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哭き裂く天使  作者: Norn
第二章:折れた翼の在り処
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第18話:それでも、夜は静かに続いていく

 夜が裂け、衝撃が地面を叩き潰す。

 白い残光が、矢のように融合体へと飛んだ。

 アスファルトがめくれ上がり、建物の窓ガラスが一斉に砕けた。


 融合体の巨体が、初めて後退する。

 赤黒い表皮が焼け焦げ、再構築が追いつかない。

 内部の光が乱れ、脈動が不規則になる。


 それを、深紅の瞳が見下ろしていた。

 翼状の突起が、静かに軋む。

 羽ばたきではない。


 それは空間を押し広げるような、異質な振動。


 天使が、一歩踏み出す。

 地面が沈む。

 人の形を保ちながら、そこに立っているのは、明らかに人ではない。


 融合体が咆哮する。

 音ではなく、空気そのものを叩きつける衝撃波だ。


 だが。

 天使は、動かない。


 その背後で、美空が息を呑む。

 「……澄羽?」


 答えはない。

 あるのは、静かな殺意にも似た集中。


 そして。

 白き巨躯が夜を裂いた。

 一瞬のうちに距離を詰め、融合体を空高く蹴り上げる。


 「ッ…!」

 衝撃が澄羽の後方に広がり、美空は耐えきれず地面を転がった。


 天使は双剣を取り出すと空高く飛び上がり、舞い上がった融合体の胸を斬りつけた。

 融合体は、生物とは一線を画す声を周囲に振りまき、天使と共に落下した。


 落下地点は美空から数百メートル先だった。

 天使は、美空を巻き込まずに済んだことに安堵する。

 天使が振り返ると、融合体は再生しながら立ち上がるところだった。


 黒い液体と共に、犬と猫を無理やり縫合したような頭部がせり上がる。

 それに合わせて融合体の肉体も膨張し、天使を見下ろすほどの巨躯へと変貌した。


 天使は心の中で舌打ちをし、双剣を構える。

 両者が数秒睨み合った後、再び動き出した。

 先手を取ったのは天使だった。


 融合体から飛び出した獣の頭を目掛けて、剣を地面と垂直に振り上げる。

 融合体の肉体は、簡単に切断された。


 しかし、第二の首を失っても融合体は活動を止めなかった。

 猫、いや、もはや虎を彷彿とさせる巨大な爪を生やした腕が、天使を目掛けて振り下ろされる。


 天使は咄嗟に刃状の手甲で攻撃を防ぐが、衝撃にまでは耐えられず、吹き飛ばされる。

 天使は地面に打ち付けられながら転げた。


 頭を再生させながら、融合体が迫る。

 まるで天使の本質的な部位を見抜いたかのように、一直線に。


 (力不足……?いったいどうすれば…)

 天使は剣を握り直し、立ち上がる。


 その時だった。


 天使は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 微かな変化。

 五感が研ぎ澄まされ、肉体の出力が跳ね上がるのを理解した。


 天使は再び融合体へと走り出した。

 先ほどよりも速い。

 半壊した住宅群が風圧で更に破壊される。


 天使は強化された脚力で踏み込み、剣の柄で融合体を殴り飛ばした。

 自身の二倍はある巨体が、あっさりと吹き飛ぶ。


 (…これなら行ける)

