8-1 別邸の刺繍
慈善市へ出す刺繍品を作ることになってから、別邸の小部屋は少しだけ賑やかになった。
リディアは窓辺の机に図案を広げ、白い花と蔦の配置を何度も変えていた。派手すぎれば侯爵家の名ばかりが目立ち、地味すぎれば慈善市に出す意味が薄れる。名を貸すだけの侯爵夫人であっても、自分の手を離れる品が誰かの目に触れる以上、雑なものにはしたくなかった。
「奥様、こちらの糸はいかがでしょう。村の織物屋から届いたものです」
侍女のメイが差し出した小箱には、淡い緑や生成り、薄い金色の糸が並んでいた。王都の店で買う絹糸ほど艶やかではないが、素朴で温かみがある。
「いい色ね。無理に高価な糸を使うより、この土地らしさが出るわ」
そう言うと、部屋の隅で控えていた若い女中が、ぱっと顔を上げた。名はリナ。別邸で洗濯と裁縫の手伝いをしている娘で、村の出身だという。
「その糸、母が染めたものなんです。奥様のお目に留まるなんて、きっと喜びます」
「では、なおさら使いましょう。作った人の顔が分かる品は、長く大切にされますもの」
リナは嬉しそうに頬を染めた。その表情を見て、リディアはふと思いつく。慈善市に出すのは、侯爵夫人の刺繍品一つだけでよいのだろうか。領地の女性たちが作った品も一緒に出せば、彼女たちの手仕事を王都に知らせる機会になるかもしれない。
「リナ。村で刺繍や編み物をする女性は多いの?」
「はい。冬の間は畑仕事が減りますから、皆で集まって布を縫ったり、古い服を直したりします。でも、売り物にするほどでは……」
「売り物になるかどうかは、見せ方と仕上げ方で変わります。よければ、何人かに声をかけてもらえるかしら。無理に集める必要はありません。興味のある人だけでいいの」
翌日の午後、別邸の庭に面した小部屋には、村の女性たちが数人集まっていた。年配の者もいれば、幼い子を連れた若い母親もいる。皆、侯爵夫人の前に出ることに緊張していたが、リディアが茶と焼き菓子を出すよう命じると、少しずつ肩の力が抜けていった。
「今日は品評会ではありません。皆さんの手仕事を見せていただくだけです。上手下手を決めるつもりはありませんから、どうか気楽に」
最初に布を広げたのは、リナの母だった。草木染めの糸で小さな花を縫った布巾は、素朴だが縫い目が揃っている。次に若い母親が、子どもの上着に入れた補修跡を見せた。破れを隠すために鳥の形に縫い直してあり、リディアは思わず身を乗り出した。
「これ、とても良いわ。破れを隠すだけでなく、飾りにしているのね」
「貧乏くさいだけです。新しい服を買えないから、こうするしかなくて」
「いいえ。これは工夫です。欠けたところを恥じるのではなく、別の美しさに変えている。私は好きです」
部屋の空気が少し変わった。女性たちは互いに顔を見合わせ、持ってきた布や糸を一つずつ広げ始める。完璧な作品などない。けれど、どれも生活の中で生まれた手の跡があった。
リディアは図案をいくつか簡単に整え、布端の始末や糸の色合わせを助言した。前世の知識を大げさに使うつもりはない。ただ、同じ模様を小物ごとに少しずつ変えること、仕上げの糸始末を裏で揃えること、清潔な布で包んで保管すること。それだけで、品物の印象は大きく変わる。
「慈善市には、侯爵家の名で出します。でも、作った人の名も控えておきましょう。売れた分の一部は、材料費として皆さんへ戻します」
その言葉に、部屋の中がしんと静まった。
リナの母が、おそるおそる口を開く。
「私たちの名前まで、残していただけるのですか」
「もちろんです。侯爵家の名だけでは、誰が手を動かしたのか分かりません。丁寧に作った人の名が残るのは、当然のことです」




