忍び寄る者、忍び寄られる者③
「お疲れ様、です」
ヒヤリと首筋に冷気を感じて、思わず座っていたソファから腰を浮かす。驚いて振り向いてみると、心拍数急上昇の末に強制ログアウトさせられた俺を追って、御薬袋さんもログアウトして来ていた。
非常に申し訳なくなり、追って情け無さも痛感する。家から這い出て真っ当な職に就いたと言っても、まだ女性の生肌や、艶が入った声が苦手な事が改善したわけじゃない……最早苦手とかのレベルじゃないよな、病気かもしれない。
皆と割と普通に過ごせていたし、この間は御薬袋さんにじゃれつかれても平気だったし完全に油断していた。
「あ、ありがとう」
「どーいたしまして」
差し出されている事から、どうやらブラックの缶コーヒーを首筋に当てられたようで、受け取ってプルタブを引っ張るとぷしゅっと子気味良い音と共に、ほんのり苦味の混じった缶コーヒー独特な香りが鼻をくすぐる。
そのまま少し距離を置いて隣に御薬袋さんも腰掛ける。お互い会話は無いけれど、心配そうに気を遣ってくれているのは痛い程感じる。
カフェインのおかげか、御薬袋さんのおかげか、いつの間にか強張っていた緊張は少し緩んでいた。起きてから、ずっと休憩室のソファで座りこけていたが、いつの間にか自分が呼吸すらしっかり出来ていなかった事に気づき、深呼吸する。
吸ってー、吐いてー。鼻に残っていたカフェインの香りが気道を通り肺に広がる。何かが、多分酸素が。体に行き渡るような感覚。
「……はぁ、なんかごめん」
「……別に、大丈夫ですよ。あ!柴鴨thさん達には何か適当に言っておいて下さいね。私も大丈夫か確認して来るーって感じでログアウトしたので」
「そっか、本当にごめんなさい」
とん、と軽い衝撃が頭に走る。痛くは無かったが思わずいてっと声に出してしまう。どうやら隣に座った御薬袋さんが可愛らしいチョップをくれたようだった、または手刀とも言う。
「……別に、深く聞けませんけど。嫌なものや無理な事は言って下さい。後こういう時はごめんじゃなくて、ありがとう、とかじゃないんですかね?」
「……うん。ありがとう」
「苦手なものはなんですか?」
「虫」
「あ〜……確かに、脚が4本以上の生物って私も苦手なんですよね。蛸とかも苦手です」
「……解る、海老も殻剥いてくれてないと抵抗あるよね」
昔小さな子供用のエビ飼育キットが我が家にもあったのだが、キット内で大量に繁殖したエビ達が餌を持って近づく人間の気配の方に群がっていくのが気持ち悪過ぎて、最後まで飼育出来なかった記憶がある。
結局妹と母親が最後まで面倒見てたっけなぁ。
「他には、ありますか?」
「他かぁ……タバコ、電子のやつも苦手」
「了解です、私は吸いませんが出来るだけ禁煙の場所を選びましょう」
あぁ、いつもの御薬袋さんだ。明るくてふわふわしていて、いっつも色々心配してくれる。まだ出会って間もないというのに、本当申し訳ない。
「後……女の子」
「……っ、はい」
さっきまでの朗らかな空気が一瞬張り詰める。その緊張の原因が自分なのが嫌だ……だけど、ここまで気を遣われて話し易い場をつくってくれているのも分かっていて無碍には出来なかった。
「ここに来る少し前、女の子に……酷い目にあわされたんだ。あの日から女の子の肌とかが、ちょっと苦手になっちゃってさ」
「はい」
