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哭き裂く天使  作者: Norn
第三章:観測者の選択
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第27話:未完成の共存

 天使は鉄筋から身体を引き抜き、落下した。

 赤に染まる地から、天使はゆっくりと身体を起こす。


 (……軽い)

 立ち上がる際に違和感があった。

 だが、それは不調ではない。


 むしろ——


 (動ける)

 踏み込んだその瞬間、世界が、歪んだ。


 音が遅れる。

 舞い上がった灰が、空中で静止しているように見える。

 突き刺さった鉄筋の傷跡もすぐに埋まった。

 瓦礫の崩れる音すら、どこか遠い。


 (……なに……これ……)

 違う。

 止まっているのは周囲じゃない。


 (私が——速くなってる)

 脳裏に、先程の黒い融合体の動きが蘇る。

 視界から消え、気づけば斬られていたあの軌道。


 (あれと、同じ……)

 いや。

 それだけではない。


 身体の周囲に、何かが纏わりついている感覚。

 熱でも、風でもない。

 時間そのものが、軋んでいるような感覚。


 (……これ……使える)

 理解した瞬間、迷いは消えた。

 視界の中で、女がゆっくりとこちらを見る。

 その動きすら、遅い。


 (——いける)

 次の瞬間。

 天使の姿が、掻き消えた。


 視界が流れ、次の瞬間には女の側面へと回り込んでいた。

 さっきとは比べ物にならないほど速い。

 無駄が削ぎ落とされ、最短距離だけが残っている。


 剣を振るう。

 ただ当たる軌道だけをなぞる一撃だった。


 「……へぇ」

 初めて、女がほんの僅かに反応を見せた。

 剣が、触れる。

 今度は掠りではなく、確実に捉えた。


 そのはずだった。

 刃が届く直前、女の身体がほんの数センチだけずれていた。

 それだけで軌道が外れ、空を斬る。


 「惜しい」

 声が、すぐ傍で落ちた。

 次の瞬間。


 視界が、反転する。

 何をされたのか、分からない。

 ただ天使の身体が地面へと叩きつけられ、その衝撃が遅れて全身を貫いた。


 「——がっ……!」

 瓦礫が弾け、地面が抉れる。

 それでも使はすぐに立ち上がる。


 (今のは——)

 見えていた、感じていた、あと少しで届いていた。


 (違う)

 届いていない。

 届くと思わされていただけだ。


 女は、変わらない位置に立っていた。

 呼吸一つ乱していない。


 「形は整ってきた」

 淡々とした声。

 評価するように、分析するように。


 「でも——まだ粗い」

 女が一歩踏み出す。

 その動きは、やはり遅い。


 だが次の瞬間には、目の前にいる。


 「力をそのまま出してるだけ」

 剣が、天使の胸元に触れる。

 押してはいない、振ってもいない。


 それでも内側から弾けるような衝撃が走り、天使の身体が大きく弾かれた。


 「圧縮する術は得なさい」

 言葉が、静かに落ちる。


 「じゃないと——」

 女の視線が、焼けた街へと一瞬だけ向く。

 「こうなる」


 女の視線の先の建物には、横一文字に付けられた剣跡が残っていた。

 視界に入る限り横に続く剣跡は、制御しきれていない力を表していた。


 「立ちはだかる全てを排除しなければならない。 強くなりなさい、私すらも越えられるように」

 女が放った言葉は、葉狩シュウと名乗る男のものと同じだった。

 地に伏した天使は、その女を見上げることしかできなかった。




 焼け焦げた空気の中、燈莉は足を止めた。

 視線の先、瓦礫の向こうで、天使と女が対峙している。


 (……やっぱり)

 胸の奥が、強く脈打つ。

 その直後。


 頭上を旋回する影に気づいた。

 ヘリコプターだった。


 (……まだ映してる)

