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哭き裂く天使  作者: Norn
第四章:共存と排除
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第36話:夜風は未来を運ぶ

 天使が目の前の女性を見つめる。


 『奴は……グラ=ゼルか。 面倒なのが来たな』

 グラ=ゼルの出で立ちは粛清者そのもの。

 その目つきはあらゆる状況に対応すべく、天使を見つめ、その視線は揺らぐことを知らなかった。


 「ネヴ=ソス、だな。 貴様は本来、存在する価値すら無い。

――この場で粛清する対象だ」

 グラ=ゼルは、自身の体格に見合わない無骨なハンマーを生成する。

 黒鉄の塊をそのまま引き抜いたような武器だった。


 「だが、奴が来るならば……即座に処分するのは得策ではない」

 片手で軽々と担ぎ上げる。


 「精々足掻け。

貴様は、ただ保留されているに過ぎない」


 天使は双剣を構えた。

 静寂が落ちる中、夜風だけが河川敷を撫でていた。


 先に動いたのは天使だった。

 地面が爆ぜる。

 一瞬で間合いを潰し、双剣を同時に振るう。


 直後、凄まじい金属音が静寂を叩き割った。

 超質量のハンマーが、双剣の軌道そのものを押し潰していた。


 そのまま横薙ぎに振り抜かれる。

 空気が圧縮され、衝撃波となって炸裂した。


 天使の巨躯が吹き飛ぶ。

 白い残光を引きながら、夜闇の中へ叩き飛ばされた。


 グラ=ゼルは、落下地点へ向けてゆっくり歩き始める。

 まるで、逃げ場など存在しないと言わんばかりに。


 『武器同士の打ち合いは最善ではない。 肉体そのものを狙え』

 ネヴ=ソスが即座に判断を下す。


 天使は瓦礫を踏み砕きながら立ち上がった。

 そして、先ほどよりも深く強く地を踏み込む。


 地力の向上。

 そこへ超速能力を重ねる。


 その瞬間。

 天使の速度は、一時的に光速領域へ到達した。


 「消え……いや、違う」

 燈莉が息を呑む。


 消えたのではない。

 速すぎる。

 白い閃光だけが、グラ=ゼルの周囲を幾重にも走っていた。


 グラ=ゼルは微動だにしない。

 だが、その目は追いついていなかった。


 次の瞬間、閃光が一点へ収束する。

 光速の斬撃。

 天使が一直線に駆け抜け、袈裟斬りを放った。


 グラ=ゼルの衣服が裂け、鮮血が夜気へ散る。

 血が足元を伝い、静かに地面を染めていく。


 だが。

 グラ=ゼルは倒れない。

 ゆっくりと振り返り、後方で停止した天使を見る。


 天使は睨みつけた。

 奴はまだ人間態。

 今の一撃で沈めるつもりだった。


 「ネヴ=ソスよ」

 低く響く声。


 「皇帝候補だったにしては――粗末な剣術だ」

 その瞬間、グラ=ゼルの肉体が軋みを上げた。

 グラ=ゼルの全身が脈動する。

 筋肉が膨張し、皮膚の下で何か巨大なものが蠢いていた。


 やがて――


 裂けた。

 肩口から黒い外殻が突き破る。

 鋼鉄と生物を混ぜ合わせたような装甲が、肉体を覆い始めた。


 腕が肥大化していく。

 特に右腕は異常だった。

 筋肉と外殻が幾重にも重なり、巨大な破城槌のような腕へ変貌していく。


 握られたハンマーも変化を始めた。

 柄が脈打つように伸びる。

 黒い骨格のような節が連結し、二メートルを超える長柄へ変貌した。