「最近、皆と働いてるのが楽しすぎてすっかりさ、油断、しちゃってて……柴鴨thは悪くないけど、急に色々押し寄せて来ちゃって、限界だったみたいだ」
「そうでしたか……識守くん」
二人ともソファで前を向きながら話していて、表情は見ていなかったし、なんだか情け無い自分を吐き出しているのが恥ずかしくてまともに御薬袋さんの方を向けなかった。
でも。
「識守くん」
再び、名前を呼ぶ声が聞こえて。
それは不思議と、嫌じゃなかった。
「ごめん、御薬袋さん!こんな話、聞かせて」
「ごめんなさい‼︎」
謝りながら振り向けば、これまた彼方も深々と謝罪しながら頭を下げていた。これまでの御薬袋さんの中で一番大きな声に、隣室で仮眠中だったラストオブギャルこと、鈴村さんが顔を出す。
直前まで眠っていたのであろう、とても寝ぼけた顔で「どしたの〜?」と、間延びした声を掛けてくる。
「ごめん、起こして!別に何でもないよ、はしゃぎ過ぎただけ」
「あ、そ、そうです。すみません鈴村さん」
「……あ〜、うん、りょ〜かい。……じゃあ、おやすみぃ」
「「……おやすみなさい〜?」」
パタっとドアが閉まり、静寂が訪れる。すっかりキョトンとした表情の御薬袋さんと目が合い、思わず噴き出す。
「えっ、ちょっ、酷いですよ識守くん!普通、女性の顔見て笑いますか⁉︎」
「いやぁ、だってねぇ……タイミングよ」
まだ堪え切れずブフォっと咽せると、笑われた本人は呆れたと肩をすくませ、持っていたミルクティーを一気飲みしてしまう。
「ごめんごめん……あ〜、なんだ。御薬袋さんが謝らなくても大丈夫だからね?」
「……いや、その謝罪は違いますので!」
「違う?」
てっきり色々と自分のせいだと勝手に思わせてしまって、その謝罪なのかと思っていたのだが。
「今のごめんなさいは、知らず知らずに識守さん、というかはなださんに過剰なスキンシップを取っていたから、それに対してです!」
「あ、あぁ。成る程……いやでも、それでも御薬袋さんが悪いわけじゃないから」
俺が受け入れる器が無かっただけで、御薬袋さんの行動が世間一般的には間違っていたとも思えない。何より……。
「そ、それに……別に嫌じゃなかったし」
「ふぇっ‼︎……っと、っそう、そうですか……?嫌じゃ、なかったなら、良かった、です……はい」
言ってからちょっとセクハラチックかと後悔して、顔に熱が上がる。御薬袋さんも真っ赤で……だぁぁ、違う、違うんだ!そんな、そんなニュアンスじゃないんだ!
慌てて違う違う、そうじゃ、そうじゃとしどろもどろする俺に、今度は一緒に照れていた御薬袋さんが噴き出した。
「あはははっ、し、識守くん!そ、そんなに否定しなくても解ってますよ」
「ほ、本当に?」
「本当ですよ、嫌なら今だって嫌な顔するでしょう?」
ま、まぁ、そうなのかもしれないが。笑われる側と言うのはこうも恥ずかしいものなのだなと少し反省する。すっかり緊張した空気は消えていて、重い荷物を担いだような感覚が無くなっていた。
「しかしまぁ……では、なんですか。女の子に触れられたり過剰なスキンシップは拒否反応すら出るけれど、女の子自体は好きなのでスキンシップ自体はしたいと。しかも人を選ぶかもしれない」
「まぁ……うん、そう、ですね。はい」
「は〜……識守くん。こういうのを何と言うかご存知ですか?」
良く知っております!