 任務としては、正しい。

 だが——


 「……ダメ」

 小さく、呟く。

 あれを映してはいけない。


 あの姿を。


 燈莉は歯を食いしばる。

 (私は——)


 一瞬だけ、迷いが生まれる。


 隊員としての自分。

 美空の妹としての自分。


 そのどちらもが、互いを引き裂こうとする。

 それでも。


 「……守るって、決めたから」

 次の瞬間、燈莉の身体が軋んだ。


 骨が鳴る。

 肉が引き裂かれるような違和感。

 皮膚の下で、何かが蠢く。


 「っ……!」

 声にならない息が漏れる。

 それでも、止めなかった。


 腕が歪み、指が伸び、刃のように変形していく。

 手にしていたブレードが、溶けるように形を変え、腕と一体化していく。


 視界が揺れる。

 だが、その中心だけは、はっきりと捉えていた。


 ——上空のヘリコプターだ。


 ヘリコプターの上に一瞬で飛び上がる。

 幾何学的な情報が視界に流れ込み、ヘリコプターを捕らえる。


 「……帰って」

 腕を向け、掠れた声が響いたその瞬間。

 世界が、書き換わる。




 A.E.O.I.中央基地、管制室。

 複数のモニターに映し出されていた戦闘映像が、突如として揺らいだ。


 「……あれ?」

 一人のオペレーターが眉をひそめる。

 映像の一部が、歪んでいる。


 ノイズではない。

 画面の端から、じわじわと滲んでいた。


 「カメラ不調か? いや、違う……」

 別のモニターでも、同じ現象が発生している。

 色が崩れ、輪郭が溶ける。

 まるで、映像そのものが侵食されているかのように。


 「おい、何だこれ……!」

 天使の姿が、波打つ。

 フレームごとに形がズレ、別の位置に重なって表示される。

 時間軸が、狂っている。


 「フレーム同期取れません! 記録が——書き換わってます!」

 「書き換え……? そんな馬鹿な——」


 その瞬間。

 モニターの中央に、黒い何かが走った。


 線ではない。

 ヒビでもない。

 まるで、生き物のように蠢く影。

 それが画面全体へと広がっていく。


 「映像、維持できません!」

 「バックアップ回せ! 別系統で——」

 言い終わる前に。

 全てのモニターが、同時に脈打った。


 ドクン、と。

 画面が、一瞬だけ膨張する。


 次の瞬間。

 ——映像が、消えた。

 残ったのは、完全なブラックアウトだった。


 静まり返る管制室。

 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


 「……通信は?」

 「生きてます……でも……」

 オペレーターが、震える声で続ける。

 「映像だけ、消されてます」




 上空を旋回していたヘリのコックピット。

 パイロットが計器を睨む。


 「なんだ……?」

 高度、速度、方位。

 すべて正常。

 だが——


 「操作が、効かない……?」

 操縦桿を倒す。

 反応はある。


 だが、その反応が自分の入力と一致していない。

 遅れているわけでも、暴走しているわけでもない。

 別の操作が上書きされている。


 「おい、誰か遠隔で触ってるのか!?」