 ハンマー頭部はさらに肥大化。

 鈍重な鉄塊だったそれは、いつしか処刑器具そのものへと変わっていた。


 表面には赤黒い亀裂が走り、その隙間から灼熱の光が漏れ出す。


 熱ではない、空間そのものが軋んでいた。

 顔もまた、人の形を失っていく。


 頬から上を黒い外殻が覆い隠し、横一直線に並んだ複数の赤い眼光が開いた。

 一つ一つが、獲物を測定する照準器のように明滅する。


 背中からは、処刑人の外套を思わせる黒布が垂れ下がっていた。

 しかし、その下にあるのは人間の背ではない。

 脊椎のような外骨格が露出し、赤い光を脈打たせている。


 足元の地面が沈む。

 ただ立っているだけで、周囲のコンクリートに亀裂が走っていた。

 存在そのものが、空間へ圧力をかけている。


 「……なに、あれ……」

 燈莉は言葉にした瞬間、理解する。

 これは融合体ではない。


 もっと別の何か。

 人型を保っていた今までが、異常だったのだ。


 天使は双剣を構え直す。

 十数の目が、異形を見据えていた。


 『来るぞ』

 ネヴ=ソスの声。


 直後、グラ=ゼルの姿が消えた。

 巨体とは思えない速度。

 爆音と共に地面が陥没し、黒い巨影が目前へ迫る。

 そして、長柄の大槌が天使へ振り下ろされた。

 天使は咄嗟に後ろへ飛び、大槌の一撃を避ける。


 その一撃で地面は陥没し、大槌が砕いた周辺の土壌が壁のように盛り上がる。

 突然隆起した地形に天使は持ち上げられ、宙を舞った。


 『危機的状況だ。 防御に全振りしろ』

 十数の目が一斉に一方向を向く。

 視線の先には宙を飛ぶグラ=ゼルが映っていた。


 そのまま大槌を一振り。

 天使は咄嗟に身構えるが、刃状の手甲が完全に砕かれた。

 そのまま衝撃が全身をくまなく巡る。


 叩き落とされた天使は、亀裂が身体中に走るような感覚に悶え苦しむ。

 身体はすぐさま再生を始めるが、格の違いそのものに天使は追い詰められる感覚を味わった。


 グラ=ゼルが一気に距離を詰める。

 すぐに距離を取るため、立ち上がりながら地を蹴り後ろへ飛ぶ。

 そのまま光速で移動し、双剣を構える。


 「そんな手が、私に通用するとでも考えていたのか?」

 グラ=ゼルは大槌を自身の周囲を埋め尽くすように振り回した。

 光速には届かない。

 だが、当たれば終わりの暴威が空間そのものを埋め尽くしていた。


 天使は再び距離を取った。

 そして思考する。

 剣を投げたところで、タイミングが合わなければ大槌に阻まれる。

 答えが出ない。


 「天使よ。 出ないのならば、こちらから行くぞ」

 グラ=ゼルは再び大槌を構える。

 走り出すのは時間の問題だった。


 天使は再び光速で移動するが、グラ=ゼルは大槌を振るったまま向かってきた。

 このままでは対抗策が無い。


 『まずいな』

 ネヴ=ソスの声には、焦燥が混じっていた。




 燈莉は二人の戦いを見ていた。

 自分が入り込める余地があるのかどうか。

 このまま見ていれば、澄羽はあの女に負ける。


 「適応進化(アダプト・コード)

 燈莉の視界が変わる。

 だが相変わらず、天使も大槌の軌道も解析することができなかった。


 しかし、燈莉は大槌の軌道を注視した。

 大槌が振るわれるたび、空気が押しつぶされ、大槌に続くように空気が引っ張られる。


 (そっか……視点を変えれば行ける…!!)