「……めんどくさい奴」
「正解です!……でも大丈夫ですよ」
「え?」
そっと項垂れていた俺の手を引いて、両手で包み込んでくれる御薬袋さん。不意の接触に思わずまた引き攣った笑いを起こしそうになるが、正面を向けば冗談などなく、まるで全て許すと言わんばかりの優しい目をした女性が此方をしっかり見据えていた。
不思議と鳥肌も立たなければ、吐き気も来ない。嫌な思い出も過らない、目の前の優しさから目を離せない。
「大丈夫です。私は識守くんが面倒くさくても、それだけで放したりはしません」
「……どうして?」
「えぇー……分かりませんね。いつの間にかそう思っていました、何か理由がいるものなのでしょうか?」
「いや……わからないけど……あ、ありがとう、ございます」
「どういたしまして、ゆっくりでいいですから、楽しく過ごしましょう」
顔だけじゃなく目頭が熱くなってきたのがわかり、スッと立ち上がって伸びをする。あくびをするフリをして、目頭の熱さを誤魔化すと貰ったコーヒーを一気飲みする。
ソファ近くのミニテーブルのミルクティーの空き缶と自分のコーヒー缶を所定のゴミ箱に入れ、ギリギリ整った顔で振り返る。
「よっし、行こう御薬袋さん!」
「はい!」
◆
来た。辺り一面森盛りモリ。木と木の間にはログハウスが無数に立ち並び、逆に地表側には余り建築物等は無い。
往来する人々も、ここ【スガナダ大森林】のホームタウンである【ピリオンタウン】では樹上生活を余儀なくされる。ヒューマンかエルフを選択出来るので、まぁエルフ縁の地なのだろう。
スガナダ大森林においては他のホームタウンとは違い、国や統括された土地ではなくそれぞれの村や町、集落の寄せ集まった大森林一帯の事を指す。
他の地域の様に国や貴族等に縛られる事は無いのだろうが、その分各自治体毎に護衛や生活の基盤を自分達で用意しなくてはならない。その為他の地域と比べるとNPC達は熟練された戦士や技術者が多い。
そんなピリオンタウンについ先程、体調というか心調が戻った俺と御薬袋さんは到着したのだ……ファストトラベル代高かったー。
アテーナーイヤーやミューゼスと違い、特別な入場制限は無いものの、距離的にはかなり遠いので二人で一気に4万飛んだ。これは皇女様達と約束してきた4日毎(1日伸ばしてもらった)にアタノールに帰還する期日までに、黄衣の情報以外にも収入が無いと往復8万はやってられませんな。
「よっしゃ、じゃあ着いて早速だけど張り切って行こう!先ずはこの街の隣のエリアまで行くよ」
「はい、稼がないとですね!」
大体の用意は既にアタノールで済ませてある。アイテムや宿の引き払い、こっちでは余り一箇所に留まる予定が無いので固定の宿を確保しない。代わりに、ログアウトアイテムであるシュラフを用意したり等、それも出費が嵩んだ原因だ。
「東側にあるはずだから……こっちだね」
移動する時は案外地表の方が人通りや建築物が無くてスムーズに済む。今も地表部分を移動しているが、道は未舗装で所々には整備されていないからか背の高さほどの草が生い茂っている場所もある。
ピリオンタウンには一応目印である看板が建てられているので、そこを目指す。広さは一つの町程なので割とすぐに看板は発見出来た。
【←この先ピリオンタウン この先セイジの森→】
セイジの森はスガナダ大森林の初心者ゾーンの内の一つ。取り分けた特徴も無いが、強いて言えばアタノール側のミアンの森よりは比較的明るい。
並び立つ木が針葉樹から広葉樹、果ては季節等関係ないかのように、咲き乱れる桜のような樹木もあれば、周りが青々と茂る中枯れ木が混じっていたりもする。
そんなカオス森が延々と広がるのがセイジの森というか、スガナダ大森林の特徴だ。
「さて、まずはおさらいだけども……アリさんの旦那さん、手背臼さんが黄衣の蜥蜴と遭遇したのはここから3つ先の街から、4つ先の街に着くまでの間の【瑠璃湖畔】というエリアだ」
「はい……ん?という事は……3回は最低でもボス戦ですか?」
「その通り、俺もこのルートは通った事があってしっかり案内出来ると思っている……けど」
「けど?」
「単純に戦闘が厳しい」
実際前のアカウントでは瑠璃湖畔も越えて、恐らく世界樹まで半分くらいと勝手にプレイヤー達から言われている7つ目の街までは行った事があるのだ。
