表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
哭き裂く天使  作者: Norn
第二章:折れた翼の在り処
19/38

第17話:光は、地上に堕ちる

 置き時計は、日付が変わる少し前を指していた。

 美空はスマートフォンの画面を、もう一度見つめた。


 『今から行くね』

 自分が送ったその文字。

 数分前のことなのに、やけに遠く感じる。


 こんな時間に外へ出るのは久しぶりだった。

 けれど、不思議と怖さはない。

 胸の奥にあるのは、焦りよりも――安堵だった。


 「……やっと」

 小さく呟く。

 病院の白い廊下、動かない両親、消毒液の匂い。

 あの場所が、今日は違って見えるかもしれない。


 意識が戻った。

 その言葉が、何度も頭の中で反芻される。


 玄関の扉を開ける。

 冷たい空気が頬に触れる。

 けれど、澄んでいる。


 深夜の燈朝市は静かだった。

 遠くの街灯が、淡く並ぶ。


 崩壊した住宅街の中、美空は一度だけ振り返る。

 同じように破壊された自宅も、明日には違うように目に映るかもしれない。


 小さく息を吐き、歩き出す。

 アスファルトに靴音が響く。

 北西の通りへ。


 病院までは、徒歩で二十分ほど。

 住宅街を出たところでタクシーを呼ぶことも考えたが、じっとしていられなかった。


 歩きながら、自然と笑みがこぼれる。

 おかえりって言えるかな。


 それとも泣いちゃうかな。

 そんなことを考えていた。






 澄羽は自室の布団で横になっていた。

 部屋の明かりは消えている。

 窓の外から、白雨市の光が淡く差し込む。


 眠れないわけではなかった。

 ただ、胸の奥が落ち着かない。

 白雨市の光、遠くで起きた戦い。


 そして、あの感覚はまだ消えていない。

 目を閉じる。


 その瞬間。


 胸の奥に、冷たいものが触れた。

 痛みではない。


 呼びかけ。


 いや――


 引力のような…。

 心臓が一度大きく脈打ち、視界の裏に赤い線が走る。


 地図のように、街の構造が浮かぶ。

 北西からゆっくりと、こちらへ向かってくる何か。


 澄羽は息を呑む。


 「……なに、これ」

 言葉は自然に漏れた。

 答えはない。


 だが、胸の奥で何かが震える。


 声はない。

 けれど、確実に意識が向いている。

 拒絶でもなく、命令でもない。


 感知、そして微かな――焦燥。


 澄羽は上体を起こす。

 窓の外を見る。

 夜の街は何も変わらない。


 だが、分かる。

 近づいている。

 それは自分を探している。


 違う。

 自分の中にあるものを。


 残滓、欠片、天使の気配。

 胸の奥が、熱を帯びる。


 逃げたい衝動。

 でも同時に、立ち上がらなければいけない感覚。


 澄羽の呼吸が乱れる。

 嫌な予感が、形になる。


 北西。

 そこは、美空の家と白雨市の方向。


 美空は、今――


 澄羽は立ち上がる。

 部屋着のまま、ドアへ向かう。

 胸の奥の震えが、強くなる。


 それが何を意味するのか、まだ分からない。

 けれど、澄羽はもう一度だけ目を閉じる。

 そして、静かに呟いた。


 「……来ないで」







 足元には、未だ片付けきれない瓦礫の影。

 天使の戦闘で破壊された住宅街。


 半壊した建物ばかりの区画。

 ブルーシートのかかった骨組み。

 昼夜問わず人の気配はほとんどない。


 美空は歩幅を少しだけ早める。

 見慣れたはずの景色なのに、胸がざわつく。


 「……早く行かなきゃ」

 瓦礫を避け、細い道へ入る。


 その時。

 足音とは別の音がした。

 重い、擦れるような音。


 ゆっくりと振り向くと、闇の奥で何かが動いた。

 背の高い影、不規則な輪郭。

 街灯の光を浴びたその姿は、人のようでもあり、獣のようでもある。


 二足で立っている。

 だが次の瞬間、片脚が分裂し、地面に四点で接地する。


 関節が逆に折れ、再び人型へ戻る。

 安定していない。

 まるで、取り込んだものの形を試しているようだった。


 美空の背筋に冷たいものが走る。

 融合体の視線が、確実にこちらを捉えた。

 胸の奥がざわりと震える。


 融合体の表面が波打ち、装甲と肉の境界が溶ける。

 細長い触手のようなものが生え、すぐに引っ込む。


 そして、一歩踏み出す。

