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哭き裂く天使  作者: Norn
第二章:折れた翼の在り処
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第15話:天使のいない戦場

 放課後の校庭は、夕焼けに染まっていた。

 ブランコの鎖が、風に揺れてかすかに鳴る。


 「だからさ、最後に立ち上がるのがヒーローなんだって」


 澄羽の幼なじみ、葛城紘一が得意げに言う。

 澄羽は笑った。

 「うん、わかる。ボロボロでも立つのがかっこいいんだよね」


 「だろ?」

 「逃げないで、ちゃんと前を見るの」

 

 言いながら、澄羽は両手をぎゅっと握った。

 ヒーローの真似だ。


 紘一が吹き出す。

 「何それ」

 「変身前の決意ポーズ」

 「変身前って」

 二人で笑う。


 その時間が、澄羽には何よりも温かかった。

 家に帰れば、視線がある。

 理由の分からない拒絶。


 自分がここにいることを否定されているような空気。


 でも。


 紘一と話しているときだけは、違った。

 ここにいていいと思えた。

 ヒーローの話をして、未来の話をして。


 「将来さ」

 澄羽は空を見上げる。


 「本当にヒーローみたいになれたらいいのに」

 「なれるだろ」


 即答だった。


 「澄羽はなれるよ」

 「なんで?」

 「だってさ」


 紘一は少しだけ真面目な顔になる。

 「お前、誰かが困ってたら絶対助けるじゃん」


 その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。

 そんなふうに言われたことは、あまりなかった。


 「……そっか」

 自分でも気づかないうちに、笑っていた。


 ここが、澄羽の居場所だった。

 この時間が、彼女が明日を迎える理由だった。


 ふと、紘一が空を見上げる。

 「でもさ」


 「ん?」

 「ヒーローって、守れないときもあるんだよな」

 風が止まる。


 さっきまで聞こえていたはずの校庭のざわめきが、消えている。


 澄羽は首を傾げる。

 「守れなかったら、次は守ればいいじゃん」


 まっすぐな声だった。

 まだ何も知らない子どもの声。

 紘一は、少しだけ寂しそうに笑った。


 「……そっか」

 その笑顔が、なぜか遠い。


 澄羽は手を伸ばす。

 触れられる距離なのに、指先が届かない。


 「紘一?」

 その名を呼んだ瞬間、夕焼けが崩れた。


 空が暗転する。


 光が溶ける。


 「澄羽」

 最後に聞こえた声は、いつもより低く、静かだった。


 「ちゃんと、生きろよ」






 澄羽は目を覚ました。


 息が浅い。


 胸の奥が、ひどく静かだった。


 夢のはずなのに、温もりだけが残っている。


 「……なんで、今」


 呟いた声は、夜空の光に溶けた。


 あの時間は、もう戻らない。


 それでも。


 あの言葉だけが、まだ胸の奥に残っている。

 胸に残るのは、夕焼けの色だった。


 紘一の声は、もう聞こえない。


 澄羽はゆっくりと起き上がる。

 窓の外には、光が浮かぶ夜空がある。


 けれど。


 その夜は、どこか遠かった。


 ――ヒーローって、守れないときもあるんだよな。


 言葉が胸の奥で反響する。


 澄羽は無意識に、自分の手を見た。

 傷ひとつない、白い手。


 守れるのか。

 それとも――。


 その答えは、まだ出ない。


――――――――――――――――――――――


 警報音が観測室の空気を切り裂いた。

 赤い表示が一斉に灯る。


 「白雨市南部、同時多発反応。

融合体を確認。数は……七、いや、増えている」

 オペレーターの声が早口になる。


 モニターに映し出されたのは、歪に変形した建造物と、それを踏み潰す異形の影。

 金属と肉が混ざり合ったような怪物が、道路を引き裂きながら進行していた。


 「天使の出現反応は?」

 「ありません」


 その一言で、室内の温度が数度下がったように感じられた。


 司令官が通信機器を操作して呼びかけた。


 「燈莉」


 名を呼ばれた瞬間、彼女は機器の音に耳を傾けた。

 「白雨市へ向かえ。戦闘員三班が同行する。

市街地への侵入を阻止しろ」


 「了解」

 即答だった。


 迷いのない声。

 だがその拳は、わずかに強く握られている。


 玲司は、出撃準備を終え、走り出した燈莉の背を見つめていた。

 何か言いかけて、結局飲み込む。


 その瞬間――


 「桜庭玲司」

 背後から、静かな声。


 玲司は振り向く。

 そこに立っていたのはローゼだった。

 服の裾が、わずかに揺れる。


 「あなたは制御訓練が完了するまで、出動は禁止されているはずよ」

 責める響きはない。

 だが、有無を言わせない声音だった。


 「分かってますよ。……でも、何かあってもじっとしてろって言うんですか」

 玲司の言葉にローゼは数秒、沈黙した。


 「焦りは、制御を狂わせる」

 「焦ってません」


 即答だった。

 しかし、その拳は白くなるほど握られている。

 ローゼはゆっくりと視線を玲司へ戻す。


 「あなたは、自分が思っているよりも衝動に弱いわ」

 その言い方は、まるで――


 以前から知っているかのようだった。

 玲司が眉をひそめる。


 「……俺の何を知ってるんですか」


 一瞬。


 ほんの一瞬だけ。


 ローゼの瞳の奥に、柔らかい光が宿る。

 それは研究者の視線ではなく、どこか懐かしむような色。


 「あなたは昔から、誰かが傷つくと自分を後回しにする」

 静かな声。


 「それは美点でもあり、致命的な欠点にもなる」

 玲司の胸が、わずかにざわつく。


 昔から?