 燈莉はグラ=ゼル周辺の空気の流れを伺った。

 そして、微かな間。

 空気が引っ張られてる位置、大槌が既に通り過ぎた地点。

 そこを狙った。


 燈莉の身体が右腕から融合体へ変化していく。

 その右腕にはドリルが生成されていた。


 「殲滅螺旋(オルレンジ・ハザード)……!」

 ドリルが一直線にグラ=ゼルへ突き進む。

 グラ=ゼルが気づいた時には、そのドリルは眼前まで迫っていた。

 グラ=ゼルの赤い目が、僅かに見開かれた。


 直撃。

 貫通には至らない。

 だが、黒鉄の装甲を抉り、肉を削り取ることには成功した。

 グラ=ゼルの身体が少し揺らぐ。

 天使は一瞬だけ燈莉を見た。


 『今だ』

 天使は双剣を削られた体表に突き刺し、そのまま斬り裂く。

 かなりのダメージを与えることに成功した。

 グラ=ゼルが不敵な笑みを浮かべる。


 「やるじゃないか」

 そのまま大槌を横に振った。

 間合いの範囲内、回避は不可能だ。

 その時だった。


 「構造崩壊(ストラクト・ブレイク)!!」

 燈莉の声の直後、大槌が回転しながら宙を舞った。

 グラ=ゼルが両手を見ると、親指と小指が付け根ごと崩壊していた。


 力に差があっても、一部に全力を込めれば崩壊させることは可能だった。


 天使は燈莉に感謝しながら剣を投擲し、グラ=ゼルの胸に深々と突き刺す。

 そして空高く舞い上がった。


 グラ=ゼルは激痛を感じながらも剣を抜こうと試みた。

 それが時間稼ぎとなった。


 月を背に飛び上がった天使は、片足にエネルギーを集中させる。

 片足を突き出し、落下する。


 「終わりだ」

 グラ=ゼルは剣を抜きながら理解する。

 間に合わない。

 回避も、防御も。


 この一撃だけは――受け切れない。

 だが、その瞬間。


 音が、割り込んだ。


 遠くからではない。

 すぐ近くで、突然鳴った。


 空気を裂くようなエンジン音だった。


 「あれは……!」

 燈莉が目を見開く。

 次の瞬間、それは現れた。


 黒い機体。

 鋭く研ぎ澄まされたようなフォルム。

 バイクだ。


 前輪が上がった状態で空中を飛びながら、戦場に割り込む。

 天使のキックが、バイクに直撃する。


 だが――


 金属音が響き、火花が散る。

 それだけだった。


 必殺のキックは、横から叩きつけられたバイクのフレームによって弾かれていた。

 天使の身体がわずかに押し返される。


 あり得ない現象だった。

 その一撃は、明らかに通るはずのものだった。


 それが――

 ただの物体に止められた。

 バイクはそのまま空中で姿勢を変え、地面へと着地する。


 鈍い音と共に、砂塵が舞い上がる。

 砂塵が晴れ、その中から姿が現れる。

 長い外套を揺らしながら、青年がバイクに跨ったまま顔を上げる。

 ヘルメットのバイザーを上げ、天使を直視した。


 誰も、動かない。

 空気が、違う。

 戦場の流れそのものが、別のものに書き換わったような感覚。


 グラ=ゼルが、わずかに目を見開いた。

 無意識に、拳に力が入る。


 「……お前は」

 その声には、初めて明確な変化があった。


 青年は答えない。

 ただ、天使を見る。


 じっと。

 観察するでもなく、測るでもなく。

 知っているものを見る視線。


 そして、青年は小さく口を開いた。


 「……またな、白鷺澄羽」

 次の瞬間、エンジンが唸る。

 バイクが地面を蹴り、一直線に走り出す。

 ――気づけば、もう数十メートル先にいる。


 あまりにも一瞬。

 誰も、追えない。

 残されたのは、静寂だけだった。


 「……あれは……何……?」

 燈莉の声が、わずかに震える。

 返答はない。


 天使は、動かない。

 その視線だけが、男が消えた先を追っていた。

 そして。


 「……いない」

 燈莉が呟く。

 その言葉で、ようやく気づく。

 グラ=ゼルの姿が、消えていた。


 


