第25話:逃れられない座標
澄羽が走り出した頃、まだ被害は確認されていなかった。
——それが、逆に異様だった。
燈朝市南方面。
学校とは別方向だが、そのうち融合体はこちらに来ることを澄羽は理解していた。
今まで出会った融合体の全てが、澄羽に向かっていた。
融合体となっていたクラスメイトも、美空を狙っていた融合体も。
そうなれば、自分が行かない理由など、どこにも無かった。
澄羽はしばらくの間走り続け、やがて少し広めの道路へと出る。
以前の澄羽ならその五分の一の距離でもバテていたが、今はそれが一切無い。
だが、この時の澄羽にはそのような考えは浮かばなかった。
真っ直ぐ続く大通りの向こう側に、人ならざる者が立っていた。
それは人の形をねじ曲げ、昆虫と接合したかのような形をとっていた。
普通の生物と比べるならば異様な形状だが、澄羽が対峙してきた融合体の中では比較的整った形だった。
数百メートルも離れた位置の融合体は、一歩も動かずに澄羽を見定めた。
「譛?蛻昴°繧牙、ゥ菴ソ縺ォ莨壹≧縺ィ縺ッ縲」
以前の融合体と同じ、人間には聞き取れない言語。
だが、澄羽は言葉の意味が脳内で変換されていった。
(最初か□□使□出□□とは。……? やっぱり……違わない。 全部、私を狙ってる)
澄羽はそれにより罪悪感を感じ始めた。
融合体が澄羽を狙っているのならば、結局のところ自分がこの街にいる限り、奴らは何度でも現れる。
臓物が込み上げる感覚を抑え、澄羽は変身を行おうとした。
だが。
(そういえば……こんな場所じゃ変身できない……!)
今までは寝静まった夜の街や、人の気配が無くなった住宅街での戦闘だったものの、今は白昼の市街地。
変身すれば一気に正体が広まってしまう恐れがあった。
(いったいどうすれば……!)
思考を巡らせる中、融合体はコンクリートを砕きながら、一気に距離を詰めてきた。
間に合わない。
融合体は、辛うじて人間の形を保っている片手で澄羽の首を掴む。
「……かはっ…!」
首の骨が軋み、意識が朦朧としてくる。
腕を掴むが、一向に動く気配すら無い。
「莉翫?∝勧縺大?縺励※繧?k」
融合体はそう言い放ち、鋭い腕を澄羽の胸に突き立てる。
人間の胸など、簡単に貫通する。
危機的状況だが、澄羽は別のことに思考を巡らせていた。
(今、助け出してやる。……だって? どういうこと……?)
澄羽は融合体の言葉を人間の言語として聞き取った。
視界の端が暗く欠けていき、呼吸の仕方が分からない。
そんな死を体感する直前であったにも関わらず、生存本能などどこにも無かった。
融合体が澄羽の胸を貫こうとした瞬間――
大きな音と共に首を掴む手が離された。
「はっ……!」
澄羽は急激に地面に叩きつけられ、目眩が意識を蝕む。
見上げると、そこには武装した戦闘員の隊が輸送車を背に立っていた。
一人の隊員の銃から気が立っている。
融合体を見ると、横腹あたりが抉られ、熱で焼かれたかのように爛れていた。
その特徴から、隊員が装備しているのはビームライフルのようだ。
「逃げ遅れた住民を確認! 融合体との距離が離れ次第保護に向かう!」
一人の隊員が無線機を片手に報告をし、同時に別の隊員が融合体へビームを浴びせる。
ビームが命中する。
——それでも、倒れない。
だが、融合体は運良く澄羽から距離を取った。
一人の隊員が澄羽へと駆け寄る。
「大丈夫ですか!? 安全地帯までお連れします!」
特殊な装甲に身を包んだ隊員は、澄羽を抱きかかえると反対方向に走り始めた。
澄羽は咄嗟に反応した。
「駄目です……あいつは私を狙って……」
それを聞いた隊員が後ろを振り返る。
その瞬間、高く跳躍した融合体が口から蟻酸を吐き出す。
「……! 危ない!!」
隊員は澄羽を庇い、蟻酸を浴びる。
装甲が一気に劣化し、蟻酸が流れ込んだ。
「……ぎっ、ぐあぁぁぁぁ!!」
その場で悶え苦しむ隊員を背に、残りの隊員のもとへ澄羽は走り出した。
変身できなければ、融合体へ立ち向かうことはできない。
残りの隊員が走って向かってくる。
その時――
気づいた時には、一人倒れていた。
——何も見えなかった。
他の隊員が駆け寄ろうとした時にも、一人、また一人とその身を切り裂かれていった。
「な、なにが起こって……、……!」
咄嗟に体を伏せた。
頭上を何かが通り過ぎた後に、風が来た。
音が過ぎ去った方向を見ると、背から腕が生えた黒い融合体が俯いていた。
ゆっくりと振り向くその顔に、目や鼻は無い。
口のように裂けた溝と、その横から伸びる刃があるだけだった。
黒い融合体は目にも留まらぬ速度で周囲を飛び回り、澄羽へとその刃を構えた。
刃が澄羽に届く直前、先ほどの融合体が黒い融合体を蹴り飛ばした。
バッタを彷彿とさせる脚の力は凄まじく、近くにあった建物の一部を破壊した。
融合体は黒い融合体へと向かった。
その隙を見て、澄羽は破壊された建物の瓦礫の陰へと身を潜めた。
二体の融合体の声が響く。
「邪魔しやがって……何のつもりだ?」
「人間の状態で損傷を増やすと、《あれ》の生命活動にも関わる。 話されただろう?」
「だが、《あれ》が我々の故郷に戻ったとしても結局のところ、皇帝の候補は妹の方から変わらない。 そうだろ?」
「その通りだが、任務は任務だ」
融合体の声は本来、人間には聞き取れない。
それでも、澄羽には人間の言葉として認識できていた。
(故郷? 妹? 任務? 何のこと……?)