 そんな話をした覚えはない。


 「……会ったこと、ありましたっけ」

 ローゼは微笑む。


 完璧に整えられた、隙のない微笑み。

 「さあ、どうかしら」


 その答えは、肯定でも否定でもなかった。

 だが次の言葉が、微妙な違和感を残す。


 「あなたがまだ、自分の力を恐れていなかった頃かもしれないわね」

 玲司の呼吸が止まる。


 そんなことを知っているのは――


 自分と、あの時の誰かだけのはずだ。

 しかしローゼは、何事もなかったかのように背を向ける。


 「訓練室へ行きなさい。今のあなたが戦場へ出れば、あなた自身が崩れる」


 少しだけ間を置く。

 「――それは、あなたが望む未来ではないはずよ」


 未来、という言葉。


 なぜか、重く響く。


 ローゼは去っていく。


 その背を見送りながら、玲司の胸の奥でサーベラスが微かに唸った。


 ――あの少女は、知っている。






 輸送車両の中は、重たい沈黙が流れていた。

 窓の外を流れる景色は、まだ平穏を装っている。


 しかし遠く――

 空の一角が、不自然に明るい。


 断続的に走る閃光。

 爆発音が遅れて届く。


 「……白雨市中心部よりやや北側。既に第二波が出ています」


 通信が入る。

 燈莉は目を閉じた。

 胸の奥で、カイメラの気配が揺れる。


 力はある。

 前回のテストで証明された。


 だがこれは訓練ではない。

 失敗すれば、人が死ぬ。


 静かに息を吐く。

 「止める」


 誰に向けた言葉でもない。

 ただ、自分に言い聞かせるように。


 車両が停止する。

 扉が開いた瞬間、熱風が流れ込んだ。


 焦げた匂い。

 割れたガラスの音。

 遠くで悲鳴。


 そして――


 通りの向こうで、異形がゆっくりと振り向いた。


 鉄骨と生体組織が絡み合った四足の怪物。

 その背からは触手のような管が伸び、周囲の車両を吸収している。


 戦闘員が構える。

 「対象確認!」


 「市民は避難済みか!?」

 「完全ではありません!」


 融合体が咆哮する。

 空気が震えた。

 燈莉は一歩前に出る。


 瞳の奥が淡く光る。


 「ここで止める」


 その瞬間、背後の空がまた閃いた。


 ――それは、隣市・燈朝市の方角からも見える光だった。


 澄羽の部屋から、確かに見えるはずの光。

 燈莉は知らない。

 誰かがその光を見ていることも。


 ただ、目の前の怪物だけを見据える。

 「カイメラ、出力解放」


 空気が裂ける。

 戦闘が始まった。


 怪物が地面を蹴る。

 アスファルトが弾け飛び、鉄塊のような前肢が振り下ろされた。


 燈莉は横へ滑ると同時に、細身のブレードを抜き放つ。


 銀の軌跡が走る。

 触手の一本が切断され、黒い液体が飛び散った。


 だが、怪物は怯まない。

 切断面から金属線が再構築され、形状を変えていく。


 「自己修復……長引くと危ないな」

 次の瞬間、背後から衝撃。


 別個体だった。

 盲点を突かれ、ビル壁面へ叩きつけられる。


 コンクリートが砕け、視界が揺れた。

 戦闘員の悲鳴が通信に混じる。


 「数が増えています!」

 燈莉は立ち上がる。


 腕に痛みが広がり、出力が低下する。


 敵が迫る。

 ブレードで受け止める。


 刃が軋むその瞬間。


 カイメラが脈打った。

 視界の端に、幾何学的な情報が走る。


 ――構造解析開始。


 敵の関節部。

 動力伝達。

 金属と生体の接合点。


 情報が流れ込む。


 次の一撃、燈莉は半歩だけ踏み込む。


 刃の角度を、ほんの数度変えて斬撃。


 今度は、装甲の継ぎ目を正確に断ち切った。

 怪物の脚部が崩れる。


