第21話:交差する視線
「天使の正体を解明する捜査を、全て自分一人で行いたい……だと?」
ほぼ無音の司令官室に、司令官の声だけが響いた。
その前に立っているのは、花守燈莉だった。
「司令官、お願いです。どうか私一人で捜査をさせてください」
燈莉は深く頭を下げる。
「花守燈莉。我々の組織では、宇宙外生命体をいくつかのレベルに分類している」
司令官は表情を変えずに続けた。
「その発言は、天使がどれほどのレベルに値するか知った上でのものか?」
燈莉は一瞬だけ考え、答える。
「……現状の情報だけなら、Lv.3のWerveですか?」
「今の状況なら、だ」
司令官は静かに言った。
「だが調査隊が戦闘後の残滓を計測したところ、Lv.5Verse級と判定された」
燈莉の表情がわずかに揺れる。
「Lv.5……ですか。
ただ、破壊規模やVerse特有の能力は確認されていなかったはずですが……」
「一般的なVerseより能力が欠けていたとしても、あの天使は十分な脅威だ」
司令官は静かに息を吐く。
「そして、レベルは基本的に力の総量によって決められる」
そして燈莉を見る。
「加入日、桜庭玲司に言った言葉を覚えているか?」
「……この世界では、力が全て。でしたっけ」
「その通りだ」
司令官は立ち上がり、棚から資料を取り出した。
燈莉の前に置く。
「物理戦闘のみで戦う天使からVerseの反応が検出された。
つまり、実際のLvはそれ以上の可能性もある」
司令官は資料のページをめくる。
「Lv.9を見ろ」
燈莉は言われた通りに視線を落とした。
そこにはこう記されていた。
《Lv.9:Angel》
「……天使」
小さく呟く燈莉。
司令官はそのまま続けた。
「実際にその場へ行かなければ想像すら出来ないほどの超越的規模の多元宇宙。
それを力だけで破壊した存在に与えられたレベルだ」
「その存在は――天使のような姿をしていた」
燈莉の喉がわずかに鳴る。
「……そのような存在、倒せるのですか」
「理論上は可能だ」
司令官は椅子に座り直す。
「だが、その領域に到達できればの話だ」
短い沈黙。
「現在観測されている天使がLv.9ではないことは明らかだ。
しかし――」
司令官は言葉を区切った。
「Lv.9に到達する可能性はある」
燈莉は静かに言った。
「……倒すなら、今のうち」
「そういうことだ」
司令官は燈莉を見据える。
「結論を言う。単独捜査は許可できない」
燈莉は小さく頷いた。
「……はい。ですが、捜査自体は可能でしょうか」
「捜査の許可は出す」
司令官は続ける。
「天使に関する情報を掴んだ場合、その都度報告しろ」
燈莉はわずかに息を吐いた。
「ありがとうございます。では失礼します」
燈莉は司令官室を出た。
静かな廊下を、一人で歩く。
その背中は、任務と感情の間で揺れていた。
昼頃の燈朝市第一高校。
澄羽は昼食を、美空と一緒に食べることになった。
「コンビニのこれ美味しいんだよね〜!」
美空は楽しそうに袋を開ける。
「澄羽も小豆デニッシュ少し食べる?」
澄羽が返事をする前に、美空はすでにデニッシュを半分にしていた。
「私はいいよ……気にしないで」
「そっかぁ」
美空は少し笑う。
「澄羽って、どんな食べ物が好きなの?」
視線が澄羽の昼食へ向く。
そこには、どこでも売っているミニサイズのチョコクロワッサンの袋があった。
「チョコクロワッサン、かな」
澄羽は小さく言う。
「小さい頃、夜美……お姉ちゃんと一緒に食べることが多くて」
「姉かぁ」
美空は思い出すように言う。
「そういえば、前に澄羽のお姉ちゃんに会ったよ」
美空は少し考える。
「なんか……不思議な人って感じだった」
少し笑う。
「ちょっと怖かったけど」
その言葉を聞いた瞬間、澄羽の目が美空を見た。
「美空も……怖いって感じるの?」
澄羽の声は、どこか縋るようだった。
「教えてほしい。美空の感じたこと」
その様子に、美空は少し驚く。
「え……? 本当にそう感じただけだよ……?」
澄羽は視線を落とした。
「そうだよね……」
小さく呟く。
「……今のお姉ちゃん、怖い」
しばらく沈黙が続いた。
「昔に比べたら、お互い仲良くなった気はするけど……」
澄羽はゆっくり言う。
「でも、今のお姉ちゃんは……どこか好きになれない」
美空は少し考える。
「昔に比べたらってことは……小さい頃は、仲悪かったの?」
澄羽はただ、頷いた。
「うん……何を言っても、何をしても拒絶されて……」
少し間を置く。
「暴力は振るわれなかったけど……でも」