 通信を開くが、返答はない。

 その代わりに。


 モニターに映っていた映像が、崩れ始めた。


 「……っ!?」

 天使と女の姿が、歪む。

 引き延ばされ、潰れ、何重にも重なる。


 その中心に何かがいる。

 黒く、歪んだ影。

 それが、画面の奥からこちらを見ている。


 「なんだ、あれ……」

 次の瞬間。

 計器の表示が、変わった。


 帰還ルート:設定済み


 「は……?」

 入力していない。

 だが、機体はゆっくりと旋回を始める。


 基地の方向へ。


 「おい、待て……誰が——」

 止めようとするが、止まらない。


 操作は効いている。

 それでも、その操作が通らない。


 「くそっ……!」

 焦りの中、モニターの映像が完全に潰れた。


 黒一色。

 ただし、その黒はただの暗転ではない。


 微かに、脈打っている。

 まるで、生きているかのように。




 黒が、剥がれ落ちていく。

 空中で、燈莉の身体を覆っていた異形が崩れていった。


 歪んだ刃が砕け、皮膚のように張り付いていた外殻が霧散する。

 残されたのは、人間の身体。

 だが。


 「……っ」

 呼吸が乱れ、全身が軋む。

 制御しきれなかった力の余韻が、内側に残っていた。


 高度は、まだ高い。

 落下の衝撃をまともに受ければ、ただでは済まない。


 それでも。

 視線は、地上から逸れなかった。


 (あそこに……)

 天使と、あの女がいる。

 空気を裂く音が耳元を掠め、風圧で視界が歪む。

 それでも、目を閉じなかった。


 やがて、足が地面を叩く。

 衝撃が全身を駆け抜け、膝が大きく揺れる。


 「……ぐっ……!」

 崩れかけた体勢を、無理やり支える。

 呼吸が荒い。

 だが、止まらない。


 顔を上げる。

 焦げた空気の向こう。

 そこに——二人はいた。


 天使の巨体は、既に限界に近かった。

 無数の傷。

 焼け爛れた外殻。


 それでもなお立ち上がろうとするが、それで精一杯だった。

 対する女は、ほとんど無傷のまま、その場に立っていた。


 「……そこまでね」

 女が、静かに告げる。

 戦闘の終わりを宣言するように。


 「これ以上やっても、意味はないわ」

 天使は、動かない。

 いや、動けない。

 その身体が、わずかに揺れる。


 (……あれが)

 燈莉の喉が、乾く。

 (あの天使が……)


 次の瞬間。

 天使の身体に、亀裂が走った。


 音もなく、崩れていく。

 紅の光が消えていく。

 巨体が縮む。

 翼が崩れ、刃が消え、異形が剥がれ落ちる。


 その中心から現れたのは——


 人間の、少女。

 地面に崩れ落ちる。

 細い肩。

 見慣れた髪。

 制服の面影。


 「……え……」

 燈莉の思考が、止まる。

 呼吸すら、忘れる。


 それは、見間違えるはずのない姿だった。


 「……白鷺、さん……?」

 声が、震える。

 名前を呼んだ瞬間、現実が確定する。


 頭の中で繋がっていく。

 あの違和感。

 あの動き。

 あの日の出来事。


 全部が、一つに収束する。


 (やっぱり……)

