第26話:触れた領域、届かぬ頂
澄羽の脳裏に浮かび上がるのは、かつて見たヒーロー映画の一場面だった。
雷を操るヒーローと、カブト虫を模したヒーロー。
両者は激突し——だが、戦いは一方的だった。
カブトのヒーローは、目にも留まらぬ速さで駆ける。
視界から消え、背後に現れ、また消える。
雷のヒーローは、その動きを捉えられない。
放たれる電撃は、すべて空を裂くだけだった。
勝負は決したかに見えた。
それでも——雷のヒーローは、退かなかった。
一瞬の静止。
そして次の瞬間、彼は腕を天に伸ばした。
直後、落雷が生じた。
それも一つではない。
自身を中心に、無差別に、無数の雷を同時に叩き落とした。
逃げ場は、どこにもない。
カブトのヒーローは、強制的にその場へ引き戻される。
速度は意味を失い、戦いは拮抗へと変わった——
(広範囲……、そういえば変身の時に……!)
変身の時に起きた熱波。
仕留められなくとも、怯ませることは可能だ。
天使はその場で足を止めた。
黒い融合体の軌道が、視界の端を掠める。
次の一撃が来る——その確信があった。
深紅の瞳が、周囲の空間を静かに見据える。
(……出せるはず)
あの時は、ただ溢れただけだった。
ならば今は——自分の意思で。
体内の奥底。
焼け付くような熱が、確かにそこにある。
それを、掴む。
「——ッ」
次の瞬間、天使の身体を中心に空間が歪み、爆ぜた。
轟音と共に、灼熱の波動が全方位へと解き放たれた。
地面が捲れ上がり、瓦礫が浮き上がる。
空気そのものが焼け爛れ、遅れて衝撃が周囲を叩きつけた。
熱は一瞬で周囲を呑み込み、逃げ場を消し去る。
黒い影が、その中に現れた。
——否、弾き出された。
黒い融合体の軌道が乱れ、強制的に地面へと叩き落とされる。
その身体が、わずかに硬直した。
(——捉えた)
その言葉と同時に、天使の腕が振り抜かれる。
手にしていた双剣の片方が、一直線に放たれた。
空気を裂き、灼熱を纏った刃が黒い融合体へと突き進む。
回避は、間に合わない。
刃はその胴を貫いた。
一瞬、黒い融合体の動きが止まる。
だが、それで十分だった。
天使は地を蹴る。
爆ぜるような踏み込みと共に、その巨体が宙を滑る。
地面と平行に、一直線に。
残ったもう一振りの剣を、構える必要すらない。
狙いは、既にそこにある。
「終わりだ」
突き刺さった剣の柄へと、全力で蹴りを叩き込む。
衝撃が刃へと伝播する。
その瞬間、剣がさらに深く押し込まれ——
黒い融合体の身体を、完全に貫通した。
飛び出した刃が、地面に落下し鈍い音を立てる。
時間が、止まったかのように静止する。
やがて、黒い融合体の身体がゆっくりと崩れ落ちた。
天使は、ゆっくりと周囲を見渡した。
眼前に広がるのは、黒く焼け爛れた光景。
つい先ほどまで存在していたはずのものは、何一つ残っていない。
自身を助けた偵察隊も——そこにいた痕跡すら、消え失せていた。
(……ごめんなさい)
掠れた声が、誰にも届くことなく零れる。
救いを求めるかのように、再び視線を巡らせる。
だが。
目に映るのは、どれも同じだった。
崩壊した建物。
焼け焦げた地面。
そこら中を舞い散る灰。
天使は、焼け爛れた街の中で視線を彷徨わせた。
違和感があった。
風が吹き、灰が舞い上がる。
だが、その流れの中に。
揺れていないものがあった。
視線を向ける。
瓦礫の向こう、崩壊した建物の影。
そこに、一人の人影が立っていた。
背が高い。
細身の体躯。
長い髪が、風に僅かに揺れる。
——無傷だった。
この光景の中で。
焼けることも、崩れることもなく。
まるで、最初からこの世界に影響されていないかのように。
(……生き残り……?)