 静寂が、河原を包んでいた。

 先ほどまでの激突が嘘のように、風だけが草を揺らしている。


 やがて、白い巨躯が崩れるように縮み、天使は人間の姿へ戻った。

 澄羽は膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。


 「あっ……」

 燈莉も慌てて融合を解除した。

 変化が解け、元の姿へ戻る。


 互いに傷だらけだった。

 しばらく、誰も喋らない。

 遠くで、川の流れる音だけが聞こえていた。


 「……終わった、のかな」

 燈莉が、小さく呟く。

 澄羽は息を整えながら、空を見上げた。


 「……多分」

 その返事は、どこか曖昧だった。

 終わったとは思えない。


 また来る。

 きっと、もっと恐ろしい何かが。


 リクス=ヴァイア。

 トゥ=レイヴ

 グラ=ゼル。

 そして、あの青年。


 知らないものばかりだ。

 それでも。

 今だけは、少しだけ肩の力を抜けた。


 燈莉は、自分の掌を見る。

 それは震えていた。

 正直、怖かった。

 今も怖い。


 A.E.O.I.の隊員として、本来なら天使を排除しなければいけない。

 でも、自分は澄羽を守ろうとした。

 澄羽も、自分を守った。

 その事実だけは、もう誤魔化せない。


 「……私」

 燈莉が口を開く。

 「まだ、どうすればいいのか分かりません」

 澄羽は黙って聞いていた。


 「A.E.O.I.を辞めるつもりは、ありません」

 その声には、迷いがあった。

 だが、逃げではない。


 「大事な人を失いたくないって、決めたから。

でも」

 燈莉は、ゆっくりと顔を上げる。

 「白鷺さんを、敵だとも思えなくなりました」

 真っ直ぐな言葉だった。


 「だから私は……」

 一度、言葉を止める。

 覚悟を決めるように。


 「A.E.O.I.に残ったまま、あなたを助けます」

 風が吹き、長い髪が揺れた。


 「隊員として見るものも、あると思うから」

 内部にいるからこそ分かること。

 止められるもの。

 動ける場面。


 それがきっと、ある。


 燈莉は俯かなかった。

 逃げるような目もしていない。

 ただ、不器用なまま立っていた。


 澄羽は、少しだけ目を丸くする。

 それから。

 ふっと、小さく笑った。


 「……そっか」

 短い返事。

 でも、それだけで十分だった。

 燈莉は少し不満そうに眉を下げる。


 「もっとこう……あるじゃないですか」

 「例えば?」

 「裏切るかもしれないとか……警戒するとか……」

 澄羽は少し考えて。


 「……燈莉って、そういうの苦手そうだし」

 「それは否定できませんけど……!」

 思わず言い返してしまう。

 その瞬間、二人の間に少しだけ笑いが生まれた。


 ほんの僅か。

 けれど、確かに。

 戦いの中では生まれなかった空気だった。


 澄羽は立ち上がる。

 まだ傷は痛む。

 それでも、前より軽かった。


 燈莉も続いて立ち上がった。

 夜風が、二人の間を通り抜ける。


 澄羽は少しだけ視線を逸らしながら。

 「……じゃあ、これからよろしく」

 と、小さく言った。


 燈莉は、一瞬目を丸くして。

 それから、少しだけ笑う。


 「はい。 よろしくお願いします、白鷺さん」

 敵でもなく。

 完全な味方でもなく。


 それでも。

 確かに二人は、同じ方向を見始めていた。





 寝静まった住宅街。

 本来なら、とっくに補導されていてもおかしくない時間帯。

 澄羽は、一人で帰路を歩いていた。


 この戦いは、いつまで続くのかは分からない。

 それでも、敵が共通しているのなら。

 少し前みたいに、誰かと協力できるのなら。


 仲間がいるということは——

 きっと、悪いことじゃない。


 家までは、あと少し。

 坂を登り、少し進めば、右に曲がるだけ。


 澄羽は静かに坂を登り切る。

 その瞬間だった。


 街灯の下に、人影が立っていた。


 「お久しぶりです。 白鷺さん」

 聞き覚えのある声。


 白い髪。

 静かな瞳。

 夜の中に溶け込むような青年。


 葉狩シュウだった。


 「……シュウさん」

 澄羽が足を止める。

 シュウはゆっくりと澄羽を見つめた。


 まるで、何かを確認するように。


 「少し、雰囲気が変わりましたね」

 「……そうですか?」

 「ええ」

 短く答える。


 感情があるようにも、無いようにも見える声。

 だが、次に放たれた言葉だけは、妙に重かった。


 「——仲間ができたからですか?」

 澄羽の肩が、わずかに揺れる。

 シュウは続ける。


 「花守燈莉」

 名前を呼ばれた瞬間、空気が少しだけ冷えた気がした。


 「……見てたんですか」

 「見ていた、というより」

 シュウは静かに目を細める。


 「知っていました」

 その返答に、澄羽は何も言えない。

 シュウは街灯の光から半歩だけ外れ、その影が深くなる。


 「以前、言いましたよね」

 穏やかな声だった。

 だからこそ、余計に怖い。


 「立ちはだかる者は、全て排除しなければならないと」

 「……」

 「それなのに、貴女は手を取った」

 責める口調ではない。

 失望でもない。


 ただ、確認している。

 その事実が、澄羽には重かった。


 「……だって」

 澄羽は小さく俯く。

 「燈莉は、敵じゃなかったから」


 シュウは少しだけ沈黙した。

 夜風が吹く。

 住宅街の木々が揺れる。


 やがて。


 「そうですか」

 とだけ、彼は呟いた。

 その声には、ほんの僅かに諦めにも似た色が混ざっていた。


 「ですが、覚えておいてください」

 シュウの瞳が、真っ直ぐ澄羽を捉える。


 「貴女は、いずれ選ぶことになります」

 静かな声。

 なのに、逃げ場が無かった。


 「守りたいものを斬るか」


 「——斬られて、全てを失うか」


 澄羽の呼吸が止まる。

 シュウはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、静かに横を通り過ぎる。


 すれ違う瞬間。


 「……貴女は、優しすぎます」


 小さく、そう零した。

 その言葉だけを残して。

 葉狩シュウは、夜の向こうへ消えていった。


 その夜風は、どこか未来の匂いがした。

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