 理解と同時に、胸の奥で何かが軋む。


 敵、討伐対象。


 だが。


 「……どうして」

 言葉が、零れる。

 問いかける相手は、もう天使ではない。


 地面に倒れた、一人の人間だった。

 澄羽の肩が、微かに揺れる。

 意識は、まだある。


 ゆっくりと、顔を上げる。

 その視線が、燈莉を捉える。


 「……っ」

 言葉にならない息。

 次の瞬間、澄羽の表情が強張った。


 見られた。

 知られた。

 その事実が、はっきりと刻まれる。


 沈黙が、落ちる。

 焦げた風だけが、二人の間を通り過ぎる。


 その静寂を破ったのは——


 「……ああ、そう」

 女だった。

 興味なさげに、視線を向ける。

 倒れた澄羽と、燈莉を交互に見る。


 「バレたのね」

 あまりにも、軽い言い方だった。

 重大な事実であるはずなのに、重みがない。


 「……報告は」

 燈莉が、反射的に口にする。

 隊員としての言葉。


 だが、レナは即座に首を振った。


 「しないわ」

 断定だった。

 迷いも、説明もない。

 ほんの僅かに、目を細める。


 「もっと先のために」

 その言葉の意味を、燈莉は理解できない。


 だが。

 何か大きなものが動いていることだけは、感じ取れた。


 「……貴女の名前は」

 「……葉狩レナ」

 レナはそれ以上語らず、視線を外す。

 興味を失ったように。


 その一瞬の隙を、澄羽は逃さなかった。

 ふらつく身体を、無理やり起こす。

 足に力が入らない。


 視界が歪む。

 それでも立つ。


 「待っ——」

 燈莉が手を伸ばす。

 だが、その前に。


 澄羽は振り返ることなく、走り出していた。

 足を引きずりながら。

 何度もよろめきながら。


 それでも、止まらない。

 逃げるように。


 ——いや。


 何かから、遠ざかるように。

 その背中が小さくなっていく。


 燈莉は、追えなかった。

 足が動かない。

 理由は分からない。


 ただ、胸の奥で何かが絡みついていた。


 「……なんで」

 呟きが、空に溶ける。

 答えは、どこにもない。




 どこまで走ったのか、分からなかった。

 足がもつれ、澄羽はその場に崩れ落ちる。

 荒い呼吸をし、焼けた空気が肺を刺す。


 「……はぁ……っ、……は……」

 視界が揺れる。

 指先に力が入らない。


 それでも、生きている。

 その実感だけが、やけに重かった。


 (……なんで)

 問いは、誰にも向けられない。

 答えも、ない。

 ただ、胸の奥に沈んでいく。


 その時。

 ——声がした。


 『随分と、乱暴な使い方だな』

 「……っ!?」

 澄羽の身体が、びくりと震える。


 周囲には誰もいない。

 それでも、確かに聞こえた。


 内側から。

 直接、思考に流し込まれるように。


 『共有している体なのだから、もう少し丁寧に扱ってほしいものだ』

 低く、静かな声。

 感情は薄い。


 だが、どこか呆れているようにも聞こえる。


 「……だれ……」

 掠れた声で問う。

 答えは、すぐに返ってきた。


 『——ネヴ=ソスと名乗っておこう』

 その名が、脳裏に落ちる。

 ぞくりと、背筋が震えた。


 あの日、あの時の衝撃を、自分の中に何かが入り込んだ瞬間を思い出す。


 「……なんで、今さら……」

 拒絶とも、恐怖ともつかない声。

 ネヴ=ソスは、わずかに間を置いた。


 『必要があったからだ』

 簡潔だった。

 それ以上の説明はない。


 『君はまだ、自分の状態を正しく理解していない』

 「……」

 反論できない。

 理解していないのは、事実だった。


 『あの程度で壊れてもらっては困る』

 淡々とした口調。

 だが、その内容は冷酷だった。


 『君が損傷すれば、私も影響を受ける』

 「……それだけ?」

 思わず、口をつく。


 自分でも分からない感情が、混ざっていた。

 ネヴ=ソスは、ほんの僅かに沈黙した。


 『それだけではない』

 静かに、続ける。

 『君はまだ完成していない』

 その言葉に、心臓が強く打つ。


 『未熟なまま消えるのは、あまりにも非効率だ』

 効率。

 その単語が、やけに冷たく響く。


 「……意味、分かんない……」

 掠れた笑いが漏れる。

 理解したくない、という拒絶も混ざっていた。


 ネヴ=ソスは、それを否定しない。

 ただ。


 『いずれ分かる』

 そう、断言する。

 逃げ場のない言い方だった。


 『それまでは——壊れない程度に使え』

 最後の言葉は、忠告なのか、命令なのか。

 判別がつかないまま、ふっと気配が消える。


 「……待って」

 呼び止める。

 だが、返答はない。

 完全な静寂が訪れ、残されたのは自分の呼吸音だけだった。


 「……なに、それ……」

 小さく呟く。

 理解できないものが、確かに自分の中にある。


 その事実だけが、重くのしかかる。

 空を見上げる。

 煙に覆われた空だった。


 その向こうに、何があるのかは分からない。

 ただ一つ、確かなことがあった。


 ——もう元には、戻れない。

本当は第26話とまとめる予定でしたが、思ったよりも長くなったため、分割しました。

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