蒼穹の審判 -中編-
ウィリアム・F・ハルゼイは、一ヶ月前からこの日を待っていた。
囮は用意されていた。罠は整えられていた。日本の攻撃隊が今日も飛んでくることを、ハルゼイは知っていた。
―ブイン基地 ―
〇六五〇
「二隻のコロラド型」当初報告を受けた草鹿は眉をひそめた。
コロラド型戦艦といえば長門と同世代の戦艦である。一六インチ主砲という装備自体は立派なものだが、速力が遅く到底第一線で出せるような戦力ではない。二隻は真珠湾攻撃で空爆を受けて損傷を負っていたはずだ。その後一年あれば修復以外に改装している可能性もあるにはあるが…。
日本海軍はこれとは別に戦艦インディアナがいることを認識していたが、逆に脅威となる戦艦はその一隻のみ。草鹿はレンドバ島を砲撃中の戦艦二隻を攻撃目標と定めた。ガダルカナル島の海戦で米軍は戦艦三隻を失っている。そして今回現れた予備戦力的存在。これを仕留めれば水上兵力での優勢を確実なものにできる。
「頼んだぞ。」出撃していく攻撃部隊を見送りながら草鹿はどこか不穏なものを感じていた。
ブインから出撃したのは第一次攻撃隊として零戦一八機、九九艦爆一六機、一式陸攻九機。すでに滑走路には第二次攻撃隊の一式陸攻二一機にはそれぞれ魚雷を搭載し、零戦も念入りな最終整備を終え出撃準備万端である。
バラレからも新鋭彗星を含む攻撃隊が発進した。
〇八〇〇
―トラック諸島―
長官室でサイコロを見つめる山本五十六は、ラバウルから届いた「今日、コロラド級二隻を撃沈すべく残存全力出撃」の電文に、かつてない悪寒を覚えていた。
「敵は我々の航空隊を、昨日と今日の二日間で完全にすり潰す気だな」昨日一四八名、そして今日出撃した機体が、米軍の強力な防空陣に阻まれて引き裂かれれば、我が方の航空網は今度こそ、名実ともに『壊滅』する。
航空兵力を完全に失えば、レンドバ島の敵軍に対抗するためには戦艦を狭いソロモンの夜の海へと突入させるしかなくなる。
「……これは、あまりにも出来すぎた罠なのか」山本は、静かにサイコロを握った。
―ニュージョージア諸島上空―
〇八一〇
「いたぞ、米軍艦隊だ!」
艦爆隊は彼方の海面を見た。煙幕が一部を覆っているが、戦艦のシルエットは隠しきれていなかった。旧型の角張った艦型。確かにコロラド型だ。
「艦爆隊、先行。雷撃隊は艦爆の突入後三分で発進」九九艦爆十六機が雲の陰にサッと隠れた。敵に接近次第急降下で仕掛けるつもりだ。
しかし米航空隊は総力を挙げ島の防空に陸軍機も含めて六〇機があたっていた。日本爆撃隊の更なる上方から銃撃。低空に配置された編隊は雷撃部隊に正面から銃弾を射かけた。零戦隊も果敢に対応したが、機体性能と数に押され爆撃隊と雷撃隊は突入前に数機が撃墜され、被弾により白煙を噴き、やむを得ず雷撃や爆弾を投下して帰投する機が続出した。それでも残った爆撃隊は戦艦を目指して急降下を開始した。同時に、米艦隊の対空砲火が一斉に空を塗り替えた。
黒い煙の花が咲く。その中を九九艦爆が縫うように降りていく。先頭機が煙幕の向こうに消え、次の瞬間、水柱が上がった。至近弾だ。命中ではない。
コロラドもメリーランドも、艦爆の突入を察知した瞬間に転舵を始めた。旧型だが船員の練度は高い。対空砲の密度も、想定より厚かった。
二番機が火を噴いて海面に消えた。三番機が急降下を続け、爆弾を投下した。メリーランドの艦首近くに水柱。また至近弾。焼け焦げたオイルの匂いが充満する中、四番機が煙幕を突っ切ってメリーランドに急降下する。
「当たれ」四番機の搭乗員は無意識に呟いた。恐怖心を押し殺しながら最適なタイミングを見計らう。
「高度七〇〇…六〇〇…五〇〇!いくぞ!」衝突すれすれまで肉薄し爆弾を投下する。四番機の爆弾は、空気を裂いてメリーランドの後部甲板に命中し火柱があがった。
メリーランドの後部甲板で爆発が起き、衝撃で艦全体が轟音を発しながら揺れる。しかしすぐに艦は安定を取り戻した。
「被害報告」
「後部三番砲塔付近に命中弾一発。火災発生。消火班を派遣しています。浸水はなし」
「機関は」
「異常なし。速力維持できます」
「右舷雷撃機が来ます」
