side story②
「では、行ってきますね、束内さん」
「行ってらっしゃい、頼んだわよ」
一番信頼する部下からの、力強い啖呵のような挨拶を受け、彼が退室するのを見送る。その啖呵は私に向けられたものではなく、恐らく自分自身に喝を入れたり、奮い立たせたりする類のものだろう。
悠一君の実直なところと、少々マイペース過ぎるところを私は気に入っている。昔から爪の甘い私のバックアップとしてもかなり優秀だ。
何より、彼だけが、私の立ち位置や理想なんかにしっかり理解して着いてきてくれている。つい小言や叱責が多くなってしまうが、どうか許してほしいと、頭の中では思っている。
「……ふぅ」
彼の居なくなった私のオフィスで、取り敢えず一息。今から行われる私達の上司への定期報告にも追われていただろうに、わざわざ淹れてくれたコーヒーを有り難く戴く。
まだ熱い。
私は私で少しタイムラグは有るが、向かう用事もある。部下が頑張っている手前、手を抜くことは許されない。書類を纏めながらもう一度目を通して、残り半分を切ったコーヒーを一気に飲み干して、姿見で身嗜みを整える。
今日はこの会社の代表や、重役、コンサルタント等、頭が痛くなるメンバー勢ぞろいの上半期決算と下半期に向けた会議がある。
私が一任されている【特務課】の事もそうだが、この半年WAOの売り上げは未だ国内一位でありながらも、緩やかな上げ止まりを感じるようになって来ている。それについて事細かく突かれるに違いないのだ。
はぁ……くっそぉ。絶対に私が行けるところまで上り詰めて、もっと自由にゲームを作ってやるんだ。その一心でやってきたんだから。
最後に景気づけのミントガムを頬張り、私室のドアを開く。この先はもう、戦場だ。待っていなさい悠一君、絶対予算勝ち取ってくるから!
◆
「おかえりーぃ……おやまぁ」
くるーんと勢いよく高そうなゲーミングチェアから回転しながらこちらに迫ってきた金髪の彼女は、やつれた私の表情を見て頬を引き攣らせる。
彼女は工藤 かおりといい、私の同じ大学の後輩で、たまたま同じ会社に所属していたのが、入社してしばらくしてから再会を果たした。以来愚痴を聞いて貰ったり、聞いたり、大学の時と何ら変わりない、彼女の私室が私達の溜まり場になっていた。
私室私室というが、専用の部屋がある社員は結構上の位である証だ。私もかおりもこの会社に勤めて7.8年。大躍進と言える程上り詰めてきた自覚はある。
私は経営、彼女はゲーム製作、お互い支え合って来た。彼女はすっかり製作陣のトップ入りを果たし、なんだったら先の重役会議にも参加する程の立ち位置なのだが……いかんせん面倒くさがりやというか、興味のない事に時間を割けないタイプだ。
一度会議に無理矢理参加させた事があるが、前半以降は余りのストレスから奇天烈な行動を取り始め、会議どころでは無くなってしまった。あれ以来連れて行く気は無くなった、というかこの子良くクビにならなかったわね。
「……疲れた」
「お疲れ様っすぅー、先輩。あ、なんかキメます?ポンエナ?ブルーウィング?」
かおりは冷蔵庫からカラカラと沢山栄養ドリンクばかり引っ張り出してくるが、私はその手のカフェインは苦手で、というか薬みたいな味のものは苦手だ。杏仁豆腐とか。
彼女は無視して、奥の方に隠してあった小さなお茶の缶を引き摺り出す。私が彼女の冷蔵庫に突っ込んでおいたものだ。彼女は知っていて私に栄養ドリンクばかり勧めてくるのだ。
「あ、またお茶ー……そんなんじゃ、発育出来ないっすよ?」
「五月蝿い……だぁぁぁ、くそ!」
寧ろそんな飲み物ばかり飲んで良く発育出来たなという位、出るとこは出て、引っ込むところだけ引っ込んでる理不尽に、神は居ないか若しくは死んだと思う。
「荒れてますねー……あの先輩の新しい担当、特務課でしたっけ?どんな反応でした?」
「どうもこうもないわよ、まだ発足したばかりだから目立った成果もない、すぐに違う話になったけど……先ずジジイどもの若い女を見る目が気持ち悪い」
「あー、ですよねー、あれ本当、バレてないとでも思ってるのかね」
