=ゼルは腕を組みながら即答する。
「だよねぇ。 雨とか降ったら最悪じゃん」
「お前は野営そのものに向いていない」
アルク=ディアが冷めた声で言うが、リクスは気にした様子もなく笑っていた。
「そういえばさ、ゼリクスも行くんだよね?
ゼリクスはどうするの?」
部屋の隅で地図を眺めていたゼリクスが、静かに視線を上げる。
「既に宿はある」
そう言って、一冊のパンフレットを机に置いた。
表紙には巨大な旅館の写真。
夜景に照らされた建物は、明らかに高級宿と分かる佇まいだった。
「うわっ、何ここ! めちゃくちゃ良さそうじゃん!」
リクスが勢いよく身を乗り出す。
グラ=ゼルもパンフレットを一瞥し、
「……悪くないな」
と、小さく呟いた。
「料理も豪華そうだし、部屋広いし、温泉あるし……。 いいなぁゼリクス」
「人間社会に溶け込むなら、ある程度は合わせる必要があるからな」
ゼリクスは特に興味無さそうに答える。
その横で、トゥ=レイヴは変わらず静かな声を出した。
「私はやはり廃墟で構わん。 身を置ければ十分だ」
その瞬間だった。
「……愚かだな」
アルク=ディアの低い声が響く。
空気がわずかに張り詰める。
トゥ=レイヴが視線を向けた。
「人間社会へ赴く以上、人間として振る舞え。
無意味に異質な行動を取るな。 貴様一人の問題では済まなくなる」
淡々とした声音。
怒鳴りつけているわけではない。
だが、その場の誰も口を挟まなかった。
「……すまない。 配慮が欠けていた」
トゥ=レイヴが素直に頭を下げる。
アルク=ディアは数秒沈黙し、
「……既に手配は済ませてある」
そう言って、一枚のカードキーを机へ置いた。
そのカードキーは、ゼリクスと同じ旅館のものだった。
一瞬、部屋が静まり返った。
「えっ」
リクスが目を丸くする。
グラ=ゼルも珍しく目を瞬かせていた。
トゥ=レイヴはカードキーを見つめた。
「……貴方が?」
「当然だ。 力を無駄な理由で消耗させる必要は無い」
アルク=ディアはそれだけ言い、再び資料へ視線を落とす。
「……ふふ」
小さく笑ったのは、リクスだった。
「アルク=ディアって、なんだかんだ優しいよね」
「違う。 合理性の話だ」
即答。
だが、誰もそれを額面通りには受け取っていなかった。