「面舵いっぱい。魚雷に対して艦首を向けろ。コロラドにも同様の命令を」
一式陸攻九機が高度を下げる頃、米艦隊は既に転舵を完了していた。
艦首を向けた戦艦への雷撃は、的の面積が最小になる。当てにくい。しかし当たれば致命的だ。左右に散開して複数方向から迫る戦術を取ろうとしたが、対空砲火の密度が高く、先の迎撃隊の攻撃を受け、散開する前に五機が撃墜された。
残る四機が雷撃を敢行した。魚雷が海面を走る。
転舵を続けるメリーランドに、一本が命中した。艦首寄りの右舷に、白い水柱が立った。
しかしコロラドへの魚雷は全弾が外れた。
ブイン攻撃隊は幸運であった。何故ならバラレ航空隊はこの二十分後に直衛米軍機の一部入れ替わりのタイミングで突入したため多数の戦闘機に阻まれ艦隊にたどり着ける機体がいなかった為だ。
-ショートランド南東部-
〇八四五
二隻の空母に敵機が来襲しているにも関わらず、対応できる零戦隊は既に十数機にまで減少していた。
ほどなく、母艦の前方数浬先を航行中の駆逐艦より、敵機来襲を知らせる黒煙が上がり、発砲が始まるのが見えた。それと同時に直衛隊が大編隊を発見し、それらへ突っ込んでいって一撃をかける。敵編隊から白煙を生じる機体があらわれ、何機かが黒煙に変わる。しかしそれらを確認した時には敵機は母艦のすぐ近くにまで駆けており、反転して二撃目を与えるころには艦直上に達していた。グラマン戦闘機は艦爆を援護するため高速を活かして突っ込んでくる。さらに下方からは味方の艦隊が盛んに対空砲火を撃っている。船に乗っている時は「撃て撃て」と思うが、直衛機として飛ぶ側となれば敵弾よりタチが悪い。
機体下から蹴り上げられるような衝撃を何度か受けつつ、右に左に群がる敵機を追い払おうと奮闘する。しかし何倍もの敵機の攻撃を振り払うことは不可能だった。
衝撃音と共に水柱が立つのを直衛隊は直視せずとも直感で何が起きているかを理解した。しかし敵機から目を逸らす余裕は無く、自艦を直視する心的余裕もまたなかった。
一段落して零戦隊が見たのは炎を纏いながら黒煙を発している翔鶴の姿であった。
しかし無情にも米航空隊は手を緩めず、既に次の攻撃隊を出撃させていた。
-レンドバ島の米軍上陸地点-
米軍の小型艦が座礁ぎりぎりまで近づいて撤退作戦を開始していた。ここで逃すかとばかりに、ネズミ輸送で運び込まれた一二センチ高角砲が海岸近くの隠蔽された砲台からうなった。しかし二撃目を撃った途端に米軍機からの機銃掃射と救出部隊からの重機関銃を撃ち込まれ沈黙した。
-ブイン航空基地-
〇九〇〇
ブイン第一次攻撃隊 戦果報告(暫定)
コロラド型一隻 命中弾一、魚雷一
コロラド型一隻 損害なし
我が方損失 艦爆十機、陸攻七機、零戦四機(使用不能機体含める)
「ブインは艦爆は六割超、艦攻は七割七分。…それであって仕留められずか」
「バラレに至っては戦果無し」
命中弾一発と魚雷一本は、決して少ない戦果ではない。しかしバラレは新鋭の彗星を含めた期待の部隊であったが戦果無し。全体の消耗率はなんということだろうか。
「第二次攻撃隊に委ねよう」草鹿は自分に言い聞かせるように言った。
その時「空母翔鶴被弾!更に攻撃部隊が来襲」一報が入った。
「なんだと!構わん、全ての零戦部隊を艦隊の防空にまわせ。」
それは非情な選択であった。米艦隊へ向かう第二次攻撃隊は直衛の零戦を奪われ、裸同然となった。攻撃隊は待ち構えていた米軍機の群れに一方的に引き裂かれ、戦果をあげることなくソロモンの海へと散っていくこととなる。
―ヌメア 南太平洋方面軍司令部―
一〇五〇
ハルゼイのもとに報告が入った。
「提督、戦艦マサチューセッツの艦隊がインディアナの艦隊とガダルカナル沖にて合流しました。」
「結構な遅刻だな」ハルゼイが昨晩から何度も海図を睨みながら待っていた艦隊が到着したのである。
戦艦マサチューセッツは五月に就役し、大西洋での厳しい慣らし運転と戦闘訓練を完璧に完了していた。まさに油の乗った即戦力であった。
ハルゼイは冷徹な眼差しをスプルーアンスへと向け、戦況報告を求めた。
「攻撃は今日だけで三度だ」
「はい。ですが艦爆と艦攻の過半数を失ったはずです」