因みに誰も正規ルートで世界樹まで到達した事がないのに、半分だろうという推測が現実味を帯びているのは、敵の強さが劇的に上昇する境目がどのルートから向かってもこの7番目の街や拠点等からなのだ。
「多分2番目までは2人でいける筈、ただ3番目。一番肝心な瑠璃湖畔に入るため砦のボスがルーキー卒業の登竜門と言われているんだ」
「登竜門……嫌な予感がします」
「そうだね、生理的に苦手なプレイヤーも幾らかいるけど……初の飛行種、このルートなら鳥種が相手だ」
「鳥、ですね。一応大丈夫ですけど、苦手な方はいるらしいですね」
鳥類を受け付けない類のお方達はここで一旦座礁する。そうでなくとも鳥種である以上他のモンスターとは比べ物にならない強さを誇る。
「なので……とりあえず2つ目の街までは2人で行こう。道中レベル上げや錬金もして戦力拡大を目指す。それでも足りなさそうな場合は……パーティーメンバー募集しなきゃダメかも」
「そのボス鳥さんはそんなに強いのですか?」
確かに気になる情報だろう、今から自分達が目指す場所を守るボス。気にならないわけがないっ!しかし、言語化するのが難しい。
「つ、強いっちゃあ……強いんだけど、弱いっちゃ弱い?」
「いや聞かれましても」
ですよねー。
「要は対策を出来ていれまだまだボスとはいえ、下級ってわけ。条件さえクリアすれば本当にボスなのかって位のHP設定だよ。何はともあれ、先ずは翔んでる敵に攻撃を当てれなければ絶対に負ける」
「あ、成る程……確かに今の私達では空に攻撃する手段が限られてますもんね。初級の魔法だと当たらないですよね?」
「多分ね、余程工夫すれば当てられるかも知れないけど、相手も普通に避けてくるよ」
初めにして最大の難関だ。ボスの元まで登らなければいけない。基本的に普通にプレイして来たプレイヤー達はここまでの間、自身より上空から攻撃される事はほぼ無い。警戒する事もなければ、上空での攻撃をする事も無いプレイヤーが殆どだ。
「そして初めてのフィールドエフェクトでのダメージが問題なんだ」
「フィールドエフェクト?」
「分かり易く言えば【砂漠は暑い、からダメージを少しずつ受けていく】とか【氷の地帯は滑る】とかかな」
「鳥ですものね……風圧で飛ばされて、とか?」
「正解、落下や壁にぶつかってダメージを食うことが出てくるのさ」
流石鋭い。此方はちょっと凝ったゲームなら有りがちなものだが、敵の放つ魔法でもなんでもだが、今までは俺が一人でスキルの失敗みたいな落下ダメージを食らうのみだったが、相手の攻撃に追加ダメージが付くようなものだ。
その対策を怠れば、慌てふためいている間にみるみるダメージをくらい続け、虹となって霧散することになるだろう。以上2点が相対するまでに対策しておかないといけない事だ。
「では、空に届く攻撃手段と、相手の攻撃の余波を食らわない心掛け、とお金を稼ぎながらその鳥種討伐!が当面の目標ですね」
「その通り、てな訳なので隣町である【ジ・ラタ】へ向かい、ピリオンタウンには無いスガナダ大森林唯一の公式ギルドで依頼を少しだけでもこなしながらいくよ」
そう、ピリオンタウンからクエストを受注しながら迎えたら一石二鳥なのだが、生憎ピリオンタウンはプレイヤーが自由に出来る農耕地を貸し出しているのが売りなだけで特に何もない。初めのホームタウン地としては正直一番影が薄い街だ。
多分人口もここよりジ・ラタの方が断然多いし、パーティーメンバーを探すにしても適切だろう。何より公式ギルドがあるのは本当に有難い。それだけで稼ぎが何倍にもなるからね。
「ではでは……準備はいいかな、まっ白さん?」
「勿論です!出発です!」
ふんす!と珍しく鼻息荒く、恐らくアリさん達の助けになりたい想いや、ある程度稼がないとヤバいという使命感からか張り切っている御薬袋さん。きっと彼女は期待されたり、目標があると燃えるタイプなんだろう。
アタノールにいた頃よりも足取り軽やかに、ピリオンタウンを後にする。黄衣だか蒼衣だか知らないが、待ってろよ!
こうして俺達はまた一歩、WAOの深みへ足を踏み入れる。
◆
汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである_____ニーチェ・フリードリヒ




