↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こんな家族の姿があってもいいんじゃない?  作者: アーエル
第二章:領地の片隅のスローライフ(逆に多忙な本邸ライフ)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/54

15.代理夫人への招待


 ヴァレリー伯爵家からの招待状がグランヴィル侯爵家本邸へ届いたのは、雪の気配を含んだ風が王都を吹き抜けた朝だった。


 封蝋を見た瞬間、セシリアは胸の奥が静かに冷えるのを感じた。先日までは侯爵夫人本人を探ろうとしていた相手が、今度は自分へ向けて手を伸ばしてきた。それが偶然であるはずがない。


「内容は?」


 エリアスが問い、家令が読み上げる。ヴァレリー伯爵夫人主催の小規模な音楽会。病弱な侯爵夫人の体調に配慮し、代理としてセシリアを招きたいという、どこまでも丁寧な文面だった。


「断りましょう」


 エリアスの答えは早かった。だが、セシリアはすぐに頷けなかった。ここで断れば、ヴァレリー伯爵はまた別の形で揺さぶってくるだろう。逃げ続けるほど、侯爵夫人代理という立場は脆く見える。


「受けます。ただし、一人では行きません。ロズウェル伯爵夫人にも同席をお願いし、侯爵家の正式な付き添いを立てます」


「危険だ」


「分かっています。ですが、リディア様が教えてくださいました。隠すだけでは、噂は膨らむ。見せるものを、こちらで選ぶのだと」


 その夜、セシリアは別邸へ手紙を書いた。招待状の内容、自分が受けると決めたこと、不安であること。そしてどのような言葉を用意すべきか。手紙の最後で、彼女は迷った末にこう書き添えた。


『怖くないわけではありません。でも、わたくしが揺らげば、リディア様の名も揺らぎます。だから、どうか少しだけ背中を押してください』


 返事は三日後に届いた。リディアの文字はいつも通り整っていて、そこに慌てた様子は少しもなかった。


『背中を押す必要はありません。あなたはもう、自分の足で立っています。音楽会では、侯爵夫人本人の代わりに完璧な答えを探さないでください。あなたが守るべきなのは、私の顔ではなく、侯爵家の静けさです』


 続く頁には、予想される質問と返答例が並んでいた。侯爵夫人の体調、領地での暮らし、慈善市の品、エリアスとの関係。どれも答えすぎず、隠しすぎず、聞いた者がそれ以上踏み込みにくい形に整えられている。


『それでも困ったら、微笑んでこう言ってください。奥様は、静かな場所でこそよく働かれる方です、と』



 音楽会の日、セシリアは淡い菫色のドレスをまとい、胸元に白い花の刺繍布を忍ばせた。隣にはロズウェル伯爵夫人が付き添い、少し離れた場所には侯爵家の家令が控えている。逃げ道ではなく、支えとして用意された人々だった。


 ヴァレリー伯爵夫人は優雅に迎えた。音楽は穏やかに始まり、会場には上品な笑い声が流れる。だが、曲の合間に向けられる視線は、旋律よりも鋭かった。


「侯爵夫人様は、今日もご欠席でいらっしゃるのね。お寂しくはありませんこと?」


 最初に切り込んできたのは、ヴァレリー伯爵夫人の隣に座る若い夫人だった。問いは柔らかいが、周囲の耳が一斉にこちらへ向いた。


「寂しさよりも、誇らしさが勝ります。奥様は領地で静かに務めを果たしておいでですから。私にできるのは、そのお邪魔をしないよう、王都で必要なことを整えることです」


 ロズウェル伯爵夫人が満足げに扇を閉じた。その小さな音が、セシリアの返答を認める合図のように響く。


 しかし、ヴァレリー伯爵夫人は微笑みを崩さなかった。


「まあ。では、あなたは奥方様にとって、ずいぶん信頼の厚い方なのですね。ご親族でもないと伺(うかが)っておりますのに」


 会場の空気が、ほんの少しだけ冷えた。セシリアは胸元の刺繍布に触れたい衝動を抑え、代わりに膝の上で指を重ねた。


「信頼とは、血筋だけで決まるものではありません。奥様は、務めを果たす者をよく見てくださる方です。私もそのご信頼に恥じぬよう、学ばせていただいております」


「見事なお答えですわ」


 ヴァレリー伯爵夫人の声は甘かった。だが、その目は少しも笑っていない。セシリアは、ここで勝つ必要はないと自分に言い聞かせた。乱さない。答えすぎない。リディアの静けさを守る。


 音楽会は大きな波乱なく終わった。だが帰り際、ヴァレリー伯爵夫人はセシリアの耳元へ、誰にも聞こえないほどの声で囁いた。


「あなた、本当にただの代理でいられるのかしら」


 セシリアは立ち止まりかけた。けれど、すぐに微笑んで礼をした。


「代理とは、任された務めを果たす者のことです。私には、それで十分です」


 馬車へ戻った瞬間、セシリアの指先は震えていた。エリアスが差し出した外套を受け取りながら、彼女は小さく息を吐く。


「大丈夫か」


「大丈夫です。けれど、あの方は私を揺らすつもりです。リディア様の名ではなく、私の心を」


 エリアスは険しい顔で窓の外を見た。王都の灯りは美しい。だが、その奥には見えない思惑がいくつも潜んでいる。


「ならば、今度はこちらから守り方を変えよう。君一人に受け止めさせるつもりはない」


 その夜、セシリアはリディアへ短い報告を書いた。音楽会は無事に終わった。けれど、自分が揺さぶられたことも、隠さず記した。強がっても、リディアにはきっと見抜かれると思ったからだ。


『私は、代理であることに誇りを持ちたいです。けれど、その言葉で傷つかないほど強くはありません。リディア様、私は本当に、この場所にいてもよいのでしょうか』


 別邸にその手紙が届く頃、王都ではヴァレリー伯爵が次の招待状を手にしていた。今度の宛名はセシリアではない。ラングフォード子爵夫妻。つまり、彼女の両親だった。


「代理が揺れぬなら、代理を育てた家を問えばよい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。