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哭き裂く天使  作者: Norn
第三章:観測者の選択
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第20話:煙の向こうのヒーロー

 白い天井。白い壁。白い床。

 そして、白いベッド。

 白で埋め尽くされた病室の中で、十二歳ほどの少年がベッドに横たわっていた。


 窓の外を見つめるその目は、まるで自分の余命を悟っているかのようだった。

 病室の扉が、静かに開く。

 同い年ほどの少女が、そっと中へ入ってきた。

 澄羽だった。


 「……紘一」

 澄羽が声をかけると、紘一はようやく窓の外から目を離した。

 澄羽の姿を見た瞬間、紘一の表情が少しだけ柔らぐ。


 「……最後に、澄羽ちゃんと会えて嬉しいな」

 紘一は笑顔を作った。

 だがその笑顔は、どこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな弱さを含んでいた。


 澄羽は、首を横に振る。

 「最後なんて言わないで……。もっと、一緒にいたいよ……」


 ベッドに近づき、紘一にそっと抱きつく。

 涙がこぼれ、白いシーツに小さな染みを作った。


 「澄羽ちゃん、僕も一緒にいたかったよ。でも……」

 紘一は言葉を途切れさせ、もう一度窓の外へ視線を向けた。

 窓の外には、青い空が広がっていた。

 どこまでも澄んだ、遠い空。


 「僕さ……最近、ずっと考えてたんだ」

 紘一は小さく息を吐いた。


 「もし僕が元気だったら、何してたんだろうって」

 澄羽は顔を上げる。


 「一緒に学校行って、一緒に遊んで……そういうの、普通に出来たのかなって」

 澄羽は涙を拭いながら言った。


 「出来るよ……!きっと出来るよ!」

 だが紘一は、ゆっくりと首を横に振った。


 「ううん。たぶん、出来ない」

 その声は静かだったが、どこか覚悟を含んでいた。


 「だからさ……澄羽ちゃん」

 紘一は澄羽の方へ顔を向ける。


 「僕の分まで、生きてほしい」

 澄羽の胸が強く締め付けられる。


 「そんなの……嫌だよ……」

 「どうして?」

 「紘一がいない世界なんて……」


 澄羽の声は震えていた。

 しばらく沈黙が続く。


 やがて紘一は、少しだけ困ったように笑った。

 「澄羽ちゃんはさ」

 「昔から、すぐ誰かを助けようとするよね」


 澄羽は何も答えられなかった。

 「公園で転んだ子がいた時も、真っ先に走っていったし。泣いてる子がいたら、すぐ隣に座ってた」

 紘一は、ゆっくりと続ける。


 「僕、ずっと思ってたんだ」

 そして。

 優しく、言った。


 「澄羽ちゃんなら、ヒーローになれるよ」

 澄羽は息を止めた。

 「みんなを守れるヒーロー。きっと、なれる」


 澄羽の瞳から涙が溢れる。

 「……なれないよ」


 小さく呟く。

 「私は弱いし……すぐ泣くし……」


 紘一は少し笑った。

 「ううん。弱い人ほど、優しいんだよ」


 紘一は澄羽の手を取る。

 その手は、驚くほど冷たかった。

 「だから、澄羽ちゃんなら大丈夫。僕が保証する」


 紘一は目を閉じかけながら、最後に言った。

 「ヒーローになってよ…。…僕が、見たかったヒーロー、に」


 その瞬間。

 病室の光が、ゆっくりと白く溶けていった。


 白い光の中で、紘一の姿が遠ざかっていく。

 澄羽は手を伸ばした。

 届かない。


 「待って……紘一……」

 声は、届かなかった。


 そして――


 澄羽は目を覚ました。




 天井が見える。