お疲れ様です、とお茶の缶と自分の栄養ドリンク缶を乾杯して来るかおり。まぁ、悔しいが、彼女の方がそういう悩みは多かったのだろうと思う。今、殆ど私室に引きこもって過ごしているのにも多少はそういう理由もあるのだろう。
本当に、社会というのは疲れる。多分上も下もないな、上は上、下は下で不平不満はキリがないのだ。
「まぁそんな感じよ、アイツらがそっちばっかに注目してる間に予算捻じ込んでやったわ」
「お、あざますっ!これで何回か個人趣味のイベント出来る〜」
別にかおりの為ではないのだが、まぁ良いだろう。これで社員旅行も優雅に行えるし、彼らに予想以上の給料も支給されるであろう。本当、ウチの会社給料が良いから上があの体たらくでも離職率低いんだろうなぁ。
かおりも含め他数名、特務課の支援の為に開発スタッフを引っ張って来た。彼らは給料やらなんやらより開発費が増える事に喜びを抱く者も多い。仕事熱心なのは構わないのだが、度が過ぎることもあるので舵は取らねばならない。
前回かおりが企画決行したWAOのイベントでは春だから、とかいう謎の理由で学校が突如設立されたりした。何故、好き好んでファンタジーなゲーム内でわざわざ学校に通い詰める者がいると思ったのかは知らないが、結構人が集まったのも納得はいっていない。
「まぁ良いけど、次は事前に内容を教えなさいね。前のやつ成功したからいいけど、ネット上でも脈絡なさすぎて逆に話題になってたじゃない」
「話題になったら良いじゃないですか、万々歳!次は何しよっかなー……創造したわけだし、破壊か?」
キランとそのぱっちりお目目を輝かせる彼女は、出会った頃のまだ幼なげな表情にも見えるし、メキメキと技術を伸ばしたエンジニアの風格もある。私は一体どんな顔をしているのだろうか……。
コンコンコン……とノックの音。私達の間に水滴が落ちたように静寂が訪れる。誰かしらね、この部屋に直接来る用事がある人なんて少ない筈だけれど。
「……はぁーい?」
「すみません、工藤さん、束内さんの部下の植原です。ウチの束内さん、そこに居ませんかね?ちょっと渡したい物とか用事があるんですが」
どうする?と声に出さず顔で問いかけるかおり。まぁちょっとだらけてはいたが、今更彼に見られて不味いものでも無かった。別に居留守を使う理由もない。
「居てるわよ、どうぞ」
「失礼します、探しましたよ束内さん……あ、工藤さんもこんにちは」
「こんにちは。相変わらずデカイっすね」
「それが取り柄みたいなものですからね。束内さんこれ、僕の方の記録と決定事項、後お小言を貰って来ましたよ」
「お小言?」
私達の上司は典型的な事なかれ主義だ。上にも下にも、波風が立たないように過ごしていて、先の会議には参加していない。というか私に任せて自分は悠一君の報告後営業に行くと言っていた。が、多分言い訳だな。
彼が私にお小言を言うとは、珍しい事もあったもんだ。
「それが……何故特務課の報告にトップが来ないのか、と。ぐちぐち言われましたよ」
「あっの野郎……自分が行くの嫌だからって重役会議欠席しといて、代わりに慌てて行った私の事をもう忘れたって言うわけ」
世知辛いなぁと、しみじみ頷きながら粗茶ですがーとかおりが悠一君に栄養ドリンクを差し出す。遠慮したのか苦手だったのか、急いでいるのでとお断りすると、退室しようとする。
はたと、ドアノブに手をかけた時に悠一君が立ち止まる。何というか、彼がいるとドアがドールハウスの物のように感じる、スケール感がバグる。
「そうそう束内さん、この後特務課を見回って書類整理したら退勤するんですが……」
それなら知っている。彼のスケジュールを決めたのは私だし。
「それで、その……束内さんもその書類まとめたらこのまま帰宅でしょうし、良かったらお食事でもどうかと」
「おぉ⁉︎先輩、良かったじゃないすか」
言い終わると少し頬を赤らめ、らしくないと言うか体に見合わずモジモジとした態度を取る。はにかんだその表情は私の、私の好きな表情で。
心の底から不快だ。
「……シキ、やめなさい」
「えっ⁉︎先輩?」
「束内さん?」
