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哭き裂く天使  作者: Norn
第五章:旅する怪物たち
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第37話:遠ざかる日常

 朝日が差し始める頃、澄羽は目を覚ました。

 快眠した気もする。

 だが、どこか身体に違和感が残っていた。


 澄羽は湿った布団を裏返す。

 寝具が、紅に染まっていた。


 徐々に収まりつつあった現象。

 それが、また起きていた。

 思わずため息をつく。


 『目覚めたか』

 ネヴ=ソスの声が響く。


 『以前に比べれば、身体はあの形態に適応し始めている。

だが、一昨日の戦闘は無理をし過ぎた』

 強敵に対抗できるだけの力は、まだ足りない。

 天使になったばかりの頃を、澄羽は思い出す。


 ……それにしても、一昨日?

 違和感を覚え、スマホを開く。


 「ネヴ=ソス、一昨日じゃなくて昨日じゃないの?」

 『昨日は、一日を通して眠っていた。

真夜中にあれほどの戦闘を行ったのだ。回復には時間が必要だった』


 澄羽は、自分の手を見る。

 見た目は何も変わらない。


 だが、その内側は——

 もう、人間ではないのかもしれなかった。


 「ネヴ=ソス、私ってさ……」

 何かを言いかける。

 だが、続かなかった。


 『……』


 沈黙だけが返る。

 ネヴ=ソスがどこまで自分の思考を読めているのか、澄羽には分からない。


 ただ、その静寂だけが妙に重かった。


 『……あの教師が話していた旅行学習まで、今日を入れて二日。

今日は休日だ。準備をしておけ』

 再び、時間が動き始める。


 澄羽は立ち上がり、階段を降りた。



 ……リビングには誰もいない。

 時間帯の問題もあるだろうが、夜美に会っていない日々がまた一日増加した。


 相変わらず、澄羽は夜美のことが嫌いだ。

 正直言って、消えれば良いという気持ちは嘘ではなかった。


 しかし、しばらく姉に会っていないという事実がやけに心を締め付けた。


 「お姉ちゃん……」

 俯き、息を吐く。

 直後、背後に気配を感じた。


 振り向くと、そこには夜美がいた。


 「澄羽……最近会ってなかったから、心配したよ」

 「……そう」

 ただひと言。


 その言葉に、夜美は少し視線を落とし、そして上げた。


 「ねえ、旅行学習があるってメールが来たんだけど、本当……?」

 始まった。

 「一時的な避難も兼ねて、だって」


 沈黙が訪れる。

 「そう、なのね……」

 夜美は背を向けた。


 その瞬間、澄羽の脳内に過去の記憶がよぎる。



 部屋の隅を向いて座り込み、涙を流す夜美。

 顔や手には青いアザがいくつも目立つ。

 かつて救いたかったその背中。


 昔の姉は、精神的にも物理的にも蝕まれていた。

 生きる力を失ったかのように小さく見えた背中。

 ただ、もう一度笑顔になってほしかった。

 振り向いてほしかった。

 それだけなのに……。



 「わかった。 楽しんできてね」

 夜美は振り返る。

 その表情は、光に包まれたかのような笑顔だった。

 しかし、澄羽はどこか悲しみが滲む表情をしていた。

 理由は掴めなかったが、離れることに対しての悲しみでないことは確実だった。


 「ありがとう。 二日後、行ってくるね」


 旅行学習まで、あと二日。

それが、束の間の平穏になることを——この時の澄羽は、まだ知らない。






 華奢な女が、廃墟の廊下を歩く。

 胸元には深い裂傷が残っていた。

 だが、その傷もじきに塞がるだろう。


 人気の無い団地。

 崩れた壁の隙間から夜風が吹き込み、瓦礫を微かに鳴らしている。


 グラ=ゼルは、ある一室の前で立ち止まった。

 ゆっくりと扉を開く。


 「あっ、グラ=ゼルお帰り〜」

 軽い声が届く。

 リクス=ヴァイアだった。


 部屋の中央には古びた机が置かれ、その周囲にはリクス、アルク=ディア、トゥ=レイヴ、イシュ=ノクスの四人が座っている。


 彼らは、数枚のカードを均等に分けているところだった。


 「……それは」

 グラ=ゼルが視線を向ける。

 「トランプという遊戯らしい」

 リクスより先に、トゥ=レイヴが答えた。


 「僕が持ってきたんだ〜」

 リクスは笑みを浮かべる。

 誰も、その入手経路を聞こうとはしなかった。


 「グラ=ゼルも入るよね?」

 既に席は一つ空いている。

 断る理由も無かった。


 グラ=ゼルは静かに椅子へ腰を下ろした。


 「よしっ、始めよっか」

 カードが配られていく。

 ルール説明は必要なかった。


 数分もすれば、全員が理解していた。


 最初に動いたのは、グラ=ゼルだった。

 一周するごとに、無駄の無い手付きでカードを捨てていく。


 「えっ、ちょっと待って。早くない?」

