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哭き裂く天使  作者: Norn
第四章:共存と排除
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第29話:残留するもの

 会議室の扉が、静かに閉まる。

 重たい音ではなかったはずなのに、燈莉の耳にはやけに大きく響いた。


 廊下は無機質な白で統一されている。

 規則正しく並ぶ照明。足音だけがやけに遠くまで伸びていく。


 誰もいない。

 それが、逆に息苦しかった。


 「……はぁ」

 小さく吐いた息は、思っていたよりも浅い。

 胸の奥が、じわじわと重くなる。


 天使、澄羽。


 思考が、勝手に結びついてしまう。

 あの時、見た光景。

 崩れ落ちるようにして、人の姿に戻る瞬間。

 見間違いではない。


 「……なんで」

 問いは、誰にも届かない。

 答えも、返ってこない。

 足を止めることなく、燈莉は宿舎へと向かう。


 何も考えないようにしながら、

 それでも思考は止まらない。


 「討伐対象……」

 その言葉が、やけに重くのしかかる。




 部屋の扉を開ける。

 誰もいない、静かな空間。

 見慣れているはずの場所なのに、どこか現実感が薄い。


 靴も揃えずに、そのまま中へ入る。

 服を着替える気力もない。


 ベッドに倒れ込み、うつ伏せのまま顔を埋める。


 「……わかんない」

 声が、シーツに吸い込まれる。


 A.E.O.I.の任務。

 守るべきもの、排除すべき存在。


 全部、理解しているはずなのに。


 澄羽の顔が浮かぶ。

 美空といる時の、何気ない表情。

 戦いとは無縁だったはずの関係。


 それが、どうして。


 「……なんで、あの人が……」

 否定したい。

 でも、否定できない。


 司令官の視線。

 ローゼの言葉。

 レナの沈黙。


 全部が、燈莉の中で引っかかっている。


 「……私、どうすればいいの……」

 返事はない。

 ただ、静寂だけがそこにある。


 時間の感覚が、曖昧になっていく。

 考えようとして、思考がまとまらない。

 同じところを、何度も巡っている。


 燈莉は目を閉じる。

 閉じたはずなのに、浮かんでくるのはあの光景ばかりだった。


 天使の姿。

 崩れるように戻る人間の形。


 そして——澄羽。


 意識が、ゆっくりと沈んでいく。

 考え続けていたはずなのに、いつの間にか思考が途切れていた。


 呼吸だけが、静かに続いている。

 答えは出ないまま、燈莉は眠りに落ちた。


_______________________________________________


 暗い。

 上下も、左右も分からない。

 ただ、沈んでいるような感覚だけがある。


 音がない。

 はずなのに。


 『―――』


 何かが、触れた。

 耳ではない。

 もっと内側。


 『……ここにいる』


 誰の声か、分からない。

 けれど、分かってしまう。


 『……アルク=ディア……』


 その名前を、知っている気がした。


 言葉ではない、記憶でもない。

 ただ、内側に染み込んでくる。


 『……私は……ここにいる……』

 どこに?

 そう思った瞬間。


 視界が、揺れる。

 一瞬だけ。


 誰かが立っている。

 五人。


 取り囲むように。


 それぞれの思想は違う。

 見るだけでわかる。


 だがわかったのは。


 彼らはこの子(カイメラ)の仲間だということ。


 それだけ......。


_______________________________________________


 カーテンの隙間から光が差し込む。

 燈莉はゆっくりと上体を起こし、胸に手を当てた。


 ――鼓動。


 それは確かに自分のもののはずなのに。

 どこか、微かにずれている気がした。


 夢の内容は、思い出せない。

 だが。

 何かが残っている。


 小さく息を吐き、燈莉は立ち上がった。

 体の汚れを感じ、シャワーを浴びる。


 温かい水が流れていく。

 昨日の血や汚れは落ちていくが、胸の奥に残ったものだけは消えなかった。


 髪を梳かし、ドライヤーをかける。

 風の音が、やけに大きく感じる。

 気づけば、一時間近く経っていた。


 「……食べなきゃ」

 誰に言うでもなく呟く。

 何かしていないと、考えてしまいそうだった。


 ドアノブに手をかける。

 いつもと同じはずなのに、わずかに重く感じた。


 廊下に出ると、何やら騒がしかった。

 普段の朝とは違うざわめきが、空気に混ざっていた。


 女性用宿舎を出たところで、向かい側の建物から一人の男性が出てくる。

 桜庭玲司だ。


 「玲司……! この騒ぎ、何があったの……?」

 「朝早くじゃない。 もう九時だ」

 軽く息をつき、玲司は端末を取り出した。


 「それより、これを見ろ」

 表示されたのはマップ。

 宇宙外生命体、もしくは融合体の出現位置を示す画面。


 「ここに反応が出た。 ……ただ、いつもと違う」

 画面には、赤紫色のアイコン。

 見慣れない色だった。


 「Lv7.Sephira(セフィラ)

 一瞬、言葉の意味が追いつかない。


 「Lv5.Verse(ヴェルス)の天使より、上だ」

 燈莉の喉が、わずかに鳴る。


 Lv5でも、十分に危険だった。

 それを超える個体。


 「……私たちで、勝てるの……?」

 思わず漏れた言葉。

 玲司は少しだけ視線を逸らし、それから戻した。


 「正直、不安だ」

 珍しく、はっきりとした本音だった。


 「だが――」

 わずかに間を置く。


 「葉狩シュウって隊員が言ってた」


 葉狩。

 レナと同じ姓。


 「『Lv7はそこまで動かない。時間を稼げば、頼りになる奴が来る』ってな」

 「……それ、信じるの?」

 「分からない」


 即答だった。


 「でも、嘘には聞こえなかった」

 燈莉は少しだけ目を伏せる。

 不安は消えない。


 それでも。


 「……行くしかない、か」

 玲司は端末をしまう。


 「場所は紋瀬市。燈朝市と都心の間だ」

 短く告げる。

 燈莉は一度だけ、自分の胸に触れた。


 ――まだ、何かが残っている気がする。


 だが、それを確かめる時間はない。


 「行こう」

 二人は、輸送車のある車庫へと走り出した。






 同じ時間帯、燈朝市の通学路。

 普段なら学生で賑わう道も、今は人影がまばらだった。

 ほとんどの生徒は、すでに校舎に入っている時間だ。


 「……遅刻、だな」

 そう呟きながらも、澄羽の足は次第に緩んでいく。


 昨日の戦闘。

 そして——燈莉に見られた、あの瞬間。


 「……美空は、なんて言うんだろう……」

 小さく零れた言葉は、誰にも届かない。


 その時だった。

 胸の奥に、何かが流れ込む。


 昨日昼頃と同じ感覚。

 それに近い。


 宇宙外生命体だ。

 こんな時間に。


 「……行かないと……!」

 迷いは、一瞬で消えた。

 澄羽は地面を蹴り、走り出す。


 地図も、スマートフォンも見ていない。

 それでも——体は、確かに紋瀬市へ向かっていた。


 『賢明な判断だ』

 内側から、声が響く。

 忌まわしい声。


 それでも今は——


 否定しなかった。

 否定している時間が、ない。


 空を見上げる。

 太陽は、まだ高く昇りきっていない。


 その下で、再び何かが始まろうとしていた。

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