「こちらの損害は」
「メリーランド、爆弾一。魚雷一。運用に大きな支障なし」
「そうか。ジャップの空母はどうなった」
「敵航空隊の増援があり仕留められませんでした。現在ショートランドの海域から撤退中」
「それでいい。目的は達した」ハルゼイは言葉をつづけた。
「レイ、お前も知っていると思うが、航空打撃兵力を失ったジャップはガダルカナルのように夜戦をしかけてくるはずだ。そしてこちらは一六インチだ。戦艦の数はジャップに分があるが、大半は一四インチ。故に奴らは例の二隻を投入せざるを得ない」
かつてガ島を巡る死闘の最中、前任のゴムーレーが指揮を執っていた南太平洋戦線は壊滅寸前だった。駆逐艦や重巡を多数沈められ、さらには戦艦三隻をも失うという大損害。それはハルゼイの責任では毛頭なかったが、この未曾有の危機に対し、ニミッツは自身の「危険な時にはもっとも攻撃的な指揮官を」という信条に従い、ただ猛将としか言いようのないハルゼイを独断で抜擢したのだった。
ハルゼイは着任するや、二次的作戦をことごとく廃止して全戦力をガ島に叩き込み、泥を啜りながらガダルカナル島から日本軍を追い出した。だからこそ、攻勢に転じるこの局面において、ニミッツは最も信頼する右腕であるスプルーアンスを特使として派遣し、作戦の成否を極めてシビアに見極めようとしていた。
だが、ただの猛将と評されたハルゼイの盤面は、先月からすでに整えられていた。
すべては先月、オーストラリアのブリスベンで行われた、陸軍のマッカーサーとの会談に遡る。
互いの侵略ルートを統合した一大反攻計画『カートホイール作戦』を立案し、最終目標をブーケンビル島に定めたハルゼイは、ゴムーレーを撃ち破った戦艦を引きずり出して仕留めるため、会談の直後に海軍トップのキング長官へ新鋭戦艦『マサチューセッツ』の緊急回航を要請していた。 南太平洋の制海権を何としてでも奪還する――その一点においてキングの決断は迅速だった。大西洋から引き抜かれた一六インチの怪物はパナマの海門を通過し、二五日間の強行軍を経て、今日、このソロモン海域へとすでに滑り込みを完了させていた。
大西洋から強引に引き抜いた『マサチューセッツ』。そして先月到着した『インディアナ』。ハルゼイの手元には、二隻の一六インチ新鋭戦艦が揃っている。
日本がなけなしの航空主力をすり潰した今、昼の空を支配された日本軍に残された逆転のカードは、ハルゼイの読み通り、暗夜に乗じて突入してくるであろう艦隊しかない。
「提督、あの二隻には新鋭のワシントン含めた三隻で対抗できなかったのが現実です。そしてマサチューセッツは大西洋の艦隊から引き抜いたものです。もし今回二隻をソロモンの墓場に沈めれば、我が国の世界戦略そのものが破綻します。」
「ゴムーレーは無策に突っ込んだのだ。私は違う。既に潜水艦も当該ポイントに配置し、夜間航空が可能な部隊も揃えている。私が戦区の壁を超えて全面協力を取り付けたからだ」
この否定的意見に対してハルゼイは怒りどころか不満をも顔に出さず、冷静に、それであって大胆な身振りで説明をした。スプルーアンスはこれを聞くと、目の前の男は大西洋の勝者を組み込んだ計算を終えていることを察し、静かに頷いた。
ハルゼイは一息ついて言葉をつづけた。
「これでジャップの艦隊は我々に対抗不能となる。その後の再上陸し島を占領する」
スプルーアンスは静かに書類を閉じ、ハルゼイに向かって頷いた。「ニミッツ提督には、作戦承認の暗号を送ります。『猛将ハルゼイは、冷徹な計算のもとに攻撃を下す』と」
「頼むよ、レイ。ジャップどもに、『審判』の意味を教えてやる時だ」
ブイン・バラレ両基地の航空兵力は、実質的に使い果たされた。多くの攻撃機は米軍機の群れに飲み込まれ、戦果を上げることなく消えた。制空権を掌握した空の下で米戦艦は砲撃は絶え間なく続く。
ソロモン海域、ニュージョージア諸島――。
連合艦隊に決断が迫られる。
次回 「蒼穹の審判-後編-」 8月中投稿
*一週間遅れての投稿となりました。加えて表記ゆれ等の推敲に伴い前話に細かな修正も行っております。両件に対しお詫び申し上げます。




