第19話:残されたもの
燈朝市に朝日が差し始めた頃、白鷺澄羽は帰宅した。
玄関を開けると、そこには夜美が立っていた。
「おかえり。どこ行ってたの?」
責める口調ではないが、どこか探るような声音だった。
「……別に。ちょっと散歩してただけ…」
「…なるほどねぇ」
夜美は少しかがみ、澄羽の瞳を見つめた。
「何だか、昨日より元気そうね」
夜美は安堵したかのように、微笑むと澄羽の頭を撫でる。
「…気の所為だよ、多分」
澄羽は目を逸らすと、夜美の横を通り過ぎた。
「そういえば澄羽、コンビニ行くけど欲しいものある?」
澄羽は立ち止まり、少し考えた。
「チョコクロワッサン」
「そっか、澄羽はチョコクロワッサンが好きなんだっけ。私もそれ好きだよ」
それは、初めて聞いたかのような反応だった。
夜美はそれだけ言うと、玄関を開けてコンビニへと向かった。
玄関が閉じられた暗い廊下で、澄羽は立ち止まっていた。
「一緒にチョコクロワッサン食べたこと、私は覚えてるのに。どうして…?」
澄羽は心の中に不安感を宿したまま、2階の自室へと上がった。
自室の扉を開けた瞬間、鼻を突く腐敗臭が廊下へ流れ込んでくる。
「さすがに、もう隠せないか」
澄羽は部屋の隅の毛布を退け、腐りきった残骸を見つめた。
分厚い黒色の袋を3枚ほど用意し、残骸を袋に放り込む。
しぼんだ球体、白い破片が剥き出しになった肉塊…。
視界に入る残骸全てを袋に詰め込み、破れない程度に強く縛った。
「後はこれをどうやって…」
澄羽はバレるリスクも承知の上で、黒い袋をごみステーションに出すことにした。
今日は燃えるゴミの日だ。
今ならまだ間に合う。
澄羽はすぐに部屋を出て玄関を飛び出し、家のすぐ近くのごみステーションに向かった。
誰もいなかった。
ネットを開けて袋を放り込み、ネットを下げると澄羽は急いで帰路についた。
角を曲がった時、見覚えのある女性が視界に入る。
夜美だった。
(もう買い物終わったの…?)
夜美は足音に反応して振り返り、澄羽を見つけた。
「あれ?また散歩してたの?」
「私も着いていきたいなって思ったんだけど、間に合わなかったみたい」
澄羽はすぐに思いつきで返答した。
「そういうことだったのね。また今度一緒に行こうね」
夜美は澄羽の手を握った。
「あっ…お姉ちゃん、そういうのは…」
「…? 姉妹はこういう関係でしょ?」
夜美は澄羽と手を繋いだまま歩いた。
澄羽は何も言わず、夜美に合わせて歩いた。
「そういえば澄羽、今日の学校は?」
「…今日は休もうかな」
夜美は安心したような表情を浮かべた。
「わかった。学校には連絡するからゆっくりしてね」
澄羽は夜の戦闘の疲れを癒すため、休養を優先した。
朝日がもう少し昇った頃、病院の出口から二人の姉妹が歩いて出てくる。
「お姉ちゃん。お父さんとお母さん、本当に無事で良かったね…!」
花守燈莉は半分涙目で花守美空に告げた。
「本当に回復してくれてよかった…!あと数日間もすれば戻ってこれるって!」
美空の言葉に、燈莉は嬉しさと寂しさを同時に感じていた。
「二人が戻ってきてくれるのは、本当に嬉しい。でも…」
燈莉は美空の顔を見上げた。
「私、また任務に戻らないと…」
美空は燈莉の頭を撫でた。
「…やっぱり、人を守る仕事って本当に大変だよね。
…いつでも戻ってきてね、燈莉のこと待ってるからさ」
「お姉ちゃん…ありがとう」
燈莉は美空から離れた。
燈莉の後方には輸送車が停まっていた。
「私、そろそろ行かないと」
燈莉は手を振った。
美空も手を振り返す。
「気を付けてね」
燈莉は頷くと輸送車へ乗り込み、病院の敷地内から去った。
美空は立ち尽くした。
「やっぱり、戻ってきてほしいな…」
一言呟くと、美空は歩き出した。
立ち入り禁止テープが張り巡らされ、隔離された住宅街へ。
その足取りはどこか寂しさを感じられるものだった。
数時間後、基地へ戻った燈莉は映像記録室に一人でいた。
モニターには、遠方から撮影された燈朝市の戦闘映像が映し出されている。
天使と融合体。
融合体の動きは、生物的本能を歪めたような不規則さを持っていた。
対して天使の動きは、あまりにも人間的だった。
双剣を構え、間合いを測り、弱点を正確に貫く。
最後は高所からの一撃。
まるで、訓練を積んだ人間の戦闘術。
燈莉は映像を巻き戻す。
天使の体が、急激に縮小する。
だが、その先は崩壊した住宅群に遮られ、確認できない。
消えたのか。
それとも、小型化したのか。
燈莉は端末を開き、仮説を整理し始める。
――縮小後に瞬間的に消失した場合。
出現もまた突発的になる。
だが、これまでの出現パターンと一致しない点がある。
昨日の戦闘。
融合体が出現し、燈莉達が戦ったが天使は現れ なかった。
しかし、燈朝市第一高校周辺での事例では、戦闘と呼ぶには小規模な出来事にもかかわらず出現している。
条件が一定ではない。
「……こっちは薄いか」
燈莉はその仮説に小さく×を付けた。
もう一つ。
――小型化して行動している可能性。
小型融合体の存在は確認されている。
だが、天使のように整った形状を維持した個体は確認されていない。
小さな体であの姿を保つのは、理論上難しい。
燈莉は、こちらの仮説にも×を付ける。
「わかんないよ……」
椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げる。
その時、ふと思い出す。
加入前に読んだ資料。
宇宙外生命体の中でも、特殊個体の出現条件についてまとめられた記録。
燈莉は端末を操作し、該当データを呼び出す。
その中の一文に、目が止まった。
――地球上の生物に擬態し、観測を欺く。
指先が止まった。
擬態。
もしそうだとすれば。
戦場の後に残っていた者。
白鷺澄羽。
そして、花守美空。
静かな映像記録室に、空調の音だけが響く。
どちらかが天使だとしたら――
燈莉はローゼ宛のメール画面を開く。
件名を打ち込む。
本文を書きかける。
――自分の姉、あるいは姉の友人が天使である可能性。
「……っ」
燈莉は首を振り、本文をすべて削除した。
天使の行動を思い返す。
融合体の排除。
民間人への直接的な攻撃は、確認されていない。
直接狙った事例は確認されていない。
だが、それは「まだ」なのかもしれない。




