8-2 別邸の刺繍
女性たちは顔を見合わせた。その表情には、戸惑いと喜びが入り混じっている。自分たちの手仕事が侯爵家の名で王都へ運ばれる。それだけでも信じがたいのに、自分の名まで控えられるというのだ。
「ただし、無理は禁物です。夜遅くまで針を持つこと、目が疲れているのに続けること、小さな子を放って作業することは禁止。これは慈善市のためであって、皆さんが倒れるための仕事ではありません」
その言い方があまりに真剣だったせいか、何人かの女性が目を丸くし、それからくすくすと笑い出した。
「奥様は、私たちより私たちの身体を心配なさるんですね」
「働く手が壊れてしまえば、暮らしも楽しみも続きません。長く続けるために、休むのです」
その日から、別邸では週に二度、手仕事の集まりが開かれるようになった。名目は慈善市の準備だが、実際には女性たちが茶を飲み、子どもをそばで遊ばせながら、布を縫い、糸を選び、互いの近況を話す時間になっていった。
リディアはその輪の中心に座ることもあれば、少し離れた長椅子で本を読みながら耳を傾けることもあった。誰かの子が咳をしていれば温かい湯を用意させ、針で指を刺した者がいれば手を洗わせた。大げさなことは何もしていない。それでも、別邸へ来る女性たちは少しずつ増えていった。
やがて、慈善市へ送る品は小さな箱一つでは足りなくなった。刺繍入りの布巾。補修を飾りに変えた子ども服。草木染めの糸で編んだ小さな肩掛け。香草を包む匂い袋。どれも豪華ではないが、手に取る人の暮らしに寄り添う品ばかりだった。
リディアはそれらをまとめ、セシリアへ手紙を添えた。
『慈善市用の品を送ります。侯爵夫人の作品というより、領地の女性たちの手仕事として扱ってください。可能であれば、品物のそばに作り手の村名だけでも添えていただけると嬉しいです。名前を出すかどうかは本人たちの希望を優先してください』
数日後、本邸から返事が届いた。セシリアの文字は以前より少しだけ整い、けれど端々に彼女らしい柔らかさが残っている。
『必ず大切に扱います。ロズウェル伯爵夫人にも相談し、侯爵領の冬支度として紹介する予定です。リディア様の図案は、派手ではないのに目が留まりますね。わたくしも、あの白い花の模様が好きです』
手紙を読んだリディアは、机の上に置かれた白い花の図案を見下ろした。もとは自分が静かに過ごすためだけに縫い始めた模様だった。それが、いつの間にかセシリアのお守りになり、侯爵家の慈善市へ出す印になり、村の女性たちの手仕事を結ぶ目印になっている。
「不思議ね。表に出ない方が、かえって色々なところへ届いてしまうなんて」
メイは糸巻きを整理しながら、楽しそうに答えた。
「奥様が扉を少し開けたからではありませんか。ご自分は出ていかなくても、皆がここへ来られるようになりました」
「うまいことを言うのね、メイ」
「奥様に仕えていると、少し賢くなりますので」
からかうような声に、リディアは小さく笑った。
慈善市へ送る箱が馬車に積まれる日、村の女性たちは別邸の前に集まった。誰も大声で騒ぎはしなかったが、箱を見送る目はどこか誇らしげだった。リナの母は、そっと胸の前で手を組んでいる。
「王都で売れなくても、気を落とさないでくださいね。大切なのは、まず出してみることです」
リディアがそう言うと、若い母親が首を横に振った。
「売れるかどうかより、奥様が見てくださったことが嬉しいんです。私たちの針仕事にも、値打ちがあるのだと思えました」
その言葉に、リディアは返事を探した。自分はただ、退屈しのぎに刺繍をしていただけだ。少し見方を変え、少し整え方を教えただけ。それでも、それが誰かの誇りにつながるなら、悪くない。
「では、次はもっと良いものを作りましょう。無理をせず、よく眠って、目を休めながら」
女性たちは笑って頷いた。
馬車が遠ざかると、別邸の庭にはいつもの静けさが戻った。けれど、その静けさは以前とは少し違う。閉ざされた場所ではなく、誰かがまた訪れる場所の静けさだった。
リディアは読書室へ戻り、編みかけの肩掛けを手に取った。窓の外では、リナが洗い終えた布を干している。以前よりも布巾の白さが目立つのは、煮洗いが習慣になったからだろう。
小さな変化だ。けれど、小さな変化が積み重なれば、人の暮らしは少しずつ楽になる。
「領地の片隅でのんびり暮らすだけのつもりだったのに」
そう呟きながらも、リディアの口元はほころんでいた。針を動かす手は穏やかで、胸の奥にある恐怖は、今日は少しだけ遠い。
誰かのために生命を差し出すことはできない。けれど、誰かの日々がほんの少し温かくなる手伝いなら、自分にもできる。
リディアは白い花の刺繍に、もう一針、糸を通した。




