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哭き裂く天使  作者: Norn
第三章:観測者の選択
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第24話:空に溶ける煙

 体育館内には緊迫した空気が漂っていた。

 全校生徒は集まり、椅子に座ると会が始まるのを待っていた。


 「宇宙外生命体だけでも怖いのに、死体遺棄もあるなんて……。

……澄羽、怖くないの?」

 美空は少し怯えながらも、澄羽に尋ねる。

 やはりその瞳は、完全には汚されていない。


 澄羽は何も言わなかった。

 いや、言葉が出てこない。

 バレないと考えていたのか、それとも血迷ったか。


 それに、この出来事はシュウの言った通りに起こっている。

 (どうして、どうしてあの人は知ってたの。

どうして、全部その通りになるの)


 思考がまとまらない。

 同じ問いだけが、何度も頭の中を回る。

 耐えきれなくなった思考が、逃げ場を探し始めた。


 (違う。まだ決まったわけじゃない。

私じゃない可能性だって、ある。

きっとそう……)


 「澄羽……?」

 再び美空は尋ねるが、結局澄羽は反応を示さなかった。

 美空が澄羽に腕を伸ばし、触れそうになったその時、校長が登壇した。


 辺りが一気に静まり返る。

 校長は一礼し、マイクを片手に話し始めた。

 「各クラスの担任の先生からも聞いてると思いますが、死体が燈朝市から回収されたゴミ袋の中から発見されたとのことです。

身元は判明していませんが……調べによると、年齢は高校生だと推測されています」


 体育館内に更に緊張が走る。

 同年代の人間が身近な環境下でゴミ袋に詰められた。

 全校生徒はこの事実を現実として突きつけられ、恐怖を感じていた。


 「みなさんにはこれからも注意して過ごしてほしいのです。

燈朝市内ではこのような出来事が、いつ起きてもおかしくない。

今回の事件は、そう物語っています」


 生徒は体を震わす者もいれば、真っ直ぐ話を聞く者もいる。

 別の感情が揺らいでいるのは澄羽だけだった。


 「怪しく感じることがあれば、すぐに警察の方に相談すること。

何かが起きてからでは遅いですから。

この後、燈朝市在住の生徒には指紋検査を受けていただきます」


 (終わりか)

 シュウが告げてきた内容以前に、この言葉が頭に浮かぶ。


 ゴミ袋に付いた指紋と一致し、おそらく逮捕されるだろう。

 (でも……このまま生きていても何かを起こしてしまうなら……)


 いつの間にか集会は終わり、体育館内では指紋検査を始めていた。

 澄羽は恐る恐る指を出した。

 すると奇妙なことが起きた。


 「……先輩、これを」

 鑑識課職員の一人が新米らしき鑑識課員に呼ばれ、採取された指紋の情報に目を通した。


 「……指紋が、出ません」


 その一言で、音が消えた。

 周囲のざわめきも、足音も、全部が遠くなる。

 自分の鼓動だけが、やけに大きい。

 自分が、ここに立っているのかも分からなくなる。


 足の裏の感覚が、消えていく。

 自身の指を見つめたままその場で微かにふらつく。

 (もう、駄目かもしれない……)

 人間の指紋が無いことで、特殊な存在であると悟られてしまう。

 澄羽は体勢を立て直しつつ、その場から逃げ出すことも考慮し始めた。


 しかし、先輩の鑑識課員の一人は静かに口を開いた。

 「……珍しいな。

これは遺伝による先天的なもので、指紋が無い人も極稀にいる。

勉強不足じゃないか?」

 鑑識課員の言葉に澄羽は生きている感覚を取り戻しつつも、新たな違和感を抱き始めた。


 (若い時…指紋はあったはず……)

 澄羽は小学生の頃を思い浮かべた。


 あの頃は、よく友人が住むマンションで集まり遊ぶことが最も多かった。

 マンションのロビーには、住人の指紋認証用の機械が存在し、友人の数人で集まり始めた時はよく指を入れて遊んでいた。


 『当マンション住人の指紋と、照合された指紋は合致しません』

 澄羽達は機械が表示したメッセージを、何度も目にしたはず。


 (なら、どうして……)

 澄羽はゆっくりと後退り、気づかれぬ内にその場を去った。


 「……まったく…ちゃんと復習しておけよ。

君、指紋が無い人もいないわけじゃ…って、いない……」

 後輩を少しばかり叱った鑑識課員が顔を上げた時には、もう澄羽はいなかった。




 澄羽は体の右側を壁に寄りかけながら、階段をゆっくりと昇る。

 もうすぐで教室。


 (気持ち悪い……早く動いて、私の足……)