一瞬、そう思う。
だが、違う。
違いすぎる。
その女は、ゆっくりと歩き出した。
足音が、やけに鮮明に響く。
焦る様子はない。
周囲を警戒する様子もない。
ただ、まっすぐに天使へと向かってくる。
その視線が、合う。
その瞬間、空気が変わった。
理由は分からない。
だが、本能が理解する。
——今までのどの融合体とも違う。
いや、比較すること自体が間違っている。
あれは同じ枠の存在ではない。
女は、天使の数歩手前で立ち止まる。
ただ、対等に。
そこに在るだけで、空間を支配していた。
「……へぇ」
初めて、声が落ちる。
静かで、淡々としていて。
それでいて、妙に耳に残る声音。
「思ってたよりは、ちゃんと形になってるじゃない」
女の視線が、天使の全身をなぞる。
値踏みするように。
興味を持った玩具を見るように。
「でも——」
ほんのわずかに、口元が歪む。
「そのままだと、周りから壊れていくタイプね」
断定だった。
疑いも、迷いもない。
まるで、そうなる未来を知っているかのように。
天使の内側で、何かがざわつく。
理解できない。
だが、目の前の存在が危険であることだけは、はっきりと分かる。
女は一歩、踏み出した。
それだけで、距離が不自然に近づいた気がした。
「少し付き合いなさい」
軽く言い放つ。
まるで、散歩に誘うかのような口調で。
「——強くしてあげる」
その言葉が落ちた瞬間。
天使の身体が、反射的に動いた。
否応も言わさず、動かされたかのように。
地面を砕き、巨体が一気に踏み込む。
双剣が唸りを上げ、目の前の女へと振り下ろされた。
——速い。
先程までの戦闘とは比べ物にならない踏み込み。
だが。
「……遅い」
女は、一歩だけ横にずれた。
それだけだった。
剣は空を裂き、背後の地面を大きく抉る。
その直後。
軽い音が、響いた。
「——ッ!?」
気づいた時には、天使の腹部に衝撃が走っていた。
女の片手剣。
振り抜いたようには見えなかった。
ただ、そこに置かれていただけのように見えた。
それでも、天使の巨体は浮いた。
数百メートル先の瓦礫へと叩きつけられ、ねじれた鉄筋が胸に突き刺さる。
(……なに……今の……)
理解が追いつかない。
速くもない。
重くもない。
だが、結果だけが異常だった。
女は、ゆっくりと歩いてくる。
焦りも、警戒もない。
ただ確認するように、天使を見ていた。
A.E.O.I.中央基地医務室。
ベッドに半身を起こした玲司と、椅子に座る燈莉は、無言でモニターを見つめていた。
映し出されているのは、焼け爛れた市街地。
その中心で、女と天使が交錯している。
上空のヘリからの映像だろう。
だが、距離があるにも関わらず——その戦闘の異常さは、はっきりと伝わってきた。
「あの人……」
燈莉が、思わず呟く。
「軽く当てただけで、あれって……」
モニターの中で、女が剣を振るう。
いや、振ったようには見えない。
それでも、天使の巨体が弾かれる。
「相当戦ってきたんだろうな」
玲司の言葉に、燈莉は答えなかった。
ただ、画面を見つめ続けている。
天使が動く。
視界から掻き消えるような速度で、女の背後へ回り込む。
玲司が息を呑む。
「今の……っ」
だが、次の瞬間には叩き落とされていた。
「……なんだよあれ」
玲司が乾いた笑みを漏らす。
「もう、別次元だな……」
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
燈莉の意識は、別のところにあった。
(速い……でも……)
記憶が、引きずり出される。
瓦礫。
崩れた家。
炎の中で見た、あの姿。
(……まさか)
あり得ない。
だが。
あり得ないはずのことが、今、目の前で起きている。
手が、無意識に強く握られていた。
爪が食い込む。
それでも、痛みは感じない。
(確認しないと)
確かめなければならない。
これは任務ではない。
だが——
「……玲司」
燈莉が口を開いた。
玲司が振り向く。
「ん?」
「少し、外に出てくる」
「……まだ安静に——」
玲司が言い終わる前に、燈莉は立ち上がっていた。
足元がわずかにふらつく。
訓練の疲労は、まだ抜けていない。
それでも。
「大丈夫」
短く言い切る。
自分に言い聞かせるように。
「すぐ戻るから」
燈莉の言葉に、玲司が何か言いかける。
だが、その言葉は続かなかった。
燈莉の目を見て、止まる。
——止めても無駄だと、理解したからだ。
「……無茶はするな」
それだけを残す。
燈莉は小さく頷くと、医務室の扉へと向かった。
ドアが開き、外の光が差し込む。
その一歩を踏み出す直前。
燈莉は、ほんの僅かに振り返った。
モニターの中で、天使が再び立ち上がる。
その姿を、見つめる。
(もし、あれが——)
言葉にはならない。
ただ一つだけ、確かなものがあった。
(……私が、確かめる)
扉が閉まる。
その音を最後に、医務室は静寂に包まれた。