二人してキョトンとした仕草をする。かおりは兎も角、最大に不愉快なあの最愛の姿をした塊は、まだ誤魔化せると思っているのか芝居を続ける。
「悠一君は私を食事に誘わないわ」
「またまた〜……被害妄想もいい加減にしとかないと婚期逃すっすよ〜……私みたいに?ってやかましいですよ」
「いや本当にやかましいわよ、かおり。悠一君は必ず、直帰するわ。食事に誘うなんて大間違いね」
「…………どうしてですか?」
先程までの表情から一転して、植原擬の顔から表情が消える。それでも、彼をそんなに知らない人から見れば、そっくりで見分けなんてつかないだろう。
「教えないわ、どうでも良いからさっさとそのホログラムを取りなさい。二度と口を聞かないわよ」
「うぇっ⁉︎ほんとにシキちゃんなの?」
「……残念、バレてしまいましたか。かおりさん、残念ながらシキです」
ポロポロとまるで小さなキューブが剥がれ落ちて行くように、【植原】を象っていたホログラムが剥がれ落ちて行く。ホログラムなので別に床に溜まったりせず消えて行くので、ただの演出だろう。
世界5大AI【シキ】は日本の誇る技術の結晶であり、要。そしてこいつはそのシキが操る人間型に作られた擬似骨格にホログラムを載せて動き回る、シキの現実世界との交信用人形だ。だから先程お茶を断ったのだな。
「二度と悠一君の姿でそんな事をしないで頂戴。その素体処分するわよ」
「またまた、酷いですね束内さん。そんな権限もない癖に……それにしても、どうして分かったのか参考に聞きたいのですが?」
こいつの、この人を小馬鹿にしたような態度は本当にAIなのかと散々疑ってしまいそうになる。昨今のAI情勢は凄まじく、シキ程ではないにせよリアルな思考をするAIは山程開発されている。
しかしシキは特別だ。素体を持ち自由に提携会社の社内を歩き回り、人と交流する。小馬鹿にしたり、手伝ったり、観察したり、兎に角自由なのだ。
「ま、まぁまぁシキちゃんも先輩も、その辺でー。シキちゃんは本当に仕事ないの?」
「……はぁ、仕方ありませんね。仕事がこの後有るのは事実ですので、これで失礼致します。束内さん、やはり……」
「お疲れ様」
「……お疲れ様です、おかしいですねぇ」
パタンとドアが閉まり、シキの姿は見えなくなった。緊張の糸が取れ、取り敢えず持っていたお茶の缶を一気に煽る。喉がひんやりとし、少し落ち着いたように思う。
「いや〜……いつ見てもシキちゃんはすっごいな〜。いつか制作陣と会ってみたいものです」
「凄いだけならいいのだけれどね、あの、人に化けるのだけはどうにかならないかしらね」
悠一君に擬態していたとは言え、持ってきた資料や、恐らく上司のお小言も本物で、ちらと携帯端末を覗くと悠一君から【シキに資料や伝言を渡しました、時間も遅いのでこのまま整理したら帰ります】とメッセージが入っていた。
悪気があるのか無いのかは知らないが、彼に仕事を頼まれた時には満面の笑みだったに違いない。AIのくせに。
すっかり重役会議の怒りなんて消え去ってしまったし、かおりと話すのもなんだかひと段落着いたような気がするので、癪だが予定通りに帰宅する事にする。
「ところで先輩」
「何?」
スーツのジャケットを羽織り直していると後ろからまたもカラカラーと、チェアに座りながらかおりがこちらに来て、下から見上げてくる。その顔には隠しきれないニヤつきがあり、ちょっと不愉快。
「やっぱり愛の力なんすか?」
「愛の力?」
「またまた〜、私はぜっんぜん植原さんだって思ってましたもん。やっぱり先輩程愛があるとわかるもんなのかな〜って」
「あぁ、それは簡単よ。シキの勉強不足なだけ」
羽織り直して、荷物も持って準備完了。受け取った資料もめんどくさいから自宅で目を通す、決めたわ。今日はちょっといい酒と肴にする。
「悠一君はね、まだ2歳の娘さんを一人で育てているの。如何なる理由があっても、蔑ろにして遊びに行ったりなんかしないわ。もし、本当にあの時悠一君が私を食事に誘っていたら、軽蔑していたわね。じゃあね」
「そーいうのを、愛の力って言うんじゃないんすかね〜……知らんけど!」