 リクスが声を漏らす。

 グラ=ゼルは答えない。


 ただ淡々と、不要な札を処理していく。

 やがて最後の一組を置いた。


 「上がりだ」

 「もう!?」


 その後三周目では、トゥ=レイヴも静かにカードを整理し、同時に出した。


 「こちらも終了した」

 「いやいやいや、なんでそんな強いの!?」


 トゥ=レイヴは表情一つ変えない。


 「規則性を理解すれば難しい遊戯ではない」

 「そういう問題かなぁ!?」


 リクスは不満そうに頬を膨らませる。

 その間にも、アルク=ディアは一言も発していなかった。


 身体を椅子へ預けたまま、出番が来るたびに静かにカードを置いていく。


 そして。

 最後の二枚を揃え、机へ置いた。


 「……終わりだ」

 短い声。


 「え〜!? なんかみんな強くない!?」

 とうとうリクスが叫ぶ。

 イシュ=ノクスだけは、何も言わない。


 ただ、伏せられたカードを静かに見つめていた。

 その瞳だけが、妙に深い。


 「一騎打ち、だね……! 負けないよ!」

 イシュ=ノクスは、無言のまま小さく頷いた。


 それから数周。

 残されたカードは、三枚だけになっていた。


 イシュは二枚のカードを背後で静かに混ぜる。

 そして、何も言わずに差し出した。


 リクスは目を細める。


 「うーん……絶対こっち」

 伸ばした指が、一枚を引き抜く。


 確認。

 ジョーカーではない。


 「やったぁ!! 僕の勝ち!」

 リクスが勢いよく立ち上がる。

 対するイシュは、何も言わない。


 だがその表情は、どこか穏やかだった。


 その時だった。

 低いエンジン音が、団地の外から響いた。


 イシュがゆっくりと顔を上げる。

 それだけで、部屋の空気が変わった。


 リクスの笑みが僅かに止まり、グラ=ゼルは視線を細める。

 アルク=ディアだけは、黙ったまま入口を見ていた。


 やがて、エンジン音が止む。

 数秒遅れて、階段を上がる足音。


 一定の速度の、迷いの無い歩調。

 廊下を進む音が、徐々に近づいてくる。


 そして。

 扉が開いた。

 黒い外套を纏った青年が、そこに立っていた。


 部屋に沈黙が落ちる。

 イシュが立ち上がり、青年の元へ向かった。


 「……元気、だった?」

 消え入りそうな小さな声。

 青年は何も言わずイシュの頭へ手を置き、静かに撫でた。


 「元気だよ」

 ただ、それだけを返す。

 イシュは目を伏せ、小さく頷いた。


 青年は部屋へ入り、机へ一枚の地図を広げる。


 「さて、みんな」

 全員の視線が向く。


 「ネヴ=ソスは二日後、通仙府へ向かうらしいんだ」

 青年は地図上の一点を指差した。


 「誰か行かないか?」

 沈黙が辺りを包む。

 最初に口を開いたのは、アルク=ディアだった。


 「……ならば、お前はどうする」

 低く、重い声。


 青年は少しだけ笑う。


 「もちろん行く」

 そして。

 「人間の姿で。 でも、今回は観察メインだ」


 再び静寂が落ちる。

 そして、トゥ=レイヴがそれを破った。


 「……ならば、俺が行こう」

 静かな声。

 だが、その場の空気がわずかに張り詰める。


 リクスが目を丸くした。


 「えっ、トゥ=レイヴが? 珍しくない?」

 「通仙府には、ネヴ=ソス以上の戦力も来るそうだ」

 トゥ=レイヴは淡々と続ける。


 「A.E.O.I.の、あの女だ」

 その言葉に、グラ=ゼルがわずかに目を細めた。


 「……確か、ローゼだっけ」

 「ああ」

 トゥ=レイヴは短く答える。


 「おそらく、放置すれば面倒になる。

ならば、早い段階で排除しておくべきだ」

 感情の見えない声だった。

 だが、その場の誰もが理解していた。


 トゥ=レイヴは、勝てると判断している。

 青年はそれを聞き、わずかに口元を緩める。


 「頼もしいね」

 「ただし」

 トゥ=レイヴは続けた。


 「必要以上に暴れるつもりはない。 俺の役目は、戦況を固定することだ」

 その瞬間。

 青年の目が、ほんの僅かに細められた。


 「……固定、か」

 「問題でも?」

 「いや」

 青年は小さく笑う。


 「別に。 ただ――」

 そこで言葉を切る。


 窓の外。

 白昼を眺めながら、静かに呟いた。


 「通仙府で何が起こるのか、少し楽しみになってきただけだよ」


 その瞬間。

 この場にいる誰もが理解した。

 ヴァル=ゼリクスが動くということの意味を。

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― 新着の感想 ―
世界観が好きです。 wikiのようなキャラクター説明。 それに伴うメタ的な話。 面白いですね。 ★★★★★
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