融合体が睨み合う中、近くに転がっていた無線が鳴る。
先ほどの隊員の物だったのだろう。
「偵察隊。 聞こえるか?
周辺の住民は避難が完了しているそうだ。
これより近くの戦闘員がそちらへ向かう。
逃げ遅れた住民は無事に避難したか?
……偵察隊?」
(戦闘に向いてなさそうのは、あくまで偵察隊だったからか……)
澄羽は静かに無線を拾い、応答した。
「了解した。 融合体は二体確認できている。
……後は任せてほしい」
無線機からはしばらくの間沈黙が流れる。
「……誰だ?」
それには答えず、澄羽は無線を地面に置いた。
澄羽は立ち上がる。
運良く建物の瓦礫が遮蔽物となっている。
——もう、隠す必要はない。
澄羽の瞳が紅に染まり始める。
体中の骨や筋繊維が変形し、強度が増していく。
腕に刃状の手甲、背には翼のような突起が生成された。
体躯は融合体を軽く越えるほどの巨大さに変化していった。
瓦礫の大きさを越す頃に、顔の半分に紅の目が一つ、二つと増えていく。
変身が終わり、地面に亀裂が走り、空間と音が歪む。
高温の熱波が天使を中心に広がり、建物や倒れた偵察隊、融合体を容赦なく焼き尽くす。
融合体の体表は赤黒く焼け爛れたが、それでも天使を睨みつける。
天使はその二体を深紅の瞳で見下ろす。
両手に双剣が生成されると、天使は走り出した。
そのまま片手の剣を振り上げ、その一斬で昆虫のような形状の融合体を斬り裂いた。
融合体の身体はいとも容易く切断され、修復されることはない。
(軽い……)
一撃のもとに融合体を屠った天使は、自身の力を呑み込めずにいた。
「よくも……!! 俺が相手だ!!」
黒い融合体の姿が、消えた。
——否。
最初から見えていなかったのだと、天使は遅れて理解する。
次の瞬間、左肩に浅い裂傷が刻まれていた。
音は、後から来た。
空気が裂ける音と、風が頬を叩く感触。
(……速い)
そう思った時には、すでに二撃目が入っていた。
右脇腹。浅い。だが確実に削られていく。
視界の端で、何かが跳ねる。
——違う。自分の血だ。
「……っ」
踏み込み、剣を振るう。
だが、その軌道には何もいない。
空を斬った感触だけが、腕に残る。
背後だ。
そう思った瞬間には、背中が裂かれていた。
(見えない……!)
違う。
見えているのに、間に合っていない。
黒い融合体は地面を蹴っているはずだった。
だが、その痕跡はあまりにも浅い。
(こんな速度で動いているのに……。
衝撃が、軽すぎる)
再び、何かが通り過ぎる。
今度は回避した——はずだった。
だが、頬に熱が走る。
触れると、指先が赤く染まった。
(ズレてる……)
認識と、現実が。
わずかに、だが致命的に。
黒い融合体の軌道を目で追う。
壁、地面、瓦礫——その全てに、かすかな痕跡。
だが、それは速さの証明としては弱すぎた。
(何かが、おかしい)
呼吸が乱れる。
傷は深くないが、確実に削られている。
このままではいずれ、確実に届く。
——その時だった。
記憶の奥底に、焼き付いた映像が蘇る。
幼い頃、夢中で見ていたヒーロー番組。
高速で動く敵に対し、主人公が取ったある行動を。