言葉が途切れる。
美空は静かに言った。
「そっか……。私が会った時は、妹思いの優しいお姉さんって感じだったけど……」
「もしかしたら…」
美空は何かを言いかけ、直前で止めた。
「もしかしたら…何?」
澄羽は追求したが、美空は何も話さなかった。
放課後。
燈朝市第一高校の校舎は、昼間の賑やかさが嘘のように静かになっていた。
澄羽は校舎裏のフェンスの近くで立っていた。
グラウンドから聞こえる部活動の掛け声だけが、遠くから響いてくる。
少しして、足音が聞こえた。
「……澄羽」
振り向くと、美空が立っていた。
昼休みの時と違って、少しだけ真剣な表情だった。
澄羽は小さく頷く。
美空は澄羽の隣まで歩いてくる。
二人の間に、少しだけ沈黙が流れた。
やがて美空が口を開く。
「……一昨日のことなんだけど」
澄羽の肩がわずかに揺れた。
「天使」
その言葉を、美空ははっきりと言った。
澄羽は何も言わない。
否定もしない。
ただ視線を落とした。
美空は静かに続ける。
「やっぱり、澄羽なんだよね」
澄羽はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
短い肯定だった。
風がフェンスを揺らす。
金属の軋む音が、小さく鳴った。
美空は空を見上げる。
「正直、すごく怖かった」
澄羽は何も言えなかった。
「でもね」
美空は澄羽の方を見る。
「同時に思ったんだ。
澄羽、また誰かを守ろうとしてるんだなって」
澄羽の指先が、少しだけ震える。
「……守れてないよ。また、いっぱい壊した」
美空はすぐに首を振った。
「それは違うよ。
もし澄羽がいなかったら、もっと大変なことになってたと思う」
澄羽は何も言えない。
沈黙が落ち、美空は静かに聞いた。
「ねえ、澄羽。これからも……戦うの?」
その質問は、とても真っ直ぐだった。
澄羽はすぐには答えなかった。
フェンスの向こうに広がる空を見つめる。
夢の中で聞いた言葉が、頭の奥に浮かぶ。
――澄羽ちゃんならヒーローになれるよ。
澄羽はゆっくり息を吐いた。
「……わからない」
正直な答えだった。
「でも、またあのような事があったら。私は、戦うと思う」
美空の表情が少し曇る。
「やめるって選択は……ないの?」
「たぶん、ない」
「私はもう……普通じゃないから」
その言葉を聞いて、美空は強く首を振った。
「そんなことない」
澄羽は驚いて顔を上げる。
美空はまっすぐ澄羽を見ていた。
「澄羽は澄羽だよ。
天使とか、そんなの関係ない。私にとっては、ずっと友達」
澄羽の胸の奥が、わずかに揺れた。
美空は少し照れたように笑う。
「だからさ、もし戦うなら――
ちゃんと帰ってきてよ」
澄羽は目を見開く。
美空は続けた。
「ヒーローってさ、ちゃんと生きて帰ってくる人のことだと思うんだ」
風がまた吹いた。
澄羽は空を見上げた。
青い空が広がっている。
夢の中で見た空と、同じ色だった。
澄羽は小さく頷く。
「……うん」
それが、今できる精一杯の返事だった。
校門の外、道路の向かい側に燈莉が立っていた。
燈莉は小さな双眼鏡を目に当てる。
視線の先にあるのは、校舎裏のフェンス付近だった。
そこに、二人の生徒が立っている。
白鷺澄羽。
そして――花守美空。
燈莉は双眼鏡の焦点を調整する。
二人は向かい合って話しているようだった。
だが、ここからでは声は聞こえない。
ただ、会話の様子だけが見える。
しばらく観察していると、燈莉は小さく眉を動かした。
普通の友人同士の会話にしては、少しだけ雰囲気が違う。
澄羽はあまり表情を変えない。
対して、美空は真剣な顔で何かを伝えている。
その後、澄羽が空を見上げる。
何かを考えているようだった。
そして、小さく頷いた。
会話はそれで終わったらしい。
美空が校舎の方へ戻っていく。
澄羽はその場に少しだけ残っていた。
燈莉は双眼鏡を下ろし、小さく息を吐いた。
「……白鷺さん」
静かな声だった。
頭の中で、これまでの情報を整理する。
戦闘後に残っていた人物。
異常なほど冷静な態度。
そして、先ほどの会話。
もし――
一つの仮説が正しいとしたら。
燈莉は再び双眼鏡を覗く。
校舎裏には、まだ澄羽が立っていた。
フェンス越しに空を見上げている。
その姿は、どこにでもいる高校生と変わらない。
だが。
燈莉は小さく呟いた。
「……あなたなの?」
答えは、まだ出ていない。
だが、燈莉の中で疑念は確実に形になり始めていた。
静かな放課後の空の下で、天使を巡る視線が、少しずつ交差し始めていた。




