第28話:未確定の定義
日が傾きつつある中、澄羽は片足を引きずりながら自宅へと逃げ帰った。
地面には血の跡が続いているが、本人は気づいてない。
「今度こそ、本当に終わりだ……」
燈莉は、澄羽が天使から戻る様子をその目で捉えていた。
A.E.O.I.が自宅に来るのも、時間の問題だろう。
「……ねぇ、もう一度変身できないの?」
独り言のようにポツリと呟く。
反応は無い。
代わりに、引きずる足の筋繊維と骨が微かに蠢く。
「出て行ってよ……」
『不可能だ』
声は体の内側から唐突に響いた。
夜の静寂を切り裂く稲妻のように。
澄羽の視界が一瞬だけ歪む。
焦点が合わない。まるで、自分の内側を見せられているような錯覚。
『私が出ていけば、君は生命活動を維持することができない』
「……っ、そんなの……」
否定しようとして、言葉が止まる。
心臓の鼓動と、それに混じるもう一つの脈動。
自分のものではないはずのリズムが、確かにそこにある。
『理解しているはずだ。
君は既に、人間単体としては成立していない』
「……違う」
『違わない』
即答だった。
『君は私を拒絶するが、同時に依存している。その身体も、その力も、その生存すら』
澄羽の引きずっていた足が、ぐちりと音を立てて歪む。
裂けた筋繊維が、意思を持つように再接続されていく。
「やめて……見せないで……」
ほんの僅か、ネヴ=ソスの声に興味のような揺らぎが混じる。
『これは君だ』
澄羽は地面に手を付き、呟いた。
「……ねぇ、あの姿は何なの」
『最適化された形態だ。
地球という環境下で、互いの同種族に対抗するための出力形式』
あたかも当然であるかのような返答に、澄羽は理不尽からなる苛立ちを覚え始めた。
「……あんなの、人の形じゃない」
『その必要がないからだ。 だが、興味深い点もある』
「……何」
『君はその形態を恐れている。 にもかかわらず、使用を選択する』
興味の感情が交わりつつも、ネヴ=ソスはそれ以上揺るがなかった。
『非効率だ』
筋繊維が再接続した足を地に付き、澄羽はようやく立ち上がった。
「恐れていたままじゃ、何も変わらないじゃない。
誰かの笑顔のためなら……あの姿になるよ」
ネヴ=ソスは少し考え込んだ。
宇宙内生命体の思考を理解するために。
『概ね理解した。君の行動原理は自己保存ではない。
やはり君は、興味深い存在だ』
地面を線引きした血が途切れている。
ネヴ=ソスが結論を出した時には、もう再生していたようだ。
「……興味が失せる日が、一日でも早く訪れることを願うよ」
神経を通して伝わる感覚を感じない足のまま、澄羽は吐き捨てた。
せめて今夜は何も起きないことを願いながら。
その日の夜。
A.E.O.I.中央基地。
広い会議室には、楕円形状のテーブルと数十個の椅子が並べられていた。
司令官を含めた五人の上官と、各地方の指揮官が座り重い空気が辺りを沈ませる中、燈莉はローゼに連れられ出席していた。
「集まってくれたこと、まずは感謝する。
この会議は、今後の話についてだ」
スクリーンに資料が映し出される。
地方ごとの宇宙外生命体・融合体の出現率と、危険度。
どの地方でも出現していることは変わらないが、燈朝市だけは他地方に比べ出現率が2.5倍ほど多い。
「戦闘後の残滓の情報から、各地方には燈朝市周辺に現れた融合体以上の戦闘力を持つ存在は確認されていない。
だが、今後は現れることも予想される。
各支部とも、警戒を怠らないように」
午後に起きた戦闘の情報が映し出される。
「今日出現した融合体は二体。 それに加えて天使が現れた」
天使。
「以前から不可解な点がある。
何故天使は同士討ちをしているのか」
司令官の言葉の直後、咄嗟に燈莉は言葉を挟む。
「司令官、天使は討伐対象から外すべきだと考えます。
司令官は、どうお考えですか?」
各支部の指揮官がどよめく。
「質問に質問で返すのは失礼だが、まずは問わせてもらおう。
花守燈莉、何故そう考える?」
「天使は……私を救ってくれました」
直接的に助けられたことなどない。
だが燈莉は知っている。
天使が姉、美空を融合体から救ったことを。
「何故そう言える。 そうだと確定できる根拠はあるのか?」
「……っ!」
司令官は燈莉の目を真っ直ぐに捉える。
「仮に天使が助け出す意思を持ち行動しているとしても、まだその仮説を確立させることは不可能だ。」
司令官の圧力にも近い佇まいに、燈莉は黙ることしかできなかった。
「それに、葉狩レナが天使と戦闘した。
人類を守る存在ならば、戦闘員との戦いなど避けるはずだ」
司令官は部屋を見渡す。
「……本来ならば、ここにいてほしかったものだがな」
「きっと疲れているの」
ローゼが口を開いた。
燈莉と同じ、最年少の隊員の割には母のような言葉遣いだった。
「確かに、いないということは……いつもの寝坊だな。 ではローゼ、お前なら天使をどうする?」
司令官の問いに、ローゼは怪し気な微笑みを浮かべる。
「もちろん排除よ。 宇宙外生命体は討つべき存在。
その考えはいつになっても変わることはないわ」
司令官は黙し、各地方の指揮官は賛成するかのような態度を見せた。
「……で、でも…天使は」
「燈莉、そんなに天使のことを庇いたいの?」
燈莉は我に返り、辺りを見渡す。
各地方の指揮官もローゼと同意見だった。
「レナなら、味方になってくれそうでなくて?