 やっとの気持ちで教室の扉に近づいた頃、教室内から話し声が聞こえた。


 「美空さ〜、何であれと話せるわけ?」

 「…っ、澄羽は友達だから……」


 美空はクラスの女子数人に囲まれていた。


 「それ本気で言ってんの? だとしたらあんたもヤバい人じゃん」

 「ちょっと、やめなよ……」


 美空の声は小さかった。

 それでも、必死に止めようとしているのが分かる。


 「いや普通に無理でしょ。あいつ、暗いしキモいし」

 「てかさ、ああいうのって何考えてるか分かんなくて怖くない?」


 笑い声が混ざる。


 「美空もさ、関わらない方がいいって。絶対ろくなことにならないから」


 ――ろくなことにならない。


 その言葉が、やけに強く響いた。


 (……やっぱり。そう、だよね)


 澄羽は扉の前で立ち尽くしていた。

 中に入ることも、声をかけることもできない。


 (私がいると……全部、壊れる)

 胸の奥が、じわじわと冷えていく。

 その時、美空が顔を上げた。


 「……澄羽?」


 目が合った。

 その瞬間、澄羽の思考が途切れる。


 「……っ」

 反射的に、体が動いた。

 逃げるように、廊下を走る。


 足音がやけに大きく響く。

 呼吸が荒い。


 (来ないで、来ないで、来ないで)


 誰に向けたのかも分からない願いが、頭の中で繰り返される。


 階段を駆け下りる。

 足を踏み外しそうになりながらも、止まらない。


 視界が揺れる。

 吐き気が込み上げる。

 それでも、止まれなかった。


 気がつけば、校舎裏にいた。

 人の気配はない。

 フェンスの向こうで、風が草を揺らしている。

 澄羽はその場にしゃがみ込み、肩で息をした。


 「……っ、は……」

 肺が焼けるように痛い。


 手が震えている。

 うまく力が入らない。


 澄羽は震える指で、ポケットの中を探った。

 取り出したのは、タバコ。

 一本、口に咥える。


 ライターを取り出す。

 火をつけようとするが――

 手が震えて、うまくつかない。


 「……っ」

 何度か繰り返し、ようやく火がついた。

 小さな炎が揺れる。


 そのまま、吸い込む。

 煙が喉を焼き、強くむせた。


 「げほっ……!」

 それでも、もう一度吸う。

 肺の奥に煙が入る。


 ゆっくりと吐き出すと、白い煙が空へ溶けていった。


 少しだけ、楽になる。

 さっきまで暴れていた感情が、薄く引き伸ばされるように遠ざかる。


 「……最低」

 ぽつりと呟く。

 それは、誰に向けた言葉かも分からない。


 その時――


 「……澄羽」

 後ろから、声がした。


 振り返ると、そこには美空が立っていた。

 少し息を切らしている。

 それでも、真っ直ぐ澄羽を見ていた。


 「……なんで、追いかけてきたの」

 澄羽の声は、低くかすれていた。

 美空は少しだけ息を整えてから言った。


 「だって、逃げたから」

 当たり前のような答えだった。

 「心配、するでしょ」


 その言葉に、胸の奥が揺れる。

 澄羽は視線を逸らした。


 「……来ないでよ」

 小さく言う。

 「私に関わると、ろくなことにならないって……言ってたでしょ」


 さっきの言葉が、まだ頭に残っている。

 美空は少しだけ眉をひそめた。


 「聞いてたんだ」

 「……うん」


 短い沈黙。

 風が吹く。

 美空は一歩、近づいた。


 「でも、それでもいいよ」

 澄羽の肩がわずかに揺れる。

 「ろくなことにならなくても、関わるって決めたのは私だから」


 逃げ場がないほどに真っ直ぐな言葉だった。

 澄羽は何も言えない。

 タバコの煙だけが、ゆっくりと上に昇っていく。


 「ねえ、澄羽」

 美空が静かに続ける。


 「一人で抱え込まないでよ」

 その言葉に、澄羽の指がわずかに震えた。

 何かを言おうとする。


 だが――

 その瞬間。


 街のスピーカーから、警報が鳴り響いた。

 『燈朝市内にて、宇宙外生命体の反応を検知――』


 耳鳴りのように響く警報。

 澄羽の視界が揺れる。

 吐き気が一気に込み上げる。


 「……っ」

 頭の奥で、シュウの言葉が蘇る。


 ――立ちはだかる者全てを排除しなければならない。


 澄羽はふらつきながら立ち上がった。


 「……行かなきゃ」

 声は小さかったが、はっきりしていた。

 美空が驚いたように言う。

 「え……?」


 澄羽は空を見上げる。

 青空。

 あまりにも、いつも通りの空。

 だが、無数の白き閃光が青空を裂いていた。


 「……来る」


 その一言だけを残して、澄羽は走り出した。

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