 地面の瓦礫を踏み砕きながら、一直線に。


 「……っ」

 美空は立ち上がり、走った。

 瓦礫を乗り越え、崩れた塀の間を抜ける。


 背後で、重い衝撃音。

 速い。

 人間より、明らかに速い。


 息が荒れる。

 足元が不安定だ。


 振り返ると、融合体は形を変えながら距離を詰めてくる。


 二足。

 四足。


 滑るように地面を這う。

 最短の動きを探しているかのように。


 美空は足元の瓦礫を掴んだ。

 片手で持てる程度のコンクリート片。

 振り向きざまに投げる。


 鈍い音と共に融合体の肩口に当たる。

 だが、砕けるのは瓦礫の方だった。

 融合体の表面が揺らぐ。


 砕けた破片がそのまま身体へ吸い込まれ、わずかに体躯が膨らむ。

 輪郭が変わる。


 「……うそ」

 後退し、細い路地へ飛び込む。


 だがその先は――


 崩落した家屋の基礎で塞がれている行き止まりだった。

 美空の呼吸が止まる。

 振り返ると、融合体は通路を塞ぐように立っている。


 顔のような部位が歪み、複数の光点が明滅する。

 腕が伸びる。


 融合体の指の先端が刃のように変形する。

 美空は後退するが、もう下がれない。

 壁が背中に触れる。


 融合体の体表がざわめく。

 美空を見ているのに、視線はその奥を探している。


 まるで、何かを感じ取っているように。

 だが、融合体には目の前の存在も素材だった。


 腕が振り上げられ、月光が刃を照らす。

 美空は咄嗟に腕で頭を庇った。


 衝撃が来る――


 その刹那。

 横からの強い衝突音と共に、融合体の腕が弾かれる。

 美空の身体が、誰かに強く引き寄せられた。


 「っ……!」

 視界が揺れる。

 次の瞬間、地面を蹴る感覚がした。


 抱え上げられていたのだ。

 瓦礫の上を一気に飛び越え、距離を取る。

 数メートル先に着地。


 美空は腕の中で目を見開く。


 「……す、すみ……?」

 肩で息をする澄羽が、前を睨んでいる。

 細い身体だが、腕は震えていない。

 融合体がゆっくりと向き直る。


 その光点が、澄羽を捉えた瞬間。

 空気が変わる。

 体表が激しく波打つ。


 不安定だった形が、急速に収束を始める。

 求めていたものを、見つけたように。

 澄羽は美空をそっと降ろした。

 すると、美空は澄羽の袖を掴む。


 「逃げよう……お願い……」

 その指は冷たい。

 震えている。


 澄羽の脳裏に、一瞬だけ光景がよぎる。

 伸ばした手が届かなかった記憶。

 息が詰まる。


 守れなかった光景が重なる。

 目の前の美空の瞳が揺れる。


 今、このまま退いても、逃げても、融合体は追ってくる。

 そして、美空も、他の誰かもを、きっと――


 胸の奥が焼けるように痛む。

 鼓動が速まる。

 耳鳴りがして、視界の端が赤く滲む。


 融合体が腕を刃のような形状に変形させる。

 地面を抉りながら距離を詰める。

 美空が息を呑む。


 澄羽は、美空を庇うように一歩前へ出る。

 その背中は小さく、それでも退かない。

 握りしめた拳が震えていた。


 恐怖がないわけではない。

 怖い。

 逃げたい。

 叫びたい。


 それでも。


 唇が震えながら、言葉がこぼれる。

 「……もう、見ないふりはできない。

私が怪物でも、天使でも……それでも、誰かが傷つくのは、嫌だ。

だから――見て。」


 澄羽の手は、いつかの幼なじみと交わした『変身前の決意ポーズ』を取っていた。


 「私が、戦う理由を。」


 次の瞬間。

 澄羽の足元から、白い光が上がった。


 風が、逆巻く。

 地面に亀裂が走り、空気が震え、音が歪む。


 澄羽の身体が、宙に浮く。

 服が、風に裂かれるように消え、

 その下から現れたのは、純白の肢体。


 皮膚から色が失われ、代わりに、血のような深紅が瞳に灯り、その眼球が複製されていく。

 背中が、軋む。

 骨が再構築される音と共に、四枚の突起が翼のように展開する。


 腕には、刃の形をした手甲。

 身体は人の形を保ったまま、それでも明らかに――人ではない存在へと変貌していく。


 最後に。

 澄羽の背後に、巨大な影が重なった。

 澄羽の中の何かの意志が、静かに脈打つ。


 そこに立っていたのは――


 堕ちた光の夢を宿す天使だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