 「……適応した?」

 胸の奥が熱い。

 カイメラが応答する。


 受けた衝撃。

 敵の情報。

 それが自分の中で組み替えられていく。


 再び触手が伸びる。

 だが、今度は遅く見える。


 回避し、切断。

 確実に、噛み合い始めている。


 その時――

 「まだ人がいる!」

 その声で、燈莉の呼吸が乱れた。


 刹那。

 カイメラの鼓動が強まる。


 解析速度が跳ね上がる。

 視界が鮮明になる。

 刃が、光を帯びる。


 踏み込み、連続斬撃。

 敵の再生速度を上回る切断。


 四肢が崩れ落ちる。

 だが。


 胸に刺すような痛み。

 適応は、負荷と引き換えだった。


 装甲の継ぎ目を断ち切られた怪物が、歪な悲鳴を上げる。

 燈莉は踏み込むんで刃を反転させる。


 関節の奥、動力核が脈打つ箇所へ正確に突き立てる。

 鈍い破裂音。

 黒い液体が噴き出し、巨体が崩れ落ちた。


 地面が揺れる。

 通信が弾む。

 「一体、沈黙!」


 燈莉は静かに刃を引き抜く。

 呼吸を整える。

 視界の端で、カイメラの反応が安定している。


 いける。

 この速度なら、押し返せる。


 ――そのはずだった。


 背後で、低い唸り声。

 振り向いた瞬間、空気が変わる。


 煙の向こうから現れたのは、先程の個体とは明らかに異なる影。

 四足ではない。


 二足。


 だが、その輪郭は歪だ。

 人間の体躯に、獣の筋肉。

 肩から伸びる異様に発達した前肢。

 顔の半分は金属、半分は生体組織。


 そして――


 その目が、こちらを認識していた。


 「……有機融合型」

 燈莉の喉がわずかに鳴る。


 先程の機械優位型とは構造が違い、更に複雑。

 解析が追いつかない。


 その背後。

 さらに音。


 高所のビル壁面を、金属の節足が走る。

 多脚型の機械融合体。

 壁面を滑るように降下してくる。


 「新規反応、三……いや、四!」

 通信が乱れる。


 燈莉は一歩後退。

 呼吸を整える。

 適応は、同種構造に対して最適化される。


 だが今目の前にいるのは、全く別系統。

 情報が足りない。


 有機融合体が跳躍する。

 速い。


 有機融合体が咆哮する。

 その音に呼応するように、別方向からさらに影が動く。


 気づいた時には、既に囲まれていた。

 燈莉は低く構える。

 胸の奥でカイメラが強く脈打つ。


 解析を開始する。

 だが情報量が多すぎる。

 処理が追いつかない。


 膝が、わずかに沈む。

 通信の向こうで、戦闘員の声。


 「こちら三班、負傷者あり! 後退します!」

 その言葉で、燈莉の呼吸が一瞬乱れる。


 有機融合体が踏み込む。

 攻撃を受けるが、弾かれる。


 背後のビル壁面に叩きつけられ、視界が白くなる。

 立ち上がる。


 だが、敵はもう目の前だ。

 数は――五。

 煙の向こうに、さらに影。


 終わっていない。

 天使の反応は、依然としてない。

 燈莉は唇を引き結ぶ。


 「……まだ、守れる」

 そう呟くが、刃先はわずかに震えている。


 有機融合体が再び跳躍し、空が裂ける。

 刹那、燈莉は目を見開く。

 次の適応が間に合うかは、分からない。

第15話までお読みいただき、ありがとうございます。


「哭き裂く天使」のサイドストーリー、「Laplace's demon」を公開しました。

ある人物の過去――本編ではまだ触れられていない時間の話です。

それは過去でありながら、確実に現在へと続いています。


本編のどこかと、繋がる瞬間を楽しみにしていただければ幸いです。

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