 自分の部屋の、見慣れた天井だった。

 窓の外から差し込む朝の光が、部屋の床を淡く照らしている。


 夢だった。

 それは分かっている。

 分かっているのに――胸の奥に残る感触だけは、現実のように重かった。


 澄羽はゆっくりと体を起こした。

 布団の上で膝を抱え、小さく息を吐く。


 「……ヒーロー、か」

 夢の中の言葉が、頭の奥で何度も反響する。


 あの声は、昔と同じだった。

 優しくて、少し弱くて、でもどこか楽しそうで。


 澄羽は目を閉じた。

 その声の持ち主は、もうこの世界にはいない。

 守れなかった。


 あの時も。

 そして今も。


 昨日の夜の光景が、脳裏をよぎる。

 崩れた住宅、血の匂い、破壊された街。


 自分の手で壊した、数多くの人々。

 友人一人守れたところで、その罪は拭えない。


 「……ヒーローなんかじゃない」

 澄羽は小さく呟いた。


 むしろ、逆だ。

 自分は――


 澄羽は顔を上げると、部屋の隅へ視線を向けた。

 そこには、引き出しがある。


 澄羽は布団から立ち上がり、ゆっくりとそこへ歩いた。

 引き出しの奥から、小さな箱を取り出す。


 タバコだった。

 姉の部屋から、少し前に盗んでおいたもの。


 澄羽は一本取り出し、口にくわえる。

 机の上に置いてあったライターを手に取った。


 一瞬、動きが止まる。

 窓の外では、朝の鳥が鳴いていた。

 平和な朝。

 何も知らない世界。


 澄羽は小さく息を吐き、そして火をつけた。


 ジッ、と小さな音が鳴る。

 先端が赤く燃え、細い煙がゆっくりと立ち上った。


 澄羽は、ぎこちなく煙を吸い込む。

 すぐにむせた。


 「……っ、げほ……」

 喉が焼けるように痛い。

 だが、それでももう一度吸った。


 今度は少しだけ、うまく吸えた。

 肺の奥に煙が入り込み、ゆっくりと外へ吐き出される。

白い煙が、朝の光の中で揺れた。


 頭が少しだけぼんやりする。

 胸の奥に張り付いていた感情が、ほんの少しだけ薄れる。


 「……」

 澄羽は窓を開け、外を見た。


 青空が広がっている。

 夢の中で見た空と、同じ色だった。


 澄羽はもう一度煙を吸い、ゆっくり吐き出す。

 白い煙は、空へ向かうように消えていった。


 タバコの火を灰皿代わりの空き缶に押し付ける。

 ジッ、と小さな音を立てて火が消えた。


 少しだけ、頭が軽くなっていた。

 夢の残り香のような感覚はまだ胸の奥に残っている。

 けれど、先ほどまでの息苦しさは薄れていた。


 澄羽は机の上に置いてあったタバコの箱を見た。

 少し考える。

 そして、数本だけ取り出した。


 制服の鞄の奥へと押し込む。

 「……学校でも吸えそうな場所、あったっけ」

 誰に聞くでもなく呟く。


 少し前までの自分なら、こんなことを考えることすらなかった。

 だが今は、不思議と躊躇いが無かった。


 澄羽は制服に着替え、鞄を肩にかけた。

 部屋の扉を開け、廊下へ出る。

 家の中は静かだった。


 「お姉ちゃん、出かけてるのかな」

 夜美は家の中にいなかった。


 澄羽は玄関で靴を履くと、そのまま外へ出た。

 朝の光が、街を照らしていた。


 被害がほぼ無い区画とはいえ、この街の一部が戦場になったとは思えないほど、静かだった。


 通学中の学生たちが、何人か歩いている。

 笑い声。

 自転車のブレーキ音。

 遠くから聞こえる車の走行音。


 平和な朝だった。

 澄羽はゆっくり歩きながら空を見上げた。

 青空が広がっている。


 その下で、澄羽は学校へ向かっている。

 一昨日の夜、あれだけ壊した澄羽が。


 「……」