天使との戦闘でわかったこと、何も報告しなかったもの」
ローゼは立ち上がり、燈莉の後ろへ立った。
「あの子とあなた、二人ともあちら側でないかどうか、調べてみる?」
低くなった声が燈莉の背を震わせた。
否定したい。
それでも、天使は燈莉のことを……。
その時だった。
「私が、何だって?」
見下すかのような声。
鋭い眼光が釘のようにローゼを突き刺す。
「あら、おはよう眠り姫。 そんな表情で……綺麗な顔が台無しだわ」
レナは答えない。
ただ一歩、室内へと踏み込む。
その瞬間、空気が変わった。
先ほどまで漂っていた重苦しさとは別の、鋭く張り詰めた緊張。
刃物同士を突き合わせたような、静かな殺気だった。
「……用があるなら、さっさと言え」
感情は抑えられているが、その奥にある苛立ちは隠しきれていない。
「怖い怖い。 そんなに苛立つなんて」
ローゼは肩を竦め、楽しげに笑う。
「それとも……何か都合の悪いことでもあったのかしら?」
ぴくり、とレナの指先が動いた。
燈莉は思わず息を呑む。
視線を逸らせない。逸らしてはいけない気がした。
「……言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「そうねぇ」
ローゼはわざとらしく間を置く。
そして、レナの目を真っ直ぐに見据えた。
「天使との戦闘。 あなた、何も報告していないでしょう?」
ざわり、と室内が揺れる。
「通常ならあり得ないわ。 貴女ほどの戦闘員が、未知の存在と交戦しておいて何も得られなかったなんて」
「……」
レナは黙ったまま。
だがその沈黙は、否定ではなかった。
「ねぇ、レナ」
ローゼの声が、ほんの僅かに低くなる。
「あなた、本当にこちら側かしら?」
その一言で、空気が凍りついた。
燈莉の背筋を冷たいものが走る。
「……言っていいことと悪いことの区別くらい、つけろ」
レナの声は静かだった。
だが、先ほどよりも明確な圧があった。
「ふふ……怒った?」
「別に」
「じゃあ否定してくれる?」
一秒にも満たないはずの間が、やけに長く感じられる。
「……任務は遂行した」
それだけだった。
答えとしては、あまりにも不十分。
「それ、答えになってないわよ」
ローゼが一歩、レナへと近づく。
レナも動かない。
視線だけが、鋭く交差する。
まるで、どちらかが一歩踏み込めばそのまま衝突するかのような距離。
燈莉は気づく。
この二人は――危険だ。
敵ではない。
だが、同じ場所に置いてはいけない種類の存在だと。
その時だった。
「……そこまでにしろ」
低く、しかし確実に全員に届く声。
司令官だった。
「ここは戦場ではない。 私的な感情で場を乱すな」
ローゼが軽く肩を竦める。
「失礼しました、司令官。 少し確認したかっただけよ」
「その必要はない」
司令官は言い切る。
「現時点で、葉狩レナに反逆の兆候は確認されていない」
静かな断定。
それは同時に、監視対象ではあるという宣言でもあった。
レナは何も言わない。
ただ、視線だけを外した。
「……話を戻す。 天使の扱いについてだ」
司令官の一言で、強制的に場が引き戻される。
しかし、燈莉だけは違った。
燈莉は未だに、あの刹那の瞬間を切り離せずにいた。
街外れのトンネル。
照明は機能していないはずだった。
それでも奥の空間だけが、わずかに輪郭を保っている。
人影が五つ。
等間隔に立ち、互いに距離を取っている。
誰も動かない。
呼吸音もない。
ただ、そこにいるだけで空間が歪んでいる。
「……個体を確認した。
適合個体。 不完全だが、成立している」
静かで、感情の乗らない声。
「不純だな」
一人が即座に返す。
視線は動かない。
ただ、空気だけが僅かに重くなる。
「元の個体と分離できない時点で、欠陥だ」
「でもさぁ」
軽い声が割り込む。
理由もなく、笑っている。
「面白いじゃない、ああいうの。 壊れてるのに、動いてる」
沈黙が広がる。
誰もが、同意も否定もしない。
「任務を優先しろ」
また一人が低く言う。
整った声。揺れがない。
「我々の目的は候補の回収だ。 逸脱個体に割く時間はない」
「……同意する」
最初に口を開いた存在が、短く返す。
「ネヴ=ソスは不要」
その言葉に、わずかな間が生まれる。
「完全に排除するか?」
また一人。
「必要ない。
放置で構わない。 自己崩壊の可能性が高い」
「つまらないなぁ」
一人が肩をすくめる。
「せっかく違う形なのに」
「例外は不要だ」
二番目に口を開いた存在が、その興味を否定する。
そこで、初めて。
最後の一体が、わずかに顔を上げた。
影の奥で、目だけが微かに光る。
「……」
何も言わない。
だが。
「……観測は、継続すべきだ」
それだけだった。
一人がくすりと笑う。
「ほら。やっぱり面白いって」
最初の一人が告げた。
「……決定する。 優先順位は変わらない。
候補の回収を最優先とする」
「……排除は任せろ」
「つまんないなぁ」
それぞれの思考はバラついていた。
しかしそれでいて均衡を保っていた。
「……では、次の段階へ移行する」
その瞬間、一つの影が消えた。
音もなく、気配も残さず。
残りも、連鎖するように消えていく。
最後に残ったのは、ただの暗闇だけだった。




