第四話
目を開くと、意識はぼんやりとしていた。
俺、死んだのか。
とうとう死んじまったのか。
…あれ、三途の川は何処だろう。
辺りを見渡すと、女性が一人、立っている。
「すみません。三途の川は何処ですか?」俺は彼女に声をかける。流石はあの世だ。もう、普通の声で話すことが出来る。あんなに、喉は枯れていたはずなのに。
…って、何聞いてるんだ?俺は。
彼女はなかなか振り返らない。
そもそも、変な男から突然"三途の川は何処か"なんて聞かれたら普通は振り向かない。少なくとも、俺だったら振り向かないな。
それにしても、彼女は一体何者なのだろう。
三途の川の番人、とか?
…あ。
もしかしたら、三途の川を渡れない人か。
訳合って、渡れない人がいる。
現世で生死をさ迷っている人とか、
…後は?
"とか"って言った割には、他の事例が浮かばない。
あぁ、そう言えば。
俺はあの世についてよく知らないが、昔、こんな話を聞いたことがある。
女性が死んだ場合、彼女の処女を奪った人が三途の川の手前で待っていて、彼女を連れて川を渡るらしい。
その男が先に死んでいれば、待っていてくれるのだとか。
ちなみに、男がまだ生きている場合は、彼女が三途の川の手前で待っていなくてはいけないんだとか。
一人では三途の川は渡れないから…らしいが。
その話を聞いた時、一瞬、素敵だな、とか思うかもしれない。
けどさ。
じゃあ、処女、並びに童貞の方々は一体どうするんだよ。一人で渡れって言うのか?
──って、矛盾にツッコミを入れたくなる。
皆、渡れなくて水遊びでもするのかな。
…三途の川で?
何だか、馬鹿馬鹿しくなった。
ま、どっちにしろ俺には関係ないし。
…何だよ。
別に良いじゃねーか。
俺のことなんてほっとけ。
──今、思うとさ。
じゃあ逆に、プレイボーイ並びにプレイガールはどうするのかな?
団体さんが全員揃うまで、待ってるのかな。
それとも男は、何往復もするのかな。
やっぱり、馬鹿馬鹿しくなった。
ま、どっちにしろ俺には関係ないし…。
ちょっとは、あるのか?
…うーん、あるかもしれない。
でも俺は、人並みと言うか標準と言うか…。
いや、止めておこう。
これ以上、何か喋ると、言い訳がましく聞こえるから。
…何だよ。
別に良いじゃねーか。
やっぱり、俺のことなんてほっとけ。
俺は独身貴族を貫くって、決めてるんだから。
──今笑った奴、あの世から化けて出て来るから待っとけ。
…まぁ良いや。
とにかく、川を見付けるのが先だ。
俺、死んだのか。
本当に、死んじまったのか。
もしかすると、あの女性は誰かが死ぬのを待ってるのか?
本当に死ぬ人にしか、川は見えないのか?
…ちょっと待て。
俺にはまだ、川も何も見えてないぞ。
俺、死んだのか?
本当に、死んじまったのか?
…分からん。
金属バットで殴られて、頭がぐらぐらしていたのは覚えているが…。
あの女性には、川は見えているのだろうか。
それも含めて、聞いてみよう。
「すみません」俺はもう一度、声をかけた。
「…何でしょう」女性は振り向かずに答える。
…あれ?
聞き覚えのある声だ。
まさか、"誰か"じゃなくて"俺"が死ぬのを待ってた人…とか、言わないよな。
あんな、長い髪の美しい女性を相手にした覚えは…あ、でも、正直、後ろ姿は好みだし。
忘れちゃってるだけで、昔、付き合ってた人だったりして。
「三途の川は、何処ですか?」…だから、さっきから何なんだ。この問いの文章を変える気が、俺にはないのだろうか。
「三途の川、ですか?」女性は聞き返す。「あるじゃないですか、目の前に」
「目の前?」俺は目を凝らす。まばたきをしたり、目をこすったり。でも。
「いや…俺には見えないんですけど」
確かに、見えなかった。
三途の川も、天国や地獄でさえも。
そこには、草原が広がっているだけだった。
「おかしいですね」女性は答える。「私には、はっきりと見えるのですが」
「じゃあ、俺は…まだ死んでない、ってことか?」
頭の中で思っただけだったが、つい口に出してしまった。
その言葉を聞いて、彼女は問う。
「貴方、死んでないの?」
「…いや、仮定だよ。だって君に見えている三途の川は、俺には見えてない…」「貴方、死んでないの?」
彼女は俺の言葉を遮った。
「…多分」何でだろう。
俺は怒られているような気分だ。
前にもこんなこと、あったような…。
「そう…貴方、死んでないのね」哀しげにも聞こえる、沈んだ声。
そして振り返る彼女は、こう言った。
「──私は、貴方に殺されたのに」