 天使は瞬く間に融合体との距離を詰め、融合体へ連撃を仕掛けた。

 融合体は天使からの斬撃を何度も受け、苦し紛れに爪と牙を振り回した。


 その時。

 北の方角から車のエンジン音が微かに響く。

 天使はそれが何なのか知る由も無かったが、その音が辿り着けばより面倒事になることは感じ取れた。


 天使は双剣を縦に割る。

 四振りとなった刃を、融合体の四肢へ同時に投げ放った。

 それぞれの剣が四肢の付け根を斬り裂き、融合体の本体が地面へと落ちた。


 四肢を失った融合体は、それでもなお蠢いていた。

 黒い液体が地面を這い、断面同士を繋ごうと伸びていく。

 肉と肉とが引き寄せられ、再生が始まろうとしている。


 天使はゆっくりと歩み寄った。

 双剣は、もう構えない。

 代わりに、背の四つの突起が大きく広がる。

 風が巻き上がり、瓦礫が浮き上がった。


 足元に、白い光が集まる。

 それは淡く、しかし確かな熱を帯びていた。

 鼓動と重なるように、光は次第に強さを増していく。


 融合体が、顔を上げる。

 裂けた口から、濁った咆哮が漏れた。


 次の瞬間。


 天使の身体が、空へと跳ね上がった。

 一瞬で高く舞い上がり、夜空を背に静止する。

 月光が、白い肢体を照らす。


 翼がゆっくりと収束し、光が右脚へと集約していく。

 赤く灯る瞳が、真っ直ぐに標的を射抜いた。


 ――落下。


 空気が裂ける音が、遅れて響く。

 天使は一直線に降下する。

 白い光を纏った踵が、融合体の胸部へと突き立てられた。


 衝撃は、地面を抉った。


 眩い光が内部から溢れ出し、黒い肉体を焼き裂いていく。

 再生しようとしていた断面が、逆に崩れ、崩壊へと転じる。

 融合体の咆哮は、途中で途切れた。


 光が爆ぜる。

 衝撃波が円を描いて広がり、瓦礫と粉塵を空へと巻き上げる。


 やがて。

 光が収まった時、そこに残っていたのは、焼け焦げた痕跡だけだった。


 天使は静かに着地する。

 翼が、ゆっくりと閉じられた。


 夜は、何事もなかったかのように静まり返っていた。






 静まり返った夜の中、白い光がほどけていく。


 四枚の翼が輪郭を失い、粒子となって空へ溶けた。

 やがてそこに立っていたのは、息を荒くした澄羽の姿だった。


 服はところどころ裂け、肩で呼吸をしている。

 それでも、足はしっかりと地面を踏みしめていた。


 澄羽は振り返る。

 数十メートル先、瓦礫の傍らに美空が倒れている。


 一瞬だけ目を伏せ、それから歩き出した。

 足取りは重くない。

 だが、迷いがあった。


 美空の隣に膝をつく。


 「……美空。」

 小さく呼ぶ。

 返事はない。


 額にかかった髪を、そっと払う。

 目立った外傷はない。呼吸もある。

 安堵が、胸の奥に広がる。


 その瞬間。

 美空のまぶたが、ゆっくりと動いた。


 「……すみ、は……?」

 瞳が、やがて澄羽を捉える。

 澄羽は、ほんのわずかに視線を逸らした。


 「……もう、終わったから。」

 それだけを告げる。


 美空は数秒、澄羽の顔を見つめていた。

 夜風が、二人の間を抜ける。

 澄羽は立ち上がった。


 「……私は」

 続きは言わない。

 言わなくても分かると思った。


 ここにいれば、また巻き込む。

 壊す。傷つける。


 一歩、後ろへ下がる。

 その時。

 袖が引かれた。


 振り向くと、美空が澄羽の手首を掴んでいた。

 まだ力は弱い。

 けれど、離す気はない。


 「どこ、行くの。」

 責める声ではなかった。

 ただ、確かめるような声音。


 澄羽は答えない。

 視線を落としたまま、静かに言う。


 「……私のせいで、家も両親も……」

 そこで言葉が途切れる。

 美空は少しだけ眉を寄せた。


 「それ、今言うこと?」

 澄羽が顔を上げる。

 美空はゆっくりと身体を起こし、掴んだ手にもう一度力を込めた。


 「助けてくれたの、澄羽でしょ。」

 静かな声だった。


 泣いていない。

 怒ってもいない。

 ただ、事実を置くように。


 「壊れたものも大事。でも、澄羽が助けてくれたって事も大事なことだよ」

 夜風が強く吹き、瓦礫の隙間で何かが転がる音がした。


 澄羽の喉が、小さく鳴る。


 「……でも。」

 「でもじゃない。」


 即答だった。

 美空は、まっすぐ澄羽を見る。


 「一人で勝手にいなくならないで。」

 掴んだ手は震えている。

 けれど、その目は揺れていない。


 澄羽は、何も言えなくなった。

 強がりも、否定も出てこない。


 ただ、掴まれている手を振りほどかなかった。


 その直後、輸送車のライトが瓦礫を照らし出す。

 重いエンジン音と共に数台の車両が停止し、武装した戦闘員たちが周囲を警戒しながら展開した。


 その中から、燈莉が降り立つ。

 崩壊した住宅地。

 抉れた地面。

 そして、焼け焦げた中心点。


 燈莉は一瞬だけ目を細めた。

 「……この規模は…想定以上ね…」


 戦闘員の一人が報告する。

 「融合体の反応、完全に消失。

ただし――同時に、高出力の未知反応を観測。記録上は、例の天使と一致。」


 報告を受けている燈莉は、少し離れた場所に立つ美空と澄羽の姿に気づいた。

 「お姉ちゃんと……白鷺さん?」


 燈莉は二人の元へ駆け寄った。

 「お姉ちゃん……!無事だった!?怪我はない!?」

 美空の頬に触れる。


 目立った外傷はない。

 微笑むその表情を見て、燈莉は小さく息を吐いた。


 「私は大丈夫。安心して」

 美空は微笑みながら、燈莉の頭を優しく撫でる。

 「ちょっ……お姉ちゃん、やめて」

 燈莉は視線を逸らすが、振り払わない。


 数秒後、燈莉はゆっくりと表情を戻し、澄羽へ向き直った。


 「白鷺さんは、どうしてここに?」

 問いは冷静だが、敵意はない。


 澄羽は一瞬だけ言葉を探し、咄嗟に答える。

 「家の窓を開けていたら、この辺りから叫び声が聞こえて……。放っておけなくて」


 燈莉は数秒、澄羽を見つめた。

 その視線は鋭い。

 けれど、疑ってはいなかった。


 「……そうですか。ありがとうございます」

 「えっ?」


 燈莉はまっすぐな瞳で澄羽を捉える。

 「白鷺さんがいてくれたから、お姉ちゃんが無事だった。……私は、そう思っています」

 突然の感謝に、澄羽はわずかに目を見開いた。


 「ところで――この辺りで天使が観測されました。何か見ませんでしたか?」

 一瞬の間。


 「……怪物を倒した後、どこかへ行ってしまいました」

 澄羽は静かに答える。


 燈莉は小さく頷いた。

 「分かりました。報告ありがとうございます」


 燈莉は周りの戦闘員へ報告し、状況の共有を始める。


 やがて振り返る。

 「では、白鷺さん。また何かあれば」


 それから、美空を見る。

 数秒の沈黙の後、柔らかな笑みが浮かぶ。

 「基地に戻ったら、すぐ連絡する。一緒にお父さんとお母さんに会いに行こう?」

 美空は頷いた。


 澄羽は空を見上げた。

 夜は静かで、月がただそこにある。


 あの白い姿は、もうどこにもいない。


 けれど。


 確かに、ここに在った。

 観測され、記録され、そして――

 やがては世界に知られる。


 夜風が吹き抜ける。

 その冷たさを、澄羽ははじめて、はっきりと感じていた。

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