 澄羽は小さく息を吐いた。

 胸の奥で、紘一の言葉がまた響く。


 ――澄羽ちゃんならヒーローになれるよ。


 澄羽は目を細めた。

 「……そんなわけないよ」


 小さく呟く。

 そして、前を向いた。

 遠くに、高校の校舎が見えてきた。

 澄羽は歩く速度を少しだけ速めた。





 高校の校門をくぐる。

 A.E.O.I.が対応を始めたからなのか、かつての活気が戻り始めていた。


 グラウンドでは運動部の生徒が走っている。

 校舎の窓からは、クラスメイトの笑い声が聞こえてくる。


 澄羽は昇降口で靴を履き替え、ゆっくりと廊下を歩いた。

 階段を上がり、教室の前まで来る。


 少しだけ足が止まる。

 深く考えたわけではない。

 ただ、扉の向こうにある日常に入ることが、少しだけ遠く感じた。


 澄羽は静かに扉を開けた。

 教室の中では、すでに何人かの生徒が雑談をしていた。


 その中の一人が、澄羽に気づく。

 「…白鷺だ」


 暗い声だった。

 それに何人かが振り向く。


 いつもと変わらない扱われ方。

 それでも、どこか現実感が薄かった。


 自分の席へ向かう。

 椅子を引こうとした瞬間――


 「澄羽!」

 教室の入口から、声が響いた。

 聞き慣れた声だった。


 振り返る。

 そこに立っていたのは、美空だった。

 少し息を切らしながら、澄羽を見ている。


 昨日までの、どこか弱っていた表情は無い。

 以前と同じ、明るい顔だった。


 「……美空」

 澄羽が呟く。

 美空は教室の中へ入り、まっすぐ澄羽の前まで来た。


 「学校来てないかなって思って、探してたんだよ」

 そう言って、少し笑う。

 その笑顔は、昨日の夜とは違っていた。

 何も知らない人間の笑顔だった。


 「体、大丈夫なの?」

 澄羽が聞く。

 美空は頷いた。


 「うん。全然平気」

 少しだけ胸を張る。

 「お父さんとお母さんも、もうすぐ退院できるみたい」


 その言葉に、澄羽の胸がわずかに締め付けられた。

 数日前の夜の光景が、頭の奥をかすめる。


 崩れた家。

 砕けた壁。

 自分の手で壊した街。


 「……そっか」

 澄羽はそれだけ言った。

 美空は少し不思議そうに澄羽を見る。


 「澄羽、今日ちょっと元気ない?」

 「そんなことないよ」

 即答だった。


 美空は少し考えた後、ふっと笑った。

 「そっか。ならいいや」


 その時だった。

 教室の扉が開く。


「お前ら席つけー」

 担任の声だった。


 教室に入ってきた担任は、頭に包帯を巻いていた。

 額からこめかみにかけて白い包帯が回っている。


 以前の、生徒が変貌した融合体の事件で受けた傷だ。

 担任はそれを気にする様子もなく教卓へ向かった。


 「参ったよ。まだ頭ちょっと痛くてさ」

 軽く笑いながら言う。


 「でも、それぐらいで休めないからな。三人が変わってしまった件の対応に追われてて」


 そう言って出席簿を開く。

 教室はすぐに、いつもの朝の空気へ戻った。

美空は自分の席へ戻る前に、もう一度澄羽を見た。


 そして、小さく言う。

 「放課後、ちょっと話せる?」


 澄羽は一瞬だけ目を伏せた。

 ほんの一瞬の沈黙のあと、澄羽は頷いた。

 「……うん」


 美空は満足そうに笑うと、自分の席へ戻った。

 担任の声が教室に響く。

 「じゃあ出席取るぞー」


 朝のホームルーム。

 窓の外では、青空が広がっている。

 しかし、この先青空が、世界がどう変わっていくのか。


 澄羽はまだ知らない。

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